第25話 一閃(四)
もはや言葉は不要──応えるように、ヴァルドレイは上段に構える。それは、一分の隙もない、必殺の構えである。その上段から放たれる振り下ろしの一閃は、不可避の一撃──ゆえに、一閃のヴァルドレイという。
ヴァルドレイは、己の剣について、初太刀にすべてを懸けるつもりで斬る、と公言している。だからこそ──その初太刀を受ける。もちろん、続く技がないわけではなかろうが、それでも奴の気概を打ち崩すことにはつながろう。
俺とヴァルドレイは、相対してにらみあう。十秒──いや、もしかすると一秒にも満たぬ時間であろうか。わずかな時が、永遠に引き延ばされていくような、研ぎ澄まされた集中である。
剣を握るヴァルドレイの手に、わずかに力が入る──と同時に、俺は奴を目で斬る。ヴァルドレイの初太刀に、幻撃を合わせることで、奴の空振りを誘うという算段である。初太刀にすべてを懸けるからこそ、空振りしようものならば、たたらを踏んで、隙だらけとなろう──そこを狙う。
しかし──意外や、ヴァルドレイの一閃は、迷いのない剣筋で、俺の右腕をわずかに斬る。奴の隙を突くつもりで待ち構えていたからこそ、軽傷で済んだものの、もしも踏み込んでいたなら、右腕を両断されていたのはこちらであろうと思うほどの剛剣であり──まるで、こちらの幻撃など見えていないかのような一閃でもある。
「ほう──どうやら過日のままではないようだな」
言って、ヴァルドレイは再び上段に構える。
ヴァルドレイのその言から察するに、おそらく奴にも幻撃は見えている──見えているというのに、奴はそれに惑わされなかったのである。
どういうことであろう──思案しながらも、俺は再びヴァルドレイと相対して、幻撃を放つ。しかし、やはりヴァルドレイは空振りではなく、迷いのない一撃で、今度は俺の左腕をわずかに斬る。
「どういう手妻かは知らぬが──そんなもので十剣を斬れると思うなよ」
言って、ヴァルドレイは正眼に構える。
ヴァルドレイから放たれる剣気──それは、立ちふさがるものすべてを斬るとでもいうかのような、凄まじい剣気である。
その段になって、俺はようやく悟る。ヴァルドレイは、こちらの剣を斬るつもりで、剣を振り下ろしているのである、と。なるほど、そもそも剣を斬るつもりであれば、幻撃も斬って当然──空振りと感じることもないというわけである。剛剣ゆえの自信──そしてその自信ゆえの不惑ということであろう。十剣の名に恥じぬ剣豪である。
俺は、自身の黒刀を、ちらと見やる。魔鋼の剣──俺の目をもってしても線の見えぬ剣である。この剣であれば、いかなヴァルドレイの剛剣でも、斬ることはできまいが──もしも、以前の曲刀であったなら、さくりと斬られて死んでいたやもしれず──その想像に、ぶるり、と震える。
いや──待て。
俺の得物が魔鋼の剣であることは──それこそが、俺の利になるのではないか。ヴァルドレイの一撃をもってしても斬れぬ剣──それは、幻撃などよりも、よほど奴の意表を突くことのできる武器なのではないか。そう考えて──俺は左目を開ける。
幻撃に頼むのではない──尋常の剣術で、十剣を破る。
決意して、俺は黒刀を上段に構える。それは、俺のもっとも得意とする構えであり──くしくも、ヴァルドレイの必殺の構えでもある。奴は、まるで鏡に映したかのように、上段に構えて相対する。
一触即発。
月が雲間に隠れて、廊下がかげる。俺もヴァルドレイも、微動だにしない。そして、再び月が現れた──その瞬間、勝負は決する。
一閃。
俺とヴァルドレイの剣は、中空で交わる。ヴァルドレイは、俺の剣を折るつもりの一撃を振り下ろすのであるが、魔鋼は折れることなく──結果、俺の剣がヴァルドレイの剣を、わずかに打ち落とす格好になる。
ヴァルドレイの一撃は、俺の左目を斬る。一方で、俺の黒刀は、ヴァルドレイの眉間を斬る。俺はすでに失ったものを失い、ヴァルドレイは失ってはならないものを失う──その命である。
「ふ──」
ヴァルドレイは、斬られたというのに、うれしそうに笑って。
「十剣の──ラガン」
そうつぶやいて、どう、と倒れる。
俺は、黒刀を床に突いて、大きく息を吸う。呼吸を忘れるほどの集中の果てにつかんだ勝利である。トーラスを斬った折は無我夢中であったが、此度は尋常の勝負である。ヴァルドレイの最後のつぶやきは、俺が十剣を名乗るにふさわしいと認めた言のようにも思えて──俺は、敬意を持って、ヴァルドレイの骸に向き合う。
そうして、どれほどの時間、そこに立ち尽くしていたのであろう。俺は、不意に我に返って──この場を訪れた目的を思い起こす。
幸いにして、さほど血は飛び散っていない。俺は左目を閉じて、図書室の扉の鍵を斬り、ヴァルドレイの骸を引きずって、部屋の中に入る。
尋常の立ち合いである。本来であれば、丁重に弔うべきであろうが、この状況ではそうも言っておられぬ。万が一にも、みつかるわけにはいかぬのである。
俺は、ヴァルドレイの骸を、図書室の隅の書架の陰に隠して、ふう、と息をつく。これで、すぐにはみつかるまい。王子の出立までの時間が稼げれば、それでよい。
俺は図書室をぐるりとまわる。幸いにして、月明りがある。リメルスの史料の並んだ書架をみつけて、そこからもっとも古そうな一冊を抜き取って、窓際に移って開く。
「──読めぬ」
そこには、俺の知らぬ字が並んでいる。書物は相当に古い──となると、これは古代語やもしれぬ、と思う。
もしかしたら、長寿のエルフならば──リュシエルならば、古代語にも精通しているやもしれぬ、と考えて──俺は、その書物を懐に入れて、図書室を後にする。
翌々日──王子一行はリメルスを発つ。先日の一件は──ヴァァルドレイの不在も、図書室の異変も、まだ明るみには出ていないのであろう。特に何を問われることもない、平和な出立である。
「リメルス王がおかしかった?」
カルデラシア山に向かう道すがら、風を浴びると言って馬車から顔を出した王子の話に、バルドが問い返す。
「おかしかったと断言するほどではないのだが、いくつか不審な点があってな」
王子曰く、昨日の会食の折、話の噛み合わないことが多々あったのだという。物忘れの類で片づけることもできようが、リメルス王はそれほど老いてはいない。王子にはぬぐいきれぬ違和感が残ったという。
「ブロンダルに戻ったら、父上にそれとなくお伝えするつもりだ」
王子はそう言って、話を打ち切る。
乱心──エルドラン卿の言葉が思い出される。リメルス王に、どのような心変わりがあったのであろうか。そして、何故ベラトールに叛意あり、などと告げたのであろうか。それらの答えが、わずかでも得られることに期待して──俺は、懐に隠した書物を、そっとなでる。
「一閃」完/次話「未定」




