第9話 妹の日
「──ルシオン」
迷宮街に滞在していた折の汚れを洗い流して、俺は久方ぶりにルシオンに顔を見せるのであるが──彼女は、俺など知らぬとでも言うように、ぷい、と横を向く。明らかに怒っている──はて、俺は何か怒られるようなことをしたのであろうか、と首をひねる。
「嬢ちゃんはな、お前のことを心配してたんだよ」
そんな俺を見て、バルドはいつもの席で酒を飲みながら、あきれるように告げる。
「心配などいらぬとバルドに伝えておったではないか」
「女心のわからん兄貴だねえ」
バルドは、俺の無粋を鼻で笑って──酒場の主たるバルドの態度に勢いづいたものか、常連たちも口々に続く。
「そうだそうだ!」
「ルシオンちゃんの身にもなってみろ!」
「お前の代わりに俺たちが兄貴になってもいいんだぞ!」
よい訳がない。
酒場のものは皆、ルシオンの味方である。そんなに俺が悪いというのか。
「さっさと詫びちまえ。男と女の諍いなんてな、どうせ男が悪いんだよ」
バルドは、自らを省みて思い当たることでもあるものか、しみじみと頷きながら、俺をたしなめる。
「そうだそうだ!」
「ルシオンちゃんを泣かせたら、黙ってないからな!」
「バルドが!」
バルドの威を借る常連どもめ。
俺は、バルドらの罵声に、半ば無理やり背を押されて。
「ルシオン──さん」
「──何?」
おそるおそる呼びかける俺に、ルシオンは氷のように冷たい視線で応える。
「その──ちょっとお金を稼いできたので、買い物にでも出かけてみないかな、と」
「ラガンが──私に何か買ってくれるってこと?」
ルシオンは、先よりはいくからましな目で、期待を込めて尋ねる。
「そういうことになる」
俺は、ルシオンの機嫌が直るのならば、安いものである、と頷く。
「──事情はわかった」
俺の話を聞いて、ゴドーは深々と頷く。
「だが──なぜにそこで鍛冶屋にくる?」
「俺は他に店を知らぬ」
俺は、いまだ不機嫌そうなルシオンと連れ立って、ゴドーの鍛冶屋にいる。万に一つ、女の喜びそうな装飾品なども売っているのではないかという期待からの訪問であったが、店には無骨な武具が並ぶばかり。
俺は、背に刺さるルシオンの怒気に気圧されて、ゴドーに迫る。
「何か、年頃の娘が喜ぶようなものはつくれぬのか?」
「無茶を言いよる」
ゴドーは渋い顔で返しながらも、店の奥に引っ込んで、何やら豪奢な箱を持って戻る。
ゴドーがおもむろに箱を開けると。
「わあ──」
俺の後ろからその様をのぞき込んでいたルシオンが、感嘆の声をもらす。
「──きれい」
箱の中には短剣が収められている。短剣には精緻な装飾が施されており、研ぎ澄まされた刃は宝石のように美しい。ルシオンが見惚れるのも無理はない。
「以前、貴族に頼まれてつくった護身用の短剣じゃ」
ゴドーの語るところによると、貴族の子女の護身用に、と頼まれてつくったはいいが──その貴族、何をしでかしたものか、お家を取り潰されることとなり、短剣だけが残ってしまったのだという。
「貴族に頼まれてつくったということは──」
「当然、高い」
ゴドーの提示する短剣の価格は、貴族用というだけあって、懐に厳しい。払えないことはないのであるが、払ってしまうと、いささか心もとなくなるのも事実。
「──分割で支払ってもよいか?」
短剣に見惚れるルシオンを前に、買わぬという選択肢はない。
「ま、よかろう。早めにな」
ゴドーはあわれむように言って──俺は、思わぬ出費に、再び迷宮に潜ることを決意する。
ゴドーの店を出て、金槌小路を並んで歩く。ルシオンは、何度も短剣を掲げては、それが陽光にきらめくたびに、頬を緩めている。
「往来では鞘から抜くなよ」
「そんなことしないよう!」
子ども扱いをするな、とルシオンは頬をふくらませるのであるが、その様はいかにも子どもである。俺は微笑しながら、彼女の横顔を見守って──はっとその気配に気づく。
尾けられている。
俺としたことが、ルシオンの機嫌を気にするあまり、今のいままで尾行に気づかなかったとは──自らの不覚に恥じ入る。
