第62章:茶太郎ちゃんの本当の命日について
・・・ここで、読者の皆様へ、
重要な事実をお伝えしなくてはならない。
ぼくが工場での15時間の夜勤勤務を終え、
宇都宮市郊外の道場宿緑地公園のジャリ駐車場で、3時間もの長い仮眠をしたのちに帰宅し・・・
ようやく、愛する茶太郎ちゃんと再会した、ということを述べた。
・・・しかしながら、
茶太郎ちゃんが亡くなったのは、実はこの朝・・・
すなわち、12月2日の朝ではなかった。
それは、
のちに帰宅した母から聞かされた、重い事実から判明した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・12月1日早朝。
ぼくは、この日、
まだすやすやと眠る、毛布で保温されて様子が見えないケージの中の茶太郎ちゃんの姿を見ることなく、出勤した。
小声で、
「じゃ、茶太郎ちゃん・・・行ってくるよ。」
と告げて。
疲れてぐっすりと眠っている彼を、むやみに起こしてはならぬという、ぼくの判断だったのだ。
事実、こうした場合の早朝出勤の場合、
茶太郎ちゃんの朝の世話は、母にすべてまかせ、一任していたのだ。
ぼくは・・・
12月1日の朝に、出勤後の茶太郎ちゃんに、その後起こった「異変」を知ることなく、
彼に会うこともなく・・・
そのまま出勤していたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・茶太郎ちゃんの最期を看取ったのは、
ほかならぬ母だった。
彼女の話によると、
ぼくが出勤してからまもなく、
茶太郎ちゃんの様子を見にいった母が・・・
トレーニングルームから聞こえる、異様な悲鳴・・・
いや、鳴き声を耳にした、というのだ。
「ギャーッ、ギャーッ!!」という、
これまで聞いたことのない苦痛に満ちた・・・
まるで、魂の叫び声のような・・・
茶太郎ちゃんが苦しむ声だった。
母が駆け寄って、あわててケージにかけられていた青い毛布を取り除くと・・・
それからほどなくして、
茶太郎ちゃんが、静かに息を引き取ったそうだ。
「・・・きっと、チャーくん、最後は苦しかったんだろうね。でもね、茂雄。その苦しみの時間は、長くはなかったんだよ。それにね、すごく、おだやかな死に顔だったもの・・・。でも・・・半年間も、よくがんばったよね・・・。」
母は、そういって、
さめざめと泣いた。
ぼくも泣いた。
茶太郎ちゃんの死に目に会えなかったのは、とっても悲しいことだったが・・・
かわりに、
母が彼を看取ってくれていたのだ。
工場の夜勤勤務中のぼくに、あえて電話で連絡することをしなかったのは・・・それは・・・
ぼくが取り乱して、勤務に、
その日与えられた任務に、支障をきたさないようにすることと・・・
なによりもまた、
それを知ったぼくを思いやり・・・
工場に閉じ込められ、茶太郎ちゃんに一刻も早く会いたいのに、会いに抜けだすこともできない、
勤務を放り出すこともできないぼくに・・・
残酷で、長くつらい時間を味わわせないようにしてくれた、母なりの配慮と、ぼくへの深い愛情だったに、ほかならない。
・・・こうして茶太郎ちゃんは、
ぼくが出勤した朝・・・
すなわち、
2019年12月1日の朝、
神様のもとへ・・・
天国へと、静かに旅立っていった。
m(_ _)m




