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第二十話 後編 暗黒皇帝、魔鎧を纏う

第二十話 後編


「虚空一流ってほんとに剣術なの?」

俗物の声がザザを通じて余に聞こえる。


 まったくだ。

それについてだけは、余も少しだけ同意してやろう。


 だからこそ美しいのだ。


 剣という一つの道を究め続け、ついには幾多の魔法の理すら己の剣理でねじ伏せる。

 その到達した高みは、余の魔導にも決して劣らぬ。


「一花よ」


 余は空中で黒衣を翻し、《無双桜》を構える女を見据えた。


「褒めてつかわす」


 一花の眉が、ほんの僅かに動く。


「流石は余が認めた剣の冴えよ。

その若さでそこまで研ぎ澄まされた剣は、他に比類なき美しさ、鋭さ、そして強さを備えておる」


 一花はほんの少し嬉しそうに目を細めた。


「恐悦至極にございます、殿」


 クククッ。その顔こそ、余の知る一花よ。


「ザザさん」


「あ?」


「皇帝って、人を褒めることあるんだね」


「そこに驚くのかニャ」


「だって僕、あんなに褒められたことないよ?」


「そりゃお前が褒めるところの少ねえデブだからだニャ」


「ひどくない!?」


 聞こえておるぞ、俗物。だが今は捨て置く。


 一花が剣の極みを見せた以上、余も魔導の極みを示さねばなるまい。


暗黒皇帝ヴァルガイアが、本気で敵を屠ると決めた時にのみ纏う力を。


「いくぞ、一花」


「いつでも」


 一花が《無双桜》を正眼に構える。余が両腕を広げた瞬間、黒紫の魔力が噴き上がった。


「《暗黒魔鎧《フィンスタール・パンツァー》》」


 ドンッ!!


 空気を弾き飛ばした黒紫の魔力が全身に絡みつき、肩から胸、腕、腰、脚へと凝縮して、禍々しい甲冑を形作る。


兜には王冠を模した意匠、胸には紫黒の紋様が脈打った。装甲の隙間では、炎にも似た暗黒の魔力が揺らめいている。


「…………うわ」


 俗物の声。


「完全にラスボスじゃん」


「何言ってんだニャ」


 ザザの二股の尾が揺れる。


「陛下は最初からラスボスみてえなもんだろ」


「本人の前で言って大丈夫、それ?」


「聞こえてるニャ」


 聞こえておるわ。後で覚えておけ、ザザ。


 《暗黒魔鎧》は、魔力を肉体に重ね合わせ、膂力や防御力、反応速度、魔力の出力までも極限まで引き上げる。通常時とは比較にならぬ力を得る代償は、魔力よ。


 装甲を維持するだけでも絶えず魔力を喰う。踏み込み、加速し、力を振るうたび、消費はさらに増す。余ほどの魔力量をもってしても、長く纏えば底が見える。故に、余が本気で短期決戦を挑む時にのみ纏う、皇帝の戦装束よ。


 もっとも、一花の《虚空斬》を相手にするなら防御力の向上は頼れぬ。いかに強固な鎧であろうと、正面から受ければ空間ごと斬られる。ならば答えは単純。一花の剣を上回る速度で躱せばよい。


「ザザさん。あの鎧、一花さんの《虚空斬》も防げるの?」


「無理だニャ」


「即答!?」


「さっき何見てたんだ、デブ。あの女が斬るのは鎧じゃねえ。空間だ」


「じゃあ防御力上げる意味なくない?」


「お前、本当に頭悪いニャ」


「今日会ったばっかりなのに評価がどんどん下がってる!」


 ザザが牙を見せる。


「防げねえなら、当たらなきゃいいだろ」


 ほう、その通りだ。


 一花も理解したらしく、《無双桜》の切っ先をわずかに下げて腰を沈めた。


来るか。


余がそう思った時には、すでに一花の姿が眼前にあった。


「虚空一刀流――《虚空斬・嵐》」


 横薙ぎとともに、余の首の高さを音のない裂け目が走った。兜の角が触れる寸前、余は身を沈めた。背後の石壁に細い断層が刻まれる。


 間髪を入れず下から斬り上げ、左へ逃れた先には袈裟斬りが迫る。刃が幾重にも霞み、前後左右から空間の断絶が押し寄せた。なるほど、《虚空斬》を連ねて逃げ道を削る剣の嵐か。


