第28話 兇刃
「ラガンよう、ちょっと寄り道していかねえか?」
ロルフがそう言い出したのは、娼館からの帰り道、貧民街近くの酒場前でのことである。
「何だ、飲み足りぬのか?」
その酒場──折れた剣亭ほど品がよいわけではないが、中からこぼれる喧騒は、そこがよい店であることを教えてくれる。つい飲みたくなる気持ちも、わからんでもない。
「コレットに身請けの話をしたら、めちゃくちゃ喜んでくれてよう。ちと気が早いが、祝い酒としゃれ込みたいわけよ」
ロルフの笑顔に、ようやくコレットに伝えられたのか、と自然こちらも笑顔になる。
確かに──ロルフは、娼館に足しげく通っているものの、それ以外のことには財布の口を固く締めているのであるからして、それなりに金は貯まっているはずである。そろそろ──とまではいかぬものの、コレットに身請けの話をしても、ぬか喜びにはなるまいと思える程度には、現実味を帯びた貯金額になっているのであろう、と思う。
「ま、よかろう。つきあおう」
たまにはこういう酒もよい。そう考えて──俺は、目の前の酒場の扉を開く。
粗野な喧騒が、俺たちを出迎える。客のほとんどは、冒険者であろう。汗と、わずかな血の臭い──いくら貧民街に近い酒場とはいえ、堅気のものはもっと小ぎれいにしているものである。
冒険者の集まる酒場は、安くてうまいと相場が決まっている。俺は、店の料理に期待しながら、空いている席を探す。
「おい、こっち、空いてるぜ」
ロルフに呼ばれて、そちらを見れば──確かに、店の奥に空いている席がある。
俺は、酔客の間を縫うようにして奥に進み、その席に腰をおろそうとしたところで──隣の客の存在に気づく。
冒険者の一行である。他の客と同様、酒を飲んで騒いでいるというのに、その居住まいには寸分の隙もない。特に、一行の首領と思しき禿頭の大男ときたら──バルド以外に、これほどの使い手がいようとは、思ってもみなかったほどの猛者である。
「おう」
こちらの視線に気づいたのであろう、禿頭の男は気安く声をかける。
「隻眼に、腰の黒刀──お前がラガンか」
「いかにも」
男に問われて、俺は頷いて返す。
「俺は──ゲイル。しがない冒険者だ。以後、よろしく頼む」
禿頭の大男──ゲイルが名乗ると、彼の仲間もこちらに目を向ける。
一行は四人──全員が男である。壁際に立てかけてある得物からするに、ゲイルが剣を、残りの三人がそれぞれ槍と斧を使うようである、と見て取る。それにしても──ゲイルの剣の禍々しさときたら、あれが魔剣というものであろうか、周囲に死臭を撒き散らすがごとき、不穏な剣である。
「おい、ラガン、河岸を変えよう」
ロルフは、ゲイルの名を聞いた途端、顔色を変える。
「──どうした?」
ロルフは明らかに脅えている。バルドにも物怖じせぬ男が、めずらしい。
「こいつら──あまり評判はよくないって聞くぞ」
「──あまり?」
ロルフの言に、聞き捨てならぬとばかりにゲイルが割って入る。
「悪評も評判──俺はなあ、牙の抜けたバルドなんぞより、よっぽどましな冒険者だぞ」
ゲイルは、バルドをなんぞ呼ばわりして、豪放に笑う。このブロンダルで、バルドのことを悪し様に言うものを初めて見たやもしれぬ、と驚く。
「ラガン、行こう」
ロルフは、俺の袖をつかんで、有無を言わせず引っ立てる。
「じゃあなあ、ラガン──今度は迷宮で会おう」
ゲイルの苦笑に見送られながら──ロルフに急かされるがまま、酒場を後にする。
「悪評とは、何だったのだ?」
酒場を出て、折れた剣亭に向かいながら、ロルフに尋ねる。
ロルフは、逃げるような歩調をようやく緩めて、俺の問いに答える。
「──迷宮法」
言いながら、ロルフは追いかけてくるものがいるかもしれぬとでも思ったものか、脅えるように後ろを振り向く。
「奴ら、かなり殺してるんじゃないかって噂だ」
ロルフの言に、ほう、と声をあげる。
殺しているとは、当然、魔物のことではあるまい。いつぞや、迷宮でロルフを襲った連中と同様、人間を──冒険者を殺しているということであろう、と思う。
「そんな噂があるのなら、なぜ野放しなのだ?」
「奴らは上級の冒険者──冒険者の中には、奴らに対抗できるものは、それほど多くはないし──何より、魔物討伐の実績があるから、衛兵も疑いだけでは処罰することができないらしい」
ロルフの返答に、なるほど、と納得する。
