↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/61

第十一話 前編 暗黒皇帝、第一位階をさずける

十日目が終わろうとしている。


荒野を吹き抜ける風が僕の頬を撫でた。


紫黒の空。


ひび割れた大地。


枯れ果てた木々。


遠くには黒い山脈が連なっている。


初めてここへ落とされた時は見るだけで不安になるような景色だった。


それなのに十日もいれば人間慣れるものらしい。


……まあ。


顔面から落とされたことにはまだ納得してないけど。


「始めろ。」


数メートル先。


ヴァルガイアが腕を組んで立っている。


長い黒髪。


黒金の王冠。


漆黒の皇帝装束。


十日前と何一つ変わらない姿。


疲れも焦りも一切ない。


対して僕は満身創痍。


何度吹き飛んだか分からない。


何度吐いたかも分からない。


それでも今日が最後だ。


僕はゆっくり目を閉じた。


「…………」


息を吸う。


吐く。


そして自分の内側へ。


意識を沈めていく。


思い出す。


学校。


教室。


笑い声。


机を蹴られる音。


龍二。


藤田。


村上。


胸の奥が冷たくなる。


心臓の鼓動が少しだけ速くなる。


怖い。


十日間、何度向き合っても。


それだけは変わらなかった。


怖いものは怖い。


でもそれでいい。


恐怖を消す必要なんてなかった。


逃げる必要もなかった。


ただそこにあるものとして。


見る。


感じる。


そして使う。


「魔力同調〈レゾナンツ〉。」


自分の中に生まれた恐怖へ意識を重ねる。


冷たい嫌な感覚。


以前ならここで呑まれていた。


だけど今は違う。


恐怖は僕じゃない。


僕の中に生まれた一つの感情。


なら次へ。


「魔力変換〈ヴァンドルング〉。」


恐怖へ魔力としての形を与える。


冷たい感情がゆっくり別の何かへ変わっていく。


「魔力生成〈クヴェル〉。」


どくん。


胸の奥で黒紫の光が生まれた。


十日前には存在していることすら知らなかった力。


でも今は分かる。


ここにある僕の魔力。


「魔力循環〈クライス〉。」


生まれた魔力を身体へ流す。


胸から肩へ。


肩から腕へ。


腕から指先へ。


さらに全身へ。


一周。


二周。


三周。


流れが分かる。


どこをどれくらいの量が通っているのか。


まだ完璧じゃない。


でも十日前みたいに。


突然暴れ出すことはない。


「…………」


皇帝は何も言わない。


ただ紫の瞳だけが僕を見ている。


次。


「魔力収束〈ケルン〉。」


巡らせた魔力を右腕へ。


さらに掌へ集める。


散らすな。


急ぐな。


一箇所へ。


ぎゅっと握り締めるように。


意識を集中する。


黒紫の光が右手を包んだ。


ゆらり。


ゆらり。


黒い炎のように魔力が指の間で揺れる。


そして最後。


僕は右手を前へ突き出した。


「魔力放出〈シュトース〉!」


掌から黒紫の魔力が飛び出した。


挿絵(By みてみん)


