第二十二話 後編 暗黒皇帝、蛇神と相対す
余は、眼前の三人を眺めた。
いや、ただ眺めているのではない。
視る。
魔力の流れ。呼吸。重心。立ち位置。
視線、指先の僅かな動きに至るまで。
俗物の《魔眼》へ魔力を通せば、常人の目では捉えられぬものまで輪郭を持って浮かび上がる。
まずは左右。
双子。
巳香と巳魅、といったか。
「…………」
「…………」
二人とも先ほどまでと変わらぬ無表情。
左右対称に立ち、袖の中へ手を隠している。
なるほど。
足運びは悪くない。
呼吸も乱れておらず、この国の術者どもが用いる力も一定に保たれている。
それなりに鍛えてはいるようだ。
だが。
(どう?)
意識の奥から俗物の声がした。
(あの二人、強い?)
『大したことはない』
(即答!?)
『猿と、あの貧乳小娘より下だな』
(猿飛さんと雉子谷さんのこと!? あと本人の前で絶対それ言わないでよ!)
何を焦っておる。
事実を述べただけであろう。
余は双子から視線を外し、中央へ向けた。
問題はこちらだ。
蛇神みづち。
相変わらず薄い笑みを浮かべている。
先ほどまでと同じ、余裕すら感じさせる微笑。
だが《魔眼》を通して見れば、印象はまるで違った。
「ほう……」
思わず声が漏れる。
練り上げられた力が、全身を淀みなく巡っている。
量だけではない。
密度。
精度。
そして制御。
どれを取っても双子とは比較にならん。
『金欲俗物女は、猿や貧乳小娘より上だ』
(まだその呼び方続けるんだ……)
『白虎には及ばん、といったところか』
(そんなことまで分かるの?)
『おおよそはな』
無論、実際に刃を交えたわけではない。
隠しているものもあるだろう。
ゆえに断定まではせん。
だが、それでよい。
戦いとは、始まる前からすべての情報が揃っているものではない。
分からぬものを抱えたまま観察し、仮説を立て、仕掛け、反応を見て修正する。
その繰り返しよ。
(じゃあ、やっぱり強い方が勝つってこと?)
『何を聞いておった』
(だって今、三人の強さを測ってたじゃん)
ふむ。
俗物らしい疑問ではある。
『貴様の好む、げぇむとやらではどうなのだ』
(ゲーム?)
『数字があるのであろう。力がいくつ、素早さがいくつ、魔力がいくつとな』
(ステータスのこと?)
『それだ』
(まあ、ゲームによるけど)
『ならば仮に、すべての数値が相手より高ければ必ず勝てるのか』
(……いや。装備とかスキルとか相性もあるし、対戦ゲームならプレイヤーの腕もある)
『そういうことだ』
余は口元を吊り上げた。
『戦場も同じよ』
魔力量。
膂力。
速度。
術の威力。
それらが勝敗へ影響せぬとは言わん。
圧倒的な差があれば、それだけで覆せぬ場合もある。
だが。
『単純な能力の多寡だけで勝敗が決まるのなら、世の将どもは苦労せん』
(じゃあ、何が決め手なの?)
『まずは戦闘経験だ』
(経験?)
『そうだ』
敵が何を見ている。
何を隠している。
何を狙っている。
次にどちらの足を踏み出す。
どの間合いを欲している。
どの攻撃を囮とし、どれを本命とする。
戦場では、それらを一瞬で読み取らねばならん。
『経験を積んだ者ほど、現在の一手だけを見ぬ』
巳香。
右袖の中。
指が動いた。
『次を読む』
巳魅。
左足へ僅かに重心が移る。
『その次も読む』
二人の呼吸が重なった。
『相手より何手先まで読めるか』
殺気。
『それが』
来る。
『生死を分ける』
言葉が終わるか終わらぬか。
刹那。
二人が動いた。
袖が翻る。
銀光。
左右から一本ずつ。
二本の鍼が、余の眉間と喉元へ一直線に飛来した。
(皇帝!!)
俗物の叫び。
だが遅い。
余は動かん。
避ける必要すらない。
銀色の鍼が空気を裂き、余まであと一間。
その瞬間。
キィンッ!
二本同時に弾かれた。
「…………!」
鍼が宙を舞い、畳へ落ちる。
カラン。
乾いた音が二つ。
余と双子の間には何もない。
少なくとも、奴らの目にはそう見えるだろう。
(え? 何したの?)
