第18話 刺客(後編)
イリーナは、自らの所業に恐れおののくかのように、俺から離れてへたり込み、ひきつけを起こしている。その様を見るに、俺を刺したのは刺客の強制によるもので、彼女の本意ではないのであろう、と思う。
「気にするな。そうと気づかぬ俺がわるい」
言って、俺は腹に刺さった懐剣を抜いて、後ろに放る。
「ふん──リメルスの十剣というから、楽しみにしておったものを。女のために死ぬるとは」
刺客は勝ち誇るように笑う。
確かに──こちらは影を縫われて、しかも手負いである。どこまでやれるかはわからぬが、男としては惚れた女を守る程度のことはせねばなるまいて──そう覚悟して、左目を閉じる。
刺客は、疾風のごとく駆けて、俺に襲いくる。その速さときたら、奴の残像が目に映るほどなのであるが──それでも、俺の左目を欺くことはできない。
線を追えば、とらえられない速さではない。俺は、背後に回り込まんとする刺客の線をなぞるように、一閃を放つ。しかし──必殺の一撃は、わずかなところで空を斬る。影を縫い留められて、踏み込みが浅いのである。
「──さすがは十剣」
つぶやいて、刺客は、ほう、とうなる。見れば、俺の一閃は、わずかに奴の上衣を裂いている。奴からすれば、空を斬って当然の一撃がかすったのである。驚くのも無理はない──が、俺としては、奴に警戒される前に、斬り捨ててしまいたかったところである。
俺と刺客は再び相対して、にらみあう──と、その間に割って入ったのは誰あろう──イリーナである。
「イリーナ、下がれ!」
俺は声を荒げるのであるが、イリーナは首を振って──きっと刺客をにらみつける。
「イリーナ──貴様、教団を裏切るのか?」
刺客の詰問に、イリーナは、ふん、と鼻を鳴らす。
「あたしは、教団に買われただけ。男に買われるのと同じようにね」
イリーナは決死の覚悟なのであろう、先ほどまでとは打って変わって、気を吐くように言い放つ。
「でも──ラガンの旦那は違う」
そう続けて──イリーナは、ちら、と俺を振り返り、微笑んで──刺客に向き直り、俺をかばうように両手を広げる。
「つまらん女になりさがったものよ」
言って、刺客は無造作にイリーナに近寄り、短剣を振るって──彼女は腹を斬り裂かれて、その場に崩れ落ちる。
「イリーナ!」
その呼び声に応えるように、イリーナは俺に視線を送る。息はある。今ならまだ間に合う──かもしれぬ。
影縫いを解いて、急ぎイリーナを助ける。そう決意する俺の前に、刺客が立ちはだかる。
「──そこをどけ」
「どかぬと言ったら?」
俺の怒気を、刺客はさらりと受け流す。
「──斬る!」
吠えて、俺は先よりも鋭い一閃を放つ。奴は飛び退いてそれをかわすのであるが、そも俺の狙いは奴ではない。俺は返す刀で──影を斬る。
「な──!?」
刺客は驚愕の声をあげる。それもそのはず、俺は奴の影縫いの術を打ち破り、今や自由の身となっているのである。自らの影と短剣とをつなぐ線が見えて、もしや、と斬ってみたのが功を奏したのであろう。
俺は刺客に向かって、大きく一歩を踏み込む。奴は再び飛び退かんとするのであるが、今度は俺の踏み込みが深い。俺の剣先は、奴の胸の線をなぞり──奴は驚愕の表情のまま両断されて、ごろり、と地面に転がる。
俺は、ふう、と息をついて──血振りをして、曲刀を鞘におさめる。そして、思い出したように襲いくる激痛に、腹を押さえてうずくまる。しかし──俺の腹の傷よりも、イリーナの方が重傷のはずである。
「──イリーナ」
呼んで、俺は彼女のもとに這い寄る。
「旦那──旦那、ごめんよ」
イリーナは、すでに意識が朦朧としているようで、俺ではなく、宙をみつめながら、何度も、何度も詫びる。
「詫びずともよい」
言いながら、俺はイリーナの頭を膝に乗せて、懐から古代の傷薬を取り出す。
