第十二話 後編 暗黒皇帝、防人と相対する
「さて」
虎壱さんが、ぱん、と軽く手を打った。
乾いた音が、古びた店内に小さく響く。
窓から射し込む午後の日差しは、さっきより少し傾いていた。
棚に並ぶ茶器や古い壺の縁だけが淡く光り、空気の中を漂う細かな埃が、金色の粒になってゆっくり流れている。
水墨画から突然三人もの人間が出てきたせいで忘れかけていたけれど。
ここは一応、古美術商だ。
……一応。
柱のそばには鎖鎌。
壁際には、僕の身長と大して変わらない巨大な和弓。
虎壱さんはいまだ白銀の装甲姿で、肩当てには深い傷が走っている。
どう見ても普通の古美術商の午後じゃない。
「陰山君」
虎壱さんが僕を見る。
「さっき言ったとおり、まず私たちが何者なのか知ってもらう必要がある」
そこで。
虎壱さんが、少しだけ笑った。
「皇帝陛下にもね」
『ほう』
胸の奥で、皇帝が小さく反応する。
さっきまで猿飛さんと桃太郎だの犬だの言っていた時とは、声の響きが違った。
柔らかい。
でも、軽くない。
猿飛さんも察したのか、腰の鎖鎌を外して柱へ立て掛ける。
「やっと本題っすかぁ。オレっち、腹減って死にそうなんすけど」
「忍様」
琴葉さんが上品な笑顔を向けた。
「先ほどから、そちらのお菓子をご覧になっていらっしゃいますでしょう?」
「バレてた?」
「もちろん」
「一個くらい」
「駄目ですわ」
「まだ何も言ってない!」
「言おうとなさいましたわ」
雉子谷さんが眼鏡を押し上げる。
「あーし、早く帰って風呂入りたいから、忍さん黙ってて」
「翔子ちゃんまで冷たっ」
「騒ぐ元気あるなら大丈夫」
「正論って時々人を傷つけるよね」
思わず笑いそうになる。
けれど。
虎壱さんは笑わなかった。
「忍」
「はいはい」
猿飛さんが肩をすくめ、柱へ背中を預ける。
店内に静けさが戻った。
聞こえるのは柱時計の針が進む音。
そして、遠くを走る車の音くらい。
虎壱さんが口を開く。
「あらためて......私たちは《防人》という組織に所属している」
「防人……」
聞き覚えはある。
歴史の授業で出てきたはずだ。
「あの、昔の九州を守ってた?」
「名前の由来は近いけど、教科書に出てくる防人とは別だよ」
虎壱さんは椅子へ腰を下ろし、傷のついた白銀の籠手を外した。
「私たちの記録が組織として残り始めるのは飛鳥の頃。前身となった集団まで含めるなら、もっと古い」
「そんな昔から、何を……?」
「日本を守ってる」
短い答えだった。
「人から、じゃない」
虎壱さんの金色の瞳が僕を真っ直ぐ捉える。
「この世界とは違う場所からやって来るものからだ」
胸の奥で。
皇帝がわずかに反応した。
『異界か』
「……異界?」
「そう」
虎壱さんが頷く。
「こちらとは異なる法則を持つ世界、領域、空間。防人ではまとめて《異界》と呼んでいる」
僕は無意識に胸元へ手を置いた。
「じゃあ……皇帝がいた世界も?」
「こちらから見れば異界だね」
『ほう』
声が低くなる。
『グランツライヒ魔導帝国を、そこらの異界と同列に扱うか』
(そこ気にする?)
『当然だ』
(分類上の話でしょ)
『帝国とその他で分類せよ』
(めんどくさっ)
「陰山君?」
虎壱さんが首を傾げた。
「あ、すみません。中の人が『帝国をその他と一緒にするな』って」
数秒。
猿飛さんが吹き出す。
「中の人って!」
雉子谷さんは僕をじっと見た。
「あーし、さっきから気になってたけど……本当に普通に会話してるんだ」
「毎日こんな感じです」
『俗物。余との対話を苦行のように言うな』
(実際かなり疲れるんだけど)
『滅するぞ』
(ほら、こういうところ!)
