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第十話 後篇 暗黒皇帝、魔導六大制御法を語る

落ちる。


落ちる。


どこまでも。


「皇帝ぃぃぃぃぃっ!」


叫んでも。


挿絵(By みてみん)


返ってくるのは、自分の声だけ。


上も下も。


右も左も何もない。


さっきまで広がっていたグランツライヒ魔導帝国も。


《円卓の英雄〈レゲンデンルンデ〉》も。


全部消えた。

僕は黒一色の空間をただひたすら落下していた。


「これ修行じゃなくて処刑じゃない!?」


『喚くな。』


どこからともなく皇帝の声。


「喚くよ!」


『あと三秒だ。』


「何が!?」


『着地まで。』


「先に言ってよ!」


『三。』


「待って!」


『二。』


「待てって!」


『一。』


「皇帝ぃぃぃぃぃっ!」


次の瞬間地面が現れた。


「ぶへっ!」


顔面から盛大に落ちた。


「…………」


痛い。

めちゃくちゃ痛い。


鼻が取れたかもしれない。


「いっ……たぁぁぁ……。」


顔を押さえながら僕は地面を転がった。


さっきまでの石畳じゃない。


乾いた黒い土。


顔を上げる。


「…………え?」


荒野だった。


灰色の大地がどこまでも続いている。


巨大な岩。


枯れた木々。


空には紫色の雲がゆっくりと渦を巻き。


その隙間から赤黒い光が差し込んでいた。


遠くには刃物みたいに尖った山々。


さっきまで見ていた美しい魔導都市とはまるで別世界だ。


「……ここ。」


鼻を押さえながら立ち上がる。


「どこ?」


「修練場だ。」


「っ!?」


振り返る。


数メートル先、皇帝が立っていた。


漆黒の装束。


黒金の王冠。


風もないのに長い黒髪と外套だけがゆらりと揺れている。


「いつからそこにいたの?」


「最初からだ。」


「助けてよ!」


「なぜだ。」


「顔から落ちたんだよ!?」


皇帝が僕の顔を見る。


「生きておる。」


「そういう問題じゃない!」


「ならば問題ない。」


「あるよ!」


なんなんだこの人。


頭の中にいた時から偉そうだったけど

目の前に立たれると尊大さが二割増しくらい腹立つ。


「安心しろ。」


「その言葉、もう信用してないからね。」


「ここで鼻が潰れても、現実の顔には影響せぬ。」


「精神世界の僕の顔は!?」


「元より大差ない。」


「ひどくない!?」


皇帝は僕の抗議を無視した。


「来い。」


荒野の中央へ歩いていく。


「……はいはい。」


鼻をさすりながら僕も後を追う。


地面は硬い。


靴の裏へ砂利の感触まで伝わってくる。


風が頬に当たる。


空気は少し冷たい。


これが全部精神世界。


皇帝の記憶によって作られた場所。


分かっている。


それなのに本物にしか思えなかった。


「ちなみに。」


歩きながら聞く。


「ここって、さっきの街の外?」


「違う。」


「え?」


皇帝が足を止める。


「先ほどの帝都は、余の記憶を基に再構築したものだ。」


「じゃあここは?」


「修練のためだけに構築した領域。」


皇帝は荒野を見渡した。


「壊しても困るものがない。」


「その説明、めちゃくちゃ不穏なんだけど。」


「当然であろう。」


当然なの?


