第11話 罠は二度、効かない
振り返れば、この三日間、罠は絶えず足元に撒かれていた。
ひとつずつ、思い出してみようか。
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一つ目は、小夜会の夜の、階段の糸。
広間から夜庭へ降りる大理石の階段。その三段目の高さに、月光でも見えない細さの絹糸が張られる――前世の私はあれに足を取られ、衆目の前で転げ落ちた。怪我は掠り傷で済んだけれど、翌日の社交界にはこう流れた。
『第一王女様、昨夜は葡萄酒を過ごされて、階段から』
醜聞は、事実より足が速い。
今世の私は、夜庭に出る前に、衛兵の巡回路を一本だけ変えさせておいた。夜会に向けた警備の見直し、という名目で。ちょうど糸を張り終えた小間使いの手首を、巡回の衛兵が掴む手筈に。
「も、申し訳ございません……! で、でも、わたくしはただ、頼まれて……」
震える小間使いに、私は罪を問わなかった。問わずに、囁いた。
「誰に頼まれたか、言わなくていいわ。その代わり、これからも頼まれ続けてちょうだい。頼まれた内容だけ、ルティアに伝えて」
罠師を捕まえるより、罠師の手を生かしたまま、こちらの目に変えるほうがいい。彼女には、義妹が払う額の倍の給金を、私が払う。使用人たちに交じって育った妹が教えてくれたことだ――この城でいちばん多くを見て、いちばん多くを動かしているのは、名前も呼ばれない使用人たちなのだと。
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二つ目は、今日の競売の昼餐で。
貴婦人がたに供された食後の香茶。私の席の一杯にだけ、ほんのひと匙、吐き気の薬が混ぜられていた。毒ではない。ただ人前で醜く戻させて、「敵国に出せる体ではない」と噂を立てるための、意地の悪い薬。
前世は、これで三日寝込んだ。そして『ヴィンセル以外と密通した王女』という醜聞を、まるごと着せられた。
密通などしていない、と何度言っても、誰も信じてはくれなかった。ヴィンセルさえも。
彼は、汚らわしいものを見る目で私を見て、言った。
「俺に触れるな。どこぞの男の子なんか産んだら、その子は殺す」
今世の私は――配膳の下男が、すでにルティアの息のかかった味方だったので、給仕の途中、茶器の置き場所が、そっと一人分ずれた。
それだけ。
私は何もしていない。ただ、仕込んだ本人の手元に、仕込んだ通りの茶が届いただけ。
「……っ、し、失礼、いたしますわ……!」
昼餐の半ば、リュシオラが真っ青な顔で口元を押さえ、席を立った。裾を蹴立てて広間を出ていく後ろ姿を、貴婦人がたの視線が追う。
「まあ……お加減が?」
「昨夜も菫のドレスがお顔に合っていらっしゃらなかったし……ご無理をなさっているのよ、きっと」
「お労しい……それとも、ねえ、まさか」
まさか、の後は誰も言わない。言わないのが、いちばん広がる。
悪いけれど、義妹よ。あなたが私のために煎じた薬の味は、あなたがいちばんよく知っているべきだと思うの。
*
そして三つ目が――昨夜のうちに終わっていた、いちばん大事な仕込み。
王都の裏通りに、貴族の代筆を生業にする男がいる。恋文の偽造で三度牢に入り、三度も出てこられた程度には、腕と顧客に恵まれた男。
前世、私を密通の女に仕立てた恋文の束は、この男の筆から生まれた。
今世、その男の店を最初に訪れたのは、私の使いだった。
「――で、こちらが例の、ご注文の控えです。姫様」
東屋で、ルティアが油紙の包みを開く。中身は、写しではない。原本。義妹の侍女の名で交わされた注文書、下書きの反故、支払いの受け取り。そして、これから納品される予定だった「新しい恋文」の依頼書まで。
「男は『先払いが倍なら、筆は折る』と。……当分は、こちらの専属です」
「上出来」
つまりリュシオラは知らない。夜会で「証拠」として振りかざすつもりの恋文の出所が、既にこちらの手の内に落ちていることを。振りかざせば振りかざすほど、彼女は自分の注文書に向かって斬りかかることになる。
「……お姉様。ひとつ、伺っても?」
ルティアが帳面を閉じて、ぽつりと言った。
「この三日、罠を全部躱して、全部返して……それでも、まだ足りません。あの人たちがお姉様から奪ったものには、全然」
「ええ、足りないわ」
私は頷いた。
「だから利息は、法廷で取り立てるの。今はまだ、証文を集める時間。……それにね、ルティア」
三日間、眉ひとつ動かさず躱し続ける女を、罠師の側から見たら、どう見えると思う?
「――気味が、悪いでしょうね」
「そう。焦った獣は、足跡が深くなる」
現に今日、リュシオラの罠は雑になり始めている。階段の糸の細工は前世より粗く、盛り薬は量が倍だった。読めない姉への苛立ちが、あの子の完璧な演技に、ひび割れを作り始めている。
焦りなさい。
苛立ちなさい。
そして間違えなさい――いちばん大きな舞台で。
窓の外で、日が傾き始めていた。王宮のすべての窓に灯が入り、大広間の千の蝋燭に火が移されていく。
夜会まで、あと数刻。
「さ、支度をするわ。……とっておきの夜ですもの」