思わず顔をしかめる。
猿飛さんの目が一瞬だけ細くなった。
さっき僕の「間」を見抜いた人だ。
今度は何も言わず、何かを確かめるように小さく笑った。
「話を戻そうか」
虎壱さんが続ける。
「異界からこちらへ来る存在は、昔からいた。神と呼ばれたものもいる。鬼、妖怪、悪霊、魔物……呼び方は時代や地域で違うけどね」
「それを防人が倒してきた?」
「倒すだけじゃないよ」
人差し指から順番に一本ずつ指を立てていく。
「封じる。送り返す。交渉する。こちらに害がないなら放置することもある」
「意外と柔軟なんですね」
「敵でもない相手まで斬ってたら、千年以上も組織なんて続かないよ」
『当然だ』
皇帝が珍しく同意した。
『統治とは敵を増やすことではない』
(皇帝がまともなこと言ってる)
『滅するぞ』
やっぱりいつもの皇帝だった。
「それと、防人には昔から変わらない考え方がもう一つある」
虎壱さんが言う。
「使えるものなら、何でも使う」
「何でも?」
「呪術」
琴葉さん。
「呪禁道」
虎壱さん。
「忍術」
猿飛さんが自分を指差す。
「弓術」
雉子谷さんが短く続けた。
虎壱さんがさらに指を折る。
「陰陽道、密教、古神道、修験道、剣術、古武術、外国由来の魔術体系。現代なら銃器、爆薬、ドローンも使う」
「節操なさすぎません?」
「日本が残ればいいんだよ」
あっさりした答えだった。
でも。
その一言だけが、妙に重い。
「異界の化け物相手に『伝統に拘って負けました』じゃ話にならない。効くなら呪符でもミサイルでも撃つ。それが防人だ」
『悪くない』
皇帝が呟いた。
(皇帝こういうの好きそう)
『戦場で美学を優先する者は、たいてい美しく死ぬ』
(言い方が嫌だなあ)
僕が苦笑した、その時。
虎壱さんの表情から柔らかさが消えた。
「でもね」
白銀の籠手が机へ置かれる。
小さな金属音。
「それだけやっても、守れない時はある」
誰も口を挟まなかった。
猿飛さんも。
雉子谷さんも。
琴葉さんも。
まるで、この先に何が来るのか知っているみたいに。
「十年前」
虎壱さんが言った。
「防人は、一度大きく負けた」
なぜだろう。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥がざわついた。
「場所は、四国」
「…………」
指先が、わずかに震える。
「十年前、四国で大規模な異界侵食が発生した。始まりは小さな異界孔だった」
虎壱さんの声が静かに落ちる。
「ところが、その穴へ別の異界が次々と接続し始めた。複数の世界が同じ場所へ入り込み、境界を壊しながら土地そのものを書き換えていったんだ」
『……多重界蝕』
皇帝の声が低くなった。
今までの茶化すような響きはない。
(知ってるの?)
