第26話 古文書
「私をものすごいお婆さんだと思ってませんか?」
リメルスの王城、その図書室より持ち出した古文書を開いて、リュシエルの前に置き、読んで内容を教えてほしいと頼むと、彼女は聞こえよがしなため息をついてみせる。
「違うのか?」
「違います」
リュシエルはきっぱりと否定する。彼女の強く主張するところによると、どうやら彼女は年若なエルフであるらしい。まったく、エルフの年齢というのは、とんとわからぬものであるなあ、と思う。
昼下がりの折れた剣亭は、客もまばらである。一部の気の早い常連は隅で飲んだくれているものの、それはあくまで例外で、まともに飲食している客は俺とリュシエルくらいのものである。
「年若のエルフでは、古代語は読めぬか」
当てが外れる。リュシエルに罪はないのであるが、期待が大きかったこともあって、やつあたりのように、ついため息をついてしまう。
「まったく読めないわけじゃありませんけど、ところどころあやしくても、勘弁してくださいよ」
言って、リュシエルは古文書を手に取り、目を細めて、文字を追い始める。そうしていると年かさのエルフに見えるのであるが。
「リメルス王国の成り立ちを著している文書のようです。私の知るかぎり、リメルスは古代人の国ではないはずですが、初期の頃は格式高く古代語を使用していたんでしょうね」
リュシエルは、頁をめくり、また戻りしながら、文書の概要を語る。
「魔の森の記述は──最初の章かな?」
「どれ」
リュシエルの細い指が示す先を、俺は身を乗り出してのぞき込む。彼女は、その頁の中ほどの、蚯蚓ののたくったような文章を指でなぞりながら、朗々と読みあげる。
「この地がリメルスと呼ばれる以前から、南には魔の森が広がっている。魔の森は、魔物を統べる王の治める、闇の領地である。人間は魔の森に近づくことあたわず、森から離れて暮らしている」
リュシエルは頁をめくる。
「あるとき、原初の神より遣わされた、勇者ブルムがこの地を訪れる。ブルムは、魔の森に分け入り、魔物を統べる王を滅ぼす。そして──人間のものとなった大地に、リメルスが建国される」
リュシエルの読みあげた内容に、ほう、と声をあげる。それは、まさしく俺が口伝として知る歴史と等しい。
「リメルス建国より百余年──偉大なる王、リメルス三世は、西の小国アルネアを併合し、このときよりリメルス王国を名乗る」
リュシエルは、そこで文字をなぞるのを止める。
「このあたりまでくると、普通の歴史ですね」
リメルス三世によるリメルス王国の誕生──それは、俺の知るリメルス最古の史実でもある。それ以降のことは、おおよそ歴史として語り継がれているはずである。
「せっかく盗み出したのに、これじゃ何もわからないのと一緒ですね」
言って、リュシエルは古文書をテーブルに、ぽんと放る。あれほど苦心して持ち帰ったものだというのに──扱い方というものがあろう、と苦言の一つも呈したくなる。
「そんなことはない。魔王の討伐こそが、リメルス建国につながったということは、新たに明らかになったではないか」
「それ、そんなに大事なことですかねえ」
リュシエルは、聞こえよがしにため息をついてみせる。
確かに、そこまで重要な事実ではないにしても、一歩ずつでも進んでいるということが大事なのであろうし──。
「それに──」
と、あきらめ顔で頬杖をつくリュシエルに、俺はしたり顔で続ける。
「まだ、手はある」
変わらず折れた剣亭──先と異なるのは、今や夜も更けて、うるさいくらいの喧騒に包まれていることと──。
「まったく、普通、一介の冒険者が王子を呼びつけるか?」
俺とリュシエルの向かいに、ロラン王子が座していることである。
「それについては、すまぬ。貸し一つということで、よろしく頼む」
俺は、さすがに恐縮して、王子に詫びる。
バルドの伝手を使って、近衛騎士のガレス経由で呼び出したとはいえ、まさかすぐに来てもらえるとまでは思っておらず、意表を突かれた格好である。
「ラガン殿──」
恐縮しきりの俺に、王子の背後に控えるガレスが声をかける。