 先ほどまでの余なら、《重圧》で刀を逸らす間もなく、そのどれかに身体を置いていたであろう。だが今は、肩の動きも腰の捻りも、刃が空間を断つ寸前の剣筋まで見える。


 右足を引けば断絶がつま先を掠める。地を蹴って頭上へ逃れると、先回りした一閃を空中で身を横倒しにして抜けた。


「……!」


 一花が目を見開く。クククッ、貴様の剣を魔法で逸らさずに躱せたのは初めてだな。余は背後へ回り込み、鎧に覆われた掌底を脇腹へ打ち込んだ。


 《無双桜》の柄が滑り込み、直撃を防ぐ。だが衝撃までは殺しきれぬ。一花の足が石床を削り、数歩分、後ろへ滑った。


「まだだ」


 追う。踏み込んだ足下の石床が砕け、拳が一花の頬を狙う。一花は首を傾けて避け、返す刃で余の腕が占める空間を断った。余は拳を引き戻す。装甲の表面を薄い亀裂が走り、腕の形に沿ってすぐに塞がった。


 当たれば鎧ごと斬られる。それでも、当たる前なら躱せる。


「すごい……皇帝が、一花さんの剣についていってる」


 観客席で俗物が呟いた。


「ついていくだけじゃねえ。反撃までしてるニャ」


 ザザの声が低くなる。


「だが、見ろ。胸の紋様を」


 紫黒の紋様が脈打つたび、装甲の隙間から噴く魔力の炎が一瞬だけ弱まる。余の内から魔力が流れ出ている。躱した回数だけではない。今こうして向き合っている間も、鎧は休まず喰い続けている。


「……あの鎧、ずっと魔力を使ってるの?」


「ああ。陛下の力をあそこまで引き上げるんだ。燃費がいいわけねえニャ」


 一花も胸の紋様を見た。


「長くは保ちませぬか、殿」


「ならば、長引かせぬまでよ」


 余は距離を開き、一花へ右手を向けた。膂力だけでは仕留められぬなら、残る時間を魔導に賭ける。人差し指の先に黒い光が灯り、一筋の電光が弾けた。次の瞬間には紫黒の火花が幾重にも爆ぜ始める。


「《黒雷〈シュヴァルツ・ブリッツ〉》」


 轟音とともに黒い雷が一花へ走った。速度という一点では、数ある攻撃魔法の中でも別格だ。いかに剣の天才でも、放たれた雷を見てから躱すことはできぬ。読むなら発動前の指先と魔力の流れよ。


「っ!」


 一花の瞳が鋭く細められる。一花は回避ではなく防御を選び、《無双桜》を黒雷の軌道へ割り込ませた。


 バヂィィィィィィッ!!


 受けてしまったな、一花。黒雷が刀身を這う。


「くっ……!」


 一花の身体が初めて大きく揺れた。《無双桜》から腕、肩へと黒い雷光が駆け抜ける。これは余の闇属性を帯びた《黒雷》だ。刃で軌道を逸らしても、接触した時点で刀を伝い、握る者の肉体を喰らう。


「一花さん!?」


「よく見とけ、デブ」


 ザザの声から、先ほどまでの軽さが消えた。


「こっからだニャ」


 クククッ。よく分かっておるな、ザザ。この程度で終わる女なら、余が《円卓の英雄》第三席などという席を与えるものか。


「さあ」


 黒紫の雷光を指先に残したまま、余は一花を見下ろした。


「次はどう捌く。一花よ」


「…………」


 一花は答えない。《黒雷〈シュヴァルツ・ブリッツ〉》を受けた右腕には痺れが残っているはずだが、《無双桜》を握る手は震えず、視線も余から外さぬ。よい。ならばさらに上げるぞ。余は右手を天へ掲げた。


「《黒雷轟〈シュヴァルツ・ドンナー〉》」


 ゴロ……。


 帝国大闘技場の上空から、低い唸りが響いた。


「ん?」


 観客席の俗物が空を見上げる。先ほどの《隕石落下》とは違い、魔法陣からではなく幾重にも重なった紫黒の魔力から黒い靄が滲み出し、渦を巻きながら巨大な雷雲へ育っていく。


 バヂッ!