『似た現象ならばな。世界同士が境界を失えば、互いの理が食い合う。厄介などという言葉では足りぬ』
僕は思わず口にする。
「皇帝は……《多重界蝕》って」
虎壱さんの目が細くなった。
「なるほど。向こうにも似た現象があるんだ」
驚くより先に情報として受け止めている。
やっぱりこの人。
普通じゃない。
「防人は当時、投入できる戦力のほとんどを四国へ送った」
虎壱さんが続ける。
「それでも止められなかった」
「四国は……どうなったんですか」
聞くのが怖かった。
けれど、聞かないわけにもいかない。
答えたのは雉子谷さんだった。
「あーしたちは《死國》って呼んでる」
「……しこく?」
「死ぬ方の『死』に難しい方の『國』」
眼鏡の奥の目が、わずかに伏せられる。
「それくらい、もう別物」
背中に冷たいものが這った。
「今の四国は完全にこちら側の土地じゃない。でも、一つの異界になったわけでもない」
虎壱さんの言葉を、雉子谷さんが引き継ぐ。
「昨日まで山だった場所が、次の日には湖になってたりする」
「え……」
「昼と夜がめちゃくちゃな場所もある。真っ直ぐ歩いてたはずなのに、いつの間にか出発地点に戻ってることもある」
「そんな……」
「あーしたちが使ってる地図も、すぐゴミになる」
眼鏡を押し上げる。
それから、ぽつり。
「あーし、あそこ嫌い」
たった一言。
でも。
さっきまで鬼王と戦っていた人がそう言うだけで、十分だった。
「そんな場所が……日本にあるの?」
「ある」
虎壱さんは即答した。
混乱する。
だって。
そんな話。
ニュースで一度も。
「でも……四国って」
口に出しかけて。
記憶が繋がった。
四国。
十年前。
そしてあの事故。
「政府は……」
「知っているよ」
虎壱さんの声が、ほんの少し冷たくなる。
「もちろん一般には公表していないけどね」
「じゃあ、政府の発表って……」
「大規模な地殻変動。それに伴う原子力発電所の重大事故。メルトダウンによって広範囲が高濃度の放射性物質に汚染され、四国全域が長期立入禁止区域となった」
知っている。
僕も。
日本中の人も。
そう聞かされてきた。
地震。
地殻変動。
原発事故。
放射線汚染。
そして。
復旧困難。
「……嘘だったんですか」
「全部ではない」
虎壱さんは慎重に答えた。
「異界侵食に伴って現実の災害も発生した。ただ、四国が今も封鎖されている最大の理由は放射線じゃない」
「異界……」
「そう」
窓の外を、車が通り過ぎていく。
どこにでもある日常の音。
それが今は、妙に遠い。
「政府は事実上、四国を放棄してる」
「…………」
「防人は死國の周囲に大規模な結界を維持している。異界化を本州や九州へ広げないためにね」
そこで僕は気づいた。
「じゃあ、さっき虎壱さんたちが戦ってた温羅も……」
「死國から本土へ出てこようとした」
虎壱さんが頷く。
「鬼王温羅。死國内で勢力を持っている存在の一つだ」
猿飛さんが深いため息を吐いた。
「マジ面倒だったっすよ。本人クソ硬ぇし、部下の鬼はわらわら湧いてくるし」
「忍さん、途中で三回死にかけてた」
雉子谷さんが淡々と言う。
「二回っしょ?」
「三回目は、あーしが射線ずらしたから助かっただけ」
「それ込みなら三回っすね」
「素直」
琴葉さんが口元へ手を添えた。
「皆様、ご無事で何よりでございますわ」
「琴葉ちゃん、オレっちこの状態見てもそのテンション?」
「まあ。とても痛そうですわね」
「気持ちが遠い!」
ほんの少しだけ。
空気が緩む。
でも。
虎壱さんはすぐに話を戻した。
「今回は温羅を押し返せた。少なくとも、しばらく本人はこちら側へ出てこられない程度には傷を負わせたよ」
「じゃあ……」
僕は思わず身を乗り出した。
「その温羅っていう鬼を倒せるなら、死國も取り戻せるんじゃないんですか?」
沈黙。
虎壱さんは少しだけ目を伏せた。
「無理だ」
「…………」