皇帝がこちらへ向き直った。


「俗物。」


「ん?」


「ここからは戯れではない。」


紫の瞳が僕を見る。


「…………」


声の温度が変わった。


さっきまで僕を落として顔面から着地させて平然としていた男と同じ人とは思えない。


「貴様にはこれから十日間。

魔力を扱うための基礎を叩き込む。」


僕は小さく唾を飲み込んだ。


「……魔法は?」


「まだだ。」


即答。


「ええっ。」


「不満か。」


「十日もあるんだから、一個くらい……。」


「話にならん。」


ぴしゃり。


「術式を教えたところで。」


皇帝が右手を持ち上げる。


「魔力を御せぬ貴様には使えぬ。」


その手が僕へ向けられた。


「まず魔力を生め。」


「…………」


「はい?」


「聞こえなかったか。」


「いや、聞こえたけど。」


僕は自分の身体を見る。


「どうやって?」


「その前に。」


皇帝が拳を握って手をあげる。


「貴様には覚えるべきものがある。」


「……嫌な予感。」


「《魔導六大制御法〈ゼクス・コントローレ〉》」


「六大……?」


「魔導士が魔力を御するための六つの基礎だ。」


一本目の親指をのばすと同時に。


「魔力同調〈レゾナンツ〉。」


二本目。


「魔力変換〈ヴァンドルング〉。」


三本目。


「魔力生成〈クヴェル〉。」


四本目。


「魔力循環〈クライス〉。」


そして皇帝は手を開く。


「魔力収束〈ケルン〉。」


最後にもう片方の手から一本。


「魔力放出〈シュトース〉。」


「…………。」


僕は皇帝の指を見た。


そして自分の指を折って数える。


「六個もあるんだけど。」


「だから六大制御と言ったであろう。」


「いや、名前だけでもう難しそうなんだけど。」


「覚えろ。」


「横暴!」


「そして。」


皇帝は僕の抗議を無視する。


「六つすべてを己の意思で御するそれを。」


紫の瞳が細められた。


「魔力制御〈コントローレ〉と呼ぶ。」


「……それができたら。」


ちょっと期待する。


「魔法を教えてくれるの?」


「阿呆。」


即答だった。


「え。」


「それでようやく。」


皇帝の紫眼が僕を捉える。


「魔導士を名乗ることを許される。」


「…………え?

ちょっと待って。

魔法を使うための準備じゃないの?」


「グランツライヒにおいて。」


皇帝が指を一本立てる。


「魔導六大制御を修めた者には第一位階

蜥蜴級〈エクセ〉の位階が与えられる。」


挿絵(By みてみん)


「トカゲ……?」


「そうだ。」


「六個も覚えて?」


「そうだ。」


「やっと?」


「そうだ。」


「トカゲ?」


「何度言わせる。」


いやだって。


「もうちょっとこう……

ドラゴンとかフェニックスとか格好いいの想像してたんだけど。」


「百年早い。」


「百年!?」


皇帝は鼻で笑った。


「己の魔力すら満足に御せぬ者を余の帝国では魔導士とは呼ばぬ。」


「ハードル高くない!?」


「低い。」


「皇帝基準で言わないでよ!」


「安心しろ。」


「何を?」


皇帝が僕を見下ろす。


「今の貴様は蜥蜴ですらない。」


「安心できる要素どこ!?」


皇帝は僕の叫びなど最初から聞いていなかったみたいに続ける。


「まず最初の二つを覚えろ。」


「二つ?」


「思い出せ。」


「何を?」


「銭湯だ。」


「…………」


胸の奥が僅かにざわついた。


「貴様はあの時、恐怖や怒りといった負の感情を

無意識に魔力へ変換した。」


「……勝手に、でしょ。」


「そうだ。」


「ならば。」


皇帝の声が低くなる。


「今度は自らの意思でやれ。」


「…………。」


簡単に言う。


「じゃあ……何から?」


「まずは恐怖だ。」


やっぱりそこなんだ。


「目を閉じろ。」


「…………」


「早くしろ。」


「はい。」


言われた通り目を閉じる。


暗闇。


風の音だけが耳へ入ってくる。


「思い出せ。」


皇帝の声。


今度は静かだった。


「貴様が恐れたものを。」


「…………」


頭の中へ真っ先に浮かんだのは学校。


龍二たち。


笑い声。


机を蹴られる音。


廊下。


逃げても追いかけてくる足音。


「もっとだ。」


「…………」


拳が僅かに震える。


嫌だ。


思い出したくないのに目を閉じた暗闇の

向こうから勝手にあの日の音が蘇る。


『おい、ブヒ。』


菅原の声。


肩がびくりと跳ねる。


次の瞬間、腹の奥へ。


鈍い衝撃。


「っ……!」


記憶なのに身体が勝手に身構えた。


胃の奥が縮む。


息が止まる。


菅原の拳。


笑っている藤田。


スマホを構えている。


『ほら、もう一回やってみろよ。撮ってるから。』


嫌だ。


見たくない。


なのに記憶は止まらない。


床。


僕の鞄。


中身が全部ぶちまけられている。


教科書。


筆箱。


財布。


そしてその横に立つ村上。


『ブヒ。それ拾えよ。』


「…………っ。」


胸が痛い。


菅原に殴られた時よりずっと痛い。


中学の頃、僕の部屋で同じゲームをして同じ漫画を読んで笑っていた声。


その声が今は僕を笑っている。


『早くしろよ。聞こえねえの?』


机を蹴る音。


廊下を走る足音。


背中へ飛んでくる笑い声。


トイレへ逃げても階段へ逃げてもどこまで行っても追いかけてくる。


今日は何をされる?