「……!」


飛んだ。


確かに飛んだ。


でも速くない。


黒紫の光は。


ふら。


ふら。


ふらふら。


頼りなく宙を進んでいく。


「…………。」


僕と皇帝、二人で無言のままそれを目で追う。


三メートル。


四メートル。


五メートル。


「…………。」


まだ飛んでいる。


いや。


飛んでいるというより漂っている。


「……皇帝。」


「黙って見ておれ。」


六メートル。


その辺りで。


黒紫の魔力がぷるぷると震えた。


嫌な予感。


そして。


ぽふっ。


消えた。


「…………。」


荒野に風が吹く。


ころころと枯れ草が転がっていった。


「…………。」


「…………。」


僕はゆっくり皇帝を見る。


皇帝も僕を見ていた。


「……今の。」


「見ておった。」


「魔力放出……だよね?」


「一応な。」


一応。


「…………。」


さっきまでの達成感が音を立てて萎んでいく。


「もっとこう……。」


右手を前へ出す。


「ドーン! って飛ぶものじゃないの?」


「当然だ。」


「じゃあ、なんで僕のは……。」


「下手だからだ。」


「直球!」


ヴァルガイアが腕を組む。


「魔力収束〈ケルン〉が甘い。」


「うっ。」


「故に放出する以前から魔力が散っておる。」


「ううっ。」


「さらに。」


紫の瞳がさっき魔力が消えた辺りへ向く。


「魔力放出〈シュトース〉に至っては。」


「放つというより。」


皇帝の眉間に僅かに皺が寄った。


「捨てておる。」


「捨ててる!?」


「収束させた魔力を、体外へ出しただけだ。」


「…………。」


「方向。」


「はい。」


「速度。」


「はい……。」


「密度。」


「…………はい。」


「何一つ御せておらぬ。」


ぐさ。


ぐさ。


ぐさ。


言葉が胸に刺さる。


「だから。」


皇帝が僕の掌を見る。


「飛ばぬ。」


「威力もない。」


「すぐ消える。」


「…………。」


「無駄だけは多い。」


「最後の一言いる!?」


「事実だ。」


「…………。」


ひどい。


「じゃあ……。」


肩が落ちる。


「やっぱり。」


「まだ駄目か……。」


「誰がそう言った。」


「え?」


顔を上げる。


皇帝が僕を見ていた。


「魔力同調〈レゾナンツ〉。」


「はい。」


「以前より遥かに良い。」


「……!」


褒めた。


今。


褒めたよね?


