第8話 迷宮街(後編)
俺は、マルクスとともに、二層に下りる。マルクスは、迷宮は初めてであろうに、それほど脅える様子もなくついてくる。先の用心棒の折には、あれほど刺客に脅えていたことを思うに、今は俺の剣の腕を知って、安心しきっているというところであろう。まったく、図太い男である。
俺は二層をぐるりと回って、何体かのゴブリンを斬り捨てて──はて、と首をひねる。若旦那とやらの姿は、どこにも見当たらないのである。
「まさか──北東に向かったのではあるまいな」
「北東だと、何かまずいことが?」
俺の独り言を耳にして、マルクスが問う。
「ゴブリンの──集落のようなものがある。駆け出しには、ちと荷が重い」
俺の想像どおり、若旦那が北東の集落に向かったのだとしたら、雇った冒険者の腕次第では危うい。
「急ぐぞ」
俺はマルクスを急かして、北東に駆ける。
ゴブリンの集落に近づくにつれて、剣戟の音が響く。通路を折れて広間に出ると、冒険者の一行とゴブリンの群れの交戦する様が、目に飛び込んでくる。ゴブリンの群れの中には、変異種──ホブゴブリンが二匹もおり、すでにほとんどの冒険者が物言わぬ屍となって、地に転がっている。
「マリス坊ちゃん!」
嫌な予感は的中──息を切らして追いついたマルクスが、冒険者の生き残りの中に若旦那の姿を認めて、叫び声をあげる。
若旦那──マリス坊ちゃんの目の前で、ホブゴブリンが腕を払い、彼をかばった冒険者が吹き飛んで、壁に叩きつけられて絶命する。
「助けろ! 俺を助けろ!」
マリス坊ちゃんは、マルクスの存在に気づいたようで、失禁しながら助けを求める。
「やれやれ──」
銀秤商会ほどの大店でも、番頭はともかくも、若旦那がこれでは、将来が危ぶまれるというものである。
俺は、若旦那をかばうように前に出て、曲刀を抜く。ホブゴブリンが──二匹、冒険者を殺して手に入れたものであろう、錆びた剣を構えて、こちらを威嚇するように吠える。
ホブゴブリンは、並のゴブリンと比して、遥かに頑丈である。ゆえに、こちらの攻撃を意に介することなく反撃してくるところが厄介なのであるが──それも、相手が俺でなければの話である。
俺は左目を閉じて──ホブゴブリンの胴に見える線を斬る、と意識して、目で線をなぞる。ホブゴブリンは、俺の幻惑の一撃を受けようとしたものか、明後日の方に剣を振るって──俺は、その隙に、相手の懐に潜り込み、曲刀で脚に見える線をなぞる。返す刀で、もう一匹の脚の線もなぞって──二匹は脚を両断されて、地に転がる。
ホブゴブリンは、もはや立ちあがることもできぬであろうに、それでもなお敵意を剥き出しにして、地べたを転がりながら剣を振るう──が、そんな児戯が通用するほど、俺の剣はぬるくはない。
俺は、ホブゴブリンの一撃を、曲刀でいなして──そのまま、奴の胴の線をなぞる。ホブゴブリンは、腹をかっさばかれて、腸をぶちまけながら絶命する。もう一匹──向き直ると、ホブゴブリンは、地べたを這いずりながら、逃げている。しかし、その図体で、しかも脚がないのでは、逃げられようはずもない。俺はすぐに追いついて、ホブゴブリンの首筋の線をなぞる。これで二匹──先のホブゴブリン討伐の報酬もまだ残っているというのに、さらに二匹である。思わぬ収入である。
「ホブゴブリンを二匹、それも一人で──」
マルクスは呆けたようにつぶやいて──そして、はっと我に返ったようで、慌ててマリス坊ちゃんに駆け寄って、肩を貸して助け起こす。
俺は、腸をぶちまけて絶命したホブゴブリンの首を刎ねて、雑嚢に放り込む。こんなこともあろうかと、先にホブゴブリンを討伐した折、帰り道に迷宮通で買っておいた雑嚢である。
「もう一つは──と」
つぶやきながら、俺はあたりを見回して、もう一匹の首を探す。先ほど斬り飛ばした折、瓦礫の方に転がっていったのは、視界の端でとらえていたのであるが、血の跡はあれども、首はなし。瓦礫の奥にでも転がったのであろう、とそちらに足を向けて──俺は異臭に顔をしかめる。そこには、ホブゴブリンの首とともに、奴らに食い散らかされたと思しき骸が転がっている
「こんなところに──骸か?」
「先のホブゴブリンどもにやられたのでしょうなあ」
マルクスは、マリス坊ちゃんの無事を確かめて安心したようで、俺の後ろから、のんきに骸をのぞき込む。
俺は、腐臭をこらえながら、冒険者と思しき骸のそばに屈み込む。何か名前のわかるものでも持っていれば、もう帰らぬものとして衛兵に報告できるであろう、と曲刀の先で外套をめくって──そうして、その骸が、ただの冒険者ではないことに気づく。
「──罪人か」
腐りかけの肌には、咎人であることを示す入れ墨が、かろうじて残っている。それも一つではない。残っているものだけでも、四つは見て取れるのであるからして、相当の悪人であったことが知れる。まあ──そういうことであれば、ホブゴブリンも世直しに一役買ったということになるのかもしれんな、と苦笑する。
「ラガン殿──その骸、何か持っておりますよ」
マルクスは、鼻をつまみながら骸をのぞき込んで、その右手のあたりを指す。
確かに──マルクスの言うとおり、骸は大切そうに何かを握りしめている。とはいえ、腐りかけの手である。ちょい、と曲刀の先で突くと、ごろり、と何かが転がり落ちる。
俺は、腐肉にまみれたその何かをつまんで、拾いあげる。
「これは──鍵、か?」
「普通の鍵ではありませんな」
マルクスの言うとおり、それは見慣れた鍵ではない。大きく、太く──まるで見たこともないような巨大な扉を開けるための鍵にも思える。
「これは、もしや──迷宮の鍵では?」
マルクスの指摘に、俺は首を傾げる。
俺は、その奇怪な鍵を、しげしげと眺めて──いつか何かの役に立つやもしれぬ、と懐にしまい込むのであった。
「迷宮街」完/次話「妹の日」




