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敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


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20/43

第20話 で?

 密告状は、翌朝の評議にかけられた。


 外務卿が「握り潰すには公式の経路に乗りすぎている」と判断したためだ。祖国の外交封蝋つきの匿名文書――つまり、ヴァルデンツ宮廷の中の誰かが、公の経路を使って送りつけてきた手紙。


 評議の間には、主だった廷臣が揃っていた。私も、当事者として席に着いた。逃げも隠れもしない。この場で逃げれば、三年前の検分の日と同じおりに、自分から戻ることになる。


「……読み上げます」


 外務卿が、気の毒なほど言いにくそうに、文面を読んだ。


『――貴国が迎えられた花嫁は、清浄の紋様を持たぬ「欠けた器」である。祖国では公開の検分により偽装が暴かれ、その醜聞は社交界の知るところ。かかる姫を大公妃に戴くは、貴国の恥とならん。しかるべき筋に照会あれば、詳細の証人は幾らでも――』


 評議の間は、静まり返っていた。


 誰も私を見なかった。正確には、見ないようにしていた。この国の物差しでは「交換済み」は醜聞ですらない。けれど、他国から公式経路で叩きつけられた侮辱にどう返すかは、外交の問題だ。困惑が、卓の上に澱のように溜まっていく。


 その澱を、玉座ぎょくざ代わりの椅子から、低い声がひと息で払った。


「で?」


 外務卿が、顔を上げた。


「……は?」


「だから、で? それだけか、その紙の用件は」


 ラグヴァルドは、心底つまらなそうに書面を一瞥した。


「妃の紋様がどうであろうと、この国の法にも、俺の婚姻契約にも、指一本触れる話ではない。中身のない紙だ。――が」


 彼は指を一本立てた。


「一点だけ、外交文書として重大な問題がある。この国の大公妃を辱める文は、この国では外交文書と呼ばない。果たし状と呼ぶ。……外務卿。差出人の特定を。祖国の封蝋を使える人間は限られている」


 凍っていた評議の間が、一気に動き出した。


「は、はっ! ただちに」


「筆跡の照合も」


 私は、静かに手を挙げた。


「――でしたら、お役に立てる資料がございます」


 持参した文箱から、油紙の包みを取り出す。王都三番街の代筆屋から買い上げた、注文書と、下書きの反故の束。かつて私を刺した偽の恋文の、製造元の記録。


「祖国で私を陥れた偽造文書の、筆跡の見本です。……職人というものは、癖を隠せませんの」


 照合は、半刻で終わった。


 運筆の癖、七箇所が一致。密告状を書いたのは、義妹お抱えの、あの代筆屋の筆だった。正確には――代筆屋が今、私の側に寝返っていることを知らない誰かが、昔の断り切れない伝手で、無理やり書かせた文字。


 そして封筒の経路を辿った外務官房が、もうひとつの事実を突き止めた。この密告状、祖国の正規の外交便ではなく、途中からグラウ商会の荷に紛れて国境を越えていた。


 鷲の商会。ザイデルンの手足。


「……妃を貶める文が、帝国の荷馬車で運ばれてくる、か」


 ラグヴァルドが、評議の卓を見渡した。もう誰も、困惑してはいなかった。廷臣たちの目に灯っていたのは、この国の人間がいちばん得意な色――「使える情報を手に入れた」ときの、冷静な熱だった。


「面白くなってきたな。祖国の宮廷の垢と、帝国の糸が、一本の手紙の上で手を繋いでくれた。……外務卿、この文は保管しろ。丁重にだ。いずれ、しかるべき法廷で読み上げる日が来る」


「御意」


「以上。評議を戻す。次の議題――」


 あっけないほど、それで終わりだった。


 三年間、私を縛り続けた「醜聞」は、この国の評議で費やされた時間、わずか半刻。しかもその半刻の成果は、私の傷ではなく、敵の尻尾だった。


 *


 評議の帰り、回廊でラグヴァルドが追いついてきた。


「……大事ないか」


「はい。……正直に申せば、読み上げられる間、少しだけ、聖水の音を思い出しておりましたけれど」


「そうか」


 彼はそれ以上聞かず、ただ歩幅を私に合わせて、隣を歩いた。この人の慰めは、いつも言葉が少ない。少ないのに、過不足がない。


「ときに妃。ひとつ報せがある。……返書を送っておいた」


「返書? あの密告状に、ですか」


「ああ。外交儀礼上、受領の返答だけはせねばならんのでな」


 彼は、なんでもない顔で続けた。


「一行だけ書いた。――『貴国の姫の価値を、貴国だけが知らないと見える』」


「…………まあ」


「署名入りだ。今ごろ、貴国の宮廷で回し読みされている頃だろう」


 思わず、足が止まった。


 あの一行が、祖国の社交界に落ちる。戦神ラグヴァルドの署名入りで。捨てた姫、欠けた器と嗤った女を、敵国の大公が「おまえたちだけが価値を知らない」と言い切った手紙が――継妃けいひの、義妹の、そしてヴィンセルの目に触れる。


「……殿下は、時々、とても意地がお悪くていらっしゃる」


「戦だからな。急所を、狙っただけだ」


 ラグヴァルドは、口の端だけで笑った。


「それに――半分は、ただの本音だ」

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