第12話 娼婦(前編)
「ラガン、お前──女は抱いてんのか?」
不意にバルドに問われて、俺は慌ててその口をふさぐ。
「ルシオンに聞こえたら、どうするのだ!」
いつものように、俺とバルドとロルフの三人で飲んでいたところ、ロルフが娼婦に入れあげているという話題から、こちらに飛び火したわけであるが──当然、酒場ではルシオンが給仕として働いているわけで、もしも今の問いがその耳に入れば、彼女がどれほど不機嫌になるやら知れたものではない。
「お前の声の方が、でかいじゃねえか」
バルドは俺の手を振り払いながら苦笑する。
「それで、抱いてんのか?」
「抱いてはおらん。そんな暇はない」
本音である。異国であるブロンダルで、ルシオンとともに生き延びるために、商隊の護衛やら、迷宮の魔物討伐やら、身を粉にして働いているのであるからして、たまに酒を飲むくらいの余裕はあれども、女を買う余裕などあろうはずもない。
「以前はそうでも、今は暇くらいあるだろう」
しつこい──この無体な追及は、話題に乗るまで続くのであろうな、と溜息で返す。
「ラガン、我慢はよくないぞ」
ついにはロルフまでもが、調子に乗って、からかいの声をあげる。
「お前は少し控えろ」
俺とバルドの二人に言われて、ロルフは苦笑いで返す。
「そうは言うけどよ──バルドだって、馴染みの女くらい、いるんだろ?」
「そりゃあ、まあなあ」
ロルフの問いに、バルドは曖昧に頷く。バルドに特定の相手がいるとは聞いたことがない──であれば、ロルフと同じく、彼も娼館通いをしているのであろう、と思う。
「だったらよ、今から行かねえか?」
「お前──たまにはいいこと言うなあ!」
二人は、互いに我が意を得たりと言わんばかりに、強く手を握り合う。
古来、酒に酔った男というのは、ろくなことはしないものである。
俺は、バルドとロルフに半ば無理やり連れ出されて、娼館に向かう。折れた剣亭から、迷宮通を横切り、さらにその裏通りに──二人は勝手知ったる様子で、ずんずんと進んでいく。
やがて、薄暗い通りに、ぼんやりとした灯りが浮かびあがり、娼館の建ち並ぶあたりに出る。見れば、周囲には、俺たちと同じく、冒険者然としたものの姿が多いように思える。
「ここらの娼館は、冒険者を相手にしてんだよ」
俺の視線に気づいたものか、バルドが訳知り顔で語る。
なるほど──迷宮通の裏通りにあるのは、あぶく銭を得た冒険者を狙い撃ちにしているということなのであろう。まんまと吸い寄せられた冒険者が、次々と娼婦に腕をからめとられて、娼館に連れ込まれていく。
「バルドの旦那!」
と──バルドに気づいた娼婦が、声をあげる。
バルドは、ここでも顔なのであろう、瞬く間に女たちに群がられて──それがまんざらでもないようで、だらしのない顔をする。
「ねえ、旦那! 今晩はあたしにしときなよ!」
「何よ! 次はあたしにするって約束してんのよ!」
女たちは、口々に言い争い、バルドの腕を引く。
「おいおい、喧嘩すんなって。まとめて面倒みてやるからよ」
バルドの豪気な宣言に、女たちはわざとらしい嬌声をあげる。
「ところで──こちらの素敵な旦那は?」
と──娼婦の一人が、バルドの傍らの俺の存在に、ようやく気づいたようで、媚びるような上目で問いかける。
「おい」
「──ラガンだ」
バルドにうながされて名乗ると、女たちは互いに牽制しあうように顔を見あわせて──いっせいに俺に群がって、先にバルドにそうしたように、今度は俺の腕を引き始める。女が嫌いなわけではないのであるが、こうも群がられると、さすがに辟易する。
「あちらにも男はおるぞ!」
言って、幾人かでもロルフに押しつけようとするのであるが──意外やロルフは女たちに目もくれず、誰かを探すかのようにあたりを見回している。
「──コレット!」
そして、ようやくその誰かを探しあてたようで、ロルフはその名を呼んで、童顔の娼婦に駆け寄る。
「ロルフ! また来てくれたの?」
