第25話 一閃(三)
夜──俺は寝所を抜け出して、こっそりと外に出る。
王子は、俺がこうすることを、察しているのやもしれぬが──何も言わぬということは、見逃してくれているのであろう、と思う。できるかぎり、王子に迷惑をかけぬよう──問題は起こさないようにしなければならない。
俺は、西棟の外れにある図書室を目指す。幼い頃、お転婆な王女に連れられて王城を探検した折、件の図書室に迷い込んだことを思い出す。当時の俺は、剣の稽古のために王城を訪れており、王女の見せたがった本などにはとんと興味がなかったのであるが──今や、何をおいてもその図書室に入りたいというのであるから、因果なものである。
そうして、しばし歩く──と、やがて、廊下の突き当たりにたどりつく。窓から射しこむ月明りに照らされて、重厚な扉が浮かびあがる。幸いなことに、誰の気配もない。
あのとき王女が持っていた鍵は、今はない──とはいえ、どれほどの堅牢な鍵であろうとも、斬ってしまえば問題はあるまい。あとは、王子の滞在中に、事が露見しなければよいだけである。
そう考えて、黒刀の柄に手を当てた──そのときである。
「──ブロンダルの近衛騎士殿」
呼びかけられて、びくりと振り向く。誰の気配も感じなかった──感じなかったというのに、そこに一人の騎士が立っている。その顔を見て──俺は、驚愕の声をあげかけるのを、ぐっと呑み込む。
「こんな夜更けにどちらへ?」
そう問いかけるのは、およそ騎士らしからぬ無精髭と、その粗野な容貌に似つかわしい剣呑な空気をまとった男である。この気配には、覚えがある。いや、忘れようはずもない。間違いなく──十剣の一人、一閃のヴァルドレイ、その人である。
「失礼──広い城ゆえ迷ってしまいまして」
俺は、動揺を押し隠して、平静を装う。
ヴァルドレイとは、御前演武の折、顔をあわせたことも、言葉を交わしたこともある。いくら仮面があるとはいえ、声や仕草で、正体に気づかれないともかぎらない。細心の注意を払う必要がある。
「ご謙遜を──ブロンダルの王城の方が広いと聞きますよ」
笑顔で言いながら、ヴァルドレイはその名のとおり、一閃──先まで俺がいた場所を、剣で薙いでいる。
「──何をする!?」
相手が相手である。もとより警戒していたからこそ、その一閃を避けることができたのであるが。
「それはこちらの台詞よ──なあ、ラガン・ベラトール」
ヴァルドレイの口から、自身の名が飛び出るに至り、俺は演技も忘れて狼狽する。
「いくら仮面で顔を隠そうとも、お前のことは臭いでわかる」
ヴァルドレイは、くんくん、と鼻を鳴らして──確信を持って続ける。
「俺は鼻が利くんでな。以前から、お前のことを──お前の臭いを、不思議に思ってたんだよ。何で人間の中に──獣が混じってるんだってな」
ヴァルドレイのその言い振りに、俺は思わず自らの肌を嗅ぐ。よい香り──とまでは言わぬが、少なくとも獣臭というのは言い過ぎであろう、といささか傷つく。ともあれ、ヴァルドレイは鼻が利き、以前に嗅いだことのある臭いと同じだからという理屈で、俺がラガンであると見抜いた──そういうことであろう、と納得する。
「トーラスを殺したのは、貴様であろう。この機会を待っておったぞ」
言って、ヴァルドレイは、怒りもあらわに剣を向ける。
確か──トーラスとヴァルドレイは、友であったと聞く。高慢なトーラスと、粗野なヴァルドレイでは、水と油のようにも思えるのであるが、不思議と馬があったようで──二人はともに剣の修練にはげんでいたという。
ヴァルドレイは、俺の正体に気づいておきながら、自身でトーラスの仇を討つために、それを他言しなかったのであろう──となれば、この場で、誰かにみつかる前に、ヴァルドレイを斬ることができれば、大事には至らぬ──はずである。
十剣を斬る。
トーラスを斬ったときは、無我夢中であったし、奴の油断につけ込んだところもある。しかし、今のヴァルドレイに油断はない。尋常の立ち合いである。この男を斬れば、俺自身、名実ともに、十剣を名乗るに不足はあるまい、と思う。
俺は、ふう、と息をついて、仮面を外して、床に放る。そして、黒刀を鞘から抜いて──左目を閉じる。
「──ほう」
ヴァルドレイは、俺の臨戦態勢を見て、感嘆の声をあげる。
「お前──何人斬った?」
問われて、俺は愕然とする。ベラトール陥落から、数多の人間を斬ったというのに、その数すら数えていないということに。
「獣の臭いだけじゃねえ。死臭がぷんぷんしやがる」
ヴァルドレイは吐き捨てるように言って、実際に唾する。
なるほど──ヴァルドレイからすれば、俺は獣──しかも、死肉を漁る獣のような腐臭がするのであろう。不本意であるが、ヴァルドレイの苦い顔を見れば、奴にとってはそれが真実であることが知れる。
確かに──俺は数多の人間を斬った。斬ることを忌避するどころか、率先して斬った節さえある。それは、人としては、狂っているのやもしれぬ。しかし、たとえそうであるとしても、それはベラトールを滅ぼされたときより、覚悟の上のことである。貴様らにとっての死神にでもなってやろうではないか。
「十剣というのは、ずいぶんと口うるさいものだな」
俺は、ヴァルドレイを殺すつもりでにらんで、吐き捨てる。
ヴァルドレイには友を斬られた恨みがあるのやもしれぬ。しかし、俺には故郷を滅ぼされた恨みがある。ベラトールに叛意ありという王の言葉に、ヴァルドレイが追従したというのであれば、同情の余地などない。奴の末路には、死こそふさわしい。
「剣士ならば──剣で語れ」
言い放って、俺は黒刀を正眼に構える。