「だが、魔力変換〈ヴァンドルング〉には僅かな遅れがある。」


「うっ。」


「魔力生成〈クヴェル〉も安定性に欠ける。」


「ううっ。」


「魔力循環〈クライス〉には無駄が多い。」


「…………。」


「魔力収束〈ケルン〉も甘い。」


「…………。」


「そして魔力放出〈シュトース〉。」


皇帝が六メートル先を見る。


「論外に近い。」


「近い!?」


「論外とは言っておらぬ。」


「ほとんど言ってるよ!」


「だが。」


皇帝の声が変わった。


僕は口を閉じる。


「十日前まで。」


「貴様は己の魔力の存在すら認識できなかった。」


「…………。」


「それが今。」


皇帝が僕の右手を見る。


「自ら感情を選び。」


「同調し。」


「変換し。」


「生成し。」


「循環させ。」


「収束し。」


そしてさっき魔力が消えた場所へ紫の瞳を向ける。


「曲がりなりにも。」


「己の意思で。」


「体外へ放った。」


「…………。」


「完成度と。」


皇帝の視線が僕へ戻る。


「出来るか否かは別の話だ。」


「……じゃあ。」


「そうだ。」


ほんの僅かに皇帝の口元が上がった。


「六法すべて。」


「最低基準には達しておる。」


「…………。」


「まあ。」


さらに。


「合格だ。」


「…………」


…………。


「え?」


「聞こえなかったか。」


「いや。」


聞こえた。


聞こえたけど。


「合格?」


「そう言った。」


「僕が?」


「他に誰がおる。」


思わず周りを見る。


僕。


皇帝。


岩。


枯れ木。


以上。


「…………」


じわじわとその言葉が頭へ染み込んでくる。


「合格……。」


十日間。


吹き飛んだ。


吐いた。


過呼吸になった。


魔力を暴走させた。


地面を抉った。


自分の魔力で自分まで吹き飛んだ。


何度も。


何度も。


もう無理だと思った。


それでも。


「…………やった。」


拳を握る。


「やった……!」


「騒ぐな。」


「やったぁぁぁぁぁ!」


「騒ぐなと言っておろう!」


「だって合格でしょ!?」


「そうだ。」


「六個できたんでしょ!?」


「だからそう言っておる。」


「じゃあ僕!」


勢いよく皇帝を見る。


「魔導士!?」


「…………。」


なぜそこで黙る。


「……違うの?」


「…………。」


ヴァルガイアが。


沈黙したまま。


こちらへ歩いてくる。


ざっ。


ざっ。


乾いた土を踏む音。


黒い外套が風を孕む。


僕の前で歩みが止まった。


「《魔導六大制御法〈ゼクス・コントローレ〉》。」


ヴァルガイアが静かに告げる。


「六法すべて、最低基準には達しておる。」


胸がどくんと鳴った。


「つまり……。」


「そうだ。」


皇帝が右手を上げる。


その瞬間空気が変わった。


今まで僕の前にいたのは魔導を教える師匠だった。


でも今、僕の前に立っているのは違う。


一つの帝国を築きその頂点に君臨した皇帝。


「陰山シュウ。」


「…………!」


声が荒野へ響く。


思わず背筋が伸びた。


「余は。」


紫の瞳が僕を捉える。


「貴様が《魔導六大制御法〈ゼクス・コントローレ〉》を修め。」


「魔力制御〈コントローレ〉へ至ったことを認める。」


「よって。」


黒い外套が大きく翻る。


皇帝の表情がさらに厳かなものへ変わった。


「グランツライヒ魔導帝国。」


低い声が世界そのものを震わせるように響く。


「初代皇帝。」


僕は息を呑んだ。


「ヴァルガイア・フォン・ゼクス・クローネンベルクの名において。」


「…………」


その名はすでに知っている。


《円卓の英雄〈レゲンデンルンデ〉》で。


皇帝自身から聞いた。


でも。


あの時とはまるで違う。


今その名が。


僕へ向けられている。


皇帝の名が僕という一人の人間を魔導士として認めるために使われている。


「貴様を第一位階。」


「蜥蜴級〈エクセ〉魔導士として正式に――」


ジリリリリリリリリリリリリリリリ!!


「…………え?」


ジリリリリリリリリリリリリリリリ!!


世界が揺れた。


「…………皇帝?」


紫黒の空へ亀裂が走る。


地面が崩れ始める。


「ちょっ。」


待って。


まだ僕、人生初の魔導士認定の途中なんだけど。


「皇帝!?」


「時間切れだ。」


「ここでぇぇぇぇぇぇぇ!?」


ジリリリリリリリリリリリリリリリ!!


「あと一言でしょ!?」


「知らん。」


「言ってよ!」


「現実の貴様に言え。」


「僕の目覚ましぃぃぃぃぃ!」


世界が真っ白になった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「…………っ!」


目を開ける。


見慣れた天井。


僕の部屋。


ジリリリリリリリ!!