殴られる?


金を取られる?


動画を撮られる?


それとももっと何か別のこと?


分からない。


それが一番怖かった。


朝。


校門が見えるだけで腹が痛くなった。


教室の扉へ手をかけるだけで鼓動が速くなった。


中から笑い声が聞こえると自分が笑われてるのだと思った。


何も起きていないときも怖かった。


今日も何かある。


そう思いながら毎日、教室へ入っていた。


「…………っ。」


息が浅くなる。


胸が冷たい。


「目を逸らすな。」


皇帝の声。


「…………。」


「恐怖を見ろ。」


「……嫌だ。」


声が震えた。


「怖い。」


「それでよい。」


「…………」


「誰が恐れるなと言った。」


皇帝の声は低い。


だけど不思議と冷たくなかった。


「恐怖を消そうとするから恐怖に支配される。」


紫の瞳が真っ直ぐ僕を見ている。


「恐れろ。だが恐怖を主にするな。」


「…………」


「恐怖に命じられるな。貴様が恐怖へ命じろ。」


「…………」


「それは貴様の中に生じた一つの力にすぎぬ。」


そして低く告げた。


「使え。」


僕はもう一度、目を閉じた。


怖かった。


今だって思い出せば身体が震える。


だったら逃げない怖いという感情を消そうともしない。


ただそこにあるものとして受け入れる。


龍二。


教室。


笑い声。


殴られる恐怖。


何をされるか分からない恐怖。


明日学校へ行けばまた何かあるんじゃないかという恐怖。


胸が冷たくなり鼓動が速くなる。


どくん。


どくん。


あの銭湯の時と少し似ている。


「そうだ。」


皇帝の声。


「まずその恐怖へ己の魔力を重ねろ。」


「…………?」


「感情と魔力を同じ波へ合わせる。」


低い声が耳へ落ちる。


「魔力同調〈レゾナンツ〉。」


僕は胸の奥へ意識を向ける。


冷たい黒い何かが。


あるような。


ないような。


「次だ。その感情を魔力へ変えろ。

魔力変換〈ヴァンドルング〉。」


「…………!」


掴む。


頭の中で必死にその感覚を掴もうとする。


そして一瞬、黒紫の光が指先に浮かんだ。


「……!」


やった。


そう思った瞬間、消えた。


「…………」


「…………。」


「今のは?」


「失敗だ。」


「早くない!?」


「喜んだ瞬間、集中を切った。」


「一瞬出たじゃん!」


「一瞬出ただけだ。」


「厳しい!」


「当然だ。」


皇帝は腕を組む。


「今の貴様は

魔力同調〈レゾナンツ〉も。

魔力変換〈ヴァンドルング〉も。

偶然成功したにすぎぬ。」


「…………。」


「自らの意思で何度でも再現できるようにしろ。

それが修練だ。」


「急に先生っぽい……。」


「なんだ、その顔は。」


「いや。」


「さっきまで顔から落として笑ってた人と同じかなって。」


「笑ってはおらぬ。」


「助けてもくれなかったけどね!」


「もう一度、落とされたいのか。」


「…………ごめんなさい。」


これが僕の一日目だった。


     ♢


二日目。


「…………っ!」


黒紫の魔力が

僕の腕から噴き出した。


「出た!」


「多い。」


「え?」


次の瞬間、爆発した。


「ぶっ!」


身体が後ろへ吹っ飛び地面を転がる。


一回。


二回。


三回。


「いったぁぁぁぁ!」


「だから言ったであろう。」


「先に言ってよ!」


「先ほど言った。」


「『多い』しか言ってないよ!」


「十分だ。」


「何が!?」


「立て。」


「鬼!」


「皇帝だ。」


「そうだった!」


     ♢


三日目。


「恐怖を生め。」


「だから、それが難しいんだって……。」


「ならば手伝ってやろう。」


「…………嫌な予感。」


ヴァルガイアが少し考える。


「桜井とやらを思い浮かべろ。」


僕の耳がぴくりと動いた。


「……なんで桜井さん?」


「いいからやれ。」


「…………。」


仕方なく桜井さんの顔を思い浮かべる。


いつもの笑顔。


『陰山くん。』


僕をそう呼ぶ声。


「では想像しろ。」