 黒雲の奥で雷光が走る。


 バヂバヂバヂバヂッ!!


「…………」


 俗物の顔が引きつった。


「ザザさん」


「なんだニャ」


「あれ……絶対、落ちてくるやつだよね?」


「見りゃ分かるニャ」


「どこに?」


「一花の頭だろ」


「聞かなきゃよかった!」


 クククッ。安心せよ、俗物。まだ落としておらぬが、すぐに落とす。


 雷雲の中心へ魔力が収束し、光でありながら周囲の光を奪うような漆黒が生まれた。雷鳴が大闘技場の石壁を揺らす。


 先ほどの《黒雷》とは違い、天から地へ圧倒的な出力を叩き落とす術だ。


「さて」


 余は右手を振り下ろした。


「受けてみよ」


 轟ッ!!


 空を裂いて、巨大な黒雷が一花めがけて落ちた。


「一花さんっ!」


「いちいち叫ぶニャ、デブ! 耳が痛え!」


「だってあれ無理でしょ!?」


「だったら見とけ。あの女がどうするかをニャ」


 一花は逃げる様子もなく黒雷を見上げ、《無双桜》の切っ先で己の前にゆっくりと円を描いた。


「む?」


 切っ先が一周した直後、《黒雷轟》が一花へ到達した。勝負ありと思われたが、漆黒の雷光は爆発もせず、弾かれもせず、刀の描いた円の内側へ吸い込まれるように消えていく。


挿絵(By みてみん)


「…………ほう」


「…………消えた?」


 俗物が瞬きをする。


「違うニャ」


 ザザの金色の瞳が、一花の描いた円を凝視する。


「あの女……雷の通り道ごと斬り捨てやがったニャ」


 クククッ。なるほど、面白い。一花が《無双桜》を振り切る。


「虚空一刀流」


 切っ先が描いた円だけが、薄い亀裂となって空間へ残っている。


「《虚空斬・円》」


 そういうことか。


 先ほど《重圧》で剣筋を狂わせた時、一花は落下する力さえ斬撃に変えた。

 今度は刀で円形に空間を切り取り、《黒雷轟》が通るはずの道を自分のいる場所から隔絶したのだ。

 雷そのものを防ぐ代わりに、雷が届く道を斬り捨てた。


「クククッ……!」


 笑いが込み上げる。


「見事!」


 余が笑った瞬間、一花が地を蹴った。胸元へ迫る《無双桜》を《暗黒魔鎧》の反応で躱す。刃は空を斬ったはずだったが、ピシッと空間に亀裂が入る。


 胸の紋様から右肩の装甲へ流れ込む、黒紫の魔力。その筋を横切るように、細い空間の裂け目が走った。


「……む?」


 一花が狙ったのは、余の身体ではない。鎧へ魔力を送り込む経路だ。紫黒の紋様が激しく明滅する。右肩の装甲から炎が消え、腕が一瞬だけ重くなった。切り離された空間を迂回させ、経路を繋ぎ直す。


 その途端、失われた装甲の力を補うため、魔力がごっそりと奪われた。躱した。斬られてもおらぬ。それでも、たった一太刀で《暗黒魔鎧》の残り時間を削られたのだ。


「そこを見ていたか、一花」


「先ほどから、胸の紋様が脈打つたびに魔力の流れが変わっておりましたゆえ」


 一花は着地するや、《無双桜》を正眼へ戻した。


「殿のお身体に届かずとも、鎧の力が通る場所ならば斬れるかと」


 クククッ。恐ろしい女よ。余の速さに追いつけぬと見るや、その速さを生み出す仕組みを斬りに来たか。


「今の、皇帝に当たったの?」


「当たってねえニャ。なのに鎧の魔力が乱れた。あの女、見えてるニャ……」


 観客席のザザも、紋様の変化に気づいたらしい。右肩の装甲に再び炎が灯る。だが、修復に費やした魔力は戻らぬ。次も同じ場所を断たれれば、鎧の維持はさらに苦しくなる。一花の足が、わずかに動いた。もう一度来る。