「…………。」


目覚まし時計へ右手を伸ばす。


止める。


静寂。


「…………。」


僕は布団の中で天井を見つめた。


そして。


「…………しんど。」


死ぬほど疲れていた。


身体じゃない。


いや。


身体も重い。


でもそれ以上に。


頭。


脳みその奥へ鉛でも流し込まれたみたいに重い。


「寝たよね……僕。」


時計を見る。


午前七時。


約八時間ちゃんと寝ている。


スマホを見る。


日曜日。


「…………。」


もう一度見る。


日曜日。


「…………よかったぁぁぁ……。」


全身の力が抜けた。


今日、学校はない。


ありがとう日曜日。


生まれて初めて日曜日という制度を作った人に心から感謝した。


『何を訳の分からぬことを言っておる。』


「皇帝には分かんないよ……。」


布団を頭まで被る。


「今の僕にとって日曜日は神様なんだよ……。」


『余の帝国に曜日という概念はなかった。』


「でしょうね……。」


目を閉じる。


このままもう一度寝よう。


そう思った。


コンコン。


ドアがノックされた。


「シュウ?」


母さん。


「……なに。」


「起きてる?」


「一応……。」


ドアが少しだけ開いた。


母さんが顔を覗かせる。


「珍しいわね。」


「…………何が。」


「日曜日でも、朝ごはんまだなの?って平日と変わらず布団から出てくるじゃない。」


「…………。」


そりゃ。


母さんからすれば。


僕は八時間寝ただけだ。


まさか息子が。


その八時間で異世界の暗黒皇帝と十日間、地獄みたいな魔法修行をしていたとは夢にも思わない。


「ちょっと疲れてるだけ。」


「顔色悪いわよ?」


母さんが部屋へ入ってくる。


そして僕の額へ手を当てた。


「熱は……ないわね。」


「ないと思う。」


「気分悪い?」


「身体より。」


頭を指差す。


「こっちが疲れてる感じ。」


「何それ。」


「僕にも分かんない。」


嘘じゃない。


母さんが少しだけ眉を寄せた。


「学校で何かあった?」


「…………。」


一瞬。


言葉に詰まる。


学校。


龍二。


あの一件。


「……大丈夫。」


母さんはしばらく僕を見る。


「本当に?」


「うん。」


「気分悪くなったら言いなさいよ。」


「うん。」


「お昼、何か食べられそう?」


「…………カレー。」


「元気じゃない。」


「食欲と体力は別なんだよ。」


母さんが呆れたように笑った。


「分かった。お昼になったら呼ぶから。」


「はーい……。」


ドアが閉まる。


僕は再び天井を見る。


自分の部屋。


母さんの声。


日曜日。


十日間いた荒野が急に遠く感じた。


「皇帝。」


『なんだ。』


「これ……。」


布団から出られない。


「全然、休めてないんだけど……。」


『当然であろう。』


「当然なの!?」


『肉体は八時間休息しておる。だが、貴様の精神は十日間活動していた。』


「じゃあ。」


嫌な予感しかしない。


「僕の脳みそ……。」


『十日分働いたようなものだ。』


「先に言ってよぉぉぉ……。」


枕へ顔を埋める。


『何を情けない声を出しておる。十日程度で。』


「十日“程度”!?」


『余が獄炎瀑布〈ヘレンフォイヤー・カスカーデ〉を会得した際など。』


「待って。」


『精神世界へ五百日ほど籠ったものだ。』


「…………。」


ごひゃく?


「五百日?」


『うむ。』


「一年以上じゃん!」


『隕石落下〈メテオア・シュトゥルツ〉を会得した折も、同程度であったか。』


「…………。」


僕は三度、天井を見る。


五百日。


一年と四か月くらい。


それを魔法一個覚えるために?


「……皇帝。」


『なんだ。』


「友達いなかったの?」


沈黙。


『…………。』


「皇帝?」


『灰燼に帰されたいようだな。』


「ごめんなさい。」


反射で謝った。


怖い。


やっぱりこの人めちゃくちゃ怖い。


『それより。』


「なに……。」


『今日は休め。』


「…………え?」


思わず瞬きをした。


今、皇帝が休めって言った?