皇帝の声が静かに落ちる。


「その娘が貴様を見て顔も見たくない、と言うところを。」


「…………」


胸がきゅっと縮んだ。


「……やだな、それ。」


「ならば続けろ。」


「え。」


「想像しろ。」


桜井さんの笑顔が消える。


僕を見る目が冷たくなる。


『陰山くん、もう話しかけないで。』


「…………っ。」


嫌だ。


想像だって分かってる。


本当に言われたわけじゃない。


なのに胸の奥が冷たくなる。


「そうだ。逃がすな。」


皇帝の声。


黒紫の光が指先に浮かんだ。


「……!」


出た。


でも桜井さんの顔が。 また浮かぶ。


『気持ち悪い。』


「…………っ!」


胸が大きく波打った瞬間。


ぷつっ。


魔力が消えた。


「…………あ。」


「失敗だ。」


「…………。」


「恐怖を生むことには成功した。」


皇帝が淡々と告げる。


「だが今度は恐怖そのものへ意識を奪われた。」


「…………難しすぎない?」


「だから修行しておる。」


なぜ魔法の修行で恋愛方面から怖がらせようとするんだ。


「感情を人工的に生じさせるのも技術の一つだ。」


「でも、もっと他にあるでしょ!?」


「例えば?」


「…………。」


思いつかなかった。


「なら黙れ。」


「はい……。」


     ♢


四日目。


僕は吐いた。


「うっ……。」


胃の中にほとんど何も入っていないはずなのに吐き気だけが何度も込み上げる。


精神世界だから肉体的には死なない。


それでも苦しさは現実と変わらない。


「……もう。」


地面へ両手をつく。


「ちょっと……休憩。」


「五分だ。」


「短くない?」


「十分欲しいか。」


「うん。」


「却下だ。」


「聞いた意味!」


それでも皇帝は五分の間、何も言わなかった。


ただ少し離れた岩へ腰掛け僕を見ていた。


その夜。


精神世界でも休まなければ精神の疲労は抜けない。


皇帝が用意した簡素なスープと固いパンを僕は無言で口へ運んでいた。


「…………。」


固い。


めちゃくちゃ固い。


「皇帝。」


「なんだ。」


「カレーとか出せないの?」


「出せる。」


「出せるんだ!?」


「だが断る。」


「なんで!?」


「修行だからだ。」


「食事まで修行にしなくていいでしょ!」


「食えておるではないか。」


「パンが武器みたいに固いんだよ!」


皇帝は僕のパンを見る。


「軟弱だな。」


「歯の話!?」


結局。


その日はスープでパンをふやかして食べた。


そして寝床へ横になった瞬間泥に沈むみたいに意識が落ちた。



     ♢   


翌朝。


「起きろ。」


「…………。」


「俗物。」


「…………。」


「五日目だ。」


「……学校より嫌だ……。」


「起きろ。」


「はい……。」


五日目。


「恐怖。」


皇帝の声。


「それを魔力へ変えろ。」


僕は目を閉じた。


あの日の光景を思い出す。


怖かった。


何もできなかった。


逃げることしかできなかった。


なのにその日、胸の奥から湧き上がってきたのはいつもの冷たさじゃなかった。


「……ふざけんな。」


熱い。


昨日までとは違う。


胸の奥が焼けるように熱い。


黒紫の魔力が僕の腕へ絡み始める。


「止めろ。」


「え?」


ヴァルガイアの紫眼が細くなる。


「それは恐怖ではない。怒りだ。」


「……怒りじゃ、ダメなの?」


「駄目とは言っておらぬ。」


皇帝は腕を組む。


「むしろ興味深い。恐怖は貴様を内へ縮ませる。だが怒りは逆だ。外へ力を向ける。」


「じゃあ。」


僕は自分の腕を見る。


「こっちを使えば……。」


「阿呆。」


即答。


「歩くことも覚えておらぬ赤子が走り方を選ぶな。」


「例え方!」


「今は恐怖だけを見ろ。」


「怒りは後だ。」


皇帝が僅かに目を細める。


「……後?」


「集中しろ。」


「はい!」


それ以上、皇帝は何も教えなかった。


でもなんとなく感じた。


怒りもいずれ僕の力になる。


五日目。


失敗。