「今の防人が全戦力を投入しても、死國を平定することはできない」
あの虎壱さんが。
迷わず。
無理と言った。
それだけで。
死國という場所がどれだけ異常なのか、少しだけ分かった気がした。
「そして」
虎壱さんが僕を見る。
その目が。
今まで以上に真剣だった。
「ここから先は、陰山君自身の話になる」
「……僕?」
「十年前」
胸が。
嫌な音を立てた。
「君は四国にいた」
「…………」
覚えている。
いや。
覚えていない。
正確には途中までは覚えている。
六歳。
父さん。
母さん。
妹のメイ。
家族旅行。
父さんが買ってくれたアイス。
車の中で寝たこと。
メイが僕のゲームをやりたがって、貸す貸さないで喧嘩したこと。
そんなどうでもいい記憶だけは残っている。
なのにあの日の最後だけ。
ずっと。
壊れた映像みたいに途切れている。
「家族旅行だったようだね」
虎壱さんの言葉に古い景色が蘇る。
空が暗かった。
夜じゃない。
昼だったはずなのに黒かった。
大人たちが叫んでいた。
母さんが僕の手を握っている。
強く。
痛いくらいに。
父さんは。
「…………」
喉が鳴る。
父さんはメイを抱いていた。
泣いているメイ。
父さんの首へ腕を回して。
何かを叫んでいた。
「お兄ちゃん」
頭の奥で声がした気がした。
そして父さんの後ろ。
黒いもの。
影なんて生易しいものじゃない。
光そのものを塗り潰していくような真っ暗な何か。
「シュウ!」
父さんが叫んだ。
「走れ!」
その瞬間父さんが。
メイを抱いたまま闇に飲み込まれた。
「…………っ」
息が詰まる。
今まで。
地震で。
煙か。
土砂か。
何かが押し寄せてきたのだと思っていた。
六歳の僕の記憶が恐怖で形を変えただけなのだと。
「陰山君」
虎壱さんの声が聞こえる。
「君が見た黒いものは、地殻変動でも爆発でもない」
ゆっくり顔を上げた。
「異界侵食だ」
言葉が出ない。
「じゃあ……」
自分の声がひどく遠く聞こえた。
「父さんとメイはどうなったんですか……?」
虎壱さんは、すぐには答えなかった。
その間が怖かった。
「現在も行方不明」
「…………」
「死を確認できたわけではない」
心臓が大きく鳴る。
「でも」
虎壱さんは続けた。
「生きているとも言えない」
分かっている。
期待してはいけない。
十年。
もう十年も経っている。
それでも。
死んだと確認されていない。
『俗物』
皇帝の声がする。
返事をする余裕はなかった。
『死したと確認されておらぬのであろう』
(……うん)
短い沈黙。
『ならば、今はそれでよい』
それだけだった。
いつもみたいに偉そうでもない。
余計なことも言わない。
僕は膝の上で握り締めていた拳を、少しだけ緩めた。
その時虎壱さんが立ち上がった。
僕の前まで来る。
そして深く頭を下げた。
「すまない」
「……え?」
「防人が守れなかった」
「ちょ、ちょっと待ってください」
虎壱さんは顔を上げない。
「四国を守れなかった。君のお父さんも、妹さんも」
「虎壱さんのせいじゃないでしょ!」
思ったより大きな声が出た。
店のガラス戸が、かすかに震える。
虎壱さんが顔を上げた。
「でも私は防人だ」
「今いくつですか」
「……え?」
「虎壱さん、今いくつ?」
「二十八だけど」
「十年前、十八歳じゃないですか!」
猿飛さんが吹き出した。
「ぶっ」
雉子谷さんは横を向く。
眼鏡の奥。
どう見ても笑いを堪えている。
琴葉さんまで袖で口元を隠していた。
虎壱さんだけが、ぽかんとしている。
「高校生じゃないですか!」
「まあ……そうだね」
「高校生が日本背負って謝らないでくださいよ!」
「…………」
数秒。
虎壱さんが、小さく笑った。
「参ったな」
「そこ笑うとこじゃないですよ」
「いや。君に言われるとは思わなかった」
ゆっくり椅子へ戻る。
少しだけ空気が軽くなった。
僕は鼻から息を吸い、ゆっくり吐いた。
