鎮静剤
モルビリ1号へと向かう途中、ヒミコとマーヴェットはラヴリーフェマリス号のキッチンで、グズリの餌にするニワトリの丸鶏に鎮静剤を仕込んでいた。
「これ全部入れればいいの?」
「違う違う。一度に全部入れたら気付かれちゃうから、いくつかに分けるの」
「だからニワトリさんたくさんいるんだ」
「10キロで1錠だから・・・、ああ、でも1羽に30錠は入れなきゃいけないか。全部食べてくれるかな」
「入れていい?」
「あ、待って。錠剤を潰して粉にするから、それをお腹に入れて」
「わかった」
「換気扇回して。それと、ちゃんとマスクしてね。粉を吸って寝ちゃうといけないから」
ヒミコが慣れない手つきでマスクを付ける。マーヴェットはヒミコの顔に手を当てると隙間がないようにマスクを密着させた。
マーヴェットも同じようにマスクをつけた。換気扇はフルパワーで動いている。
鎮静剤を30個数えるとコーヒーグラインダーで粉にした。それを別の容器に移しヒミコに渡す。
受け取ったヒミコは大きく開いた丸鶏のお腹に粉になった鎮静剤をドバッと入れた。粉が舞う。
「ねぇ、これ、ひっくり返したら出ちゃうよ」
「後でお腹を縫うから大丈夫」
「余ったら、から揚げがいいな」
「余っても食べちゃダメだから」
「これ、どーやってクマさんに食べさせるの?」
ヒミコは次に渡された鎮静剤の粉を、今度はゆっくりと丸鶏の中に入れた。
「ドローンでグズリの前まで運ばせるんだよ。ここが終わったらドローンのコンテナに入れるからね。コンテナのチャンネルっていくつあったっけ?」
「多分4つ」
「じゃぁ、4つに分けて入れよう」
ヒミコとマーヴェットが餌の準備を終えブリッジに戻ると、ちょうどブリッジ正面のスクリーンにモルビリ1号が見えていた。
「ここで間違いないか」
ラグが振り向きながらマーヴェットに聞いた。
「そう、ここ」
「ちっちゃい星」
モルビリ1号は、そのほとんどが乾燥地帯を表す赤茶けた色をした小さな惑星だったが、その一部には森を示す緑の部分や水を示す青い部分があった。
マーヴェットとヒミコは自分のシートに座るとベルトを締めた。
「大気圏に突入するぞ」
ラブリーフェマリス号は、機体全体に冷却シールドを展開しモルビリ1号の大気の中へと落ちてゆく。
ブリッジがホワイトアウトするのと同時にスクリーンが遮光モードとなり、大気との摩擦による発熱の閃光を防いだ。
やがて遮光モードが切れると、スクリーンにモルビリ1号の乾燥した大地が広がっていた。
「どこに降りればいい?」
ラグが聞くと、マーヴェットはスクリーン越しに前方を見回した。
「あ、あそこにマスドライバーが見えるでしょ。まずそこに向かって」
大型の恒星間ビークルでも使用できそうなほど立派なマスドライバーは、この星のランドマークのように空に向かって延びていた。
どれだけ金持ちなんだと呆れながら、ラグはビークルをそれに向けた。
しばらく飛行を続けると、マスドライバーの下あたりから奥に向かって草原が広がっていた。その先に大きな建物が見える。
「あれがゴンゾウの住んでいた屋敷」
「巨大な平屋って感じだな。まぁ、広大な土地があれば何も上に積む必要はないってことか」
「変なお家」
大昔の日本家屋を思わせるような造りの屋敷をヒミコは見たことがなかった。
「この近くに降りればいいか」
「ダメダメ! この周囲一帯はグズリのテリトリーだから、降りたらすぐにわたしのビークルみたいになるよ」
よく見ると、屋敷の側面には巨大な穴が開いていた。
「今はゴンゾウの代わりにグズリが暮らしてるのか」
ラグはビークルを後退させると、そこから5キロほど離れた小高い丘の上にラヴリーフェマリス号を着陸させた。
「今のところ、俺たちにはまだ気付いていないかな」
「そうね」
ラグは船外カメラを操作して、ブリッジの中にホログラムの擬似モニターとして屋敷の映像を映した。
屋敷から少し離れた場所に大きな檻がいくつも見えた。
「ゴンゾウの息子に聞いた話だと、グズリの他にもいろんな生き物を飼ってたみたい」
「でも、だーれもいないね」
檻の中に何かいると期待したヒミコががっかりした声を出した。
映像を拡大すると、檻はどれも破壊されていた。
「腹を減らしたグズリが食ったか」
「計画的に食べるようなことはしないでしょうから、一気に全部食べちゃったでしょうね」
「今はきっと腹空かしてるな」
「そうね」
「ここからドローンを飛ばすか」
「じゃぁ、わたしが飛ばしてくる」
「あたしも行く。ねぇ、あたしが飛ばしたらダメ?」
「ダメェ」
「えー、ケチ」
そんな会話を残し、マーヴェットとヒミコは格納庫へ向かった。
少しするとブリッジの前をローターレスドローンが勢いよく屋敷に向かって飛んでいった。
『分散して落とせばいいよね』
格納庫にある操作室でドローンを操作するマーヴェットからだった。
