第29章:高久コーポでの、唯一、僕と会話した老人のお話
ぼくがこの、まるでお化け屋敷のような不気味なアパートに引っ越してきてから、数ヶ月たったころ。
けたたましいサイレンが鳴り響き、
わが高久コーポに、救急車が横付けされた。
「なんだ? 急病人か? まさか、死体でも見つかったんじゃねーだろうな??」
救急隊員が踏み込んだ部屋・・・それは、
となりの2号室だった。
部屋を覗こうと、ドアに近づくと、
「すみません、どいてどいて!!」と怒鳴られ、一人の老人男性が、虫の息でストレッチャーに載せられ、病院へ。
ちらりと見た限りでは、白髪のやせた人だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・2週間後。
部屋のドアをノックする音が。
「はい・・・?」
そこには、誠実そうな、おだやかなたたずまいの老人が。
「隣の2号室の吉田と申します。先日は、あのような騒ぎになってしまい、誠に申し訳ありませんでした。謹んで、おわびいたします。」
「吉田さん・・・いったい、どうされたんですか? なにか、ご病気にでも?」
すると彼は、ちょっと恥ずかしそうな表情で、こう述べた。
「お恥ずかしい話なのですが・・・私、身寄りもない、一人暮らしの年寄りですので、少し体調が悪くなると、料理も作れず、買い物にも行けず、寝てすごすことも多いのです。
今回は、実はしばらく続いていた栄養失調とエネルギー不足の関係で、その・・・」
「そうだったんですか・・・。そんな厳しい状況だったとは・・・ごめんなさい。そんなおつらい状態でいらしたのに、ぼくはまったく気づかず、あなたが苦しむ中、自分だけ卵焼きやらバンバン焼いて、2号室に、料理のにおいなんか送ってしまって・・・。」
「いえいえ。何をおっしゃいますか。その、あなたのお優しい気遣いのお言葉だけで、じゅうぶん、私は幸せです。今後とも、ぜひ、よろしくお願いします。」
「はい! でも吉田さん。料理に限らず、何か困ったことがあったら、遠慮なく私に頼って下さいよ。隣どおしのよしみじゃないですか。これも、何かの縁だと思いますし・・・。」
「ありがとうございます。では、失礼します。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・吉田さんは、礼儀正しく、常識をわきまえた紳士だった。
普段から、物音ひとつ立てず、静かに慎ましやかに生きておられる、まるで聖人のような人だった。
これ以降、彼とは最後まで交流というものはなかったが・・・
いまも、どうされているか気になっているひとりだ。
吉田さん・・・
お元気でいらっしゃいますか・・・?
m(_ _)m