「……続けてください」
「分かった」
虎壱さんが頷く。
そして。
「ここからが、君を白虎堂へ呼んだ直接の理由だ」
「まだあるんですか」
「ある」
懐からスマートフォンを取り出し、画面を数回操作する。
壁にかけられていた大きな絵画が真っ白になりスマホの画面がそこに映しだされる。
夜空。
時刻。
日付。
見覚えがある。
僕があの流星に撃たれた夜。
「これ……」
「防人の観測班が記録した映像だ」
画面の中央。
夜空が歪む。
星でも。
雲でもない。
空間そのものが。
黒い紙を裂くように、ゆっくり開いた。
「穴……?」
「異界孔」
その黒い裂け目から紫色の光が飛び出した。
「…………!」
知ってる。
忘れるわけがない。
僕の身体を貫いたあの光。
「流星……」
「違う」
虎壱さんの声が静かになる。
「宇宙から降ってきたものじゃない」
僕は画面を見る。
「死國で開いた異界孔から出ている」
ぞくり。
背筋に寒気が走った。
「さらに、ここ」
虎壱さんが映像を止め、画面を指でなぞる。
僕も目で追う。
「……あれ?」
軌道。
紫色の光は真っ直ぐじゃない。
途中で曲がっている。
「三回」
雉子谷さんが口を開いた。
「観測班の解析だと、三回進路を変えてる」
「三回……?」
「風とか重力で説明できる動きじゃない」
虎壱さんが僕を見る。
「落ちたんじゃない」
「君に当たりにいってる」
「…………僕に?」
声が出た。
でも自分の声じゃないみたいだった。
偶然じゃない。
流れ星にたまたま撃たれた。
ずっと、そう思っていた。
でも違う。
あれは僕を狙った。
「……なんで」
虎壱さんの眉がわずかに動く。
「なんで、僕なんですか?」
誰も答えない。
「僕じゃなきゃ駄目だったんですか?」
猿飛さんの笑顔が消えた。
雉子谷さんも黙っている。
琴葉さんは静かに僕を見つめていた。
やがて虎壱さんが口を開く。
「分からない」
「…………」
「それが、防人が君を調べている最大の理由の一つだ」
胸の奥へ意識を向ける。
皇帝も黙っていた。
『…………』
何も知らないのか。
それとも何かを考えているのか僕には分からなかった。
「さらに、そいつは途中で防人の結界を破壊している」
「結界?」
「死国から異界存在を出さないためのもの」
琴葉さんが静かに続けた。
「四国を取り囲む防壁の一部を、内側から貫通しておりますの」
「そんなこと……」
「普通はできない」
虎壱さんが答える。
琴葉さんの紫の瞳が僕へ向いた。
「防人では、この事案を禍等級《大禍》相当と認定しております」
「…………」
大禍。禍等級で上から二番目らしい。
災禍ではない。
それでも。
僕一人を狙って飛んできた光に。
そんな等級がついている。
僕に起きた出来事についている。
「だから私は君に接触した」
虎壱さんがスマートフォンを伏せた。
「接触?」
一瞬。
分からなかった。
でもすぐに、ある場所が頭へ浮かぶ。
「……銭湯」
「正解」
虎壱さんが爽やかに笑う。
「松風の湯」
「偶然じゃなかったの!?」
「完全に狙って行った」
「怖っ!」
椅子ごと少し後ろへ引く。
猿飛さんが笑い出した。
「坊ちゃん、今さらっすか」
「普通、銭湯で爽やかなイケメンにコーヒー牛乳勧められて、秘密組織の調査員だと思わないでしょ!」
「爽やかなイケメン」
虎壱さんがそこだけ拾った。
「そこ拾わなくていいです!」
「一応確認したかっただけ」
「何を!?」
笑顔が消えた。
一瞬で。
「君が人間のままかどうか」
空気が冷える。
「もし、あの流星によって君が別の何かへ変質していたら」
虎壱さんの金色の瞳が、僕を真っ直ぐ見据える。
「その場で封印するつもりだった」
背中に冷たい汗が流れた。
あの日。
僕は湯上がりにフルーツ牛乳飲んで普通にこの人と喋っていた。
「場合によっては戦闘も想定していたよ」
「怖すぎるって!」
『やはりな』
(気づいてたの!?)
