第十七話 後編 剣術道場へ行く
放課後。
桜井さんに案内されて辿り着いたのは、住宅街の一角にある古い道場だった。
桜井家の母屋に隣接する、瓦屋根の木造建築。
引き戸を開けた瞬間、乾いた木の匂いが鼻をくすぐる。
磨き込まれた板張りの床。
壁際には何本もの木刀が整然と並び、夕方の光が高い窓から斜めに差し込んでいた。
学校の体育館とは全然違う。
静かだ。
誰も声を出していないのに、自然と背筋を伸ばしたくなるような空気がある。
『ほう』
皇帝が珍しく感心したような声を漏らした。
『広くはないが、趣のある修練場だな。長く人が技を磨いてきた場所には、それなりの空気が宿るものだ』
(そういうの分かるんだ)
『余を何だと思っている』
(異世界から僕の頭に住みついた偉い人)
『皇帝だ!』
いつものやり取りをしていると、道場の奥から足音が聞こえてきた。
「お待たせ、陰山くん」
振り向いて――僕は一瞬、言葉を失った。
白い稽古着に、黒い袴。
長い黒髪はいつものように高い位置で結ばれ、赤いリボンが揺れている。
制服姿の桜井さんとは、雰囲気がまるで違った。
凛としている。
竹刀も持っていないのに、立っているだけで妙に絵になる。
「……桜井さん、かっこいい」
思ったことが、そのまま口から出た。
「え?」
「あっ」
やばい。
「いや、その! 変な意味じゃなくて! 道着が似合ってるっていうか、いつもと雰囲気が違うっていうか!」
慌てて両手を振ると、桜井さんは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「ほんと? 照れるなぁ」
そう言って、少しだけ頬をかく。
……かわいい。
『顔が緩んでおるぞ』
(うるさい)
『俗物め』
(うるさい!)
桜井さんは壁際の木刀を一本取り、僕にも差し出した。
「はい。陰山くんの分」
「ありがとう」
受け取る。
思っていたより重い。
ゲームの剣ならボタン一つで振れるのに、現実は持っただけで手の中にずしりと存在感があった。
「ここって、桜井さんの家の道場なんだよね?」
「うん。今はおじいちゃんが見てるよ。私も小さい頃からここで教わってるの」
「へえ……」
道場を見回す。
壁の上には、古びた額が掛けられていた。
達筆すぎて、僕には何と書いてあるのかよく分からない。
「あれ、何て書いてあるの?」
「『虚空一刀流』」
『……ほう』
また皇帝が反応した。
今度は、さっきより少しだけ声が低い。
(皇帝?)
『構わん。続けさせよ』
なんだろう。
気になったけれど、桜井さんが話を続けた。
「うちで伝えてる剣術の名前。かなり古い流派なんだって。始まったのは室町時代らしいよ」
「室町!?」
思わず額を見上げる。
急に歴史の重みが数百年単位になった。
「私も全部詳しいわけじゃないけどね。戦国時代には、うちのご先祖が武将に仕えて、戦場にも出てたらしいよ」
「戦場……」
さらっと言われたけれど、急に話が物騒になった。
「合戦で主君を守り抜いたとか、敵に囲まれても一人で道を切り開いたとか。どこまで本当か分からない話も多いけど、それで虚空一刀流の名が知られるようになったんだって」
「なんか一気に伝説っぽくなってきたね……」
「でしょ?」
桜井さんは少し楽しそうに笑った。
「江戸時代に入ってからは、各地の剣士と交流した記録も残ってるみたい。柳生の剣士と試合をしたって話もあるよ」
「柳生って……あの柳生?」
「たぶん、その柳生」
急に僕でも知っている名前が出てきた。
柳生新陰流。
歴史に詳しくなくても、ゲームや漫画で何度も見たことがある。
「それ、どっちが勝ったの?」
「それがね、勝敗は記録に残ってないんだって」
「そこ一番大事じゃない!?」
「おじいちゃんも同じこと言ってた」
『フン。勝敗を記さぬとは、つまらん記録だな』
(皇帝まで同じところ気にするの!?)
