表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/43

第15話 先進国の窓

 リンドヴェールの宮廷は、私の知る「宮廷」ではなかった。


 まず、廊下を歩く軍装の半分が女性だった。国境警備の第三軍団長ヘルガ将軍は、大公の軍議で平然と上座に着く。宮廷魔導学院の筆頭は白髭の老学士モルデンだが、その弟子の半分も娘たちだ。


 夜会は少なく、会議は多い。着飾る金があるなら橋を直す、というのがこの国の気風らしい。


「……ここでは、女が意見を言っても、扇の陰で笑われないのですね」


 ある日、思わずそう漏らした私に、案内役の女官長は不思議そうな顔をした。


「意見に男も女もございませんでしょう。使えるか、使えないか、それだけで」


 使えるか、使えないか。


 なんて風通しのいい、なんて容赦のない国だろう。


 そして、その容赦のなさは、当然ながら私にも向けられていた。


 *


「大公妃殿下は、刺繍がお得意だそうで」


 宮廷の昼餐で、若い文官が言った。丁寧な言葉に、丁寧に棘が包んであった。


「ヴァルデンツの姫君は、皆さまそうして育たれるとか。歌と、刺繍と、お茶会と。……ああ、それから『検分』の作法も?」


 卓の何人かが、笑いを噛み殺した。


 私の「醜聞」は、とっくにこの宮廷に知れ渡っている。祖国が親切にも輸出してくれたのだろう。もっとも、この国では「交換済み」自体は醜聞にならない。彼らが冷ややかに見ているのは、女にだけ古い戒律を課して縛る、時代遅れの祖国のほうだ――そして、その古びたおりから来た妃も、どうせ檻の外では何もできまいと、そう値踏ねぶみみされている。


 和平の道具。刺繍しかできない姫。戦神に宛がわれた、哀れな異国の娘。


 値踏みの視線は、祖国の社交界と同じ。違うのは、こちらの値踏みには「使えるか、使えないか」という、明確な物差しがあることだった。


 ――なら、話は早い。


「ええ、刺繍は得意ですのよ」


 私は微笑んで、葡萄酒の杯を置いた。


「たとえば――今朝の軍議で問題になっていた、北西国境の補給路。あの峠道は、冬の三ヶ月、祖国側の雪崩で必ず塞がります。私、五年分の封鎖の日付を刺繍の下絵帳に控えておりますの。物資を廻すなら、峠ではなく旧河港の道。祖国の関税台帳では、あちらの道の商隊が冬でも月に六十輌は通っておりますから」


 卓が、静まった。


「……なぜ、大公妃殿下がそのような数字を」


「刺繍の合間は、退屈ですもの」


 退屈だったのは本当だ。誰にも相手にされない王女には、書庫の帳簿を読む時間だけは、たっぷりあった。前世と今世、合わせて二回分。


「よろしければ、続きもいかが? 祖国が和平交渉で必ず値切ってくる項目は三つ。塩、船板、それから軍馬の飼葉。逆に、絶対に譲れないのが染料の販路――理由は、王家の姻族が染料組合を握っているから。……このあたり、交渉の卓に着かれる方には、退屈な刺繍話ではないと思いますけれど」


 昼餐の後、若い文官は顔色を変えて上官の元へ走っていった。


 三日後、私の元に外務の官房から「非公式の茶会」の招きが届いた。茶会という名の、聞き取りだった。私は問われたことに、正直に答えた。祖国を売る気はない。ただ、両国が騙し合いをやめるための情報なら、いくらでも出す。騙し合いの先にある未来を、私はもう一度見てきたのだから。


「――おい。あの姫、何者だ」


 廊下ですれ違いざま、ヘルガ将軍が副官に囁くのが聞こえた。


「刺繍の下絵帳に関税台帳を写す姫君なんぞ、四十年軍にいて初めて見たぞ。……腹が据わってるというか、何というか」


 将軍。それはですね。


 一度死んで、開き直った女は、大抵のことが怖くなくなるだけですのよ。


 *


 夜、自室に戻ると、タリサが目を輝かせて待っていた。


「姫様、聞いてください! 厨房の子たちがね、『妃様の峠の話、うちの兄の隊が助かった』って。それでね、これ、お礼だそうです」


 卓の上に、素朴な焼き菓子の包み。


 それから――洗濯物の籠の底に、故郷からの手紙が二通。


 一通目は、ルティアの「香草湯の文」。読み解けば――兄様は今日も湯を「いただいて」おり、顔色の悪いお芝居は上々。ベルガは月に二度、王都の同じ質屋に通う。質屋の裏の家守は、ルティアの息のかかった味方になった。


 二通目は、フェルゼン侯爵こうしゃく未亡人から。表向きは輿入れを寿ぐ長い長い世間話。その中に、こんな一節があった。


『先だっての婚儀の後、グランハルト様御夫妻を、夜会でお見かけしましたの。仲睦まじいご様子を、と皆さま噂しておりましたけれど……いいえ、とても。殿方は杯を重ねるばかりで、姫君は壁際にお一人。仲の良い夫婦がどんなものか、この歳になれば、ひと目で分かりますのよ』


 壁際に、お一人。


 それでいい。恋のために全部を捨てた騎士と、恋に落ちた義妹――二人が手に入れたはずの幸福が、こんなにも早く色褪せているのなら。


 選んだ代償を、いちばん先に味わっているのは、あの二人自身なのだ。


 ……ふふ。


 それにしても、あの老婦人。品よく書いて、言うべきことは全部言っている。大好きだ。


「タリサ。お返事を書くわ。墨の用意をしてちょうだい」


「はい!」


 窓の外には、銀の大結界がうっすらと夜空を染めている。


 敵国、と呼ばれていた場所で。


 私は生まれて初めて、「使える女」として卓に着いていた。


 罠も棘もない、ただ淡々と夜が更けていくだけの毎日。祖国にいた頃より、よほど穏やかな日々だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 良いね! ……( *´艸`)ふふふっ♪ まだまだ〜
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