第20話 魔獣(後編)
俺は、壁を背にして、魔獣と向き合う。
魔獣からすれば、俺が壁際に追い込まれて、もはや逃げ場がないように見えるのであろうが──逆である。俺が奴を死地に誘い込んでいるのである。
左目を閉じる──と同時に、魔獣の顎の奥に火花が散って──その炎の起こりをとらえて、前に出る。眼前に迫る業火──その焔に揺らめく線をとらえて、俺は炎を両断する。
炎の向こうには、隙だらけの魔獣の姿がある。俺は魔獣の側面に回り、その前脚を斬り落とす。魔獣はその場に倒れ伏し、憤怒の形相で俺をねめつける──が、あいにく視線では俺は殺せぬし、その姿勢では炎も吐けぬであろう。
何もできぬ魔獣の首を斬り落とさん、と曲刀を上段に振りかぶる──と、動けぬはずの奴が繰り出したのは、何と蛇頭の尻尾である。
尾は、鞭のようにしなって加速して、俺に襲いくる。その先端は、もはや人の目にはとらえられぬほどの速さで、かろうじて曲刀あわせて防いだものの、いつまでもさばききれるものではない。それに、あの蛇頭──おそらく毒を持っていよう。噛まれたらば、そこで勝ちの目は消える。
俺は、尻尾の動きではなく、左目で線の流れを見て──鞭のごとき動きの支点となっている部分をみつける。先端はとらえられなくとも、支点ならば斬ることができる。そう確信して──踏み込んで、一閃──曲刀は見事その線をなぞり、蛇頭の尾は魔獣から分かたれて地に落ちる。尻尾は、それでもなお蠢いているのであるが、自由は利かないのであろう、こちらに向かってくることはない。
こうなると、もはや魔獣にできることはない。俺は魔獣を見下ろして──数々の冒険者を喰い殺してきた獅子の首を斬り落とし──おぞましい断末魔が響き渡る。
「──ふう」
曲刀を床に突いて、体重を預けて、息をつく。
もしも炎を斬ることができなければ、いつかは追い詰められて、焼き殺されていたであろう、と思う。この目──いったいどれほどのものを斬ることができるのやら、我が眼ながら、そら恐ろしくなる。
俺は、曲刀を鞘におさめて、魔獣の首を拾いあげる。多くの冒険者を殺し続けたであろう魔獣の首である。大層な褒美が得られるであろう、と思えばこそ、その重さにも耐えられようというもの。
「ひとまずは──出口だな」
俺は、先に放った松明を拾いあげて、壁沿いに歩き始める。左目を閉じて、以前に隠し部屋をみつけた要領で、線の見え方が異なる場所を探す。
しばし歩いたところで──俺は足を止める。目の前の壁に刻まれた線が、他の壁よりも濃く映る。俺は、その場に松明と首を置いて──抜刀、一閃──壁を斬る。壁の先には、はたして──転移前と同じ、迷宮の通路が伸びている。どうやらもとの場所に戻れたようである、と安堵の胸をなでおろす。
「ロルフ! リュシエル!」
名を呼ぶことで、もしかすると魔物が寄ってくるやもしれぬとは思ったのであるが、それでも声を張りあげずにはいられぬほどに、今は合流を急ぎたい。俺は、繰り返し二人の名を呼びながら、罠を警戒しつつ、通路を進む。
そうして歩き回っているうちに──不意に、見覚えのあるものに出くわす。壁に刺さった矢──それは、六層に下りた折、ロルフが罠を作動させて放たれた矢である。ここからであれば、階段の位置も覚えている。
俺は早足で急ぎ、階段にたどりつく──と、そこにはロルフとリュシエルの姿がある。
「ラガン!」
二人は、俺の姿を認めるなり、声をあげて──ほんの少し別れただけであるというのに、まるで久しぶりの再会のような、どこかこそばゆい心持ちである。
「無事でよかった!」
言いながら、ロルフは憔悴しきった顔で、俺のもとに駆け寄る。
「六層を探し回っても全然みつからないもんだから、ルシオンちゃんに何て言えばいいんだって──本当に泣きそうだったぜ!」
「実際、少し泣いてましたよ」
ロルフの泣き言に、リュシエルが言わなくてもよいことを言う。
「──心配かけたな」
言って、放っておいたら抱きつきかねないロルフの背を叩いて、ひとまず落ち着かせる。
「私は、そんなに心配してませんでしたよ」
そう言うリュシエルは、本当にそれほど心配していなかったのであろう、あっけらかんとしている。
「心配しろ」
俺は、リュシエルの額を小突いて、苦言を呈するのであるが、一方で、その信頼はうれしくもある。
「ラガン、それ──」
「──ああ」
リュシエルは、俺の持つ魔獣の首に気づいて、声をあげる。
俺は、転移の罠にかかって以降の出来事を、二人に語る。閉じ込められた先で遭遇した魔獣の異形について聞かせると、二人とも驚きの顔で首を眺めて──ロルフにいたっては、自身が罠にかかっていたなら死んでいたであろう、と助けられたことに感謝して、命の恩人よ、と大仰なことを言いながら、結局抱きついてくるのであるからして、暑苦しいこと、この上ない。
「何はともあれ──今回は帰りましょうか。ラガンも疲れたでしょう」
「そうだな」
リュシエルの提案に、俺はありがたく頷く。
肉体的な疲れはそれほどではないものの、罠以降ずっと気を張っていたこともあって、精神的には疲弊しているのである。このような状態では、迷宮のさらなる深みを目指すどころの話ではない。
俺たちは、迷宮を脱して、衛兵の詰所に赴く。
「換金を頼もう」
言って、俺は魔獣の首を、どすん、と机に載せる。
「おいおい、何だこれは!?」
魔獣の首に驚嘆する衛兵に、俺は事情を説明する。
「これほどの魔獣を討伐したんだ。報酬は弾む──が、一つ頼みたいことがある」
話を聞き終えた衛兵は、神妙な顔で続ける。
「我々を──この魔獣の住処まで、案内してもらえないだろうか?」
後日──俺は、衛兵の一団を先導して、魔獣の住処まで案内する。衛兵と一緒では、四層の賭場を通り抜けることもかなわず、ずいぶんと遠回りをする。
「もう魔物はおらぬはずだが、気をつけてくれい」
六層にたどりついて、魔獣の住処に足を踏み入れたところで、後ろに続く衛兵に注意を呼びかける。その声を合図に、衛兵はその場の調査を始める。
結果──そこには数百の骸があった。そのうち、比較的新しいと思しき数十は、身元を示すような遺品を所持しており、家族や仲間のところにそれを返してやることができそうだという。
「これで──区切りをつけられるものもいよう」
衛兵の一人がつぶやいて──俺は彼らの仕事の一端を垣間見る。
こうして、行方不明となっていた多くの冒険者たちの、物言わぬ帰還となったのである。
「魔獣」完/次話「はじめてのおつかい」