「でも、そのとき柳生側から贈られたっていう木刀が、今も桜井家に残ってるらしいよ」
「えっ、見たい」
「私も見たことないの。おじいちゃんが大事にしまってるみたい」
僕はもう一度、古びた額と壁際の木刀を見回した。
さっきまでは、ただ古い道場だと思っていた。
でも戦国時代にも、江戸時代にも、ここへ繋がる誰かが剣を握っていた。
そう思うと、磨かれた床の傷まで少し違って見える。
「すごい家だったんだ……」
「今は普通の家だけどね」
桜井さんは笑う。
いや、家に室町時代から続く剣術道場がある時点で、僕の知ってる『普通』からはかなり遠い。
「その中でも、桜井さんが一番好きな剣士っているの?」
「いるよ」
「いるよ」
返事は早かった。
桜井さんは木刀を胸の前で抱え、少し嬉しそうに目を細める。
「ずっと昔のご先祖様なんだけどね。幕末にいた女の剣士で、若い頃にはもう虚空一刀流を極めてたって言われてるの」
「女の剣士……」
「うん。戊辰戦争にも参加したらしいんだけど、その途中で突然いなくなっちゃったんだって。それから、どこへ行ったのかも分かってないみたい」
幕末。
戊辰戦争。
忽然と消えた女剣士。
なんだか歴史ミステリーみたいな話だ。
「私、その人にちょっと憧れてるんだ」
桜井さんが木刀へ視線を落とす。
「残ってる話は少ないんだけど、すごく強かったらしくて。私もいつか、その人みたいな剣士になれたらいいなって」
『シュウ』
不意に皇帝が呼んだ。
(なに?)
『その女の名を聞け』
声からふざけた気配が消えている。
僕は首を傾げながら、桜井さんに尋ねた。
「その人って、なんて名前なの?」
「一花」
桜井さんは答えた。
「桜井一花だよ」
その瞬間。
『…………』
(皇帝?)
『クク……』
低い笑い声。
『ククククク……!』
(な、なに!?)
突然、皇帝が笑い始めた。
しかもいつもの人を馬鹿にした笑いじゃない。
本当に愉快で仕方がない、そんな笑い方だ。
『奇妙な縁もあったものよ』
(どういうこと?)
『その女を、余は知っておる』
(え?)
『桜井一花。円卓の英雄、第三席』
一拍。
『《龍殺不敗》桜井一花。余の配下だ』
(ええええええええっ!?)
「陰山くん?」
「ひゃいっ!?」
変な声が出た。
桜井さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。
「どうしたの?」
「な、なんでもない! ちょっと、室町から幕末ってすごいなぁって!」
「そこ?」
「そこ!」
危ない。
顔に出る。
いや、無理だろ。
桜井さんのご先祖様が皇帝の部下!?
(皇帝! どういうこと!? なんで幕末の日本人が異世界で皇帝の部下やってるの!?)
『後ほど話してやる』
(今聞きたい!)
『今は剣を学べ。せっかく目の前に師がいるのだ。余計なことに気を散らすな』
(余計じゃないよ! ものすごく重要だよ!)
