ムスビの論文
天の川銀河 大門恒星系第5惑星 第1星の国家毘沙門から数千光年離れたあたりの星々の中
いくつかの依頼を終えたラヴリーフェマリス号は、その疲れを癒すように星の海をゆっくりと航行していた。
キッチンの小さなテーブルで、ヒミコは依頼主からの入金や弾薬などに使った経費をぶつぶつ言いながら自分の端末に入力している。
向かい合って座るラグは、先日オオトモから貰ったムスビ・タチノの論文を読んでいた。と、言うか・・・眺めていた。
ムスビ・タチノが発表した論文は3つあった。
発表順に一つ目は、『バブルドライブが時間に及ぼす影響について』。
内容は・・・、読もうとするものを拒絶するような理解できない数式が数十ページにわたって並んでいるものだった。
そして、数式が途切れた最後に、『いずれ時間のゴミが溢れる』と、やっと読める文字で締め括られていたが、やはり意味は理解できなかった。
二つ目の論文。
『宇宙の膨張が減速していることを示す観測結果に関する考察』。
これも膨大な数式が並んでいた。
理解不能・・・。
三つ目の論文。
『宇宙の膨張の減速後に起こること』。サブタイトルには『ビッグクランチ』とあった。
これは大学を辞める直前に書いたものだった。
「ビッグクランチ、宇宙の終焉・・・」
聞いたことのある単語だった。
しかし、そのあとは同じく膨大な数式の羅列。
やはり理解不能。
どれも異色の論文と思えた。
いや、こんな書式で果たして論文と言えるのだろうか。
おそらく、ほとんど評価されなかっただろう。
ラグは、論文が評価されないことでムスビが大学を辞めたのではないかと想像した。
「?」
三つ目の論文の数式の最後に、また読める一文があることに気付いた。
『この論文をメローファメイサに捧ぐ』。
ラグは何度もその単語を反芻してみたが、自分の頭の中からはそれの意味するものはひとつも出てこなかった。
携帯端末を取り、検索してみる。
少しして、ヒット数ゼロの表示が出た。
天の川銀河全体に広がる巨大な星間ネットワークの中にも『メローファメイサ』はなかった。
「・・・ねぇ、聞いてる?」
声がして顔を上げると、ヒミコが怒った顔を向けていた。
「何度も聞いてるのにぃ」
どうやら論文に集中するあまり、ヒミコの声が聞こえなかったようだ。
「ごめん、ごめん。どうした?」
「あのね。依頼の後にスペースポートで食べたアイスクリームは経費にしていい?」
「ああ、仕事のあとの反省会で食べたことにしておけば問題ない」
「わかった」
ヒミコはまたぶつぶつ言いながら端末の作業に戻った。
「そうだ。メローファメイサって知ってるか? お前のかあちゃんの論文に書いてあるんだが」
「・・・・」
今度はヒミコが端末の入力に集中して、ラグの声が聞こえない様子だった。
しばらく待ってみる。
少しすると、『終わったぁ』と端末をテーブルに放り投げ、ヒミコは大きく背伸びをした。
「メローファメイサって知ってるか? お前のかあちゃんの論文に書いてあるんだが」
ラグはさっきと同じ質問をした。
「知ってるよ」
星間ネットワークですら分からなかった質問に、ヒミコが即答したことでラグは驚いた。
「なんなんだ、これは」
「それは知らない。聞いたことがあるだけ」
「どこで聞いたんだ?」
ヒミコはすぐには答えず、椅子から降りると食器棚からグラスを取り冷蔵庫を開けた。そしてグラスにこぼさないように慎重にオレンジジュースを注ぐ。
ジュースを持ってテーブルに戻ったヒミコは、美味しそうに一口飲むとそこでやっとラグを見た。
「ママがよく歌ってくれた歌の中に出てきたよ」
「それはどんな歌なんだ。おまえ、歌えるか?」
「歌えない。知らない言葉ばっかりでよく分からない歌だもん。でもその言葉は何度も出てくるから勝手に覚えた。ママもママのママからママが小さい頃によく聞いたって」
「子守唄みたいなものか・・・」
そうは言っても、そんなことくらいでは、答えは出ていないに等しかった。
「一体何なんだろう・・・」
気にはなるものの、それを探る手立てはなかった。
天の川銀河の中には存在しないこの単語は、この先再び出会うことなくいつしか忘れてしまうような気がした。
ラグはテーブルの隅に転がっていたペンを取ると、冷蔵庫の扉に直接その言葉を書いた。
いつも見ていれば、ヒミコのように記憶に残る。
万が一いつかどこかでその言葉に出会った時に、すぐに思い出せるように・・・。