『当然だ』
(言ってよ!)
『言えば貴様、顔に出したであろう』
(…………)
否定できない。
虎壱さんが続ける。
「でも、会ってみた君は普通の高校生だった」
「……普通」
なんだろう。
褒められてるはずなのにちょっと引っかかる。
『喜べ。最高評価だ』
(皇帝まで言わないで)
「それに」
虎壱さんの目が僕の奥へ向く。
「君の中には確かに何かいる。でも、君自身の意識は残っている。身体を奪われている様子もない」
『こんな器を奪ってどうする』
(聞こえてないからって好き勝手言うな!)
僕が顔をしかめる。
虎壱さんが眉を上げた。
「何て?」
「『こんな器を奪ってどうする』って」
猿飛さんが腹を抱えた。
「ひっでぇ!」
雉子谷さんまで口元を緩める。
琴葉さんは。
「まあ」
とだけ言った。
いや琴葉さんそこは否定して。
「だから私は考えた」
虎壱さんの表情が戻る。
「危険なのは間違いない。でも、危険だから即座に敵と決めつけるのも違う」
その言葉に皇帝が黙る。
「対話ができるなら、まず話す」
虎壱さんが微笑んだ。
「それが私の判断だ」
そしてゆっくり立ち上がる。
「だからこそ」
胸元へ手を当てた。
「改めて、君たち二人に名乗っておこう」
「……二人?」
虎壱さんの視線は僕へ向いている。
でも。
僕だけを見ているんじゃない。
「陰山シュウ君」
「そして、その中にいる皇帝陛下」
『ほう』
胸の奥で、皇帝の声が低く響いた。
「これから話をする相手に、こちらだけ正体を伏せたままというのも失礼だからね」
空気が、少しだけ引き締まる。
虎壱さんの表情から。
いつもの人懐っこい笑みが消えた。
「防人所属」
白銀の装甲が、午後の光を反射する。
「四方神将、西方守護《白虎》」
金色の瞳が僕を。
いや僕たちを見据えた。
「菅原虎壱」
軽い自己紹介じゃない。
これは名乗りだ。
続いて猿飛さんが鎖鎌を肩へ担ぐ。
「んじゃ、オレっちも改めて」
相変わらず軽そうな笑顔。
でもその目の奥が鋭いことを、僕はもう知っている。
「防人十二支将隊。申を預かる《摩虎羅将隊》隊長」
金髪をかき上げる。
「猿飛忍。坊ちゃんも、そん中の皇帝さんもよろしくね」
『軽薄な猿め』
(聞こえてないから!)
猿飛さんが眉を寄せた。
「……なんか今、すげぇ失礼なこと言われた気がする」
(鋭いなこの人!)