「あたし、どうしようもない女だよ。金のために、旦那まで売っちまうなんてさ」
しかし、イリーナには、もはや俺の制止も聞こえていないのであろう、最後の力を振りしぼるようにして、言葉を重ねる。
「最後に、旦那に報いることができて──よかった」
彼女は満足そうに笑って、ゆっくりと目を閉じる。
「イリーナ! 待て! 目を閉じるな!」
俺は大声でイリーナを呼ぶのであるが、彼女は応えない。彼女の命の灯火が消えかけているのがわかる。
やむを得ぬ──俺は、古代の傷薬の半分を、イリーナの傷口に振りかけて、次いで残りの半分を自らの口に含んで、彼女の口に無理やり流し込む。
するとどうであろう──イリーナの傷口は、完全とは言わぬまでもふさがり、その顔には生気が満ちていくではないか。古代の傷薬を用いるのは、分の悪い賭けのようなものと思っていたのであるが、あにはからんや十分すぎる効力を発揮してくれたものである、と安堵の胸をなでおろす。
「あたし──いったい」
やがて、イリーナは目を開けて──自らが死んだものとでも思っているのであろう、現状が把握できておらぬ様子で、ぼんやりとつぶやく。
「冥神が──まだ死ぬなと言うておる」
俺はイリーナの手を取り、強く握る。
「イリーナの手料理、食べさせてくれるのであろう?」
俺の言に、イリーナは泣き笑いで返す。涙で濡れた、そのぐしゃぐしゃの笑顔を、俺は心底から美しいと思う。
明くる日の夜──俺はいつものように娼館を訪れている。
腹の傷はいくらか痛むものの、イリーナの細腕で刺されたところで、内臓まで達することもなく──古代の傷薬で治すまでもない、言わばかすり傷である。
「かすり傷だなんて、あたしの前でまで、そんな強がらなくとも──」
言って、イリーナは申し訳なさそうに目を伏せる。彼女に負い目を感じさせぬためにも、これはかすり傷なのだと自らに言い聞かせて、俺は無理やりに笑ってみせる。
昨日の戦いの後──俺は刺客の骸から財布を奪い、物取りの仕業に見せかけている。人通りのない、しかも治安の悪い貧民街である。金目当てで襲われて、殺されることもあろう、という算段である。そして、刺客の金は、俺の添い寝代に消える。
俺さえ口をつぐんでいれば、イリーナの裏切りが教団に知れることはない。また刺客が送られてきたならば、また斬ればよい──それだけのことである。
「旦那、たまには宿で寝たらどうです? 妹さん、寂しがってるんじゃありません?」
イリーナは、俺が訪れてうれしそうな、しかしルシオンに慮って申し訳なさそうな、複雑な顔で俺を部屋に通す。
「それがな──」
ルシオン曰く、俺のいびきは相当にうるさいらしい。ロルフによると、迷宮等での野営の折は静かなものであるというから、宿で安心しきって寝入ると盛大にいびきをかいてしまうということなのであろう、と思う。
「なるほど、あたしは商売柄、そういうの気にしませんもんねえ」
イリーナは、妹さんに避けられてかわいそうに、と俺を慰めながら、よしよし、と頭をなでる。騎士としては、まったくもって恥ずべき扱いなのであるが、わるい気はしないのが困ったものである。
「そういうわけだ。すまんが、今日も床を借りるぞ」
言うが早いか、俺はベッドにごろりと横になる。
「はいはい、お代はいただいてますからねえ」
イリーナは苦笑しながら隣に横になり、俺をやわらかく包み込む。
先だっての荒稼ぎもあって、近頃は迷宮に潜ってはいない。しかし、教団の刺客の襲撃により、いまだ神経が張り詰めているのも事実である。よって、その緊張をほぐすためには、イリーナとの添い寝が必要なのである──と、俺は自らに大仰な言い訳をして、彼女の柔肌に溺れるように、眠りに落ちるのであった。
「刺客」完/次話「帰還」




