第10話 旅のエルフ(前編)
「おい! ラガン!」
階下の酒場に下りるなり、バルドに呼びとめられて、俺はそちらを見やる。
「こちらのお嬢さんに、リメルスのことを話して差しあげろ」
「おい、バルド──お前、まさか酔っているのか?」
俺に命令するバルドは、どう見ても酩酊している。酒豪としても知られるバルドが、いったいどうして、と驚きながら見れば──バルドの向かいには、見目麗しき女性の姿がある。
「こちらの方が、私と飲み比べをすると言い張りまして──」
申し訳なさそうに告げるその美貌に、ほう、と驚き──その長い耳を目にして、二度驚く。
エルフ──師匠以外のエルフを目にするのは初めてである。見た目には、ルシオンとそれほど変わらぬくらいに見えるというのに、バルドほどの酒豪を酔い潰すとは──バルドめ、見た目に騙されたと見える。
「これでも、間違いなく、あなたたちよりは長く生きてますよ」
エルフは、俺の好奇の視線に気づいたようで、溜息をつきながらそう告げる。
エルフは長寿であり、その見目は麗しいまま、変わることはないという。噂は本当であったか、と思う反面、俺の師匠──あの老エルフは、いったいどれほどの昔から生きているのであろう、というあきれも芽生える。
「私はリュシエルと申します。遥か西の大陸からやってきた──そうですね、歴史学者のようなものと思っていただければよいかと」
エルフ──リュシエルはそう続けて、俺は歴史学者であるという彼女に興味を抱いて、その隣に腰をおろす。
「リメルスの何が知りたい?」
俺が問うと、リュシエルは相好を崩す。先の言がなければ、俺よりも若いのではないかと思うほどの幼い笑顔である。よほど歴史が好きなのであろう、と思う。
「私は──かつてのエルフの故郷たる森を目指しているのです。リメルス王国の南端に接する森のことを教えてはいただけませんか?」
リュシエルの問いに、俺は首を傾げる。彼女は故郷たる森と言うが、リメルスの南端に接する森など、俺の知るかぎり魔の森だけである。
「魔の森のことを?」
「──魔の森?」
俺の答えに、今度はリュシエルが首を傾げる。どうやら、それぞれの認識に齟齬があると気づいて、俺は自身の知る魔の森の言い伝えについて、語って聞かせる。
「古のエルフは──魔物を統べる王とやらの出現により、故郷を捨てたということでしょうか?」
リュシエルの語るところによると、故国の文献に記された、かつてのエルフの故郷は、リメルスの南の森で間違いないとのことで──そうなると、彼女の想像は、もっともらしいようにも思えるのであるが。
「わからん。俺は、その森にかつてエルフが暮らしていたことすら、知らなかったわけだからな」
俺の知るかぎりでは、そのような話は聞いたこともないのである。確証のないことに、頷くわけにもいかぬ。
「魔物を統べる王ってのは──いや、長ったらしいな、その魔王ってのは、どうしていなくなっちまったんだ?」
と、今度はバルドが首を傾げながら割って入る。そのだらしのない姿を見かねたルシオンから手渡された水を飲んで、いくらかは酔いがさめたものと見える。
「ベラトールの伝承では、勇者ブルムの手により、打ち倒されたと言われている」
「勇者って──伝説だろ? そんなもん、実在したのかねえ?」
俺の返答に、バルドはいぶかしげに返すのであるが。
「勇者ブルムは実在しますよ」
リュシエルは、自信ありげに断言する。
「私の国には、エルフの祖の一人が、勇者ブルムとともに旅立ったという記録が残っていますから」
彼女がそう言うからには、そうなのであろうが──エルフというのは長命なだけあって、ずいぶんと過去の記録をしっかりと保存しているものであるなあ、と感心する。ベラトールの記録など、かろうじてブルム像が残っている程度で、文献の類はどこにも見当たらなかったというのに。
「魔の森──調査してみたいですね」
リュシエルは、まだ見ぬ森に思いを馳せるように、宙をみつめる。