『何もしておらん』
(いや、針落ちたじゃん!)
『最初から壁ぐらい張っておるわ』
余の周囲を覆う不可視の魔力障壁。
《障壁》。
『あの程度の鍼で、余の《障壁》を破れるものか』
視線を上げる。
みづちの眉が、ぴくりと僅かに動いた。
ほう。
この女も見ていたか。
鍼が弾かれた位置。
障壁の強度。
それとも、余が一歩も動かなかったことか。
双子は無言のまま再び袖へ手を入れた。
今度は一本ではない。
右から四本。
左から四本。
計八本。
眉間、喉、心臓、肩、腹、大腿。
狙いを散らし、一斉に放つ。
だが。
結果は変わらん。
キンッ!
キィンッ!
カンッ!
銀色の鍼が次々と見えない壁へ衝突し、弾かれ、回転しながら畳へ落ちていく。
一本。
二本。
三本。
そして八本すべて。
余の身体へ届いたものは、一つとしてない。
「…………っ」
初めて双子の顔が崩れた。
ほんの僅か。
だが確かに、眉間に薄く皺が寄っている。
「どうした?」
余は笑った。
「もう弾切れか?」
「…………」
「…………」
「遠慮はいらんぞ。まだ一本たりとも、余には届いておらんのでな」
(皇帝、煽らなくていいから!)
『戦場で敵の平静を崩すのも技術の一つよ』
(絶対それだけじゃないでしょ! 楽しんでるでしょ!)
無論だ。
余を前にしておきながら無表情を気取る人形が二体。
いつまでその顔を保てるか少々興味が湧いただけよ。
「……巳魅」
姉の巳香が口を開いた。
「なに?」
「あれ、やろか」
巳魅が一度だけ瞬きをする。
「……うん」
二人が同時に袖へ手を入れた。
(……皇帝)
『なんだ?』
(なんか嫌な予感するんだけど)
今度は少しばかり、面白いものが見られそうだ。
巳魅が取り出したのは、細長い四枚の符。
一方、巳香の指には四本の鍼。
(……お札?)
『そのようだな』
巳魅が手首を返した。
ひゅっ。
四枚の符が宙を舞う。
余を狙ったものではない。
上下左右。
余を囲む四方へ散った。
続けざまに巳香。
銀光が走る。
カッ!
一本。
カッ、カッ!
三本。
そして四本目。
四本の鍼がそれぞれ符を貫き、その場へ縫い留めた。
「ん?」
余は眉を寄せる。
何もない空間に、四枚の符が浮いている。
(何あれ?)
『知らん』
(知らないんだ!?)
『この国の呪術すべてを余が知っているわけがなかろう』
二人が同時に右手を胸の前へ掲げた。
指を複雑に絡ませ、奇妙な印を結ぶ。
そして。
「「左帶三星,右帶三軍」」
声が重なった。
四枚の符に刻まれた文字が淡く発光する。
「「急急如律令!」」
「む?」
異変。
《障壁〈バリエーレ〉》そのものは不可視。
ゆえに双子には見えぬ。
だが、展開している余には分かる。
障壁を構成する魔力の流れが乱れた。
「ほう……?」
精密に噛み合った歯車へ、異物を差し込まれたような感覚。
魔力の接続が一つ途切れる。
二つ。
三つ。
接続が連鎖的に崩れていく。
そして。
パリン。
実際に音がしたわけではない。
だが、余の感覚では確かにそう響いた。
《障壁〈バリエーレ〉》が崩壊する。
(え!? 破られた!?)
『騒ぐな』
なるほど。
一手目で障壁の存在を知った。
二手目で範囲と強度を測った。
そして三手目。
物理的な突破を捨て、符と鍼を媒介に障壁を構成する魔力そのものへ干渉した。
「クククッ」
(なんで笑ってるの!?)
『良き判断だ』
先ほどの評価を少々訂正してやろう。
『あの双子、存外戦い方を知っておる』
(え? じゃあ結構強いの?)
『違う』
(違うの!?)
『強さと、戦い方を知っていることは別物だ』
力で劣るならば知恵を使う。
通じぬならば原因を探る。
一つの手段へ固執せず、相手に応じて次の一手を変える。
『これも戦闘経験よ』
(なるほど……って、褒めてる場合!? 障壁なくなったよ!?)
その通り。
そして双子が、それを見逃すはずもない。
巳香の手が翻る。
巳魅も同時。
銀光。
(来る!)