 ならば、経路を見定める暇を与えぬ。


 余は宙を蹴った。《暗黒魔鎧》が魔力を推進力へ変え、一花の右側へ。

 《無双桜》が閃く。

 紙一重で躱し、今度は左後方へ。さらに上空へ。加速のたび、胸の紋様が脈打つ。魔力が減る。


 構わぬ。残る力を惜しんで一花に次の一太刀を許す方が、よほど高くつく。

 《虚空斬・円》が切り離せるのは、一つの空間。

一花でも同時に十の道は断ち切れまい。余は一花の頭上で静止し、両手を向けた。

 十指のすべてに、漆黒の雷光が灯る。


 バヂッ!


「……十発?」


 観客席で、俗物が息を呑む。


「算数できて偉いニャ、デブ」


「今それ言う!?」


 正解だ。


「《黒雷十迸〈シュヴァルツ・ツェーンブリッツ〉》」


 バヂィィィィィィィィッ!!


 十指から同時に迸った黒雷は、上下左右へ軌道を変え、一花の逃げ道を潰しながら殺到した。一花の瞳が細くなる。


「《虚空斬・円》!」


 《無双桜》が走った。一つ、二つ、三つ。空間へ次々と円が描かれ、黒雷が吸い込まれて消えていく。四、五、六。見事な速さだが、残る軌道すべてには届かぬ。


「……っ!」


 七条目を消した瞬間、右側から回り込んだ黒雷が一花の脇腹を捉えた。


 バヂッ!!


「くっ!」


 さらに二条が肩と左脚を打ち、計三条が一花を捉えた。


 バヂィッ!!


「一花さん!」


 俗物が立ち上がる。一花の身体が大きく跳ねた。


 黒い電光が着物の上を這い、肩から腕、腰、脚へと駆け抜ける。

 指が痙攣し、膝が落ちる。

 それでも一花は《無双桜》を離さず、刃を地面へ突き立てた。


 ガッ!


 刀を杖代わりにして、一花は辛うじて立った。


「…………」


 俗物が息を呑む。


「ザザさん……今の、三発当たったよね」


 ザザの二股の尾が、ゆっくりと左右へ揺れる。


「大丈夫なわけねえだろ。陛下の《黒雷》だぞ。三発まともに食らって『ちょっと痺れました』で済んだら、俺が引くニャ」


 俗物は言葉を失った。


クククッ。その通りだ、


ザザ。戦場に、都合のよい安心など必要ない。だが、一花を追い詰めた代償は余も払っている。

断たれた右肩の経路を繋ぎ直し、十条の雷を放った後も、鎧は魔力を喰らうことをやめぬ。


 胸の紋様がひときわ強く脈打った。長くは保たぬ。

 余は地上の一花を見据えた。

呼吸は乱れ、右腕も脚も痺れから回復しておらぬ。

 それでも目の輝きは失われず、むしろ先ほどより鋭い。

 

 刀を杖に立つ一花がゆっくり顔を上げ、笑った。


「…………」


 ほう、まだやるつもりか。よかろう、一花。その剣がどこまで届くのか、余に見せてみよ。


 やがて一花は《無双桜》を地面から引き抜くと、黒雷に灼かれた腕でゆっくりと構え直した。


「殿」


「なんだ」


「これより、我が剣のすべてを一刀に込めます」


 そう言って、一花はニコリと笑った。


「…………」


 この局面で笑うか。黒雷に灼かれ、立つのも難しい身で次の一撃を放てば、おそらく己も倒れる。


 それを理解してなお笑う女には、「傑物」という言葉さえ物足りぬ。


 まさしく英雄の中の英雄よ。

 思えば、貴様は昔からそうであったな。


 剣帝と謳われ、三十年にわたり敗北を知らなかった男。奴隷剣闘士から、己の剣一本で玉座まで奪い取った男。千年を超える聖騎士団の歴史において、最強と称された男。


 国も流派も生き方も違い、いずれも己こそ最強と信じて疑わぬ者どもだった。そのすべてを――


「一花」


 余は笑った。


「貴様が全て斬り伏せてきたな」


 一花は答えず、《無双桜》を握り直す。その姿だけで十分だった。


「余が誇りし美しき剣の化身よ」


 魔力を解き放つ。

 黒紫の奔流が《暗黒魔鎧》から噴き上がり、大気を震わせた。鎧はなお魔力を喰い続けている。一花に乱された経路を維持するだけでも、消耗は増した。このままでは、六属性を束ねる前に残る力まで失う。


