第5話 迷宮法(中編)
俺たちは迷宮に続く階段を下りる。階段は、それほど長くはなく──ブロンダルの都の、ほんの薄皮一枚下には、地の底まで続くという迷宮があるのだという実感を覚える。
階段を下りた先は、大きな通路になっている。バルドが散々脅すものだから、どれほど恐ろしいところかと身構えていたのであるが──通路の壁には、煌々と松明が灯っており、その灯りに照らされて、大勢の冒険者の姿が見て取れる。いや──それどころか、先までの迷宮通と同じく、露店まで並んでいるではないか。
「驚いただろ」
バルドは、したり顔で振り返る。
「ここは『迷宮街』って呼ばれてる」
その呼び名のとおり、ここは街である。行き交う冒険者の多くは、もう何日も迷宮から出ていないのであろう、皆一様に異臭を放ちながら、あるものは露店で食料を値切り、またあるものは鍛冶師に剣を研がせている。どれも地上に出れば事足りるであろうに、まさかその手間を省くことに、迷宮に街を築いてしまうほどの需要があろうとは。
「迷宮に憑りつかれた冒険者は、迷宮から出るのを惜しむ──だから、こういう商売も成り立つってわけだなあ」
言いながら、バルドは露店の並ぶ通路を折れて、広間のような大部屋に出る。
「おい──宿屋まであるぞ」
俺は思わず声をあげる。
大部屋の壁沿いは、布で仕切られていて、いくつかの部屋のようになっており──旗のように掲げられたぼろ布には、確かに宿屋と記されているのである。布の仕切りの向こうには、ぼんやりと灯りが揺れる。迷宮に宿屋があることにも、意外に客が入っていることにも驚いてしまう。
「格安だからな。迷宮に長居するには、都合がいいらしい」
驚く俺の顔を見て、バルドは楽しそうに笑う。
大部屋を抜けて、何度か通路を折れる──と、迷宮街は次第に閑散としていく。露店の数は減り、それにともなって行き交う冒険者の数も減る。代わりに現れるのは、迷宮の隅で野営する冒険者たちの姿である。おそらくは、先ほどの宿屋に泊まる金すらないものたちであろう、彼らは見るからに憔悴しきっており、さっさと迷宮を出た方が身のためではなかろうか、と思わないでもない。
さらに通路を進むと、やがて野営するものの姿もなくなり──目の前に、下層に通ずる階段が現れる。階段のそばには、物乞いのようにも思える、みすぼらしい男が座り込んでおり、いささか不気味に映る。
「街はここで終わり──この階段を下りれば、正真正銘、魔物の蠢く迷宮ってわけだ」
言って、バルドは階段に向けて、足を踏み出す。
「──遺言はあるか?」
と──問いかけるのは、階段のそばの物乞いである。バルドは男の問いには答えず、ひらひらと手を振って通り過ぎる。
「あれは──何だ?」
「あれは遺言屋だな」
バルドの説明によると、こういうことらしい。迷宮の二層に潜る前に、遺言を書いて、金とともに預ける。無事に戻れば、預けた金の一部が返ってくる。定めた期日までに戻らなければ、事前に指定した場所に遺言を届けてくれる。死と隣りあわせの迷宮であるからこそ成り立つ商売であると言えよう。
「よくそんな商売を考えるものだなあ」
「あんなもん、半分は詐欺だぞ」
感心する俺に、バルドはそっけなく返す。
「まともな遺言屋もいるにはいるが、金だけ持ち逃げするような輩もいる。迷宮街では常に気を抜かんことだな」
神妙な顔で告げるバルドに続いて、俺はいつもよりも慎重な足取りで階段を下りる。
「さすが──ゴブリン程度じゃあ、相手にならんな」
二層に下りて、何体目かのゴブリンを屠ったところで、バルドが感心するようにつぶやく。バルドほどの男に褒められると、さすがにわるい気はしない──が、そもそもゴブリン程度であれば、開眼する以前から俺の相手ではないのであるからして、物足りぬのも事実である。
「ゴブリン以外はおらんのか?」
「二層に現れるのはゴブリンのみ──ただし、北東の瓦礫のあたりは、数が多いからな。近寄らん方がいいぞ」
俺の問いに、バルドはそう答えながら、北東に続くであろう通路を指し示す。
「よく方角がわかるものだな」
迷宮は、そう呼ばれるだけのことはあって、相当に入り組んだつくりをしている。慣れると目印になるものを覚えて、方角もわかるようになる、とはバルドの談であるが。