鍼が飛来した。
だが。
「む?」
狙いが違う。
余ではない。
鍼は身体すれすれを通過し。
カッ!
床へ突き刺さった。
一本。
二本。
三本。
四本。
すべて余の足元。
正確には。
「……影?」
床へ落ちた余の影。
そこへ鍼が刺さっている。
(外した?)
『いや』
右脚を動かそうとする。
動かん。
左脚。
同じ。
「ほう」
(え?)
さらに銀光。
影の腹。
胸。
肩。
腕。
一本刺さるたび、対応する身体の自由が奪われていく。
(皇帝!?)
右腕。
動かん。
左腕。
動かん。
胴も。
首から下が完全に沈黙した。
(やばいって!!)
『静かにせんか』
(静かにできる状況!?)
これまで人形のようだった双子。
その口角が、ほんの僅かに持ち上がる。
「「蛇神流針術」」
声が重なった。
「「《影縫い》」」
……そのままの術名だな。
(言ってる場合!?)
『何がだ』
(それより身体動かないんでしょ!?)
『だからどうした』
(だからどうした!?)
『あの程度の双子、首から上さえ動けば十分よ』
(何その理屈!?)
双子の笑みが消えた。
再び一本ずつ。
銀色の鍼が指の間へ現れる。
今までとは違う。
構え。
呼吸。
殺気。
二人が腰を落とした。
「「……ほな」」
「「これで、しまいや」」
狙いは余の身体ではない。
「「蛇神流針術《無明》」」
二条の銀光。
右。
左。
狙いは余の双眸。
(目ぇぇぇぇぇっ!?)
俗物の絶叫が頭蓋の内側へ響いた。
なるほど。
《影縫い》で四肢と胴を封じ、最後に視覚を奪う。
しかも、この眼が先ほど自分たちの術を見破ったことまで理解している。
先ほどの評価は間違っておらんな。
恐れを知らぬ双子よ。
皇帝の眼を狙うとは。
「ククッ」
よかろう。
少しだけ余の力の片鱗を見せてやる。
(ちょっと皇帝!?)
両眼へ魔力を集中する。
俗物が《魔眼》と呼んでいるもの。
魔力を見る。
術を見抜く。
隠されたものを暴く。
下位の魔導士ならばそこまでだ。
だが魔導を極めた者の眼は見るだけではない。
「…………!」
二本の鍼が迫る。
三尺。
二尺。
一尺。
双眸へ突き刺さる。
その寸前。
カラン。
右の鍼が落ちた。
カラン。
左も。
「…………え?」
巳香の口から初めて声が漏れた。
巳魅の目も僅かに見開かれる。
何をされたのか理解できていない。
確実に仕留めたと思ったはずの術が、理由すら分からぬまま無効化された。
うろたえるのも無理はない。
だが驚くにはまだ早いぞ。
「クククッ……」
余の双眸に黒紫の光が妖しく灯った。
「…………っ!」
双子の肩が跳ねる。
そして余の双眸をしっかりと見てしまった。
それで終わりだ。
「ひっ……」
巳香の喉から、か細い音が漏れた。
巳魅の唇が震える。
「ぁ……」
此奴らが何を見ているのか?
余には分からん。
否。
何を見せられているのかを決めるのは。
余ではない。
己の中に巣食う恐怖。
死。
絶望。
後悔。
本人が最も見たくないものを何度も繰り返す。
何度も。
何度も。
何度でも。
「いや……」
「いやぁ……」
無表情だった顔が恐怖に歪んだ。
全身が震え、膝が笑い、歯が鳴る。
やがて瞳が上を向いた。
口端から泡が零れる。
どさっ。
巳香が倒れた。
数秒遅れて。
巳魅も畳へ崩れ落ちる。
「…………」
静寂。
金欲俗物女の顔から初めて余裕が消えた。
「巳香……? 巳魅……?」
みづちが立ち上がる。
「どうしたん?」
それにあわさるように足元から、微かな金属音が響いた。
カラン。
余の影を縫い留めていた鍼が一本、畳の上へ倒れる。
続いて二本、三本。
影に打ち込まれていた鍼が次々と力を失い、畳へ転がっていく。
同時に、首から下を縛りつけていた感覚が消えた。
「ほう」
軽く右手を開き、指を曲げる。
動く。
『術者が意識を失えば解ける類いか』
(よ、よかった……ずっとあのままかと思った……)
『この程度の拘束、解こうと思えばいつでも解けたわ』
(それがほんとならすぐに解けば!?)