「屋敷の穴の前にひとつ。あとは100メートルくらい離そうか」
『わかった』
うまく鎮静剤が効いたとしても、屋敷の中で寝られると確認するのが大変になってしまう。餌を分散させることによって屋敷から離し、外で眠らせる作戦だった。
マーヴェットの操るドローンは、数回位置を変えながら餌を投下した。
『じゃぁ、戻るね』
『えー、もう終わったの。あたしも飛ばしたかったのにぃ』
『クマさんが寝たら、今度はヒミコちゃんの番ね』
『やったぁ』
そんな二人の会話を聞きながら、ラグは屋敷を映す疑似モニターを見ていた。
「出てきた・・・」
鼻をひくひくさせながら屋敷の穴からグズリが頭を出した。
ブリッジのドアが開き、マーヴェットとヒミコが戻ってきた。
「どお?」
マーヴェットが聞きながらモニターを見る。ヒミコも一緒に覗き込んだ。
「今、出てきたところだ」
グズリはその全身を屋敷から外に出した。
全身を覆う漆黒の被毛が風に揺れる。それは陽の光を反射し銀色に輝いた。
まだ成長途中の身体は性成熟を迎えたオスよりはやや小ぶりだが、胸の筋肉は厚く太い両腕の先には鋭い爪が伸びていた。
グズリは周囲を警戒しながらマーヴェットが落とした丸鶏に近づく。口からはよだれが糸を引いて垂れている。
鼻を近づけ匂いを確かめる。
すると、丸鶏を咥え一気にそのまま飲み込んだ。
警戒よりも空腹が勝ったようだ。
そしてもうひとつ。
これでその場所の餌はなくなった。
しかし、丸鶏をふたつ食べたくらいで、お腹が満たされるはずがない。
グズリは両足で立ち上がると首を伸ばし、鼻で周囲の匂いを探った。
少しすると、次の餌の方向を突き止め警戒しながらそれに向かった。
カメラがグズリの動きを追う。
次のふたつも一気に丸呑みする。他にもないかさらに匂いを確かめる。
こうして四ヶ所目の餌にたどり着く頃には、動きが少し鈍くなっていた。
よろけながらも最後の丸鶏を咥えると2、3回咀嚼して飲み込んだ。
そして、急に眠気が襲ってきたかのようにその場に伏せた。
「すごいね。思ったよりも効いたみたい」
マーヴェットが感心するように言った。
「今のうちに軽く腹ごしらえでもするか」
「何か作る?」
「あたし、サンドイッチ食べたい」
「じゃぁ、サンドイッチ作ろう」
3人はキッチンへと向かった。
何故、こんなタイミングで腹ごしらえなのか・・・。
飲み薬による鎮静剤の効果の発現は、注射と違ってかなりゆっくりしている。しかも、一気に100%の効果が出るわけではない。
一見、寝たように見えても、効果が不十分なうちはちょっとした刺激で我に返ったように突然動き出すこともある。さらに厄介なことに、この時興奮期に入ってしまうと大暴れすることもあるのだ。
このことを理解しているラグたちが、慌ててグズリの様子を見に行くことをせずに十分な効果の発現までそっとしておくのは理にかなったことで、そのための腹ごしらえの時間だった。
それでもゆっくりと食事をする時間はない。ありあわせのものでサンドイッチを作りながら食べた3人は、20分ほどでブリッジに戻ってきた。
モニターを見ると、グズリは食事に行く前と同じ姿勢で倒れていた。
「さて、今度はヒミコちゃんの出番かな」
そう言って、マーヴェットはヒミコににこりと笑った。
「いいぞ。ただし、近づいて様子を見るだけだからな」
「りょーかーい」
ラグからも許可をもらったヒミコは、ドローンを飛ばすために嬉々として格納庫の隅にあるドローンの操作パネルへと向かった。
少ししてラヴリーフェマリスを飛び出したドローンは、倒れているグズリに向かって一直線に飛んで行った。
ラグとマーヴェットはグズリの様子を疑似モニターで観察する。
ヒミコのドローンがグズリの10メートルほど上空で停止する。グズリが動く様子はない。
「ひょっとして死んだか?」
鎮静剤と言っても、オーバードーズとなれば死ぬことも十分に考えられる。
「いやいや、生きてるよ。呼吸してるもの」
よく見ると、グズリの胸が時々動いていた。
ドローンはさらに高度を下げる。
ヒミコはグズリの1メートルほど上でドローンを止めた。
推力のエアーによってグズリの毛が乱れなびく。
その場では大きな音がしているはずだ。それでもグズリは動かなかった。
「かなり効いたな」
「これなら近づけそう」
その時、ドローンがグズリの頭に着陸した。
「ばか!何やってる。グズリが起きたらどうする」
『大丈夫。ぐっすり寝てるよ』
ドローンのカメラを見て操作しているヒミコには、グズリの状態がもっと詳しくわかっている様子だった。
ヒミコはグズリの頭の上でドローンによるタッチアンドゴーを数回繰り返した。
ヒミコの笑い声が聞こえる。
「わかったから、もう戻れ。直接仕留めにいく」
『はーい・・・』
ヒミコのちょっと残念そうな声が聞こえた。