俺は後ろを振り向いて、追手の姿を探す──が、通りの雑踏にまぎれているのであろう、誰が追手なのかを特定するまでには至らない。
「少し走るぞ」
「──え?」
事情の呑み込めぬルシオンの手を引いて、通りを駆ける。
通りを折れて、人気のない裏通りを行き、水路にかかる石橋の上で足を止めて──ルシオンを背にかばうようにして振り返る。
「頭巾をかぶれ。顔を見せるな」
ルシオンに指示して、俺は曲刀の柄に手をかける。
「後ろの娘──よほど大切と見える」
追手の男は、息も切らさずついてきて、石橋のたもとから俺をにらみつける。
「この街でラシードが消えた」
男の一言で、すべてを悟る。ラシードには、仲間がいたのである。仲間が戻らぬとなれば、残されたものがいぶかしむのは必然。
「ラシードほどの男がやられたとなれば、きっと十剣のラガンとまみえたに違いないと思っておったぞ」
言って、男はおもむろに剣を抜く。その構えからするに、ジャハーン卿の門下ではない。おそらく、十剣の一人──ヴァルドレイ卿の門下であろう、と当たりをつける。つまり、十剣の高弟が二人、刺客として差し向けられたわけである。ずいぶん高く買われたものであるなあ、と苦笑する。
「心配するな──しばし、目を閉じていろ」
後ろで震えるルシオンに言って──俺も左目を閉じる。
俺は、石橋の欄干を背にして、曲刀を下段に構える。下段というのは、相手の足を狙う構えであり、あまり正攻法とは言えぬ。男は、俺の構えを見て、奇策に走ったとでも思ったのであろう、鼻で笑って──対するように上段に構える。それは、ヴァルドレイ門下の得意とする、一撃必殺の構えである。
下段対上段──普通であれば、足を斬る間に頭を割られることになるのであろうが──俺の剣は普通ではない。下段に構えたまま、間合いを詰めて──曲刀を跳ねあげる。狙いは足ではない。男は、俺のさらなる奇策にも動じることなく、上段から剣を振り下ろす。俺の狙いが何であれ、先に頭を割ればよいという、迷いのない剣筋──しかし、俺の狙いは、まさに男のその剣なのである。
俺は、線をなぞって男の剣を両断し、返す刀で脇腹を斬る。男の臓腑が、ずるり、と飛び出して──そのまま男の背を蹴り飛ばして、石橋から水路に落とす。下流に流れていく男の骸を見送って、ようやく息をつく。
「目を開けていいぞ」
ルシオンに声をかけながら、血振りをして、曲刀を鞘におさめる。石橋の欄干に、いくらか血が飛び散ってはいるものの、人が斬られたと気づくものもおるまい。
「あの人、何で私たちを狙ったの?」
「私たち、ではない。俺を狙ったのだ」
脅えるルシオンを安心させるため、俺を、と強調して返す。
「ラガンは、どうして狙われているの?」
「さあ──俺にも正確なところはわからん。だが、それはベラトールが滅ぼされたのと同じ理由なのであろう」
ルシオンの問いに、俺はとっさに嘘をつく。
刺客の狙いは、俺の命とベラトールの至宝──おそらくは、父の命で勇者ブルム像から外した、あの腕輪であろう。だが、その腕輪を俺が持っていることは、ルシオンは知らぬ方がよい。そう考えながら──俺は懐をなでて、件の腕輪がそこにあることを確かめる。
ルシオンは、思いつめたように、俺の腕を引いて。
「ラガン──私にも戦い方を教えて」
と、俺の目を見て、神妙な顔で告げる。
「それは──」
俺は言いよどむ。
戦い方など、年若い娘に教えることではない──そう返そうとしたところで、ルシオンの瞳の奥に宿る炎を見て取って、思い直す。彼女とて、家族の復讐を誓う、ベラトールの生き残りの一人なのである。
「──あくまで護身用でよければ」
「やったあ!」
ルシオンは、あるいは断られるやも、と思っていたのであろう、俺の答えに飛びあがって喜ぶ。
「逃げるための術を教えるのだからな」
「それでもうれしい!」
言って、ルシオンは俺の腕に飛びつく。俺は溜息をつきながら、その頭をくしゃりとなでて──彼女に教える護身術が、役に立つような日がこなければよい、と願う。
「妹の日」完/次話「旅のエルフ」




