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第二話 後編 暗黒皇帝、教室に降臨す


僕に力があれば。

その言葉は、声に出したわけではなかった。

けれど、頭の中に住み着いた皇帝には、はっきり聞こえていたらしい。

殴り返せるのに。

逃げずに済むのに。

全部、終わらせられるのに。

今まで何度も考えて、そのたびに打ち消してきた願いだった。

力が欲しいなんて思ったところで、僕が強くなるわけじゃない。

現実はゲームじゃない。

経験値を稼げばレベルが上がるわけでも、イベントをこなせば特別な武器が手に入るわけでもない。

だから、考えるだけ無駄だった。

そう思っていた。

『ようやく』

皇帝が、静かに笑った。

いつもの高笑いではない。

何かを待ち続けていた者が、ようやくその時を迎えたような笑い方だった。

『その言葉を待っていた』

「……何?」

『力をやろうか』

ドクン。

制服の下で、左胸の紋様が熱を持った。

「待って。何、その悪魔みたいな誘い方」

『悪魔ではない。皇帝だ』

「どっちも信用できないよ」

『余を誰だと思っておる。世界を統べた暗黒皇帝ヴァルガイアだぞ』

「昨日、世界を統べる直前に部下に裏切られて異世界に飛ばされた人」

『それは戦略的転移だ!』

「肉体を置き去りにしたのに?」

『今は力の話をしておる!』

皇帝の声が大きくなる。

けれど、その怒鳴り声に昨日ほどの怖さはなかった。

僕は少しだけ迷った。

「……本当に、僕にも使えるの?」

『使える。正確には、余が貴様の肉体を通して使う』

「それ、僕が使うって言わないよね」

『細かいことを気にするな』

「身体を乗っ取るつもり?」

『安心せよ。余は貴様の肉体を完全に奪う気などない』

「本当?」

『百になるまではな』

「結局、奪う気じゃないか!」

思わず声に出しかけ、僕は慌てて口を閉じた。

朝のホームルーム前。教室にはすでに大勢の生徒がいる。

ここで一人で怒鳴ったら、それこそ「ゲームのやりすぎで頭がおかしくなった」と言われる。

『案ずるな。今の余が支配できるのは、貴様の肉体のごく一部だ』

「どのくらい?」

『〇・一パーセント』

「少なっ」

『無礼者! 完全に異なる魂が同じ器へ干渉するのだぞ。〇・一でも奇跡に等しいわ!』

「それで何ができるの?」

『今は、喉と口。わずかな魔力放出。それだけだ』

「喋るだけ?」

『貴様の世界では、言葉は力を持たぬのか』

「持つけど、窓ガラスを割ったりとかの力はないよ。」

『窓?』

「いや、今のは例え」

なぜか胸騒ぎがした。

皇帝は僕の不安を無視して続ける。

『支配率が上がれば、指、腕、脚、視覚、魔力回路と、順に扱える領域は増える』

「そのたびに僕の身体が奪われる?」

『貴様が弱いままなら、そうなるやもしれぬ』

さらっと恐ろしいことを言う。

「安心要素が一つもないんだけど」

『ならば強くなれ』

皇帝は当然のように言った。

『余の力に呑まれぬほど強くなればよい』

「無茶言うなよ」

『弱いと認めたのは貴様だ。ならば選べ』

皇帝の声が、僕の胸へ沈む。

『このまま耐え続けるか』

昨日までの自分。

目を伏せて、謝って、早く終わることだけを願う自分。

『危険を承知で、牙を持つか』

菅原の顔が浮かぶ。

藤田の笑顔が浮かぶ。

そして、村上の顔が浮かぶ。

中学時代、一緒に笑っていた顔。

今は僕を「ブヒ」と呼んで笑う顔。

「……力を借りたら」

『うむ』

「僕は、あいつらと同じになるのかな」

一瞬、皇帝が黙った。

『力を持つことと、力に酔うことは別だ』

いつになく静かな返事だった。

『刃が人を殺すのではない。振るう者が殺す。王冠が人を暴君にするのではない。戴く者の器が、暴君か名君かを決める』

「自称暴君が言っても説得力ないよ」

『余は自らの罪を認めておる。だからこそ言えるのだ』

少しだけ、意外だった。

この男は、絶対に自分の非を認めないと思っていた。

『復讐を望むなら否定はせぬ。だが、己を失うな』

「僕を乗っ取ろうとしてる人が言う?」

『話の腰を折るな!』

少しだけ笑いそうになった。

本当に、少しだけ。

その時、教室の前方の扉が開いた。

担任の山田先生が出席簿を抱えて入ってくる。

「席に着け。ホームルームを始めるぞ」

