第22話 辻斬り(前編)
昼頃に目を覚ますと、すでにルシオンの姿はない。おそらく、酒場の給仕の延長で、朝も早くから買い出しにでも出かけているのであろう、と思う。
妹が働いているというのに、兄が惰眠を貪るのは、いかにも体裁がわるいのであるが──先日の魔獣退治での稼ぎもあり、しばらくは迷宮に潜る必要もないのである。いくらか自堕落に過ごすくらい、神もお目こぼしくださるであろう、と自らに都合のよい言い訳を並べて──身支度を整えて、階下に下りる。
昼時の酒場には、ほとんど客はいない。気の早い常連が数人、後は酒場の主たるバルドがいるくらいで──と、酒場の奥に目をやったところで、おや、と思う。
「めずらしいな、バルドが相席とは」
俺は、酒場の主人たるクラウスに言いながら、彼の目の前の席に腰を下ろす。
「──絶対に断れない相手なんだよ」
言って、クラウスは俺の朝食の──いや、もう昼食であろうか──準備を始める。
絶対に相席を断れない相手──その言い様に興味を抱いて、俺は奥の席を見やる。バルドの向かいに座るのは、こんな場末の酒場には似つかわしくない、小ぎれいな若者である。彼の後ろに控える従者は、軽装ではあるものの、おそらく騎士であろう。そのたたずまいから、相当の腕利きであろうことがうかがえる──となると、自ずと若者の正体は知れる。
「貴族のお忍びか?」
俺の問いに、クラウスは小さく頷く。
なるほど──相手がブロンダルの貴族ともなれば、さすがのバルドも相席を断ることはできまい。俺は、バルドの困り顔を目に焼きつけておこう、と再びそちらに目をやる──と、こちらに気づいたバルドと目が合う。
「ラガン! ラガン! いいところにきた! こっちにこい!」
「その手には乗らんぞ」
言って、俺はクラウスの用意した朝食の膳を手に、バルドからもっとも遠い席へと逃げる。
以前、同じ手口で、銀秤商会の番頭マルクスの用心棒を押しつけられたこと、俺は忘れてはおらぬからな。バルドの口車に乗らぬためには、最初から話を聞かなければよいのである。
「何の話かは知らぬが、俺には関係のないこと」
「ところが、お前はこの誘いを断ることはできないんだなあ」
しっしと手で払う俺に、バルドは勝ち誇るように告げる。
「こちらにおわすお方をどなたと心得る!」
「──バルド、やめよ」
若者は、その見た目からは想像もできないほどに落ち着いた声で、バルドを制する。老成している、とでも言えばよいのであろうか、どうせ貴族の放蕩息子か何かであろうと決めつけていたのであるが、どうやらそうではないらしい。
「噂は効いておる。隻眼の──ラガンだな?」
若者は、俺のことを知っているようで──しかも、何やら思うところがあるようで、俺の顔を無遠慮にじろじろと眺める。
「余の名はロラン──ロラン・ブロンダルである」
その名乗りを受けて、俺は手にした突き匙を取り落としそうになる。いくら世情に疎い俺でも知っている。その名は──ブロンダルの第二王子のものである。
「そなたら──辻斬りの話は聞いておるか?」
王子の命により、俺はバルドの隣に座って、その話を拝聴している。なるほど、バルドの言うとおり、ブロンダルにいるかぎり、この命令に逆らうことはできない。
「ちょっと前に貧民街で何人か斬られたって話は耳に入ってますよ」
王子の問いに、バルドが返す。普段、傍若無人が服を着て歩いているようなバルドでさえ、さすがに王子が相手となると敬語なのであるなあ、と妙なところに感心する。
「そうか──となると、貧民では斬り甲斐がなかったのやもしれぬな」
斬り甲斐とは──王子は、そのやんごとない身分には似つかわしくない、物騒なことをつぶやく。
「おぬしらは知らぬやもしれぬが、王城に近い貴族街で辻斬りが多発しておる」
王子は身を乗り出して、俺とバルドの顔をのぞき込みながら続ける。
「しかも、斬られておるのは名うての騎士ばかりでな。ほとほと手を焼いておる」
王子の語るところによると、すでに三人の騎士が斬られているのだという。いずれも相当の手練れであり、三人目に至っては、警備を強化した矢先のことで、衛兵も居合わせたというのに、まとめて斬られているというのである。それが事実であるならば、その辻斬りとやら、凄まじいほどの業前であると言えよう。
なるほど──それでバルドの出番ということか、と今さらながらに納得する。とはいえ、わざわざ王子が下町まで出張らなくとも、他にも適任はいるであろうに、と疑問にも思う。
「その男に斬らせればよいのではないか?」
言って、俺は王子の背後に控える騎士を指す。相当の使い手である。件の辻斬りにも後れを取ることはなかろう、と思うのであるが。
「ガレスは──余の専属のようなものでな。余のそばを離れることはない」
王子は振り向いて、騎士──ガレスに微笑みかける。ガレスは、主君の微笑に、騎士の辞儀でもって返して──王子は満足そうに頷いて、バルドに向き直る。
「そこで、バルドを指名して、辻斬り退治を依頼しようと考えたわけなのだが──」
次いで、俺に視線を移して。
「──そのバルドがおぬしを推すのでな」
俺は、面倒な話に巻き込んでくれたバルドを、うらめしくにらみつける。
「そんな目で見るなよ」
バルドは慌てて、言い訳をつらつらと並べ始める。
「お貴族様の依頼ってのは困りもんでな。依頼をこなした後の方が面倒なんだよ」
辻斬り退治そのものよりも、成功した後のことを心配しているとは──不遜ここに極まれり、である。
「貴族からの礼を面倒の一言で片づけるとは」
王子は、バルドの言に気分を害するかと思いきや、くつくつ、と楽しそうに笑う。
「そういうの、ラガンの方が得意だろ?」
バルドのその言い振りに、俺の出自を言い当てられたような気がして。
「得意とはかぎらぬであろう」
と、思わず強く否定してしまう。
「実はな──」
そこに、なぜか王子が、訳知り顔で割って入る。
「余の知っている貴族にも、ラガンという名のものがおってな。どうだ、興味がわかぬか?」
言って、王子は意味深に微笑する。
なるほど──ブロンダルの王子ともなれば、隣国リメルスの事情にも詳しかろう。そして、先頃お取り潰しとなったベラトールに、ラガンという名の嫡男がいたことも、すでに耳に入っているとすると──当然、彼は疑問に思うであろう。ベラトールの取り潰しと同時期にブロンダルに現れたラガンという男は、はたして何者なのか、と。王子は、薄々俺の正体に気づいており、それを根拠に依頼を強要しているのである、と悟る。
「──俺に利はあるのだろうな?」
王子の、ほとんど脅しともとれる強要に、俺は一矢報いるように問い返す。
「ブロンダルの王子からの覚えがよくなる以上のことを望むとは!」
王子は、心底から楽しそうに、くつくつ、と笑って。
「まあ、よかろう。そなたの扱いを、そなたの望むようにする。それでよかろう?」
王子は、この依頼を受ければ、ベラトールから落ち延びた俺がブロンダルに滞在していることについて、見て見ぬふりをしてやる、と暗に告げているのである。
「わかった──引き受けよう」
どうせ断ることなどできぬのである。適当なところで手を打つしかあるまい。