    ♢


六日目。


初めて暴走する前に自分で魔力を止められた。


ほんの一瞬、それでも僕が止めた。


    ♢


七日目。


恐怖を思い出しても膝をつかなくなった。


怖い。


苦しい。


逃げたい。


その気持ちは消えていない。


でも立っていられた。


   ♢


八日目。


指先に浮かんだ黒紫の魔力を一秒だけ残せた。


一秒。


たった。


一秒。


でも昨日までとは違う。


それでも成功とは呼べなかった。


恐怖へ意識を向けすぎて呑まれて過呼吸になった。


魔力を暴走させ地面を抉った。


自分まで吹き飛んだ。


恐怖へ触れすぎて動けなくなったときもあった。


そのたび皇帝の声が飛んでくる。


「見るなとは言わぬ。逃げるな。

だがそこへ戻るな。過去は過去だ。

貴様はいまここにおる。」


何度も何度も立たされた。


「もう一度。」


「また!?」


「もう一度だ。」


「何回やればいいの!?」


「出来るまでだ。」


「それ答えになってない!」


「魔導とはそういうものだ。」


「ブラックすぎる!」


「知らん。」


「皇帝!」


「集中しろ!」


「はい!」


    ♢


九日目。


僕は仰向けになって空を見ていた。


「…………。」


指一本でも動かしたくない。


身体が重い。


本当の身体じゃないイメージの身体。


そんなこともうどうでもよかった。


痛いものは痛い。


疲れるものは疲れる。


「俗物。」


「…………。」


「起きろ。」


「……無理。」


「起きろ。」


「……死ぬ。」


「精神体はその程度では死なん。」


「気持ちの話だよ……。」


視界の端に皇帝が入る。


九日間ずっと同じ顔。


疲れている様子なんて一切ない。


「皇帝はいいよね……。」


「何がだ。」


「強いし。」


「当然だ。」


「疲れないし。」


「余だからな。」


「顔もいいし。」


「当然だ。」


「そこも否定しないんだ……。」


腹立つ。


でももう突っ込む気力もない。


僕はゆっくり目を閉じた。


「……僕。」


「向いてないんじゃない?」


その瞬間、空気が変わった。


「何がだ。」


「魔導。」


「…………」


「九日やって。」


手を見る。


「まだ。」


まともに魔力すら出せない。


出ても一瞬、すぐ消える。


暴走する。


制御できない。


「才能あるって……。」


笑いそうになった。


「やっぱり。」


「間違いだったんじゃない?」


「…………。」


皇帝は何も言わなかった。


その沈黙が余計に苦しかった。


   ♢


十日目。


最後の日。


僕は地面に座っていた。


皇帝は数メートル先いつものように腕を組んでいる。


「今日で十日だ。」


「…………うん。」


「最後だ。」


「…………。」


「恐怖を魔力へ変えろ。」


僕は目を閉じた。


もう何百回やったか。


分からない。


恐怖。


怖かったこと。


いじめ。


父さん。


妹。


虎壱さん。


皇帝。


「余まで入れるな。」


「集中してるんだから話しかけないでよ!」


「思考が聞こえるのだから仕方あるまい。」


「ほんっと……。」


少し笑った。


その時、ふと気づいた。


僕は今でも怖い。


龍二たちが怖い。


あの日の記憶が怖い。


妹のことを考えるのも怖い。


魔法だって怖い。


皇帝だって時々めちゃくちゃ怖い。


でも前とは少しだけ違う。


怖いから逃げるわけじゃない。


怖い。


それでも胸の奥へ意識を向ける。


恐怖は消えていない。


冷たい嫌な感覚。


でもそれを押し込めない。


否定しない。


これが僕の恐怖。


ゆっくり息を吸って吐く。


一日目に皇帝から教えられたことを思い出す。


まず。


魔力同調〈レゾナンツ〉。


恐怖へ自分の魔力を重ねる。


怖い。


逃げたい。


その感情を消そうとしない。


ただ同じ場所へ意識を合わせる。


「…………。」


あった。


胸の奥に冷たい小さな何か。


次。


魔力変換〈ヴァンドルング〉。


