第20話 魔獣(前編)
石の中にいる──などということにならず、ひとまず安堵する。
状況を見るに、どうやら魔法の罠により、転移させられたようである、と悟る。
「松明を持っていたのは、不幸中の幸いであったな」
つぶやく声が、思ったよりも反響する。どうやら相当に広い空間にいるようで、松明を掲げてみても、その端までを見通すことはできない。
それに──いったい何の臭いであろうか、あたりは異臭に包まれており、俺は思わず鼻をつまむ。松明で足もとを照らしてみるが、特に臭いの元と思しきものは見当たらない。
俺は、その場で周囲を、ぐるり、と照らしながら、あたりの様子をうかがう。
「何もない──か」
少なくとも、近場にはここがどこなのかを示すようなものは何もない。先までと変わらぬ、迷宮の床が続くばかりである。
「変わらず迷宮の中にいるのは、間違いなさそうであるが──さて」
俺は、周囲を警戒しながら、ゆっくりと歩き始める。
最初に浮かんだのは、なぜ、という疑問である。
罠による転移というのは、いささか不可解である。何もこんなところに転移させずとも、致死の罠を仕掛ければよいだけのこと。それだけで事は済むというのに、古代人はなぜわざわざ転移の罠を仕掛けたというのであろうか。
思案する俺の足もとで、じゃり、と音が鳴って──俺は足を止める。
「──ほう」
見れば、それは風化して脆くなったであろう──骨である。近くに転がるひしゃげた武具を見るに、おそらくは冒険者の成れの果てであろう、と思う。骸には、何かに喰われた跡がある。つまり、この闇の中には、人を喰らう何かが潜みおるということ。
「敵を間引くための──狩場?」
そんな考えが、思わず口をついて出る。
罠では一人しか殺せぬ。しかし、転移させた先で殺すのであれば、罠にかかるものがいるかぎり、敵を間引き続けることができる。狩場に誘い込まれた俺は、さしずめか弱い餌というところであろうか。
もしも、あの罠が本当にそういう意図でつくられているのだとすれば──餌を逃がす道理はない。ここには出口はないのやもしれぬ、と思う。
「俺ならば、壁を斬って出ることもできるやもしれぬが──」
それには、この場を隅々まで探索し、壁の薄い箇所をみつける必要があろう。
しかし、ここには、かつての勇猛な蛮族、そして六層にまでたどりつけるほどの冒険者たちを、連綿と喰らい続けた何かが潜みおるのである。
ともかく、その何かとの遭遇は避けたい。そう考えて、俺は左目を閉じる。松明の向こうの闇に、線は見えない──となれば、進むしかあるまい。左手で松明を掲げて、右手で曲刀の柄を握り──俺は再び歩き始める。
そうして、しばし進むと、松明の照らし出す先に、壁が現れる。ようやく、この広い空間の一端に達したのである。延々と闇の中を歩き続けて、本当に果てがあるやら、不安を覚え始めていた矢先のことで、安堵の胸をなでおろす。
「──むう」
そのときである──腐臭が鼻をついて、思わず顔をしかめる。臭いの出どころを見やれば、壁際には骸が横たわっている。喰われて数日といったところであろうか、まだ肉づきのよい骸である。
俺はその場に屈み込み、骸をつぶさに観察する。骸には、下半身がない。見たところ、一噛みで喰われているようである──となると、その何かは相当に大きな口を持っていることになろう。
「──うん?」
松明を掲げると、残る半身があらわになり、その右側が焼け焦げていることに気づく。火の気のないはずの迷宮で焼かれおるとは。考えられるとすれば、自身の持つ松明に焼かれたか──それとも、襲いかかった何かが炎を吐いたか。火を吹く魔物と言えば──。
「──竜?」
つぶやくと同時に、背後に気配を感じて──松明から手を放して、抜刀しながら振り向く。
そこには闇がある──しかし、その闇の奥には、何かが潜んでいる。その証左に、何とも生臭い腐臭が、闇からただよってくるではないか。待ち構える俺の前に、何かが闇から、ぬらり、と現れる。俺を見下ろすその巨躯は──意外や竜のものではない。
「何だ、こいつは──」
知らず、そんな言葉が口をついて出る。
目の前のそれは、何と表現してよいかわからぬ──まさしく化物である。俺を見下ろすその頭は獅子、しかしそこから伸びる胴は山羊のもので、さらには蛇のごとき尾がうねっているのである。
「この世には、このような化生が存在するのか──」
獅子や山羊、蛇ならば、いかに巨大であろうとも、そういう魔物として受け入れられるが、これは──このつくりものめいた不均衡は、見るものに嫌悪感を強いる、吐き気をもよおすような造形である。
このようなおぞましいものがこの世に存在しおるとは──そう考えたところで、俺はさらにおぞましい可能性に思い当たる。このような異形、本来は存在しえぬのではないか。存在せぬはずのものを、古代人が創り出したのではないか──だとすれば、神をも恐れぬ所業と言えよう。
俺は、その魔物──いやさ、魔獣を前にして、動くことができないでいる。そんな俺を見て、魔獣は、にたり、と人のように笑って──その顎の奥に火花が散って──まさか、と飛び退けば、次の瞬間、業火が襲いくる。渦巻く炎は壁際の骸をさらに燃やして──ほんの数瞬ためらっていれば、我が身も焼き尽くされて、炭と化していたであろう、と思う。
魔獣は、まるで虫でもいたぶるかのように、無節操に炎を撒き散らす。どうやら奴の腹は満たされているようで──先の骸のおかげであろうか──俺を喰らう気はないようである。その嗜虐心に満ちた笑みを見るに、俺が火だるまになってもだえる様を眺めて、楽しみたいのであろう、と思う。
俺は魔獣を、きっとにらみ返して──襲いくる炎を飛び退いて避けて──不意に違和感を覚える。
「線が──見えた?」
瞬きの折、魔獣の吐いた炎に、わずかながら線が見えた気がしたのである。
もしも、線が見えるのなら、炎でさえも斬ることができる──はずである。賭ける価値はある。今までも、己の剣だけで数々の危機を乗り越えてきたではないか、と自らを鼓舞する。




