第一話 前編 暗黒皇帝、器に絶望する
最初に聞こえたのは、知らない男の絶叫だった。
『なんだ、この肉体はぁぁぁぁぁぁぁッ!!』
声は耳から入ってきたわけではない。
頭蓋骨の内側に直接落ちてきた。
雷どころではない。頭の中に巨大な鐘を設置され、全力で連打されているような騒音だった。
『貧弱! 脆弱! 虚弱! なんだこの情けない肉体は!』
うるさい。
『肩幅が狭い! 胸板も薄い! 筋肉量に至っては、余の右腕一本にも劣っておるではないか!』
知らない人に、勝手に身体を採点されている。
『魔力がない! 闘気もない! 覇気もない! 腹筋すら見当たらぬ!』
腹筋はある。
たぶん。
見えないだけで。
『この肉体、少し走っただけで息切れするのではあるまいな!?』
それは、まあ、する。
『視界もぼやけておる! なんだ、この役に立たぬ眼球は! まさか補助具なしでは遠方すら見えぬのか!?』
眼鏡を悪く言うな。
僕の身体の悪口が、聞いたこともない単語と勢いで次々に飛び出してくる。
夢の中とはいえ、ここまで一方的に罵倒されるいわれはない。
『あり得ぬ! まさか、これが余の高潔なる精神を宿す器だというのか!?』
高潔な精神を持つ人は、起きて早々、他人の肉体をここまで悪く言わないと思う。
『やり直しを要求する!』
誰にだよ。
『時空魔法の管理者を呼べ! 次元転移を担当した者を、余の御前へ引きずり出せ! このような欠陥品を宛がった責任を取らせよ!』
夢の中でもクレーム対応する人って大変なんだな。
『そもそも、なぜ豚なのだ!』
その一言で、僕の意識が止まった。
豚?
誰が?
『豚以下ではないか!』
僕かよ。
「……誰だよ、あんた」
思わず声が出た。
すると、頭の中で暴れ回っていた怒号が、ぴたりと止んだ。
ほんの数秒、気味の悪い沈黙が続く。
やがて、さっきまでとは違う、低く威厳を含んだ声が響いた。
『ようやく目覚めたか、俗物よ』
「人のことを散々罵倒しておいて、第一声がそれ?」
『黙れ。貴様のような下等な器に、余がどれほど絶望していると思っておる』
「知らないよ」
『知らぬで済むか!』
再び怒鳴り声が炸裂した瞬間、世界が真っ白になった。
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次に目を開けた時、僕が見ていたのは病院の天井だった。
白い。
天井も、壁も、カーテンも白い。
鼻には消毒液の匂いが残り、右腕には点滴の管が繋がっている。
「ここ……どこ?」
「気が付きましたか!」
近くにいた看護師さんが、驚いたように立ち上がった。
人を呼ぶ声。
慌ただしく動く足音。
その後、医師や看護師からいくつもの質問をされた。
名前は?
年齢は?
今日は何月何日?
頭は痛くないか?
吐き気は?
手足に痺れは?
名前は陰山シュウ。
十六歳。
高校二年生。
日付は、たぶん合っている。
頭痛はさっきまで知らない男が大絶叫していたせいで、少しだけある。
とは言えなかった。
どう説明しても精神科へ送られそうだったからだ。
「昨夜のことを覚えていますか?」
白衣を着た中年の医師が尋ねた。
昨夜。
そう言われて、途切れ途切れに記憶が戻ってくる。
学校から帰った後、家にいたくなくて、夜遅くにコンビニへ行った。
菓子パンと炭酸飲料を買って、いつもの道を歩いて帰った。
空を見上げると、一筋の光が流れていた。
流れ星だと思った。
願い事をする暇なんてなかった。
その光は、途中で不自然に軌道を変えたからだ。
まるで空の上から僕を見つけたみたいに。
一直線に。
僕へ向かって。
「……光が」
「はい」
「空から、落ちてきて……」
次の瞬間には、視界が真っ白になった。
そこから先の記憶はない。
「その光が、君に直撃したようです」
医師は、自分で言っておきながら納得していない顔をしていた。
「通行人からの通報で救急搬送されました。雷か隕石の一種ではないかという話もありましたが……」
「隕石?」
「周囲には落下物も、衝突跡もありませんでした」
「雷は?」
「昨夜、この地域で落雷は観測されていません」
じゃあ、何だったんだ。
「一通り検査を行いました。頭部CT、MRI、レントゲン、血液検査、心電図、それから神経学的な検査も行いましたが……」
医師は手元の書類を見ながら、小さく息を吐いた。
「異常はありません」
