急所
ラヴリーフェマリス号の後部ゲートが開くと、ラグとヒミコの乗る地表用ビークルが飛び出した。その後にマーヴェットのビークルが続く。
「万が一のことを考えて、奴の移動速度を考慮すると500メートルは距離を取ったほうがいいな」
3人は離れていても会話が可能なようにヘッドセットをつけていた。
「わかった」
マーヴェットはビークルを走らせながら前方を見渡した。
「あの丘の上、距離も良さそう」
進行方向右に見える小高い丘を指さした。
「了解」
2台のビークルは砂埃を巻き上げながらその丘に向かった。
丘の上に到着すると、すぐにマーヴェットがスナイパーライフルの準備にかかった。
伏射で構えスコープを覗く。それは50mmの対物光学レンズに電子補正が加わり、グズリの頭部の被毛が1本1本わかるほどはっきりと捉えていた。
「ちょうど頭がこっちを向いてる。この位置なら眉間を狙える」
グズリは伏せるように倒れているので心臓は狙えない。
マーヴェットはライフルのボルトを動かし装填を行った。1発ごとのシングルアクションだ。
その横でラグは双眼鏡をグズリに向けた。真似をするようにヒミコも双眼鏡を覗く。
「撃つよ」
「オーケー」
マーヴェットは大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐いた。そして吸い込んだ全ての空気を出し切ったところでトリガーを引いた。
銃声が広がる。その直後、カコーンという高い音が返ってきた。
「弾かれた」
「いい位置に当たったんだがな」
双眼鏡を見たままラグが言った。
グズリの硬い頭蓋骨はマーヴェットの放った弾を跳ね返し、皮膚にわずかな傷を付けただけだった。
「もっと大胆に近づかないとダメか」
グズリはまだ動く様子はなかった。しかし、あまり時間をかけるとせっかく効いた鎮静剤の効果が切れてくる。
ラグとマーヴェットは急いでビークルを走らせ、グズリとの距離を150メートルほどに縮めた。
「今度は俺が撃つ。ヒミコはマーヴェットのビークルに乗ってろ」
ラグはマーヴェットからライフルを受け取り、ヒミコはマーヴェットの横に乗り込んだ。
2台のビークルは逃げる方向を向いている。
ビークルに乗ったまま狙えれば安全なのだが、それでは微妙な位置調整が出来ない。
「マーヴェット、何かあったらすぐ逃げてくれ。ヒミコ、絶対に車を降りるなよ」
一緒についていきたそうな顔を向けるヒミコに、ラグは念を押した。
グズリは相変わらず倒れたままだ。動く様子はない。
「いくら石頭でもこの距離なら貫通するだろう」
ラグは弾を装填すると、立った姿勢でライフルを構えスコープを覗いた。そしてマーヴェットが傷つけた位置に最も垂直に当たるように、移動をしながら狙いを定めた。
その時急にグズリが寝返りをうつように姿勢を変えた。鎮静が覚めてきている。
グズリの次の動きを伺いながら、ラグはゆっくりと後退りした。
再びグズリが動くようなら、ラグはビークルに戻るつもりだった。しかし、グズリは動かなかった。
まだ狙えると判断したラグは、ライフルを構えた。
ところが厄介なことに、先ほどの寝返りで頭が横を向いてしまい、この位置からは狙えなくなってしまっていた。
ラグはグズリの頭の位置を確認すると、右に回り込むように走った。
「ラグ。離れすぎ!」
マーヴェットの声がした。しかし、今を逃したら狙撃のチャンスを失う可能性がある。
止まってスコープを覗く。まだ位置が悪い。さらに回り込んだ。
再びスコープを覗く。マーヴェットがつけた傷がハッキリと見えた。
「?!」
突然、スコープからグズリが消えた。同時にマーヴェットが叫ぶ。
「起きた!逃げて!」
ラグは反射的に走り出していた。ビークルの位置を確認する。それは思った以上に遠かった。
「パパぁ!」
ヒミコは叫びながらビークルを飛び降り、ラグのビークルに向かって走り出した。
ビークルに向かって走るラグの後ろに、それを追うグズリの巨体が見える。
「ヒミコちゃん、戻って!」
マーヴェットはアサルトライフルを取り出すとビークルから飛び出し、グズリに向けてトリガーを引いた。
ヒミコはラグのビークルの運転席に乗り込んだ。ギアをドライブに押し込む。そしてハンドルを握り右足を伸ばした。
「あー、届かない」
ヒミコが悔しそうに叫んだ。ビークルでラグを迎えに行くつもりだったのだろう。しかし、動かしたくてもアクセルに足が届かなかった。
ライフルを撃ち続けるマーヴェットの弾は全てグズリに命中していたが、悲しいかなその気を逸らすことすら出来ていなかった。
ラグとグズリとの距離が縮まる。このままではビークルに着くまでに確実に追いつかれるだろう。
銃撃を諦めたマーヴェットは、ライフルをビークルに放り込むと運転席に飛び乗った。そしてギアを入れると同時にアクセルを床まで踏みつけた。一気に動き出した後輪は石を跳ね飛ばしながら地面を滑る。カウンターを当てながらスライドをコントロールしビークルをグズリに向けた。
「来るな。逃げろ!」
ラグが叫ぶ。
「そんなこと聞いてられるか!」
マーヴェットはアクセルを踏みつける力を緩めなかった。
グズリが右腕を振り上げた。振り下ろせばラグを直撃する距離だった。
バゴン!