「今宵は、陛下と兄君との会食の予定でございました。王子は、また結婚を急かされると嘆いておいででしたから、ラガン殿からの連絡に、これ幸いと飛びついたのでございます。それほど恐縮しなくともよろしいかと」
「ガレス、余計なことを言うな」
王子は振り向いて、自らの専属の近衛騎士に苦言を呈する。そうしていると、年相応の幼さが垣間見えて、どこか微笑ましい。
「それで、持ってきてもらえただろうか?」
「ほれ」
俺の問いに、王子はぞんざいに返して──懐から取り出した古文書を、無造作にテーブルに放る。
「見せるのはかまわぬが、丁重に扱えよ」
それは、おそろしく古い文書である。おそらくは、俺がリメルスの図書室から盗み出した古文書よりも、さらに古いものであろう。繊細で、脆く──王子が放った衝撃で、表紙の一部が欠け落ちているほどである。丁重に扱うべきは王子の方であろう、と思う。
「リュシエル、頼む」
「はーい」
一国の王子の前であるというのに、リュシエルは物怖じもせず、いつものように軽い返事をして──古文書を手に取り、やはり目を細めて、文字を追い始める。美人が台なしである。
「当たり前ですけど、多くはブロンダルのことですね。リメルスについては、この頁に数行の記述があるだけです」
「読んでくれ」
急かす俺に、リュシエルは、はいはい、とぞんざいに返して、文章を指でなぞりながら読み始める。
「勇者ブルムは、魔物を統べる王を退ける」
「──退ける? 滅ぼす、ではなく?」
先とは異なる記述に、俺はリュシエルに問う。細かい違いかもしれぬが、そういう些細な相違から、真実が明らかになることもあろう。
「自信はありませんけど、前の古文書とは単語が異なっていますから『退ける』の方が意味は近いと思います」
リュシエルはそう返して──俺が納得して頷くのを確認してから続ける。
「ブルムの仲間の一人、リメルス・ベラトールが王位につき、リメルスが建国される」
リュシエルは淡々と読みあげるのであるが──俺の時は止まる。
「そこから先は、リメルスの古文書と同じです」
そう続ける彼女の言葉も、俺はよく理解できないでいる。
「リメルス──ベラトール?」
思ってもみない名が耳に飛び込んできて、俺はうわ言のように繰り返す。なぜ、こんな古文書にベラトールの姓が記されているのであろうか。
「ベラトールって、最近お取り潰しになったっていう、あれか」
いつのまにやら椅子をこちらに寄せて、耳をそばだてていたと思しきバルドが、酒杯を片手に割って入る。
「はあ、建国王の血筋なのに、お取り潰しになったんだなあ」
そう続けるロルフは、バルドに飲まされて相当に酔っているのであろう、あまり呂律が回っていない。
「ベラトールが王の血筋など、聞いたこともない」
俺は、彼らの言を聞き流して、誰にも聞こえぬように、小さくつぶやく。それほど重要なことを、ベラトールの──領主の嫡男である俺が知らぬなど、ありえることであろうか。
思わぬ事実に黙り込む俺をよそに、リュシエルが口を開く。
「この古文書からわかることは、三つ」
言って、リュシエルは三本の指を立てる。
「勇者ブルムは一人ではなく、仲間とともに魔王を退けた」
彼女は指を一つ折る。
「その仲間の一人に、リメルス・ベラトールがいた」
次いで、もう一本の指を。
「彼はリメルス国を建国した」
言って、彼女は最後の指を折り──おしまい、とでも言うように、ひらひらと手を躍らせる。
「でも──やっぱり、これだけじゃあ、何もわからないのと、さして変わりませんねえ。私としては、エルフのことにまったく触れられていないのが不満です」
言って、リュシエルは唇を尖らせる。
「やっぱり、古代都市ですよ。古代都市」
そう続ける彼女に──俺も覚悟を決める。やはり、一足飛びには真実は明らかにはならぬということ──迷宮、踏破すべし、と決意を新たにする。
それにしても──と、俺は思案する。古文書の記述が数百年前の出来事であるとしても、現リメルス王とベラトールは遠戚であるはず──にもかかわらず、それを知ってか知らでか、リメルス王はベラトールを滅ぼしたのである。謎は明らかになるどころか深まるばかり──俺は深く嘆息する。
「古文書」完/次話「仇討」