「ないんですか?」
「ありません」
「空から光が直撃したのに?」
「はい」
「僕、かなり丈夫ってことですかね」
「丈夫という言葉では説明がつきません」
即答された。
少しくらい笑ってくれてもいいのに。
「外傷も、火傷もありません。念のため経過を観察しましたが、意識もはっきりしています。今日一日は安静にして、帰宅して異変があればすぐにまた当院へ受診してください」
「退院できるんですか?」
「ご家族が迎えに来ています」
異常がないのはよかった。
でも、何も分からないまま家に帰されるのも、それはそれで怖い。
僕は左手を握ったり開いたりしてみた。
普通に動く。
頭の中も静かだ。
さっきの声は、やっぱり夢だったのだろう。
空から謎の光に撃ち抜かれて、知らない男に身体を酷評される夢。
もう少し楽しい夢を見たかった。
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病院からの帰り道、母さんは何度も僕の顔を覗き込んだ。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって」
「頭痛くない?」
「痛くない」
「気持ち悪くない?」
「ないよ」
「何か食べられる?」
「食べられる」
「今日学校は?」
「行くわけないだろ」
「そうよね。明日も休んだ方がいいんじゃない?」
「……明日は行く」
僕がそう答えると、母さんは少し意外そうな顔をした。
「無理しなくてもいいのよ?」
「別に無理じゃない」
本当は、行きたくない。
病院でもう一泊した方が、ずっとましだった。
でも、休めば面倒なことになる。
一日逃げれば、一日分だけ相手を苛立たせる。
その苛立ちは、次に学校へ行った時、まとめて僕へ返ってくる。
だから休めない。
休むことすら、自分では決められない。
「部屋で寝る」
母さんの返事を聞く前に、僕は自分の部屋へ入った。
机の上には、途中まで読んだ漫画。
床には、洗濯していない制服。
テレビの横には、積み上がったゲームのパッケージ。
昨日までと何も変わらない。
なのに、自分だけがどこか別の場所から戻ってきたような感覚があった。
スマホを見る。
学校のグループメッセージに、未読がいくつか溜まっていた。
開く気にはなれない。
画面を伏せ、ベッドに寝転がる。
頭の中の男の声は、もう聞こえなかった。
「……やっぱ夢か」
そう呟いた途端、スマホが震えた。
びくっと身体が跳ねる。
通知画面には、クラスメイトの名前が表示されていた。
内容は開かず、そのまま電源を切った。
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夜になり、風呂へ入ろうと服を脱いだ。
何気なく浴室の鏡を見て、僕は動きを止めた。
「……なんだ、これ」
左胸。
心臓の少し上に、黒い紋様が浮かんでいた。
直径は、握り拳ほど。
円の中心から六つの線が伸び、その先に、それぞれ違う形の小さな紋章が刻まれている。
炎。
水滴。
翼。
岩。
太陽。
三日月。
そう見えなくもない。
まるでゲームの属性アイコンを全部混ぜて、紋章にしたような模様だった。
「病院では……なかったよな?」
検査の時は上半身も確認された。
こんな目立つものがあれば、誰かが気付いている。
指で触ってみる。
盛り上がりはない。
痛みも、痒みもない。
タオルで擦っても消えない。
試しにボディーソープをつけて念入りに洗った。
落ちない。
「油性ペンじゃないか」
誰が寝ている間に、こんな凝った模様を描くんだ。
スマホで写真を撮る。
画面にも、紋様ははっきりと写っていた。
加工でも錯覚でもない。
その時。
ドクン。
心臓が大きく脈打った。
同時に、胸の紋様が淡く光った。
「……え?」
黒かった線が、ほんの一瞬だけ黄金色に染まる。
ドクン。
二度目の鼓動。
また光る。
まるで紋様そのものが、心臓と一緒に呼吸しているみたいだった。
「ちょっと待てよ」
僕は胸を押さえた。
痛みはない。
熱もない。
なのに、皮膚の奥で何かが目覚めようとしている。
そんな気配だけがあった。
すぐに服を着て、鏡から離れた。
「気のせいだ」
病院から帰ってきたばかりだ。
疲れている。
頭も混乱している。
そういうことにしておかないと、眠れそうになかった。