女──コレットのその言葉に、どうやら馴染みの娼婦を探していたようであると知れる。
「おうよ! 本当は毎晩だって会いにきたいんだぜ!」
言って、ロルフはコレットを強く抱きしめる。
「ロルフの旦那は、本当にコレットがお気に入りだねえ」
「ああ、私にもロルフの旦那みたいな、一途な上客がいたらなあ」
女たちは、ロルフの純情を、うらやましそうに眺める。
「お前らには俺がいるだろうに」
バルドは、そんな女たちの肩を、好色そうな顔で抱く。
「あら、嫌だよ、旦那! 悋気だなんて!」
「あたしらは、バルドの旦那、ひとすじなんだから!」
女たちは、調子よく言って、バルドの胸に顔を寄せる。
「じゃあ──終わったら、酒場で会おう」
言って、バルドは両腕で女の肩を抱いて、我先に、と娼館に入る。
「ラガンもごゆっくりなあ」
ロルフも、コレットの肩を抱いて、その後ろに続く。
残された俺は、溜息を一つ。あやつら、俺が早すぎても、遅すぎても、からかうつもりであろうなあ、と邪推して──適度に時間をかけて出ることに決める。
俺は、腕を引く女たちを優しく振り払って──あまりがっついていない女を探す。個人的には、奥ゆかしい女が好きである。あたりをぐるりと見回す──と、娼館の扉の陰に隠れるように立っている、亜麻色の髪の女の姿が目に入る。俺は女に近づいて、その手を取る。
「名は何という?」
「イリーナ──です」
女は、不意に手を取られたからであろうか、驚きの顔で返す。
不思議な女である。娼館にいるのであるから、娼婦なのであろうに、先の女どもと異なり、俺にしなだれかかってくることも、色目を使ってくることもない。俺としては好都合である。この際、いくらかやる気のない女の方が助かる。
「お前を買おう」
俺の言葉に、女は驚いた顔をして──そして、やわらかく微笑む。
「不愛想な女がいいなんて、変わった旦那だねえ」
笑うとえくぼのできる、いい女である。
俺は、イリーナと連れ立って娼館に入る。扉の先の広間は、どうやら酒場のようになっていて──男たちは酒を飲みながら、娼婦と値段の交渉をしている。
俺たちは、酒場を横目に、二階に上がり、扉の開いた個室に入る。そして、互いに肌着姿になったところで──俺は驚愕の事態に直面する。
「──勃たぬ」
まさかのことに、唖然とする。
「あたし──そんなに魅力がない?」
イリーナは、自らの裸体を見下ろして、悲しそうにつぶやくのであるが──断じて、そんなことはない。彼女の起伏ある肢体は、俺からしても大変に魅力的であると感じているというのに。
「そうではない──俺には、妹がおってな」
その髪色のせいであろうか、どうしてもルシオンの顔がちらついてしまうのである。
「妹は戦災孤児のようなもの。おぬしのように、生きるために娼婦になっていたやもしれぬと思うと、何やら不憫でな」
不能の理由を告げると、イリーナはいくらか安心したのであろう、幼い笑顔をみせて──両手を広げて、俺をベッドに招き寄せる。誘われるまま、イリーナの隣に並んで、ベッドに横になると、彼女は俺の腕にふくよかな胸を寄せる。そのやわらかさは、大変に魅力的であるのだが──やはり、俺は役立たずのままである。
「妹さんは、旦那みたいな兄さんがいて、幸せもんだねえ」
「さあな──幸せかどうかまでは、わからぬよ」
自嘲して、俺は苦く笑う。
兄として──ルシオンのために、と奮闘しているつもりではあるが、それがどこまで助けになっているやら。彼女は俺を命の恩人と慕ってくれてはいるものの──結局のところ、彼女の本当の幸せは、両親とともに生きることであったろう。それは、もはや一生かなわぬ夢なのである。
「とにかく、すまぬな。いらぬ恥をかかせた詫びはする」
俺の腕を枕にするイリーナをそのまま抱き寄せて、頭をなでながら告げる。
「詫びって言われても、お代はいただいてるし──」
イリーナは、困ったようにつぶやいて──はたと思い出したように続ける。
「そういえば──困った客がいるの」