『後だ』
こうなった皇帝は何を言っても聞かない。
僕はものすごく気になるものを頭の片隅へ無理やり押し込み、木刀を握り直した。
「じゃあ、始めよっか」
桜井さんが僕の正面に立つ。
「陰山くん、剣道とかは全然やったことないんだよね?」
「うん。本当にまったくの初心者。体育でちょっと触ったことがあるくらい」
「了解。じゃあ、まずは構えからね」
桜井さんは木刀を持ち、すっと姿勢を整えた。
「基本は中段。右足を少し前にして、左足は後ろ。足を一直線にしすぎないでね」
僕も真似をする。
「こう?」
「もう少し自然に。力まなくていいよ」
桜井さんが僕の足元を見て、位置を直す。
「左手はおへその少し前くらい。剣先は相手の中心から外さないように」
「中心?」
「うん」
桜井さんが自分の木刀の切っ先を僕へ向ける。
別に突かれているわけじゃない。
なのに、剣先が自分の中心を押さえているだけで妙に動きにくく感じた。
「中段って、攻めにも守りにも移りやすい構えなの。でも形だけ真似しても意味はないよ。相手との間合いと、中心を意識すること」
「間合い……」
「一歩入れば届く。でも一歩下がれば外せる。その境目をちゃんと感じるの」
桜井さんが一歩踏み込む。
僕の喉元へ、木刀の切っ先がすっと近づいた。
速く振ったわけでもないのに、思わず息を止める。
「剣って、振る前から始まってるんだよ」
「……なんか急に難しくなった」
「ふふ。最初はそんなもんだよ」
桜井さんが少し笑って、僕から離れた。
「じゃあ次、素振りね。まず見てて」
中段。
すっと木刀が上がる。
そして――振り下ろす。
ヒュッ。
空気を切る、短く澄んだ音。
もう一度。
ヒュッ。
速いというより、綺麗だった。
肩にも腕にも余計な力が入っているように見えない。
足から腰、腕、木刀までが一本につながっているみたいだ。
『ほう』
(またそれ)
『何だ』
(いや、すごいの? 素振りだけで分かるものなの?)
『貴様の目はつくづく節穴だな』
(綺麗なのは分かるよ!)
『ならば魔眼を使え』
(え?)
『見れば分かる』
言われるまま、僕は意識を右目へ集中させた。
視界が変わる。
桜井さんの動きが、さらに鮮明になる。
その瞬間――見えた。
(……なに、あれ)
桜井さんの身体から腕へ。
腕から木刀へ。
ごく薄い何かが流れている。
魔力じゃない。
皇帝の魔力とは色も感覚も違う。
煙のように揺らめきながら、それでも確かに木刀を包んでいた。
『気づいたか』
(これ……何?)
『以前にも見たであろう』
(以前?)
『防人だ。あの猿と小娘が使っていた力と同質のものだ』
猿飛さんと雉子谷さん。
(え?)
僕は思わず桜井さんを見る。
本人は何も知らないような顔で、木刀を肩に担いでいた。
「陰山くん?」
「な、なんでもない」
「じゃあ、やってみよっか」
(桜井さんって……何者なの?)
疑問がまた一つ増えた。
「はい。じゃあ、とりあえず百本!」
「……え?」
「素振り百本」
「まじですか?」
「まじです」
笑顔だった。
ものすごく爽やかな笑顔だった。
だからこそ逃げられない。
「いーち!」
「いち!」
「にー!」
「に!」
木刀を振る。
最初の十本くらいは余裕だった。
二十本。
三十本。
だんだん肩が重くなる。
「陰山くん、腕だけで振らない!」
「はい!」
「腰も使って! 剣先を走らせる!」
「はいっ!」
『遅いぞ、シュウ!』
(なんで皇帝まで参加してるの!?)
『鍛錬を怠るな!』
(見てるだけの人は楽でいいよね!)
『ならば代われ。余なら一万本でも振ってやろう』
(僕の身体でやるんだから結局僕が疲れるだろ!)
八十。
九十。
「ひゃ、百っ!」
最後の一本を振り切る。
額から汗が落ちた。
精神世界であれだけ動いてきたとはいえ、慣れない動作は別物だ。
肩も前腕もじんわり熱い。
「うん!」
桜井さんが満足そうに頷いた。
「じゃあ、このへんで終わり!」
(助かった……)
思わず肩の力が抜ける。
「準備運動終わり。本番いこっか!」
(今の準備運動だったの!?)
『クハハハハ! よいではないか!』
(よくない!)