『黙れ』
余は倒れた双子を見下ろした。
「己が死ぬ夢でも、幾千回と見ておるのやもしれんな」
(え)
俗物が固まった。
(何それ。怖っ……)
ふん。
この程度で何を怯えておる。
その時、鼻につく匂い。
「む?」
畳へ視線を落とす。
倒れた双子の着物の裾。
その下へ。
じわりと染みが広がっていた。
「…………」
(…………)
みづちの頬が、ぴくりと引きつる。
「金欲俗物女」
「…………なんや?」
「粗相しておるぞ」
「…………」
「おしめを替えてやれ」
紫の瞳が細くなった。
しばしの沈黙。
そして。
「あはっ」
「む?」
「あはははははは!」
突然、みづちが笑いだした。
(えぇ!?)
「あははっ……あかん。ほんま、おもろいわぁ」
目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「うちの可愛い姪っ子二人を、指一本触れんとここまでしてまうなんて」
口元には笑み。
だが目はもう笑っていない。
「防人の中にも、そうそうおらへんのとちゃう?」
「当然だ」
「あはっ。そういうとこも、おもろいなぁ」
ひとしきり笑ったあと。
空気が変わった。
「……せやけど」
みづちの声から、笑いの色だけが抜け落ちる。
「うちの姪っ子に、ここまでしたんは……さすがに、ちょっと許せへんなぁ」
怒気はない。
殺気もない。
だからこそ余は僅かに目を細めた。
「一銭の得にもならへんし、ほんまは極力やりとうないんやけど……」
小さな溜息。
「蛇神の面子いうもんも、あるさかいな」
みづちが立ち上がった。
ゆっくりと実に自然な所作で立ち上がる拍子に、豊かな胸元が揺れる。
そしてこの身体の視線がそちらへ引かれた。
『…………』
(ち、違うからね!?)
『何がだ』
(僕じゃないから! 身体! 身体が勝手に反応しただけだから!)
『誰に言い訳しておる』
(いや、だって!)
『見るなら堂々と見ろ。なぜ狼狽える』
(そういう問題じゃないよ!)
くだらん。
今はそれどころではない。
みづちは構えを取らない。
両腕を自然に垂らし肩にも腰にも余計な力を入れず。
ただそこに立っている。
先ほどまでと何も変わらぬ。
否。
だからこそ違う。
「防人十二支将隊」
静かな声。
「巳をあずかる、因達羅隊隊長」
わずかに顎を引く。
「蛇神みづちや」
そして艶やかに微笑んだ。
「ほな、推して参る」
(……軽っ!)
俗物の声が響く。
(今から戦うんだよね!? 『ほな、お茶でも淹れよか』くらいの感じなんだけど!?)
『だからこそ厄介なのだ、俗物』
(え?)
『殺気を振り撒く者は読みやすい。怒気を放つ者も同じよ』
怒りは呼吸を変える。
殺意は視線に出る。
恐怖は足を鈍らせる。
昂りは動作を大きくする。
感情とは戦場において、何より雄弁だ。
だがこの女には、それがない。
姪を倒され、余へ怒りを抱いてるのは間違いない。
それでも呼吸は変わらん。
脈も重心も立ち方さえ。
(……それって)
『戦い慣れておる』
先ほど双子へ下した評価とはまるで意味が違う。
力の大小だけではない。
この女は修羅場を知っている。
みづちが笑った。
「ふふっ……」
紫の瞳が余を捉える。
「こっちも、ちゃんと本気で向き合わんとなぁ」
細められた瞳の奥で、紫が妖しく揺れた。
「気ぃ抜いたら、うちの方が頭から喰われてまいそうやわ」
「ようやく理解したか」
「あら。怖い怖い」
言葉とは裏腹に女は笑っている。
余もまた口元を吊り上げた。
面白い。
この世界へ来てから少しは骨のある者どもに出会うようになったではないか。
(皇帝)
『なんだ?』
(楽しんでない?)
『無論だ』
(やっぱり!!)
みづちの右手が静かに持ち上がった。
しなやかな指が折り重なり印を結ぶ。
「明星北斗、卻閉千里、六甲反張、不避禍殃」
聞き慣れぬ土地の呪言。
先ほどまでの間延びした話し方が消え、一音ごとに確かな力が宿っていく。
「急急如律令!」
蛇神みづちが袖を振るった。