 余は胸の紋様に手を当てた。


「役目は果たした」


 肩から脚へ、禍々しい甲冑がほどけていく。角を戴く兜が魔力の炎に還り、残った黒紫の奔流が余の掌へ集まった。鎧を解いた今、一花の剣を躱す速さは失った。次の一刀は魔導で迎え撃つしかない。


「来い」


 余は両腕を広げる。


「貴様の全力、余の全力をもって迎え撃とう」


 一花の瞳が細くなる。


「ありがたき幸せ」


 一花が剣士としてのすべてを賭けるなら、余も魔導士ヴァルガイアとして応えねばなるまい。暗黒魔法の先に至った、己の極致をもって。


「ザザさん……」


 観客席から俗物の声が聞こえた。


「なんだニャ」


「なんか皇帝の周り、ヤバくない?」


「今さら気づいたのかニャ」


「いや、さっきまでのヤバいと種類が違うって!」


 ほう、少しは分かるようになったか。余が右手を掲げて魔力を解放すると、紅、蒼、翠、黄土、白光、玄闇の六つの光が周囲に現れた。


「……六属性?」


 俗物の声から、ふざけた調子が消えた。


「違う……」


 ほう。


「六属性を別々に出してるだけじゃない……六つの流れの拍子を《同調》させてる」


 俗物の目が、余の掌の上で回る六つの光を追う。


「でも、火と水、光と闇が触れたら反発するはずだ。ぶつかる境目の魔力だけ《変換》して……消えそうな力を《循環》させて戻してる?」


 クククッ。よく見えておる。六属性と六大制御法は、六つを一つずつ対応させるものではない。六種すべての魔力に、同じ制御を絶えず行き渡らせる。


 拍子が揃っても、火は水を蒸発させ、水は火を鎮めようとする。境界を変え、輪の中へ戻してやらねば、混ざる前に相殺されて終わりよ。


「接したところから、新しい魔力が《生成》されてる……それを中心に《収束》して」


 俗物が息を呑む。


「最後に《放出》する。それで六大制御法、全部だ」


 まだ放ってはおらぬぞ、俗物。


 だが、そこまで見抜いたなら十分だ。貴様が学んだ六つの制御を、余は同時に操り、六属性から存在しなかった一つの力を創る。これが、魔導の極致の一つよ。


「紅蓮よ還れ。蒼海よ還れ。翠風よ還れ。黄土よ還れ」


 六色の魔力が回転を始める。


「白光よ還れ。玄闇よ還れ」


 触れれば反発するはずの六属性が、余の掌の上で少しずつ溶け始めた。


「六つの理、砕けて一つに」


 紅と蒼が触れる。境目が白い蒸気のように弾ける寸前、余はその魔力の性質を変え、輪へ戻す。翠が黄土を巻き上げ、白光と玄闇が互いを削ろうとする。そのたびに生じる歪みも、変えて、巡らせる。


 六つの色は消えぬ。回転する輪の中で明滅しながら、輪の中心に、それまで存在しなかった第七の輝きを生んだ。生成されたその力を核に、六属性が絡み合う。やがて虹色の奔流へと変わっていった。ザザの二股の尾が、ぴたりと止まった。