次は雉子谷さん。
壁へ立て掛けていた巨大な弓へ軽く手を添える。
「同じく、防人十二支将隊」
小柄な身体。
三つ編み。
眼鏡。
なのに立っているだけで妙な圧がある。
「酉を預かる《真達羅将隊》隊長、雉子谷翔子」
眼鏡を押し上げる。
「陰山君も、中の人もよろしく」
『中の人と呼ぶな』
(僕もさっき言ったけどね)
最後に琴葉さんが一歩前へ出た。
淡い藤色の和服。
柔らかな微笑み。
初めて会った時と何も変わらない。
でももうただの古美術商の店員には見えない。
「では、わたくしも改めまして」
袖を整え優雅に一礼する。
「防人十二支将隊。未を預かる《波夷羅将隊》隊長」
顔を上げた。
紫の瞳が僕を捉え。
ほんの少しだけその奥を覗き込むように細められる。
「白羊琴葉と申します」
そしてもう一度、静かに頭を下げた。
「陰山様。そして陛下。以後、お見知りおきを」
『礼節を知る女だ』
(さっき僕を縛ろうとしてたけどね)
『それとこれとは別だ』
僕は四人を順番に見た。
四方神将。
隊長。
隊長。
隊長。
…………。
なんか。
思っていたより。
とんでもなく偉い人たちだった。
「…………琴葉さん」
「はい?」
「店員さんじゃなかったんですか?」
「店員でもございますわよ」
にっこり。
「兼業!?」
猿飛さんが吹き出す。
「坊ちゃん、そこ気になんの!?」
「気になるでしょ!」
「琴葉ちゃん何でもやるからなぁ」
「忍様も少しは見習ってくださいませ」
「オレっちだって仕事してる!」
「女性への声掛けは仕事に含まれませんわ」
「情報収集っす」
「九割私情」
雉子谷さんの一言が刺さる。
「翔子ちゃん辛辣!」
小さな笑い声。
ほんの少しだけ張り詰めていた空気が戻る。
でも虎壱さんは僕から目を逸らさなかった。
「これで」
静かな声。
「こちらは名乗った」
笑いが止む。
古時計が。
こつ。
こつ。
時を刻む。
虎壱さんの金色の瞳が、僕のさらに奥を見据えた。
「次は、そちらの番だね」
胸の奥がわずかに熱くなる。
『ようやくか』
皇帝。
その声にさっきまでとは違う響きが混じっていた。
僕とくだらない言い合いをしている時の声じゃない。
もっと。
古く。
重い。
僕は小さく息を吐いた。
(皇帝。だってさ)
『聞こえておる』
(じゃあ僕が伝える?)
短い沈黙。
『必要ない』
(え?)
その瞬間喉の奥が熱を持った。
「…………?」
この感覚。
覚えがある。
「皇帝……?」
返事は。
僕の口から出た。
「騒ぐな、俗物」
「…………!」
僕の声だった。
僕の喉。
僕の声帯。
なのに。
僕は喋ろうとしていない。
猿飛さんの笑顔が消えた。
雉子谷さんの手が反射的に弓へ伸びる。
琴葉さんの紫の瞳が鋭く細くなった。
虎壱さんだけが。
動かなかった。
僕の身体は、僕のものだ。
姿勢も。
表情も。
指一本だって。
皇帝の意思では動かない。
それなのに。
声だけが。
僕のものじゃない。
「随分と待たせたものだな」
低く。
尊大に。
使っているのは僕の声なのに。
その一言だけで。
店内の空気が変わった。
胸の奥から黒紫の魔力が、ほんの僅かに滲む。
棚の端に吊られていた小さな鈴が。
ちりん。
誰も触れていないのに鳴った。
「貴様らが余を呼びつけたのであろう」
猿飛さんの金色の目が細くなる。
雉子谷さんは弓から手を離さない。
琴葉さんの指先が、ほんの僅かに動いた。
何も見えない。
けれどさっき白虎堂で魔眼を通して見た、あの無数の糸を思い出す。
たぶんいつでも出せる。
それでも虎壱さんは笑った。
「そうだったね」
その視線が僕を通り抜ける。
僕。
じゃない。
僕の中にいる男へ。
真正面から。
「では改めて、聞かせてもらおうか」
午後の光が。
静かな白虎堂へ差し込んでいる。
古時計が。
こつ。
こつ。
時を刻む。
誰も動かない。
虎壱さんの金色の瞳が僕を見据える。
その視線を。
僕の奥にいる何者かが。
確かに受け止めている。
「君は何者なのか」
喉が震えた。
今度は僕も。
止めようとは思わなかった。
「よかろう」
黒紫の魔力が、ほんの少しだけ濃くなる。
「ならば、余の名から教えてやる」
その声を聞いた瞬間。
僕は初めて。
自分の中で毎日偉そうに喋っている男が。
本当に。
一つの国を支配していた皇帝なのだと。
そんな当たり前のことを。
少しだけ。
思い出した。




