第30章:高久コーポ裏に居住する、クソッタレ野郎のお話
・・・お題目のタイトルで、いともたやすく個人情報や住所を特定されてしまうおそれはあるが、
そこまでして、このクソ野郎のことを追跡しようとする方もおらぬだろうしな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ぼくが暮らしていた、幽霊アパート『高久コーポ』。
ぼくの3号室のすぐ裏手に、一軒の民家があった。
たぶん、何も住人に異常事態でもなければ、いまもその場所にあるはずだ。
実はここには、ぼくを最後の最後に激怒させたバカ野郎がいた。
前章の吉田さんと、年があまり変わらないと思われる老人男性だ。
「思われる」というのは、実は、そいつの素顔をハッキリと見たことがなかったからだ。
野郎の家のスリガラス越しに、姿を見ていたからなんだ。
わが3号室にも、スリガラスがはめられていたのだが・・・
性能が悪く、ほとんど丸見えの粗悪なものだった。
おまけにぼくは、貧乏だったのでカーテンもつけられず、ダイソーで買った『ヨシズ』やでっかい色紙で隠して、そのジジイからプライバシーを守っていた。
しかし、洗濯物をベランダに干すのに不便だから、のちにとっぱらってしまった。
向かいの住人のジジイは、ぼくがノートパソコンをいじったり、茶太郎ちゃんの世話をしたりと、何か動きがあるたびごとに、
自分のスリガラスの前に椅子を持ってきて、じーっとぼくを観察していた。
その様子がこっちから見えるということは・・・
そいつから、ぼくらの様子も、手にとるようにわかるということだからね。
(うわぁ・・・マジで、このジイ様、気持ちわりぃ。うぜぇ、やめろよ、この野郎・・・。)
実際、部屋の中で、言葉に出して、そう言ったこともある。
もちろん、野郎の耳にも入っていたろう。
向こうの生活音も、容赦なく聞こえてきていたからね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ぼくは、ノートパソコンで音楽を聴くのが好きだ。
3号室にもネットをつないでいたから、
YouTubeの松田聖子さんのライブ動画などを、イヤホンもヘッドホンもせずに、控えめな音量ながら、そのまま視聴。
もともとぼくは、汗かきだし、そのような、直接耳につけるような小道具を好まない。
ぼくが音楽を流しはじめると、必ず野郎は、スリガラスの前に椅子をわざわざ持ってきて座り、
スリガラス越しに、ぼくの好みの曲などを、興味深げに聴いていた。
でもやがて、
「なぁ、にいちゃんよぉ。聖子もいいが、どうせなら、たまには俺の好きな美空ひばりさんあたりの『ド演歌』でも流してくんねぇかなぁ??」
といわんばかりのイライラした態度を見せるようになる。
そしてある日のこと。
仕事の疲れから、茶太郎ちゃんの世話をしたぼくが、うたたねをしていると・・・
いきなり洋楽の大音量が、ジジイのスリガラスの向こうから。
「♪ イェ~イ、ベイベー! アー・ユー・レディー!? カモーン!」
こんな感じの、向こうの人も聴かないような、だっせーポップス。
「うっ・・・うるせえ! ジジイ、やめろよ、マジで!!」
ピタリと曲が止まり、ジジイは奥の部屋に引っ込んだ模様。
このように、ぼくの様子をうかがっては、毎回、この「イェ~イ!」を流して、挑発してきた。
直接、怒鳴り込んでやろうかとも思ったが・・・
本人を目の前にしたら、温厚なぼくだって、何をしてしまうかわからない。
ひたすら、我慢の日々となった。
ただし、いまさらおとなしく、ヘッドホン生活に入る気にも、くやしくてなれなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・そして、ついにぼくが高久コーポを去る日。
荷造りの気配を感じ取った、例のクソッタレ。
ここぞとばかりに大音量で、
「イェ~イ!」をかけまくり、スリガラス越しに、ヘッタクソな『タコ踊り』を始めおった。
よく見れば、
実に似合わねぇ、若者向けの派手派手な赤いTシャツまで着こんでいる。
ぼくが去っていくのを、
「ザマァみやがれ、生意気な小僧。とっとと消えろや。」
といった調子で喜んでいるのだろう。
・・・ぼくは、もう、心底ジジイには疲れていた。
除染の仕事をやめて、すでに新しい工場で、派遣社員として働いていた。
東大受験のための勉強も再開したばかりだった。
(もういいよ、ジジイ。せいぜい、長生きしな。どうせオメー・・・殺されたって死なねぇゾンビなんだべ? あばよ、ロクデナシ❤️)
あの、聖人のようだった吉田さん同様、
野郎がいま、どうしているのかは、ぼくの知る限りではない。
こうして、ぼくと茶太郎ちゃんは、約1年ぶりに、
矢板市の、なつかしの故郷の家に、仲良く帰還した。