「……マジかニャ」


「ザザさん?」


「デブ」


 ザザは一花から余へと視線を移した。


「よく見とけ」


 その声に、いつもの軽口はなかった。


「これが陛下の魔導だニャ」


 クククッ。


「我が名はヴァルガイア。

暗黒皇帝、全属性を支配して六つの理を一つへ戻す者。

汝らを統べし者にして、汝らを再び野へ放つ者なり」


 余が編み出した六属性混合魔法は、相反する六つの理を崩さず巡らせ、新たな力を生み出す禁呪よ。掌の中で虹色の魔力が脈動する。


 さあ一花、貴様の剣と余の魔導、どちらが世界の理を上回るか決めようではないか。


 一花は何も言わず、静かに頷いた。《無双桜》を両手で握り、切っ先を余へ向ける。


 正眼は虚空一刀流の基本中の基本だ。だが一花の構えには、奇を衒ったところも無駄な力みもない。

足の位置、腰の高さ、肩の抜き方、肘の角度、切っ先の向きまで、すべてがあるべき場所に収まっている。


 削るものも足すものもない、完成された彫刻のような美しさ。その正眼をこれほど恐ろしく見せる剣士を、余は一花以外に知らぬ。


「殿」


 一花が息を吸う。


「参ります」


「来い」


 《無双桜》がスゥと振り上げられた。力みも殺気も薄いまま、一花は静かに息を吐く。


「虚空一刀流」


 一花の瞳が余だけを捉える。


「奥義」


 一花は静かに刀を振り下ろした。


「《虚空斬・絶》」


 音はなかった。

斬撃が飛ぶ代わりに、一花と余を隔てる空間そのものへ一筋の断絶が生まれる。

大気も魔力も、その先に存在するものをまとめて断つ。

世界すら両断しかねぬその一刀こそ、桜井一花――《龍殺不敗》が己のすべてを込めた剣だった。


「クククッ……!」


 思わず笑みが零れた。


 よかろう、ならば余も負けるわけにはいかぬ。 

両掌の間で《混沌相》が脈動する。

紅蓮、蒼海、翠風、黄土、白光、玄闇。本来は相容れぬ六属性を巡らせたまま、虹色の奔流をさらに圧縮した。


「まだ……練るの!?」


 遠くから俗物の声が聞こえた。


「おいおいおい……」


 ザザの二股の尾が、ぶわりと膨らむ。


「陛下、本気の本気だニャ」


「今まで本気じゃなかったの!?」


「本気にも段階ってもんがあるんだニャ!」


「そんな迷惑な段階いらないよ!」


 構わず魔力を収束させる。掌の外周では、六つの属性がなお巡り続けている。循環を一瞬でも止めれば、核がほどけ、六属性は互いを喰らって消える。余は変換と同調を保ったまま、生成された核ごと輪を絞った。


 巨大だった虹色の奔流が、両掌に収まるほどの光球へと凝縮されていく。小さな球の内側で六属性が巡り続け、押し込めた魔力の密度は先ほどまでとは比較にならぬ。


 同調、変換、循環、生成。


そのすべてを崩さぬまま一点へ収束させ、迫る次元斬へ両手を向ける。残る制御は、放出のみ。


「《混沌相・終極〈カオスフェイズ・エンデ〉》!」


 最後の制御、《放出》によって虹色の奔流が解き放たれ、世界を斬る剣と正面から激突した。


 轟ッッッッッッッッッッッッッッ!!


 視界が白く染まり、遅れて爆音と衝撃が押し寄せた。大闘技場の石床が捲れ上がり、周囲を覆う結界が悲鳴を上げる。


 《虚空斬・絶》が虹色の奔流を割った。否、一花の剣が斬ったのは魔力ではなく、余へ至る空間そのものだ。世界に刻まれた断絶が《混沌相・終極》の中心へ食い込んでくる。


 余は六属性の循環を保ち、断たれた空間の境界へ虹色の魔力を流し込んだ。剣が裂いた場所を一つに繋ぎ直すたび、別の場所が斬り開かれる。互いの力が削れ、軋み合い最後には光さえ消えた。


「…………」


 耳鳴りだけが残る静寂の中、余は正面を見た。一花は《無双桜》を振り下ろした姿勢のまま立っていたが、ふいに全身の力が抜け、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