ブロンダルの安寧のためには、迷宮における魔物討伐は何よりも優先される。しかも、かつての実力者であるバルドが半ば隠居のような身であることを考えると、深層の魔物を倒せる数少ない冒険者は重宝されるに違いない──となれば、そう簡単に処罰などできぬというのも道理であろう。
「それで、あれほどでかい顔をしているわけか」
言って、俺はゲイルの目──あの蛇のような目を思い起こす。奴らは、酒場では我が物顔でふるまっていた──それこそ、折れた剣亭におけるバルドのように。
「嫌な奴らに目をつけられちまったなあ」
独り言のようにつぶやくロルフに、頷いて返す。
それから、しばらくして──俺たちはいつものように、迷宮の六層に潜る。六層の探索もほとんど終わり、今日は七層をのぞいてみよう、と事前に決めていたのであるが──。
「──気をつけろ」
下層に続く階段、その手前の広間を前にして、俺は声をあげる。
「血の臭いがする」
言って、ロルフとリュシエルを手で制して──俺は黒刀を抜いて、広間に足を踏み入れる。
広間には、つい先ほど激しい戦いが繰り広げられたのであろう、数匹の蜘蛛と──冒険者の骸が転がっている。血の臭いは、それゆえであろう、と納得するのであるが──その骸に、死肉を喰らう獣がごとく群がる姿を認めて、俺は左目を閉じる。
「──何をしている?」
俺は、その見覚えのある背中に声をかける。それは、いつぞや酒場で出会ったゲイル一行である。
ゲイルは、骸から抜き取った財布を懐に入れながら、悪びれる様子もなく振り返る。
「魔物にやられちまったみたいだからよう。遺品を持って帰ってやろうと思ってな」
「魔物に──やられた?」
言って、俺はゲイルをにらみつける。目の前の死体の致命傷は──明らかに刀傷である。おそらくではあるが、蜘蛛の魔物と戦って消耗した冒険者を、ゲイル一行が不意打ちしたのであろう。迷宮法ここに極まれり、である。
「剣を武器にする魔物だっているだろうよ」
ゲイルは、俺の疑念を察しているであろうに、どこ吹く風──へらへらと笑いながら言い訳を重ねる。
「剣を持った魔物がいたとして、このような見事な切り口にはなるまいよ」
「そいつはどうも」
俺の見事という評に、ゲイルは礼を述べる。語るに落ちるとはこのことであろうが、どうせ衛兵の前では知らぬ存ぜぬで通すつもりなのであろう。奴は悪びれもせず、へらへらと笑い続ける。
誘っている──ゲイルは、俺が怒りに任せて斬りかかってくることを望んでいる。仲間の三人も同じである。俺が斬りかかってきたならば、どう突こうか、どう潰そうか、と考えているのが、その目に浮かぶ喜色からうかがえる。
ゲイルは、バルドにも劣らぬ剣豪である。他の三人も、見える線の少なさからするに、かなりの腕前──となると、接近戦を得意としないロルフとリュシエルを守りながら戦うのは、いかな俺でも不利となろう。俺は怒りをこらえて、黒刀を鞘におさめる。
「じゃあな、ラガン」
ゲイルは、俺がつれないと知るや、踵を返して──地上に戻らんとする。
「あんたも──せいぜい迷宮では背中に気をつけるこったな」
ゲイルの忠告に、奴の仲間どもが下卑た笑みを浮かべる。
俺は奴らの背中が見えなくなるまで待ってから、ロルフとリュシエルに向き直る。
「二人とも──約束しろ」
いつになく真剣な俺の声に、二人は神妙な顔で返す。
「俺をともなわず迷宮には入らないこと──街中で奴らに出くわしたら逃げること──」
避けるべきは、俺のいないところで、二人が奴らと遭遇することである。街中であれば滅多なこともあるまいと信じたいところではあるが、奴らの根城とする酒場があるのは、ほとんど貧民街である。衛兵の目の届かぬところでなら、最悪の場合も起こりうる。
「──よいな?」
俺の勢いに気圧されるように、二人は何度も頷いてみせる。
ゲイル一行との遭遇で気をそがれた俺たちは、探索をほどほどで切りあげて、地上に戻ることを決める。
前を行くロルフとリュシエルは、他愛のない会話に興じている。もっぱらロルフの惚気を、リュシエルが興味なさげに聞き流しているのであるが──俺は二人ほどのんきにはなれないでいる。
俺には──俺にだけはわかる。
奴らは血に飢えた獣である。もちろん、獲物から戦利品を得ることも目的の一つではあろうが、奴らは狩りを──殺しを楽しんでいるのである。
いつか相まみえるときがくる──が、それは今ではない。俺は、奴らをどう斬るか──指を剣に見立てて思案しながら、地上に戻る道を歩く。
「兇刃」完/次話「決闘」