鈍い衝撃音。
グズリの腕が振り下ろされるのと同時にマーヴェットのビークルがグズリに体当たりしていた。
ビークルのフロントが大きく潰れる。
わずかにバランスを崩しながら振り下ろされたグズリの右腕がビークルのフロントガラスを突き破り、助手席のシートを吹き飛ばした。そのままビークルはマーヴェットを乗せたまま後ろに飛ばされ転がっていった。
ビークルを1台潰してもグズリの動きは止まらず、大きく開けた口がよだれを撒き散らしながらラグの頭に迫った。噛まれれば、一瞬でラグの頭は砕かれるだろう。
「パパァ、パパァ!」
ヒミコが足の届かない運転席で振り返りながら何度も叫んだ。
グズリが覆いかぶさるようにラグの姿をヒミコの視界から消した。
「パパ・・・」
絶望でヒミコの動きが止まった。
バシッ・・・。
短い銃声の後、コンコンとこもった音が何度か聞こえた。
血液が飛び散る。
グズリの体が横に逸れ、ラグの姿が見えた。
吹き出した血液がラグの全身を赤く染めてゆく。
すると、ラグの持つライフルが見えた。
それは、グズリの口に押し込まれていた。
ラグはグズリが口を開けて覆いかぶさった瞬間に、咄嗟にグズリの1番の急所を仕留めていた。硬い頭蓋骨の中での跳弾は、グズリの脳を一瞬で破砕した。
力の抜けたグズリが倒れ込んだ。
この下敷きになったら圧死である。ラグは最後の力を振り絞り転がるようにグズリから逃れた。
その直後、グズリが大きな音とともに地面に落ちた。
動かなくなったグズリのすぐ横で仰向けにひっくり返り肩で息をするラグ。すぐさまヒミコが駆け寄った。
「パパ、真っ赤。大丈夫?」
心配そうな顔で覗き込む。
「大した度胸ね」
ひっくり返ったビークルから這い出たマーヴェットもやってきた。そして、力が抜けたようにラグの隣に座り込んだ。
ヒミコは背負っていたリュックから水筒とハンカチを取り出すと、まず水筒を『飲んで』とマーヴェットに渡した。そして、グズリの血液で真っ赤になったラグの顔をハンカチで拭き始めた。
「そういえば、オオトモが言ってたっけな・・・。スッと効いたヤツは、スッと覚めるって・・・」
風が吹いていた。きっとずっと吹いていたのだろう。やっとそれを感じることが出来た。
ラグは大きく深呼吸をした。血液の匂いがした。
ヒミコはハンカチの汚れた面を裏返し、またラグの顔を拭き始めた。
マーヴェットは水筒の水を一口飲むと、汗で首に張り付いた髪を手で払った。
3人は生きている実感を確かめていた。
その後、倒したグズリの事後処理とマーヴェットのビークルの回収を行い、3人がラヴリーフェマリス号に戻ると陽が傾きかけていた。
その格納庫で、マーヴェットはフロントから助手席にかけて大きく潰れたビークルを格納庫の床に固定していた。
「今日はありがとう」
マーヴェットが手伝うラグに言った。
「どういたしまして」
ラグはマーヴェットに汚れた笑顔を向けた。
「昔を思い出しちゃった。ちょっと懐かしかった」
「そうだな」
「今度はラグの仕事を手伝うよ。その時は言ってね」
「ああ」
「あれ? そういえばヒミコちゃんは」
場が静かすぎることで、ヒミコがいないことに気付いた。
慌てて二人はヒミコを探した。
「あ、ここで寝てる」
マーヴェットがすぐに見つけた。
ヒミコはラグのビークルの助手席で寝息を立てていた。
「今日は朝早くからがんばったから、疲れちゃったんだね」
「このまま抱いて行って寝かせるよ」
ラグが手を伸ばした。
「いいよわたしがおんぶする。ラグはシャワー浴びて着替えなよ。グズリ臭いよ」
ラグはグズリの血液で汚れた体を見渡し、ジャケットの袖を引っ張ってその匂いを嗅いだ。確かになんともいえぬ異臭が鼻を突いた。
「じゃぁ、頼む」
ラグはそう言うと、ジャケットを脱ぎながら居住区画へと向かった。
「さぁ、おんぶするよ」
マーヴェットは眠っているヒミコを起こすように声をかけ、ロールケージの隙間から両手を伸ばした。
ヒミコは寝ぼけながらも、言っていることがわかったようにマーヴェットの首に両手を回した。
ヒミコを抱えるようにビークルから引きずり出す。そしてそのままヒミコの体を回し背中に落ち着かせた。
すぐにまた眠ってしまったのか、ヒミコの寝息が聞こえる。
ヒミコをおぶったマーヴェットは居住区に向かってゆっくりと歩き出した。
「?」
背中で小さく『ママ』と聞こえたような気がした。
母親の夢でも見ているのだろうか。
いくらラグが一緒にいると言っても、やっぱり母親がいないと寂しいのだろうな、と思った。
立ち止まって、背中のヒミコの寝顔を見る。
「わたしがママになってあげようか」
「いらない」
寝ていると思ったヒミコが即答した。
マーヴェットは苦笑い。
それでもヒミコはマーヴェットの背中から降りようとはしなかった。
「ま、いっか・・・」
マーヴェットは『よいしょ』とヒミコを背負い直すと、再び居住区の廊下を歩き出した。




