第23話 迷宮猫(前編)
「だから、本当に見たんだって!」
俺とロルフ、リュシエルの一行が、迷宮の六層──休憩所に到着するなり飛び込んできたのは、アクスのでかい声である。
見れば、中央の噴水のあたりでたむろしているのは、見覚えのあるアクス一行と──こちらは初めて見る、別の冒険者の一行である。
「おお! ラガン! ちょうどいいところに! あんたらも聞いてくれよ!」
アクスは、俺たちの姿を認めるなり、大仰な手招きをして──彼の仲間たちは、あきれるようなため息をついている。
俺たちは、呼ばれるがまま、彼らに合流する──と、初顔の冒険者のうちの一人が、わざわざ立ちあがって、見よう見まねであろう、拙い騎士の辞儀をする。
「俺の名は、レント──あんたに会ったら、礼を言いたくてな」
「礼を言われる覚えはないが」
冒険者──レントの顔に見覚えはない。当然ながら、礼と言われても、心当たりもないのである。
「あんたの退治した魔獣──俺の昔の仲間も、奴の犠牲になっていてな。あんたのおかげで、あいつの遺品が返ってきた。おかげで墓もつくれた。感謝する」
なるほど──確かに、古代人の創りし魔獣を討伐したのは俺である。しかし、礼を伝えるべき相手は、俺ではあるまい。
「そういうことなら──感謝は衛兵に伝えてくれ」
数々の骸から、わざわざ遺品を回収したのは衛兵である。俺など、そこに至る道を斬りひらいただけ──レントの礼は、俺でなく、彼らにこそふさわしかろう、と思う。
「あんたならそう言うだろうって、アクスにも言われたよ」
言って、レントは苦笑する。
このレントという男──俺が礼を受け取らぬと知っていて、それでもなお礼を述べたのである──そう知って、アクスと同じく、迷宮法とは縁のなさそうな、気持ちのよい男であるなあ、と思う。
レントは、仲間たちに噴水側に寄るよううながして、座る場所を譲ってくれる。俺は礼を述べて、そこに腰を下ろす。
「それはそうと、何の話をしておったのだ?」
「だから! 出たんだよ! 迷宮猫が!」
話の続きをうながすと、アクスはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに声を張りあげる。図体もでかければ、声もでかい男である。
「だから、それはどこかの魔法使いの使い魔だって、みんなそう言ってるだろうに」
なあ、とレントは仲間の一人に同意を求める。
見れば、その男もラキと同じく軽装で、おそらく魔法使いなのであろう、と思う。中層より深く潜る一行ともなると、魔法使いの存在もめずらしくないのであるなあ、と心中でうなる。
「その黒猫のまわりには、魔法使いなんていなかったし──何より、あの猫! まるで人間みたいに笑ったんだぜ!」
レントの意見にも、アクスは引き下がらない。普通の猫は絶対にあんな顔はしない、と言い張って、譲らないのである。
しばしの間、水掛け論のような言い合いが続いて──そして、結論の出ないまま、アクス一行は地上に戻り──酒を飲んで、迷宮猫なんぞに出くわした禊を済ませたいということらしい──レント一行はさらに迷宮に潜るということで、それぞれに別れを告げる。
俺たちは、もう少し身体を休めるという体で、休憩所に残ったのであるが──実のところは異なる。
「件の迷宮猫とやら、いささか心当たりがあってな──」
俺は、先に地上で出会った迷宮猫──フェルのことを二人に話す。
「にわかには信じらんねえが──ラガンは嘘つかないもんなあ」
ロルフは、そうは言いつつも、半信半疑といった様子で、眉間に皺を寄せる。
「俺の出会った猫が、アクスの見た猫と同一のものかはわからぬ──が、この迷宮猫という存在について、リュシエル──エルフの知識であれば、何らかの答えがあるのではないか?」
俺の問いに、リュシエルは思案顔で返す。
