第14話 貧民街(前編)
「なるほど──これならば、四層まで安全に行き来できる」
俺とロルフは、黒黥の賭場の奥から、昇降機と呼ばれる仕掛けを用いて、一層に戻る。黒黥の連中が、迷宮の四層に根城を構えることができるのも、この昇降機の存在あってこそのことだという。
昇降機を降りた先は、そうと知らねばわからぬ隠し扉になっている。黒黥に教えられた仕掛けを動かして、扉を開けると──そこは、どうやら一層の北東、ゴブリンの集落の外れのようである。例の鍵の持ち主であったフロウとやらは、この昇降機から迷宮街に抜けようとして、運悪くホブゴブリンに出くわしてしまったというところであろう、と思う。
俺とロルフは、ゴブリンに出くわすこともなく、迷宮街に戻る。
「ブロンダルの闇に足を突っ込んじまったなあ」
ロルフは、迷宮街の怪しげな連中の押し売りを、手で振り払いながら、そうつぶやく。黒黥のいかがわしさに比べれば、迷宮街もいくらかまともに見えるのであるから、まったく不思議なものである。
「迷宮自体、闇のようなものよ」
俺は溜息をつきながら返す。迷宮街や迷宮法にとどまらず、犯罪者の巣窟まであるとなると、あながち言いすぎでもないかもしれぬ、と思う。
「ラガン、黒黥の依頼──どうするんだ?」
ロルフに問われて、俺は再び溜息をつく。
黒黥──ヴィレルの依頼は、貧民街を牛耳る別組織──煤煙との調停である。
何でも、煤煙の一員が、迷宮で──しかも四層で死んでいたことで、黒黥はあらぬ疑いをかけられているというのである。実際のところ、黒黥が本当に無実であるかは、さだかではないのであるが──迷宮街を支配する黒黥が、貧民街を支配する煤煙に手を出す理由がないのも、事実ではあろう。
「俺の暗殺を企むものを教えるというのだ。引き受けぬわけにもいくまい」
迷宮の出口となる階段をのぼりながら、俺は渋々そう答える。
地上に出ると、ちょうど日が昇るところで、朝日が目にまぶしい。ちょっとした試し斬りのつもりが、とんだ長居となってしまったものである。
「ロルフは、魔物の部位の換金を頼む。俺は──とりあえず、貧民街に出向いてみる」
衛兵の詰所で帰還の報告をしながら、俺はロルフに告げる。
「一人でいいのか?」
「一人の方がよい」
ロルフの問いに、短く答える。最悪の場合、煤煙を相手に大立ち回り、ということにもなりかねない。そのとき、ロルフはいない方がよい。
「ラガンがそう言うなら、換金は任せてくれ!」
ロルフはそう言って、どんと胸を叩く。
ロルフであれば、金を持ち逃げするようなこともない。冒険者としては、得難い仲間であるなあ、と思う。
俺は、ロルフと別れて、貧民街に向かう。貧民街は、街の西側の市場を抜けた先にあるという。ブロンダルの市場は、近隣の村々からの行商も多く、活気がある。規模としては比べるべくもないのであるが、俺はかつてのベラトールの市場を思い出してしまって、少し胸が痛くなる。
「旦那! ラガンの旦那!」
と──市場の人混みの中で、不意に呼びとめられて、俺は足を止める。振り向けば、そこにはいつぞや世話になった娼婦──イリーナの顔がある。
「ここのところ、お見かぎりじゃないかい?」
言って、イリーナは往来であるというのに、俺にしなだれかかり、あろうことか股間に手を当てる。
「よさぬか、天下の往来で!」
「あら、失礼」
俺の苦情を受けて、イリーナはわざとらしく、おほほ、と笑って、肢体を離す。そのやわらかい感触が遠ざかるのは、正直なところ名残惜しくもあるのだが──騎士には、腹は空けども誇りは満ちる、という格言もある。
「ロルフの旦那は、コレットのところに通い詰めだってのに」
イリーナは責めるように告げるのであるが、ロルフと比べられても困る。何せ、その女のために、身請けの金を稼ごうとするほどに、純な男なのである。
「冗談はおいといて──旦那もお買い物ですかい?」
たちの悪い冗談である。