「魔物は絶えて久しいと言われているが、森の奥がどうなっているかまでは保証できんぞ」
俺は、彼女の蛮勇を諫めるように、そう告げる。仮に、森の奥には、いまだ伝承と変わらず魔物が跋扈しているとすれば、エルフの細腕で何とかできるとは思えぬ。
「大丈夫です。私、精霊魔法の心得がありますから。結構強いんですよ」
しかし──リュシエルは俺の心配をよそに、ない胸を張って、ふん、と鼻を鳴らす。
なるほど──海を越えて、ここまでやってきたエルフがそう言うのであるから、それなりに腕は立つのであろう、と考えをあらためる。
「ほう──魔法使いは見たことがあるが、精霊魔法というのは初耳だな」
「魔法使いを見たことがあるのか?」
バルドの言に、俺は驚きの声をあげる。リメルスにも、魔法使いはいたのであるが、その数少ない魔法使いは皆、宮廷に仕えており、辺境のベラトールでは見ることさえかなわなかったのである。
「まあ──以前、迷宮でな」
バルドは、いらぬことを言ったとでもいうように、語尾を濁す。
迷宮で魔法使いを見たとは、いったいどのような状況であろうか、と疑問に思うのであるが──追及しても、詮なきことであろう、と思い直す。この様子では、バルドは口を割らぬ。話したくないことは、話さぬ男である。
俺はリュシエルに向き直り、話を続ける。
「もう一つ──魔の森に行くというのなら、ベラトールを訪れることになるが──彼の地は内乱により、情勢が不安定になっていると聞く」
ベラトール出身とは悟られぬよう、伝聞の体で語る。
「旅人を受け入れてくれるとはかぎらない、か」
リュシエルは、ふうむ、とうなりながら思案して──そして、よいことを思いついたというように手を打つ。
「ラガンさん、リメルスの情勢に、お詳しいんですよね」
「人並みにはな」
リュシエルの、過去を見透かすようなその瞳に、俺は思わず目をそらす。
「もしよろしければ──ラガンさんに道案内をお願いできませんか?」
無茶を言う。リメルスを──ましてやベラトールを訪れるなど、刺客にみつけてくれと言っているようなものである。さすがに断ろうとして──待てよ、と思い直す。
俺を狙う刺客からの連絡が途絶えたことで、俺が北にいることは知れたであろうから、逆に南に出向くというのは、敵の意表をついている。ベラトールがどうなったのかを探る好機でもある。そもそも、もとより逃げ回るだけというつもりもない。いつかは、ベラトールを滅ぼすに至ったすべてを斬り捨てるつもりである。
「報酬はそれなりにお支払いできると思いますよ」
リュシエルの提示した額は、ちょっとした道案内の報酬としては、破格のものである。俺は、その報酬に後押しされるように、リュシエルの依頼を受けることを決める。
「ラガンでいい」
「では、私のこともリュシエルとお呼びください」
それから数日、俺たちは旅の準備を整えて──そして、出立の朝、俺の前では、ルシオンが頬をふくらませて押し黙っている。
「ルシオン──それほど長く留守にするわけではない」
言って、俺はルシオンの頭をなでる。
ルシオンが不機嫌なのは、俺が少しばかり旅に出るから──ということだけが理由ではあるまい。どうやら、同行者たるリュシエルが、見目麗しきエルフであることも気に入らぬようで──兄をとられるような心持ちであろうか、と俺は苦笑する。
「きれいな顔をしてるが、そいつは婆さんだぞ」
バルドにも、ルシオンの不機嫌とその理由が知れたからであろう、心配はいらぬ、と笑いながら失礼なことを告げる。
「きれいという誉め言葉だけ受け取っておきます」
リュシエルは、バルドのような輩のエルフ弄りには慣れているようで、涼しい顔で受け流して、おほほ、と笑う。そのわざとらしさゆえか、不機嫌だったはずのルシオンまでが吹き出して──場の空気が和む。
「ラガン、いってらっしゃい」
「ああ、いってくる」
ルシオンの笑顔に見送られて、俺は酒場を出る。
旅立ちは、やはり笑顔の方がよい。




