第17話 糸はザイデルンへ
鷲の紋章の正体は、二十日で割れた。
大公の防諜網が城下から拾い上げてきたのは、行商の組合札だった。翼を広げた鷲は、ザイデルン帝国の外郭商会「グラウ商会」の印。表向きは毛織物と塩の商い。裏では、三国の間を金と噂と毒が行き来する、帝国の非公式な手足。
「――商会の帳場から、消えた下男の雇い状が出た。筆跡は偽名だが、金の流れは追えた。糸の元は、国境の外だ」
執務室で、ラグヴァルドは調べの束を卓に置いた。
「ザイデルン帝国。……妃、驚かないな」
「驚いております」
「顔が驚いていない」
この人の観察眼は、本当に容赦がない。
私は一拍おいて、持参した包みを卓に載せた。中身は、この二月、ルティアと兄から届いた「香草湯の文」を、私が平文に書き起こした帳面――のうち、見せられる部分の写しだ。
「殿下。私からも、お見せしたいものがございます。……祖国の身内から届いた、内々の調べです」
「内々、とは」
「兄と、妹と、私の三人だけの調べ、という意味です。祖国の官憲は通しておりません。――通せる相手が、いないものですから」
帳面を、彼は黙って繰った。
王太子の「病」の記録。侍従ベルガが月に二度通う、王都三番街の質屋。その質屋に出入りする、毛織物商の荷馬車。荷馬車の商会札に押された――翼を広げた、鷲。
ページをめくる手が、止まった。
「……ベルガ、というのは」
「兄の側仕えです。そして、兄の『病』の看病役でもあります」
「この帳面は、王太子の病が毒によるものだと言っている」
「はい」
「毒の出納が、鷲の商会に繋がるとも」
「はい」
「――つまり君は」
ラグヴァルドは帳面を置き、指を組んだ。金の瞳が、これまででいちばん深いところまで、こちらを覗き込んでくる。
「ザイデルンの糸が、貴国の王宮の内側に届いていると言いに来たのか。自分の継母の宮廷に、だ。……和平の花嫁が、婚家の敵国に、実家の恥部を差し出しに来たわけだ。正気か?」
「正気です」
私は、その目を見返した。
「殿下。二月前、あなたは仰いました。この婚姻は和平の道具だと。――道具で、結構ですわ。ですが道具なら道具らしく、正しく使われとうございます。祖国と貴国が争えば、笑うのは第三国。ならば私という道具の使い道は、ただひとつ。両国が同じ嘘に騙されないための、繋ぎ目になることです」
「……その繋ぎ目とやらは、実家を売ることになっても、か」
「売ってはおりません」
これだけは、はっきり言っておきたかった。
「私が差し出しているのは、祖国ではなく、祖国に巣食った毒のほうです。兄が生きて王座を継げる国と、妹が日向を歩ける国を、私は取り戻したい。そのために必要なら、敵国の力だろうと、戦神の武名だろうと、遠慮なくお借りします。……道具はお互い様、ということでございますわ」
沈黙が、落ちた。
長い沈黙だった。窓の外で、大結界の銀の光がゆっくりと明滅していた。
やがて――ラグヴァルドが、笑った。
口の端だけの、いつもの際どい動きではなかった。喉の奥で低く、短く、けれど確かに、声を立てて。
「『道具はお互い様』……ふ。この俺を、借りると来たか」
「お嫌ですか」
「いや」
彼は調べの束と私の帳面を、卓の上でひとつに重ねた。ふたつの国の、ふたつの調べが、ひとつの筋書きを指している――その絵を、確かめるように。
「気に入った。……妃。俺は即位からこちら、腹の探り合いと値踏みしか知らん。取引を持ちかける人間は千人いたが、手の内を全部晒して「借りる」と言った人間は、君が初めてだ」
「あら。手の内を全部とは、申しておりませんけれど」
「だろうな。それも含めて、気に入った」
彼は書類の山から新しい紙を引き寄せると、ペンを走らせながら言った。
「グラウ商会の監視を三倍にする。国境の検問には鷲の印の荷を止めさせる。貴国側の糸は――君の『内々の調べ』に任せるしかないが、必要なものがあれば言え。金でも、人でも、毒消しでも」
「……よろしいのですか。まだ、私を信用なさる根拠は薄うございましょう」
「根拠か」
ラグヴァルドはペンを止めず、事務の調子のまま、とんでもないことを言った。
「毒の一件からずっと考えていた。君の振る舞いは、潔白な人間のそれですらない。罠に嵌められ慣れた人間のそれだ。封印も、目録も、公開の審理も――ああいう手順は、一度盤面で全部を失った人間しか、思いつかん」
心臓が、跳ねた。
「経歴は調べた。祖国での検分の一件もな。だが、あれだけでは説明がつかん。君の目は時々、まるで未来を知っているような目をする」
――この人は、どこまで。
「だから、根拠はこうだ。……妃よ。君は、何かと戦い続けてきた人間だ。そして今は、俺と同じものと戦っている。戦友を信用するのに、それ以上の根拠が要るか」
ペンが、止まった。
金の瞳が、まっすぐに私を射た。
「――で、だ。妃よ。そろそろ聞かせてもらおうか」
「……何を、でしょう」
「君は、何者だ?」