「例えば、ここは二層の回廊なんて呼ばれてる。回廊は東西に長く伸びているから、北東はあちらということになるわけだな」
バルドは簡単そうに言うのであるが、地図でもなければとても覚えられそうにない。
しかし──バルドの語るところによると、迷宮の地図は目の飛び出るような高値で取引されているのだという。とはいえ、それも四層くらいまでの地図がせいぜいで、それより下層のものとなると、それ自体が財産のような扱いになるようで──仲間以外にその地図をもらしたことで、殺されたものすらいるというのである。
「まあ、地道に経験を重ねて、自分の頭の中に地図を描くのが、もっとも安全ってこったな」
そう言うバルドの頭の中には、しっかりと地図が描かれているのであろう、彼は迷いのない足取りで、奥へ奥へと進んでいく。
「迷宮とは、どこまで続いているのだ?」
「それを知る者は、誰もいねえよ」
バルドは振り返りもせずに、苦笑でもって返す。
「聞き方を変えよう。もっとも深く潜った冒険者は、何層までたどりついているのだ?」
「上級の冒険者で、十層まで──そこから先を見たものはいねえ」
バルドは、噂で聞いた話、と前置きをしながら答えるのであるが──俺には、目の前の男こそ、その十層とやらを見たものなのではないか、と思えてならない。
俺たちは、腕試しも兼ねて回廊をぐるりとまわり──徘徊するゴブリンをあらかた倒し終えたあたりで、冒険者の一行とすれ違う。
「ラガン!」
と──不意に名を呼ばれて振り向けば、そこには何度か護衛依頼をともにしたロルフの禿頭がある。
「おお、ロルフか。息災で何より」
「お前もな」
ロルフは、仲間であろう同行者のもとを離れて、嬉々として俺のところに駆けてくる。
「護衛はどうした? 迷宮探索に鞍替えか?」
「迷宮の方が儲かるって聞いたもんだからよ」
俺の問いに、ロルフはあっけらかんと答える。その様を見るに、先までの俺同様、迷宮がいかに危険なところかという認識はないようである。
「ラガンの方こそ、バルドと一緒に迷宮探索か?」
「いや、今日はバルドに迷宮の案内を頼んでおってな」
ロルフの問いに、俺は経緯を説明する。
「そういうこった。おもりだ、おもり」
バルドはおどけるようにそう言って──俺たちは他愛のない言葉を交わす。
「ロルフ──そろそろ行くぞ」
「おうよ!」
ロルフは仲間に急かされて──じゃあな、と別れを告げて、迷宮の奥に進む。
「今の冒険者──ちょっと気にかかるな」
バルドは、ロルフの背中を見送りながら、ぽつりとつぶやく。
「ロルフが?」
「いや、あの禿じゃねえ。その連れの方だ」
言って、バルドは顔をしかめる。
「迷宮では人間にも気をつけろって言ったろ」
バルドは、ロルフの仲間と思しき四人の背中を、じろりとにらみ──俺は左目を閉じて、彼らを見る。
「迷宮には地上の法は届かねえ。目撃者さえ消してしまえば、何とでもなる──そんな状況を揶揄して、迷宮法なんて言う輩もいるくらいだ」
迷宮法とは、詭弁が過ぎる。それでは単なる無法ではないか。
「国は動かんのか?」
「衛兵に迷宮を巡回させるってか? それがかなわないからこそ、くるもの拒まずの迷宮なんだぜ」
あまりの惨状に、俺はお上に苦言を呈するのであるが、バルドはそれを一笑に付す。
確かに──衛兵で事足りるのであれば、そもそも冒険者を駆り出す必要もない。官憲の手が届かぬからこその無法──迷宮法というわけであろう。俺は、迷宮探索を甘く見ていたことを認める。バルドくらいの警戒心を持って臨まなければ、早死にするのは己である。
「して──先の冒険者が気にかかる、とは?」
「ロルフと、他の冒険者の力量が違いすぎる」
バルドの慧眼に、俺は思わず、ほう、とうなる。確かに、線を見るかぎり、バルドの見立ては完全に正しいのである。
「明らかに劣るロルフを仲間にする理由がない。深層での捨て石にするつもりか、それとも身ぐるみを剥いで殺すつもりか」
「考えすぎではないのか?」
先の冒険者──見た目には、特に不審なところはなかった──ように思う。
「俺は迷宮に毒されているからな。そうかもしれん──が、そうでないかもしれん」
迷宮における勘は、バルドの方が冴えている。
「どうする?」
バルドに問われて──俺はロルフの憎めない禿頭を思い起こして、溜息とともに、後を追うことに決める。




