第10話 旅のエルフ(後編)
「調査は夜が明けてからにしよう」
しばし森に分け入ったところで足を止めて、俺はリュシエルに呼びかける。夜の、しかも魔の森である。灯りを持っていたとしても、進むのは困難であろう、という判断である。リュシエルの同意を得て──俺は枯れ枝を集めて、火を起こす。焚火の煙は、森の木々に遮られて、周囲から見えることもあるまい。
夜の森は冷える。俺たちは焚火で暖をとりながら、夕食をとる──と言っても、手持ちの糧食は保存食である。俺は干し肉を、リュシエルは干した果実をかじる。リュシエルの語るところによると、彼女らエルフは、好んで肉類を食べることはないのだという。
「聞いてもよいか?」
俺の問いに、リュシエルは、どうぞ、と目で応える。
「なぜ、エルフの歴史を調べる?」
それはリュシエルにとって、意外な問いであったようで──彼女は思案するように、ううん、とうなり声をあげる。
「えっと、うまく説明できるかどうか、自信がないんですけど──飽いてるっていう感覚、わかりますかね?」
「わからん」
素直に答える俺に、リュシエルは、でしょうね、と笑う。
リュシエルの語るところによると、エルフは興味のあることに没頭すると、その長命ゆえに、すべてを堪能し尽くして、しまいには飽いてしまうのだという。彼女の場合は、エルフの来歴に興味を持ち、故国に残された史料を読み漁り、古代から現代にかけての歴史を明らかにしたのであるが、さらにその先──神代の歴史を知ることを切望し、海を渡ったのだという。
「今は、知りたくてたまらなかったものに手が届きそうで、わくわくしてますけど──すべてを知り終えたら、生きるのにも飽いちゃうかもしれません」
リュシエルは、そう冗談めかして、笑うのであるが、あながち嘘とも思えない。エルフの性分というのも、難儀なものであるなあ、と思う。
「ところで──」
と、リュシエルが話題を変える。
「ラガンは──どうしてベラトールを出たのですか?」
それは、おそらく何の気なしに発した問いである。勘のよい彼女は、俺がベラトールに詳しいことから、その秘した出身を察したのであろうが、俺は答えるより先に──思わず左目を閉じている。
「やめてくださいよ。聞かれたくないなら、聞きませんから」
左目を閉じることによって生じたわずかな殺気を、リュシエルは感じとっている──そう気づいて、俺は慌てて左目を開く。いくら過去を知られたからとて、彼女を斬るという選択は、すべての物事を斬って片づけるという発想に他ならず──いつのまにやら身に染みついてしまっている安易な殺意に、ぶるり、と震える。
「あまり人に話すようなことでもなくてな」
俺は、自らの行動を恥じて、言い訳がましく返す。
「わかりました。他言はしません」
しかし──リュシエルは、俺の殺意を、さして気にする様子もなく、笑顔で返す。その尋常ならざる達観に、目の前の美貌のエルフが、俺などよりよほど長く生きている長命種であることを、あらためて実感する。
「人のことは聞いておいて──すまぬな」
「事情は人それぞれ。お気になさらず」
失態を詫びる俺に、リュシエルは何事もなかったかのように返す。今は、彼女のそのエルフ特有とでも言うべき泰然とした態度がありがたい。
次の日──とうに朝日はのぼっているはずであるというのに、陽光は鬱蒼と茂る木々に遮られて、森は薄暗いままである。俺は、焚火の燃えさしを踏み消して、森の奥に足を向ける。
『──』
リュシエルが何やら唱える──と、光が宙に舞う。噂に聞く魔法の灯りというものであろうか、と好奇の目で眺める俺に、彼女は光の精霊を呼び出したのだと告げる。
光の精霊に導かれるように、俺たちは森の奥へと足を踏み入れる。
「魔物の気配は──ないな」
周囲に魔物の気配はない。念のため左目を閉じてみるが、線も見えない
森は、進むにつれて、どんどんと暗く──深くなっていく。闇は重く圧しかかり、ともすれば沈みがちになる気分を、ゆらゆらと踊るように舞う精霊の姿だけが、幾分かやわらげてくれる。
「──どうしたの?」
不意に──リュシエルが声をあげる。
見れば、前を飛ぶ光の精霊が、それより先に進めず、おろおろと宙をさまよっている。精霊の行く手を阻んでいるのは──薄い、膜であろうか。リュシエルは、その膜に手を伸ばして、そっと触れる。彼女の手はその膜に遮られて、それより先に伸ばすことはできないようである。
「──結界?」
そうつぶやく彼女につられるように、俺もその膜に手を伸ばす。
するとどうであろう。リュシエルの手はその膜に遮られているというのに、俺の手は膜を素通りして、その先に突き抜けているのである。
「──ラガン」
リュシエルが俺の胸のあたりを見ている。何事か、と視線を下げれば──懐で何かが光っている。俺は懐に手を入れて、その何か──腕輪を取り出す。
「それって──」
リュシエルは驚きの声をあげる。
それもそのはず。取り出した腕輪は、ぼう、と光を放ち、まるで生きているかのように、わずかに脈動しているのである。
「これが何か、知っておるのか?」
「わからない──わからないけど、尋常のものではないのは確かです」
エルフの歴史学者ともなれば、多くのことに精通しているであろうに、その彼女をしてわからないと言わしめるのであるからして──よくもそんな得体の知れぬものを俺に託してくれたものであるなあ、と今さらながらに父を恨めしく思う。
「ベラトールの、至宝──」
俺は腕輪を掲げて、ぽつりとつぶやく。
ともあれ──どうやら、この腕輪を携えているものは、結界を抜けることができるようである、と悟って──俺はリュシエルの手を取って、二人で結界を抜ける。
結界の先は──闇である。リュシエルは、先ほどと同じく、光の精霊を呼び出そうと試みるのであるが──何度呼びかけてみても、精霊が現れることはない。
「精霊が──いない」
リュシエルは、彼女にしてはめずらしく、うろたえるようにつぶやく。
「──引き返しましょう」
リュシエルの判断は早い。
俺には、精霊のことは、とんとわからぬのであるが──それでも、彼女の判断に否やはない。なぜならば──森の奥から滲み出るような尋常ならざる気配に、俺の全身が進むことを拒んでいるからである。
「この先を調べるには、準備が足りませんし──何より、二人では心もとないかもしれません」
「──同感だ」
俺は、得体の知れぬ空気に気圧されるように、小さく頷く。
「旅のエルフ」完/次話「剛剣」