ざわついていた生徒たちが、それぞれの席へ戻る。

僕も椅子へ座ろうとした。

その直前。

「おい、ブヒ」

聞き慣れた声がした。

振り返ると、菅原が僕の机の横に立っていた。

後ろには藤田と村上もいる。

「昨日、学校休んだよな」

「……病院にいた」

「だから何?」

菅原が笑う。

「俺らとの約束、忘れてねぇよな」

僕は何も答えなかった。

昨日、メッセージに書かれていた。

『今日は絶対来い』

何をさせるつもりなのかは知らない。

でも、いいことではないのだけは分かる。

「返事は?」

菅原の手が、僕の頬を軽く叩いた。

一度。

二度。

殴るほどではない。

でも、教室中へ見せつけるには十分な力だった。

誰も見ていないふりをする。

担任は黒板へ向かったまま、出席簿を開いていた。

本当に、見ていないのか。

見えているのに、見ていないことにしているのか。

『教師は、あれか』

皇帝の声が冷えた。

「やめて」

『あの男は、貴様が打たれているのを知っておるな』

「やめろ」

菅原がもう一度、頬を叩く。

「ブヒって呼ばれたら返事しろよ。豚は豚らしく鳴けって教えただろ」

教室のどこかで、押し殺した笑い声がした。

村上も笑っていた。

その顔を見た瞬間、胸の奥で何かが切れた。

僕に力があれば。

さっき思った言葉が、もう一度浮かぶ。

今度は、打ち消さなかった。

ドクン。

左胸の紋様が熱を持つ。

「力を……貸して」

小さく呟いた。

菅原には聞こえなかったらしい。

「何だ?」

『契約成立だ』

皇帝が笑った。

ドクン。

熱が胸から喉へ駆け上がる。

空気が、肺から勝手に押し出される。

「待って」

声を出そうとした。

でも、唇が僕の指示を聞かない。

舌も、喉も、別の誰かのものになったように動き始める。

(やめろ)

僕の意思とは関係なく、背筋が伸びた。

顎が上がる。

視線が、菅原を見下ろすような角度へ変わる。

(僕の身体だぞ)

『案ずるな』

皇帝の声が、頭の中と喉の奥から同時に聞こえた。

『支配率、〇・一パーセント』

「無礼者が」

低い声が、僕の口から漏れた。

菅原の笑顔が止まる。

「……は?」

「その汚らわしき手を、余の器から離せ」

教室中の空気が変わった。

僕の声ではない。

でも、僕の口から出ている。

ざわめきが消えた。

担任まで振り返っている。

(やめろ。目立つ。絶対に目立つ)

『既に目立っておる。今さらであろう』

(そういう問題じゃない!)

菅原は一瞬だけ後ずさった。

けれど、すぐに周囲の視線へ気付いた。

ここで怯えたら、自分の立場が崩れる。

そんな焦りが、顔に浮かんだ。

「なんだ、その喋り方」

菅原が僕の胸ぐらをつかむ。

「ブヒのくせに、誰に向かって口きいてんだ?」

皇帝の怒りが、胸の紋様を通して流れ込んでくる。

熱い。

焼けるように熱いのに、不思議と痛くない。

「余を誰だと思うておる」

僕の口が、ゆっくりと笑った。

自分では絶対にできない、不遜な笑みだった。

「恐れ多くも余は、六属性を統べし覇王」

(名乗るな!)

「魔導帝国を治めし」

(学校! ここ学校だから!)

「暗黒皇帝ヴァルガイアであるぞ!!」

声が教室中へ響き渡った。

その瞬間。

ガシャァァァァァァン!!

窓ガラスが、一斉に砕け散った。

悲鳴。

突風。

宙を舞う無数の破片。

菅原の手が、僕の胸ぐらから離れる。

藤田の顔から、いつもの余裕が消えた。

村上は、口を開けたまま動けない。

担任も、生徒たちも、誰も言葉を発しなかった。

そして僕自身も、何が起きたのか分からず固まっていた。

『ふむ』

皇帝だけが、満足そうに呟く。

『この肉体でも、威圧だけでこの程度はできるか』

(威圧で窓を全部割るなぁぁぁぁぁ!!)

僕の最悪な学校生活は、その日を境に。

最悪だけでは、済まなくなった。

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― 新着の感想 ―
これまで抑圧され続けてきた主人公の葛藤と、「力を借りる」と決意するまでの気持ちの描き方がすてきですね! 「王冠が人を暴君にするのではない」という不意の金言も格好良かったです! 全力で中二病の名乗り…
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