「一花!」


 鎧を解いた身で地を蹴り、一花へ駆け寄る。地面へ落ちる寸前に抱き留めた身体は、あれほど凄まじい剣を振るっていた者とは思えぬほど軽かった。


「…………」


 一花が薄く目を開ける。


「殿……」


「一花よ」


 余はその身体を支えながら笑った。


「この勝負.....」


 一拍置いて告げる。


「引き分けだな」


 一花の唇がわずかに緩んだ。


「……いいえ」


 掠れた声。


「殿の……勝ちにございます」


「ほう?」


「最後の一撃を……相殺され……なおかつ……」


 一花が余の腕を見る。


「倒れるこの身まで……殿に支えていただいております」


 一花は呼吸を整え、言い切った。


「我が身……すでに死に体。これを引き分けと申しては……剣士の名折れにございます」


「…………」


 まったく、最後まで頑固な女よ。


「だがな、一花」


 余は静かに告げる。


「初めてだぞ」


 一花の瞳が僅かに開く。


「余の放った《混沌相・終極》を」


 腕の中の剣士を見下ろす。


「斬撃一つで止めた者は」


「…………」


 一花が嬉しそうに笑った。


「ありがたき……お言葉」


 その時、一花の指先から淡い光が零れた。手から腕、足へと広がり、輪郭が少しずつ光の粒に変わっていく。


挿絵(By みてみん)


「……む」


 これほどの損傷に加え、《虚空斬・絶》でその力を使い尽くしたか。


 記憶体を維持する核が、限界を迎えている。この一花は、かつて余が知った本人ではない。姿も声も癖も剣も、余の記憶からこの精神世界に再構築した記憶体に過ぎぬ。


 だが、その眼差しを前にすれば、記憶の写しという言葉だけでは片づけられぬ。


「殿……」


「なんだ」


「殿の記憶に残る残滓から成る……この身なれど」


 一花の手が余の黒衣を弱々しく掴んだ。


「殿をお慕いする気持ちに……嘘はございません」


「…………」


「殿の窮地に……馳せ参じられなかった私どもを……」


 声が震える。


「どうか……お許しを」


「言うな」


 余は即座に遮った。


「余もまた、未熟であったがゆえの結果よ」


 一花が悪いのではない。誰か一人に責を押し付けるほど、余は落ちぶれてはおらぬ。


「ですが……」


 一花が目を閉じる。


「私と……第五席《悠久暗刃》……そして第六席《海賊提督》が……」


 呼吸が細くなる。


「あの場におりましたなら……殿を、あのような目には……」


 一花は悔しげに唇を噛む。


「それだけが……口惜しくてなりません」


「一花」


 余は静かにその名を呼んだ。


「その方らの忠節」


 一花の身体から舞い上がる光が、余の頬を照らす。


「それこそが何より、余には嬉しいぞ」


「…………殿」


 一花が笑った。剣士として強者を前にした時とは違う、余のよく知る桜井一花の笑顔だった。


「殿。私は……殿の記憶より生まれた、ただの残滓にございます」


 一花の身体が、さらに光へ溶けていく。


「ゆえに……今を生きる私が、どこで何をしているのか……知る由もございません」


「…………」


「ですが」


 一花は、迷いなく微笑んだ。


「桜井一花という女を……私は誰より知っております」


 消えかけた手が、余の黒衣を強く掴む。


「私も……あの二人も……殿が生きておられると知れば、必ずや異界を渡り、殿の御前へ馳せ参じましょう」


「断言するか」


「はい」


 一花は弱々しくも誇らしげに頷いた。


「それが……殿の知る、私どもでございましょう?」


「…………」


 クククッ。記憶から生まれた存在でありながら、どこまでも一花そのものではないか。


「ああ。違いない」


 余は、一花の身体を抱く腕へ力を込めた。


「ならば、待つとしよう」


「はい……それまで、しばらく……」


 一花の声が消えかける。


「お待ち……くださいませ……」


 最後の言葉とともに、一花の身体は完全に光の粒となった。余の腕から重みが消え、淡い光が帝国大闘技場の空へ昇っていく。


「…………」


 余はしばらく、それを見送った。


「ご苦労」


 短く、それだけを告げる。


 返事の代わりに光は無数の粒となり、静かに余の精神世界へ溶けていった。

 いずれ再び相まみえる、その日まで。


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