それからの二時間は、僕の想像していた『ちょっと剣を教えてもらう』とは全然違った。
足の運び。
木刀の握り。
間合い。
身体の向き。
剣筋。
同じ動きを何度も繰り返し、そのたびに桜井さんが修正してくれる。
「今のは右手に力が入りすぎ」
「こ、こう?」
「うん。さっきよりいい」
また振る。
「陰山くん、足が止まってるよ。剣だけじゃなくて身体ごと」
「はい!」
「そう。それ!」
意外だったのは、桜井さんの教え方がすごく分かりやすいことだった。
ただ『こうしろ』じゃない。
どうしてその足の位置なのか。
なぜ剣先をそこに置くのか。
相手がどう動いたとき、何を守ってどう返すのか。
一つ一つ、僕にも分かる言葉にしてくれる。
『ほう。娘なりに術理を理解しておる』
(褒めてる?)
『事実を述べたまでだ』
(皇帝が他人を普通に評価するの珍しいな)
『余を何だと思っておる』
(ものすごく偉そうな人)
『実際に偉いわ!』
そんなことをしているうちに、高い窓から差していた夕日がいつの間にか細くなっていた。
道場の床を染めていた橙色も、少しずつ群青に変わっていく。
「よし」
桜井さんが木刀を下ろした。
「今日はこのくらいにしよっか」
「は、はい……!」
終わった。
終わったぞ。
腕は重いし、足も疲れている。
でも、楽しかった。
最初は木の棒にしか感じなかった木刀が、二時間前より少しだけ『剣』に近づいた気がする。
僕が息を吐いた――その瞬間だった。
ゾクッ!!
「――っ!」
背中を氷で撫でられた。
違う。
首だ。
何かが、僕の首へ来る。
考えるより先に膝が折れた。
僕はその場で勢いよく身を屈める。
ブンッ!
何もない。
「……え?」
頭上を振り返る。
何も飛んでいない。
木刀もない。
誰にも触れられていない。
それなのに。
首筋がひりついている。
今、確かに斬られた。
そんな感覚だけが残っていた。
「ほう……」
低い声。
「素人にしては、わりと動けるのう」
道場の入口に、一人の老人が立っていた。
黒い和服。
長い白髪を後ろで束ね、口元には白い髭。
片手には一本の杖。
穏やかな顔でこちらを見ている。
どこにでもいるお爺さん。
……には、見えなかった。
身体が勝手に警戒している。
「おじいちゃん!」
桜井さんが声を上げた。
(おじいちゃん!?)
老人は悪びれる様子もなく、からからと笑う。
「すまん、すまん。君がどれくらい動けるのか、少し試したくなっての」
「もう!」
桜井さんが腰に手を当てる。
「そんな剣気で陰山くんを威圧しないでよ!」
「いやいや、しっかり避けておったぞ」
「避けたからいいって話じゃないでしょ!」
「ほっほっほ」
怒られているのに楽しそうだ。
僕だけが笑えない。
(皇帝……今の、何?)
『…………』
(皇帝?)
『黙って見ておれ』
珍しく短い返事だった。
老人は杖をつきながら、ゆっくりこちらへ歩いてくる。
「桜井玄一郎じゃ。葵が世話になっとるようじゃな」
「あ、陰山修です。こちらこそ、桜井さんには……」
「そう畏まらんでよい」
玄一郎さんがにこやかに右手を差し出した。
握手。
さっきのは本当に、ちょっとした悪戯だったのかもしれない。
僕も右手を伸ばす。
「よろしくお願いしま――」
ゾクリ。
右肩。
そこから左脇腹へ。
斜めに――斬られる。
「――っ!」
上半身を思い切り後ろへ反らした。
鼻先を何かが通り過ぎる。
見えない刃。
いや。
実際には、何もない。
玄一郎さんは一歩も動いていなかった。
杖は左手。
右手は握手を求めるように差し出されたまま。
なのに僕の身体は、はっきりと袈裟斬りを避けていた。
「ほほう……」
玄一郎さんの目が細くなる。
さっきまでの柔らかいお爺さんの目じゃない。
一瞬だけ。
刃物みたいに鋭い光。
「わしの《空斬り》を二度も避けるか」
「空……斬り?」
次の瞬間には、もういつもの笑顔に戻っていた。
「将来が楽しみな若人じゃな」
背中に冷たい汗が流れる。
(皇帝……)
『ククッ』
皇帝が喉の奥で笑った。
『面白い老人が出てきたではないか』
(全然面白くないよ!)