「皇帝。」


『なんだ。』


「熱ある?」


『灰燼に帰すぞ。』


「ごめんなさい。」


でも少し意外だった。


『精神疲労が蓄積しておる。今宵まで精神世界へ入れば、修練効率が落ちる。』


「…………。」


やっぱり僕を心配してではないらしい。


効率。


あくまで効率。


『故に今日は何もするな。』


「……うん。」


『食え。寝ろ。以上だ。』


「皇帝がめちゃくちゃまともなこと言ってる……。」


『本気で灰になりたいようだな。』


「はい。寝ます。」


目を閉じる。


そしてこの日、僕は本当にほとんど一日中寝ていた。


昼。


母さんに起こされてカレーを食べまた寝た。


夕方、一度起きて水を飲みまた寝た。


夜。


「シュウ。」


母さんがもう一度、部屋を覗いた。


「本当に大丈夫?」


「…………うん。」


「病院行く?」


「そこまでじゃないよ。」


「ならいいけど……。」


やっぱり少し心配そうだった。


「明日、学校休む?」


「…………。」


一瞬、考えた。


正直休みたい。


めちゃくちゃ休みたい。


でも。


「行く。」


自分でも少し意外だった。


母さんも少しだけ目を丸くする。


「そう?」


「うん。」


学校が怖くない。


なんてまだ言えない。


龍二のことも。


村上のことも。


教室のことも。


全部まだ怖い。


だけど十日間。


僕は恐怖から逃げなかった。


だったら明日も。


「行ってみる。」


母さんは僕をしばらく見て。


「分かった。」


それだけ言ってドアを閉めた。


「…………。」


僕は布団の中で目を閉じる。


『俗物。』


「……なに。」


『明日まで休め。』


「…………。」


少しだけ笑った。


「うん。」


その夜、僕は精神世界へ行かなかった。


夢すら見ずに眠った。



♢ ♢ ♢


月曜日。学校へ向かう。


「…………。」


一日ほとんど寝た。


夜もちゃんと寝た。


なのに。


「……まだ重い。」


足が前へ出ない。


身体が疲れているというより頭から


「歩け。」


という命令を出すこと自体が全力で面倒くさいということになっている。


「精神疲労って……。」


一歩。


「こんなに……。」


一歩。


「残るものなの……。」


『軟弱者め。』


「昨日の優しい皇帝返して。」


『そのような者は知らぬ。』


「いたよ!」


『幻覚だ。』


「精神世界より怖いこと言わないでよ!」


学校が遠い。


いつもの道なのに三倍くらい長く感じる。


ようやく校門。


予鈴まであと三分。


「…………。」


走る。


無理。


早歩き。


無理。


競歩。


無理。


結果。


全力の普通歩き。


「はぁ……。」


階段。


死ぬ。


二階。


まだある。


三階。


誰だ学校を縦に建てた奴。


そしてようやく教室。


扉を開ける。


「…………おはよう。」


その瞬間、何人かが僕を見る。


「お。」


「来た。」


そして男子の一人が笑った。


「皇帝じゃん。」


足が止まった。


「…………。」


皇帝。


その呼び方。


前なら馬鹿にされている。


そう思った。


笑われている。


そう思った。


でもなんか違う。


「この前すげーじゃん。」


「菅原たち三人相手だったんだろ?」


「マジでやったの?」


「校舎裏、結構な騒ぎだったらしいじゃん。」


声に嘲りがない。


むしろ少し興奮している。


それどころかほんの少し尊敬。


……みたいなものまで。


混ざっている気がする。


「…………。」


変な感じだ。


同じ教室。


同じクラスメイト。


何も変わっていないはずなのに。


僕を見る目だけが少し違う。


「皇帝。」


「…………。」


僕は小さく笑った。


ブヒ。


じゃない。


たったそれだけ。


呼び方が変わっただけなのに胸の奥が少しだけ軽くなった。


『不愉快だ。』


「え?」


『なぜ貴様が皇帝なのだ。』


「僕に言わないでよ。」


「陰山?」


「な、なんでもない。」


頭の中の本物の皇帝だけがめちゃくちゃ不機嫌だった。


「そういや。」


別の男子が声を落とす。


「菅原。」


「…………。」


身体が僅かに強張った。


「無期停学になるかもしれないって。」


「え。」


「山田先生が直接押さえたんだろ? 陰山に手出したところ。」


「前からのことも含めて、かなり問題になってるらしいぞ。」


「…………。」


龍二。


教室を見る。


席は空いていた。


いつもそこにいたはずなのに。


今は誰もいない。


「…………。」


何を思えばいいのか分からなかった。


嬉しい?


ざまあみろ?


安心?


怖い?


どれも少しずつ違う。


視線をずらす。


藤田はいる。


教室の端で数人と小さな声で話している。


僕と目が合った瞬間にびくっとしてすぐに逸らした。


そして村上。


「…………。」


目が合った。


「…………。」


村上の口が僅かに動く。


何か言いたそうだった。


でも。


言わない。


僕も。


言えない。


中学の頃ら僕の部屋で一緒にゲームをして漫画を読んで笑っていたあいつ。


僕をいじめていたあいつ。


どっちも村上だ。


だから簡単には決められない。


許すとか。


許さないとか。


そんなのまだ分からない。


「…………。」


僕は自分の席へ向かった。


今はそれでいい。


たぶん。


  ♢ ♢ ♢




「陰山くん。」


「…………。」


「陰山くん?」


「…………。」


「陰山くん!」


「ふぇ!?」


顔を上げる目の前に桜井さんがいた。


「お、おはよう。」


「おはよう。」


にこっと可愛らしく笑う。


その顔を見た瞬間、修行三日目が脳裏へ蘇った。


『もう、話しかけないで。』


『気持ち悪い。』


「…………!」


「陰山くん?」


「な、なんでもない!」


皇帝。


なんてものを僕の記憶に植え付けてくれたんだ。


『余は知らん。』


(知ってるよ!犯人だよ!)


「この前。」


桜井さんが僕の机へ少し身を寄せる。


「ファミレス、楽しかったね。」


「…………え。」


「また。」


桜井さんが笑う。


「美味しいもの、一緒に食べに行こうよ。」


「…………。」


頭。


停止。


一緒に。


食べに。


また。


行く?


「…………うん。」


「陰山くん?」


「うん。」


「大丈夫?」


「うん。」


「本当に?」


「うん。」


「…………。」


桜井さんの顔が近づいた。


「え。」


白い手が伸びてくる。


そして。


ぺた。


僕の額に触れた。


挿絵(By みてみん)


「…………。」


…………。


…………。


「熱は。」


桜井さんの顔が。


近い。


「なさそうだけど……。」


近い。


近い近い近い。


柔らかい手。


いい匂い。


睫毛。


長い。


「…………。」


心臓。


どくん。


どくん。


どくん。


どくん。


『ほう。』


やめろ。


『魔力同調〈レゾナンツ〉か?』


違う。


『心拍数が上昇しておるぞ。』


黙れ!


『これを魔力変換〈ヴァンドルング〉すれば。』


しなくていい!


『興味深い。恋慕の情動も魔力へ変換できるか試してみるか。』


皇帝ぇぇぇぇ!