見れば、イリーナは野菜や果物の入った籠を持っており──旦那も、と言うとおり、買い物の最中なのであろう、と思う。
「イリーナ、このあたりに詳しいか?」
「このあたりに住んでるから、まあ人並みには」
イリーナは、突然の問いに、とまどうように返す
「貧民街の薄闇小路には、ここからどう進めばよい?」
さらなる俺の問いに、イリーナは露骨に顔をしかめる。
「旦那、何でまたそんなところに。相当に柄の悪いところだって聞くよ」
「依頼だ」
俺の答えに、イリーナは逡巡の色を見せながらも、やがてあきらめたように溜息をついて。
「冒険者ってのは、難儀なもんですねえ」
俺は、また娼館に顔を出すことを約束して、ようやく薄闇小路の場所を聞き出す。
貧民街のどん詰まり──薄闇小路の突き当たりに、その酒場はあった。
「おい、何だ、てめえ」
酒場の前には、見張りであろう、厳つい男がおり、店を眺める俺をとがめるように、声を荒げる。俺は男を無視して、店に近づく。男は遮るように手を伸ばすのであるが──俺はそれをするりとかわして、酒場の扉を開く。
「頼もう」
「誰だ、てめえ?」
俺の一声に応えたのは、再び誰何の声である。
酒場の中には、見るからに堅気ではない連中がたむろしている。おそらく、全員が煤煙の構成員なのであろう、と思う。たまたま居合わせただけの無関係のものを打ちのめすおそれがないのは、それはそれで助かる。
「俺は冒険者のラガンという。黒黥の使いで訪れた」
名乗りをあげる──と、酒場は不自然に静まる。その静寂とは裏腹に、煤煙の連中が一様に殺気立っているのがわかる。
「黒黥の手先とは──」
そう言って、酒場の奥の席から歩み出るのは、おそらく煤煙の顔役であろう男である。
「俺は手先ではない。誤解を解いてほしいと頼まれただけだ。納得がいかないのなら、互いで話し合いでも何でもすればよい」
「──囲め」
俺の弁明への返答は、無言の包囲であった。
手下どもは短剣を抜き放ち、その刃を俺に向ける。屋内であるから、振り回しづらい長物でないのが、唯一の救いであろうか。
「結局──こうなるのか」
つぶやいて、俺は溜息をつきながら、曲刀の柄を握る。
「怪我をしても、恨んでくれるなよ」
俺は曲刀を抜いて──刃を返して、敵に峰を向ける。仲裁を依頼された相手を斬るわけにもいくまい。斬れぬとなれば、線視も役には立たぬ。
「まったく、難儀なことよ」
「何ぶつぶつ言ってやがる!」
吠えて、最初に俺に声をかけた男が、短剣を振りかぶって襲いくる。
まったく──長剣と相対して、短剣で斬ろうとは、剣術を理解しておらぬ。俺は、振り下ろされる短剣を、曲刀の峰で打ち落として──そのまま男の肩口を打つ。
「──っ!」
男は声にならない叫びをあげる。いくら斬っていないとはいえ、鎖骨は折れているであろう。
「てめえ! よくも!」
仲間をやられて、逆上した手下どもが、次々と襲いくる。
俺は、先と同じ要領で、手下どもを打ちすえる。位置取りさえ間違わなければ、剣術の素人に囲まれたところで、大事はない。手下どもを、半分ほども打ちのめしたところで、顔役が慌てて止めに入る。
「待て! 待て! お前ら、やめろ!」
顔役は、俺の潰れた左目を凝視して。
「あんた、ラガンって──もしかして、隻眼のラガンか!?」
驚きのあまりであろうか、裏返った声をあげる。
「そう名乗ったはずだが──」
「もっとちゃんと名乗ってくれよ! バルドの連れと争う気なんてねえんだからよ!」
顔役の言葉に、俺は曲刀を鞘におさめる。街のごろつきが、こうも簡単に言いなりになるとは──まったく、持つべきものはバルドである。
「──黒黥の奴らと話し合いの場を持てばいいんだな?」
顔役は、とにかくこの場をおさめたいようで、俺に確認をとる。
「どこで話し合えばいい?」
問われて──そういえば何も考えていなかったな、と思案する。
「両方と関係のないところがよかろうからなあ──」
俺は顎をなでながらつぶやいて──はたと手を打つ。
「──折れた剣亭でどうだろう?」