何なんだ、この人。
最初は首。
次は袈裟。
魔眼は使っていない。
見えていたわけでもない。
ただ――身体が勝手に逃げた。
精神世界で、何度も斬られた。
潰された。
噛み殺された。
死ぬ寸前の感覚を、嫌というほど身体に叩き込まれた。
あの地獄みたいな修練が、僕の中に残っている。
そう考えると少しだけ嬉しい。
……いや、今はそれより。
「あの……桜井さん」
「なに?」
「おじいさんって……何者なの?」
「何者って……おじいちゃん?」
桜井さんはきょとんとしたあと、玄一郎さんを見る。
「うーん……」
少し考えてから、僕へ向き直った。
「昔、国を守る仕事をしてたらしいよ」
「国を守る仕事?」
「うん」
国を守る仕事。
真っ先に浮かんだのは一つだった。
「……自衛隊?」
「私も小さい頃、そう聞いたことある」
「やっぱり?」
「でも違うんだって」
「え?」
じゃあ何だ。
「何の仕事だったの?」
「それが教えてくれないの」
桜井さんが困ったように笑う。
「聞いても『昔のことじゃ』って、いつもごまかされちゃう」
「昔のことじゃ、昔のこと」
横から本人が割り込んできた。
完全に同じ台詞だった。
「ほらね?」
「ほっほっほ」
「笑ってごまかさないの」
祖父と孫のやり取りだけ見れば、ごく普通だ。
でも僕には、さっき首を斬られた感覚がまだ残っている。
『国を守る仕事、か』
皇帝がぽつりと呟いた。
(皇帝?)
『……なるほどな』
(なるほどって……)
国を守る仕事。
自衛隊ではない。
それに、さっきの《空斬り》。
そして何より、桜井さんから感じた、猿飛さんたちと同じ謎の力。
そこまで並べたところで、一つの言葉が頭に浮かんだ。
(……もしかして、防人?)
『さてな』
(いや、その反応! 絶対なんか知ってるでしょ!)
『ククッ。少しは頭が回るようになったではないか』
(じゃあ、やっぱり!?)
『余は何も言っておらん』
(言ってるようなもんだよ!)
『今は知らずともよい』
(またそれ!?)
でも、もし本当にそうなら。
桜井さんのおじいさんは、元・防人?
まだ決まったわけじゃない。
だけど、偶然で片づけるには重なりすぎている。
桜井一花のこと。
桜井さんが纏っていた謎の力。
そして、このお爺さん。
聞きたいことが、稽古前の何倍にも増えていた。
そのとき。
コツン。
玄一郎さんが杖の先で床を鳴らした。
乾いた音が、薄暗くなった道場に響く。
僕は何となく、その杖へ目を向けた。
使い込まれた、古い杖。
どこからどう見ても、それ以上のものには見えない。
「陰山くん、と言ったかの」
「は、はい」
呼ばれて顔を上げる。
玄一郎さんは、さっきまでと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
「また来るとええ」
「え?」
「葵だけでは、教えられんこともあるでな」
「おじいちゃん?」
桜井さんが怪訝そうに眉を寄せる。
けれど玄一郎さんは答えず、楽しそうに目を細めただけだった。
「ほっほっほ。なんでもない、なんでもない」
「もう。またそうやってごまかす」
僕にも意味は分からない。
ただ――。
『ククッ』
頭の中で皇帝が笑った。
(今度はなに?)
『あの老人、貴様を気に入ったようだぞ』
(えぇ……)
全然うれしくない。
だって僕は、玄一郎さんに会ってからまだ十分も経っていない。
その十分で、もう二回斬られている。
僕は杖をついて去っていく小さな背中を見送りながら、乾いた唾を飲み込んだ。
(……次に来る時は、何回斬られるんだろう)




