第6話 腕試し(前編)
俺は、左目を失ったことで、師匠の見ている世界に足を踏み入れた。しかし、思い返してみるに、師匠の強さは、線が見えるだけでは、説明のつかないことも多い。
なるほど、大人の胴ほどもある立ち木を、たやすく両断していたのは、確かに線が見えるゆえであろう、と思う。しかし、幾度かの立ち合いの折、俺を幻惑した技の数々は、ちょっと考えたところでは、線が見えることとは関係がないようにも思える。
俺は、自身が師匠の背中にどこまで追いつくことができたのか──それを知りたくて、迷宮に潜る決意をする。
「──ルシオン」
俺は、朝の身支度を整えているルシオンに、仰々しく呼びかける。
「なあに?」
「小遣いだ。暇があれば、街を見てまわるといい」
櫛で髪をとかしながら振り向くルシオンに、俺は銀貨を差し出す。
思えば、貯えができるまでは、とルシオンに酒場の給仕として、ずいぶんと無理をさせてしまったと後悔しているのである。
「お小遣いなんてもらわなくても、クラウスさんからちゃんとお給金をもらってるよう」
言って、ルシオンは遠慮がちに首を振る。
「しかし──兄妹だというのに、あまりかまってやっておらぬしなあ」
かまってやっておらぬ分、せめて小遣いでも、という兄心である。
「私のことなら心配いらないよ。友達だって、できたんだから」
「──何?」
ルシオンは聞き捨てならないことを言う。
「もしや──」
その友達とやらが男であれば、彼女の父親たるハンスとの誓いにかけて、まずは俺がその人となりを見きわめてやらねばなるまい。
「女の子だよう」
ルシオンは、そんな俺の考えを見透かしたように、からからと笑う。
「野菜を売りにくる、近くの村の女の子。今度、一緒に市場をめぐろうって話してたところだから──じゃあ、遠慮なくラガンのお小遣いのお世話になるね」
そう言って、ルシオンはようやく俺からの小遣いを受け取る。
ルシオンのその気配りに、俺は内心、感嘆する。まったく、これではどちらが兄やらわからぬ、と苦笑して──喜べ、ハンス、ルシオンは俺が面倒を見るまでもなく立派に育っておるぞ、と天を見あげる。宿屋の天井であるが。
「ちょっと出てくる」
俺は、行き先を濁して──ルシオンに見送られて、迷宮に向かう。
今回は腕試しが目的であるから、二層より先に進むつもりはない。それほど備えもいるまい、と迷宮通を素通りして──衛兵の詰所で名を記す。
「一人で潜るのか?」
衛兵は、さすがに一人では死にに行くようなものとでも思ったものか、そう問い質す。
「いや、迷宮街に用があるだけだ」
「──あまり入り浸らん方がよいぞ」
衛兵はたしなめるように言って、俺は神妙に頷いて返す。
迷宮街には、ありとあらゆる違法なものがあふれている。自らの命すら賭けかねない常軌を逸した賭博、年端もいかぬ少女の売春、そして奴隷の売買まで──悪党どもは、迷宮法のもとでは合法とうそぶいて、蛮行を正当化しているという。時折、衛兵による手入れもあると聞くが、それで悪党どもが一掃されたとしても、迷宮に冒険者のあるかぎり、また新たな迷宮街が形成されてしまうのだという。
俺は、何やら怪しげなものを売りつけようと声をかけてくる、いかがわしい連中を無視して、迷宮街を通り過ぎて──そのまま二層に下りる。
二層の北東の瓦礫のあたりには、ゴブリンの数が多い──バルドはそう言っていた。いくら数が多いとはいえ、ゴブリン相手に不覚は取らぬであろうから、実力を測る相手としては、ちょうどよかろう、と思う。
俺は、北東を目指して、通路を進む。前回のバルドの案内もあって、二層の回廊を目印にすれば、おおよその方角の見当もつく。
そうして、しばらく通路を行くと、ところどころ迷宮の壁がひび割れていることに気づく。どうやら、地上の大樹の根が、年月を経て、迷宮の石造りの壁を、地中から壊しているようで、進むにつれて、壁向こうの土が剥き出しになっており──迷宮と言うよりも、洞窟の様相を呈し始める。
壊れた壁は、通路に散乱して、瓦礫の山となっており──死角も多い。俺は歩調を緩めて、曲刀の柄に手を当てて、いつでも抜けるように構えながら、すり足で進む。
そのときである──瞬きの拍子に、瓦礫の向こうに線を見たような気がして、足を止める。左目を閉じる。気のせいではない。瓦礫の向こうに、確かに線が見える。線は、俺の視界で、ゆらりと揺らいで──次いで、瓦礫を乗り越えて現れたのは、群れからはぐれたのであろうか、一匹のゴブリンである。
なるほど──敵の身体に斬るべき線が見えるということは、逆に言えば線が見えるところには敵がいるということ。俺の感覚の及ぶ範囲であれば、線を見るだけで、容易に索敵できるというわけである。俺は松明を足もとに置いて、いまだこちらに気づかぬ様子のゴブリンに死角から近寄り、肩から心臓にかけて、一刀のもとに斬り飛ばす。ゴブリンは、声を発する間もなく息絶えて──周囲に仲間が現れる気配もなく、ふう、と息をついて、曲刀を鞘におさめる。
俺は松明を拾いながら屈み込んで、ゴブリンの死骸をつぶさに眺める。身体のつくりは、人のそれと大差ない──ということは、急所も大差ないということであろう、と理解する。
「──そういえば」
迷宮の魔物を討伐して、その証明として身体の部位を持ち帰れば、幾ばくかの報酬が得られるということを思い出す。ゴブリンであれば──首では大仰であろうから、耳あたりが適当であろうか。とはいえ、それ専用の袋でも用立てなければ、少なくとも懐に入れる気にはならぬ。あとで必要な分だけ回収すればよかろう、と判断して──俺はゴブリンの死骸を素通りして、瓦礫を乗り越えて、その奥へと踏み入る。




