第六話 弱さ
露店で串焼き肉をいくつか買い、歩きながら食べた。
向かう先は、冒険者ギルド。
俺は今日、冒険者を引退する。
大前提として、冒険者と、冒険者ギルドについて説明しておこう。
冒険者ギルドとは、簡単に言うと、魔物に対抗するための国際組織である。
強力な魔物が現れた際、迅速に対応できるよう、また、連携できるように設立されたのが冒険者ギルドだ。
冒険者は、そのギルドに所属する者全般を指している。
だが、近年では魔物を倒す強者の集まり、という印象は薄れ、町の何でも屋というイメージの方が強くなっている。
誰でも、ギルド側に認められれば、どんな依頼でも発注することができる。
冒険者は、依頼を受けて達成し、もらった報酬で生活する。
そのため、魔物を倒すことだけが冒険者の本分ではないのだ。
最近では、魔物を倒す以外の部分が注目されはじめた、ということである。
木でできた両扉を押し退け、俺はギルドの中に入った。
シエスタには、外で待つよう言っている。
ギルドには、荒くれ者も多くいる。
絡まれて、もしもエルフであることがバレてしまったなら、大変な騒ぎが起きる。
いや、騒ぎは言いすぎたが、あまり良い思いはしないだろう。
———と言って納得させたが、本当は、冒険者をやめたときの顔を見られたくなかったからだ。
彼女の前でギャン泣きとかしたら、一生馬鹿にされる気がする。
それだけは絶対に嫌だ。
受付嬢のもとへと歩くと、受付嬢は俺に気が付き、定型文を口にした。
「冒険者ギルドへようこそ。ご用件はなんですか? 依頼ですか? 新規登録ですか?」
「いえ。冒険者ギルドを退会したいんですが」
「そうでごさいますか。では、冒険者章を預かります。退会手続きはこちらでさせてもらいます」
俺は首から冒険者章を外し、受付嬢に渡した。
「ありがとうございます」
「手続きが終わるまで、町を出てはだめなんですか?」
「申し訳ございませんが、そうなりますね。昔、そのことで色々問題があったらしくて」
「なるほど。手続きはどれくらいで済むんでしょうか」
「二日もあれば終わるかと。二日経ってギルドの職員が訪問されなかったら、その時点で町から出てもらっても構いません」
「そうですか。ありがとうございました」
それだけ言い残して、俺はギルドを出た。
あっけなく、終わった。
あっけなく、俺の冒険者人生は幕を下ろした。
本当に、あっけなく。
十四歳に冒険者になって、今が十八歳だから、大体四年ほど冒険者を続けてきた。
心には、なんの揺らめきもなかった。
まるで、さざなみ一つない、鏡のように美しい海のように、悲しいほどに、俺の心は揺れ動いていなかった。
もうちょっと、センチな感情になるかと思ってたんだけどな。
「冒険者をやめることはできたの?」
ギルドから出た俺に気付いたシエスタが、こちらに駆け寄りながらそう言った。
「あぁ。だけど、二日ほどここに滞在しなければいけないらしい」
「そう。ご飯も食べたし、何をしようかしらね。………あなた」
「ん?」
「———泣いているの?」
「え?」
言われて、俺は呆けた声を出した。
自分の頬に触れる。
触れた指先には、小さく水滴がついていた。
ぺろっと舐めてみる。
しょっぱい。
海水がしょっぱいということは聞いたことはあるが、そんなことはありえないし、これは、涙だろうか。
誰の?
自分の頬についていたんだから、俺の涙なのだろう。
それに、彼女も俺に、泣いているの?、と聞いてきたし。
ん?
俺が、泣いているのか?
なんで?
どうして?
そんな疑問が頭を埋め尽くす。
意志に反して、俺の目からは涙が溢れた。
拭っても拭っても、とめどなく涙は溢れてくる。
「ゴミでも、目に入ったかな」
「それでその涙の量なら、あなたは何かの病気よ」
「病気にかかったような記憶はないんだけど」
「持病がある、って言ってなかったかしら」
「…………」
「ま、いいわ。宿に戻りましょう」
「………そう、だな」
俺達は無言で、宿への帰路を歩いた。
歩いているうちに、涙は枯れた。
シエスタは、俺に対して何か一言も、言葉をかけなかった。
その優しさが、どこか不器用な感じがして、俺は彼女に気付かれないように、小さく笑った。
---
店主から出された晩飯を食したのち、ついに地獄が訪れた。
無論、シエスタとの同衾である。
部屋にはシングルのベッドが一つあるのみ。
他には、机と椅子と、箪笥が置かれている。
部屋の燭台の火を消したのち、俺は、床にごろんと寝っ転がった。
「あら、私にベッドを譲ってくれるの? 意外と紳士なのね」
「男の甲斐性ってやつだ。へくしゅっ」
「甲斐性を言うんだったら、そのくしゃみは我慢してほしかったわ。やっぱり寒いんじゃない。ベッドは譲るわよ」
「ぜったいにいやだ」
「こどもかおまえ」
正直、めちゃくちゃ寒いから、ベッドの中に潜らせてほしかったんだが。
それを言ったら負けな気がした。
目を瞑っていると、じきに眠気が襲ってくる。
ベッドからは、すぅすぅと寝息が聞こえてくる。
寝たのか。
「俺も、そろそろ眠らない———うっ!?」
突然、胸が痛みはじめた。
この痛みと苦しさは、喀血するときのものだ。
まずい、血が———
急いでトイレに駆け込み、思う存分に血を吐き出した。
「ごぶっ、うぉえっ、うぉえぇ………」
次第に胸の痛みが治まっていく。
おかしいな。
いつもなら、一ヶ月に一回くらいだったのに。
まだ最後に喀血した日から、三日ほどしか経っていない。
「あのとき、無茶したからか………?」
あの魔物との戦いのとき、からだの許容量を超える動きをしたからだろうか。
いや、憶測の域を出ない原因など、どうでもいい。
今、血を吐き出したということだけが事実だ。
トイレのすぐ脇にある盆を持ち上げ、中の水を真っ赤な便器の中に流す。
喀血のことは、あまりシエスタにはバレたくはない。
余計な心配はかけたくはない。
トイレから出ると、シエスタは起きていた。
「あなたの病気、相当にひどそうね」
さっきまで熟睡していたはずなのに。
動揺しつつも、なんと返答しようかと頭で考える。
数瞬の間を置いて、俺は返した。
「吐いただけだから、あんま気にするな」
「嘘つかないで」
「う、嘘? この顔が嘘をついているように見えるのかい?」
「口元に血のついている男の言葉なんて、信用ならないに決まってるじゃない」
「あっ」
口を拭うのをすっかり忘れていた。
いや、今は燭台に火は灯しておらず、部屋には月光の明かりしかない。
この暗闇で、俺の顔が見えるのか。
「私、薬師じゃないからよく知らないのだけれど———それは、放置していい代物じゃ、ないんじゃない?」
「………こいつは、治せるようなものじゃない。放置する以外には、どうしようもないんだ」
「あら、そう。それは仕方ないわね。………でも、ベッドには入っておきなさい。私は床でいいから」
「………助かる」
茶化せるような場面じゃなかった。
俺は素直に言うことに従い、ベッドの中に入った。
シエスタはむくっと起き上がりベッドから出て、壁に腰をかけ目を瞑っている。
ベッドに残る彼女の温もりが、血を吐き出して冷たくなったからだには心地よかった。
それと、枕からはふんわりと甘い匂いがした。
水浴びもしていないのに、なぜこんないい匂いをしているのか不思議でならなかった。
次回「第七話 道中」
11月9日 同時刻 更新