「陰山くん?」


「だ、大丈夫!」


思わず。


声が裏返った。


桜井さんがぱちぱちと瞬きをする。


それからくすっと笑った。


「なら、いいけど。」


手が離れる。


「…………。」


惜しい。


って何を考えてるんだ僕は。


「でも。」


桜井さんが少しだけ心配そうに僕を見る。


「本当に顔色悪いよ。」


「ちょっと……。」


僕は笑った。


「十日くらい寝てなくて。」


「えっ!?」


「違う!」


しまった!


「八時間寝た!」


「どっち!?」


説明できない。


いや昨日は一日中寝てた。


もっと説明できない。


♢ ♢ ♢


一時間目。


数学。


「では、ここを展開すると……。」


「…………。」


眠い。


二時間目。


現代文。


「この時の作者の心情は……。」


知らない。


僕の心情は。


眠い。


三時間目。


英語。


「陰山。」


「…………。」


「陰山。」


「…………。」


「陰山!」


「御意!」


教室が静まり返った。


「…………。」


先生が僕を見る。


僕も先生を見る。


…………。


(なんで御意って言った?)


『知らん。』


絶対お前だろ!


「……陰山。」


先生の眉間へ皺が寄る。


「授業中に寝るな。」


「すみません……。」


後ろから男子の声が。


「先生。」


「なんだ。」


「皇帝はお疲れなんですよ。」


教室に笑いが起きた。


「この前、戦争してたんで。」


「三人相手にな。」


「皇帝にも休息は必要っすよ。」


笑い声。


でも嫌じゃない。


僕も少しだけ笑った。


その瞬間頭の中で。


凄まじく不機嫌な声が響いた。


『俗物。』


「…………。」


嫌な予感。


『こやつらに訂正させろ。』


「え。」


『貴様は皇帝などではない!!』


頭がキーンとした。


「うるさっ!」


思わず叫んだ。


教室が再び静まり返る。


先生が僕を見る。


「…………陰山?」


「…………。」


終わった。


「誰に言った?」


「…………。」


どうしよう。


頭の中に住んでいる異世界の暗黒皇帝にとは言えない。


「…………皇帝に。」


先生の眉間の皺がさらに深くなった。


「お前が皇帝だろうが!」


教室が爆発した。


「ははははは!」


「皇帝、自分と喧嘩してる!」


「陛下ご乱心!」


「やべえ!」


「…………。」


僕は机へ顔を伏せた。


もう寝よう。


何も考えない。


『おい』


知らない。


『余を貴様のような俗物と同列に扱わせるな。』


知らない。


『俗物。』


寝る。


『俗物!』


僕はそのまま目を閉じた。


少し前までこの教室は怖い場所だった。


笑い声が聞こえるだけで自分が笑われていると思った。


誰かが後ろを通るだけで身体が強張った。


何かされるんじゃないか。


何か言われるんじゃないか。


いつもそればかり考えていた。


でも今、教室には笑い声が響いている。


その中心に僕がいる。


なのに不思議と怖くなかった。


笑われている。


というより一緒に笑っている。


そんな気がした。


ブヒから。


皇帝へ。


呼び方が変わっただけ。


世界は前と同じ教室も机もクラスメイトも何も変わっていない。


それでもほんの少しだけ違って見える。


もしかしたら変わったのは世界じゃなくて僕なのかもしれない。


怖いものが消えたわけじゃない。


僕が急に強くなったわけでもない。


第一位階。


蜥蜴級〈エクセ〉。


魔導士としてはようやく最初の一歩。


それでも僕は逃げずにここにいる。


それだけで今日は少しだけ前とは違った。


『俗物。』


「…………。」


『寝るな。』


「……無理。」


『仕方のない奴だ。』


「皇帝……。」


『なんだ。』


「今日も修行ないんだよね……。」


『…………。』


「皇帝?」


嫌な沈黙。


『今宵は休め。』


「よかった……。」


ほっとして。


目を閉じる。


『明夜から二十日だ。』


「…………。」


目を開ける。


ゆっくり顔を上げる。


「絶対嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


教室中の視線が僕へ集まった。


先生がひきつった笑顔を浮かべながら近づき、そっと僕の肩へ手を置いた。


「陰山。」


「はい。」


「廊下に立ってろ。」


「はい……。」


第一位階。


蜥蜴級〈エクセ〉魔導士。


陰山シュウ。


魔導士になって最初に受けた命令は。


「廊下に立て」。


だった。


……魔導士って。


もっと格好いいものじゃなかったっけ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。