第16話 食堂(前編)
いつものように迷宮に潜り、三層で黒狼の毛皮を集めて、換金する。俺たちの持ち帰る毛皮は、他の冒険者のものよりも傷が少なく、いくらか高値で売れる。それをロルフと山分けして、迷宮通りを途中で折れる。
「じゃあ、俺は行くところがあるんで──」
「娼館に行くと言え。恥ずかしがる仲でもあるまいに」
今にも駆け出しそうなロルフに、俺はあきれ顔を向ける。
「これでコレットに菓子でも買ってやれ」
言って、俺は先に得た毛皮代から、ロルフに銀貨を放って。
「ああ──菓子が余ったら、イリーナにも渡しておいてくれい」
ついでのように、そう続ける。
「ラガンこそ、恥ずかしがらなくてもいいんだぜ」
ロルフはからかうように言って──銀貨を受け取って、そのまま娼館に向かう。
ロルフのやつ──俺が娼館に出向くたびに、イリーナを指名していることに気づいているのであろうか。いや、もしかしたらコレットからの入れ知恵やもしれぬ、と考えたところで我に返る。
「人のことは言えぬか」
俺はロルフの背を見送りながら、イリーナに情がわいていることを認める。
さて──迷宮探索を終えた後である。前衛として黒狼と斬り結んでいたこともあり、ロルフのように娼館に出向くほどの余力は残っていない。宿に戻って、酒を飲むもよし、寝るもよし、というところなのであるが──そんな俺を引き留めるように、ぐう、と腹が鳴る。
「まずは腹ごしらえか」
つぶやいて、俺は市場に足を向ける。
市場は、ちょうど昼時なこともあって、活況を呈している。俺は露店をのぞきながら、手頃なものを探す。何か軽く腹に入れて、あとは宿で酒を楽しもうという算段である。
そうして、何軒かの露店を冷やかしたところで──不意に、何かの香りが鼻腔をくすぐる。香辛料であろうか、リメルスでは嗅いだことのない──しかし、何とも食欲をそそられる香りである。
俺は、その香りに吸い寄せられるように露店を抜けて──食堂であろうか、路地に面した扉を開く。
「いらっしゃい!」
店主の威勢のいい声とは裏腹に、店内にはほとんど客がいない。これは勘が外れたやもしれぬ、と後悔するが、もう遅い。注文せずに出るのもためらわれる。
俺は、店主にうながされるまま、店の奥のテーブルに陣取る。
「ここは何の店だ?」
「西方のアルマグの郷土料理──炊麺の店でさあ」
尋ねる俺に、店主は笑顔で答える。
「──では、それを頼む」
「へい!」
店主は答えて、厨房に入る。
しばらくすると、先に店先で嗅いだ香辛料が強く香って──炊麺とやらがどんな料理かはとんとわからぬが、これでまずかろうはずがない、といやがうえにも期待が高まる。
「お待ちどう!」
やがて、目の前に供されたのは、文字どおり麺を炊いた料理である。
俺は、渡された突き匙で麺をかき込む。細い麺を出汁と香油で炊きあげて、そこに肉と香辛料を加えたのであろう。肉の塩味と、香辛料の甘味──甘じょっぱいとでも言えばよいのであろうか、リメルスでは食べたことのない味に、俺の食欲は止まらない。特に、すべての旨味の溶け出した香油は、パンにつけて食べたなら、さぞうまかろう、と思わせる。
「店主、パンももらえるか」
「へい、ただいま」
店主は答えて、すぐに厨房からパンを持ってくる。手に取ると、意外や温かい。俺がパンを注文するのを見越して、先からパンを温めていたのであろうが──心にくいほどの気遣いである。こんな場末の食堂には似つかわしくない、一流の料理人であると見て取る。
「──店主」
俺は瞬く間に炊麺をたいらげて、店主に尋ねる。
「この味で、なぜに客がおらぬ?」
これほどの味であれば、行列ができていてもおかしくはない──そう思わせるほどのうまさであったというのに、店内はがらんとしており、新たな客が入ってくる気配もないのである。
「それは──」
店主は言いづらそうに、事の顛末を語る。
店主は、西方のアルマグでは、いくらか名の知れた料理人であったのだという。特に郷土料理である炊麺は絶品と評判で、近隣からはそれを目当てにアルマグを訪れるものもいたほどで──これならばブロンダルでも通用する、と意を決して出店したというのである。
「ただ、ブロンダルの店賃が思ったよりも高くて、金を借りることになったんですが──」
その金貸し連中というのが、とにかく柄が悪いのだという。定期的に集金に訪れる輩の、その堅気らしからぬ風貌、横柄な態度に、居合わせた客は恐れをなして、店に居つかず逃げ出してしまう。味では勝負できているというのに、金貸し連中のせいで、出だしで躓いているというわけである。
不憫なこと──俺は、いらぬ世話を焼いて、つい尋ねる。
「いったいどこから金を借りた?」
俺の問いに、店主はさほど大事ではないというように、あっけらかんと答える。
「煤煙っていう連中でさあ」