「もしかしたら、という考えはなくもないですが──こればかりは、その迷宮猫とやらを見てみないことには──」
何とも、と彼女は言葉を濁す。
「迷宮の探索よりも、猫の確認を優先してもよいか? 今日だけでよい」
俺は二人に願い出る。
フェルはルシオンに執心していた。もしも、また出会う機会があるとするならば、害のある存在であるか否か、はっきりさせておいた方がよいという判断である。
「ラガンがそんなこと言うなんて、めずらしいなあ」
ロルフは、俺の希望に否やはないのであろう、同意を求めるようにリュシエルを見て──彼女が小さく頷くに至り、方針が決まる。
俺たちは、アクスが迷宮猫を見かけたというあたりを、重点的に探索することを決める。その場所は、六層の北東の回廊である、と聞いている。
「何だ、これは?」
しかし──いざ、その回廊を訪れてみると、通路は何やら白いものに覆われており、とても尋常の様とは思えない。
アクスからは、このような状況について、一言の説明もなかったのであるが──考えてみれば、あの豪放な男とて、上級に近いほどの冒険者なのであるからして、不必要に迷宮の情報を明かすようなことはしないということなのであろう、と思う。
俺は、行く手を遮るように、壁から壁へと張り渡された白いものを、つぶさに眺める。
「これは──糸か?」
そうして、眼前の白い塊は、いくつもの糸がよりあわされたものであると気づいて──どれ、と手を伸ばそうとした──そのときである。
「触らない方がいいですよ」
と、リュシエルが手で俺を制する。
「おそらく──これは、蜘蛛の魔物の糸です。糸に触れたら、その振動を感知して、私たちに襲いかかってくるはずです」
続く彼女の言に、慌てて伸ばしかけた手を引っ込める。
「──ってことは、これを避けながら進まないといけないってことか?」
言って、ロルフは回廊の奥──糸の張りめぐらされた通路を見て、嘆息をもらす。とてもではないが、触れずに進むのは無理であろう、と思わせるほどの糸の量である。
ふむ、と思案して──俺は左目を閉じる。
「──斬ってはいかんのか?」
糸には──線が見える。今の俺ならば、蜘蛛に気づかれぬほどの精妙な業前で糸を斬ることもできよう。
「糸にとらえられたならば、抜け出すことあたわず──鋼よりも硬い糸だと聞いたことがありますが、斬れるんですか?」
「鋼くらいならば──斬れる」
半信半疑のリュシエルに、頷いて返す。線が見えるのであるからして、間違いはない。
「斬れないんだよなあ、普通は」
ロルフはあきれるようにつぶやく。
俺は二人に、もしかしたらば現れるであろう蜘蛛に備えてもらいつつ、自らは黒刀の柄に手をかける。そして、抜刀──糸の束を斬り裂いて、黒刀を鞘におさめる。
「何も──現れぬな」
俺は周囲を警戒するのであるが、近づいてくる線は見えない。実際、糸はわずかな振動もなく、すとんと落ちたのである。蜘蛛には気づかれなかったのであろうと判断する。
俺は、ロルフに目配せをして──ロルフは慎重に、糸に触れぬように、俺のつくった隙間を通り抜けようと身を乗り出す。
「ちょっと待った!」
と、不意に声をあげて、ロルフを止めたのは──リュシエルである。
「まずは、この糸を回収しましょう」
言って、彼女は屈み込んで、切断された糸の束を手に取る。
「回収して、どうするのだ?」
俺には、リュシエルの意図するところがわからず、首を傾げる。
「鋼よりも硬い糸ですよ。売れるに決まってるじゃないですか!」
「なるほど! リュシエルは冴えてんなあ!」
リュシエルの答えに、ロルフは感心の声をあげる。
確かに──それほどに頑丈な糸であれば、様々な使い道があろう。自らの斬り捨てた糸が売れるかもしれぬなど、まったくもって思いつきもせず──ロルフもリュシエルも商魂たくましいものであるなあ、と感心する。