恐怖をそのまま魔力へ変える。


無理やりじゃない。


押し潰すんでもない。


そこにあるものをただ受け取る。


「…………っ。」


どくん。


心臓が大きく鳴った。


そしてその瞬間、分かった。


これだこれが僕の魔力の源。


「今だ。」


皇帝の声。


僕はその感覚を逃さない。


魔力を生み出す僕自身の意思で。


魔力生成〈クヴェル〉。


「…………!」


胸の奥で何かが生まれた。


黒。


紫。


冷たい。


でも怖くない。


いや違う。


怖い。


それでも僕のものだ。


胸から肩。


肩かな腕。


腕から掌へ流れていく。


まだ魔力循環〈クライス〉と呼べるほど綺麗じゃない。


ただ必死に腕へ運んでいるだけ。


それでも魔力は僕の意思に従って動いた。


掌へ集める。


ほんの少しだけ。


魔力収束〈ケルン〉。


そして指先へ押し出す。


魔力放出〈シュトース〉。


「…………!」


黒紫の光が生まれた。


小さい。


本当に小さい。


豆電球くらい。


でも消えない。


「…………」


一秒。


二秒。


三秒。


僕は息すら忘れて掌を見る。


四秒。


五秒。


六秒。


黒紫の魔力が。


静かに。


僕の掌で揺れている。


「…………出た。」


挿絵(By みてみん)


嬉しくなった。


その瞬間。


ぷつっ。


消えた。


「…………。」


僕はしばらく空になった掌を見つめていた。


そして身体の力が全部抜けた。


どさっ。


地面へ大の字になる。


「……もう。」


空を見る。


「無理……。」


「まだ十日だぞ。」


「十日“も”だよ……。」


声すらまともに出ない。


「僕。」


笑う。


「もうギブアップ。」


皇帝は何も言わない。


「やっぱり……。」


目元を腕で覆う。


「才能なんてなかったんじゃないかな。」


九日間、何度も失敗した。


十日目。


やっとたった数秒だけ魔力を出せただけ。


しかも魔力循環〈クライス〉も。


魔力収束〈ケルン〉も。


魔力放出〈シュトース〉も。


皇帝が言っていた。


本当の意味での制御にはほど遠い。


魔力制御〈コントローレ〉なんて。


夢のまた夢。


当然。


蜥蜴級〈エクセ〉ですらない。


魔法なんて。


まだ一つも使えない。


《深淵恐慌》も。


《身体狂化》も。


遥か先。


「…………。」


悔しい。


なんで悔しいんだろう。


十日前なら魔法なんて使えなくて当たり前だった。


なのに今は出来ないことが、とてつもなく悔しい。


「俗物。」


皇帝の声。


「……なに。」


「何を言っておる。」


「…………。」


「上出来だ。」


「…………え?」


腕をどける。


視界に皇帝がいる。


聞き間違えた?


「……今。」


身体を起こす。


「なんて?」


「二度言わせるな。」


皇帝はいつもの不機嫌そうな顔だった。


「上出来だと言った。」


「…………」


頭が追いつかない。


「でも。」


自分の掌を見る。


「数秒だよ?」


「それがどうした。」


「六大制御法だって、半分もまともに出来てない。」


「当然だ。」


「魔法も使えてない。」


「当然だ。」


「九日間ほぼ失敗して……。」


「当然だ。」


「暴走して。」


「当然だ。」


「何回も吐いて。」


「それは貴様が軟弱なだけだ。」


「そこだけ悪口!?」


思わずいつもの調子で突っ込んだ。


皇帝が小さく咳払いをする。


「俗物。」


その声が少しだけいつもと違った。


「貴様は十日前まで。」


ゆっくり。


皇帝が僕へ歩いてくる。


「魔力という存在すら知らなかった。」


「…………。」


「己の感情に呑まれ。

無意識に魔力を垂れ流すことしか出来なかった。」


足音。


ざっ。


ざっ。


乾いた土を踏んで。


近づいてくる。


「それが。」


僕の前で止まる。


「十日で。」


皇帝が。


僕の右手を見る。


「恐怖を恐怖のまま受け入れ、魔力同調〈レゾナンツ〉によって己の魔力と重ね。

魔力変換〈ヴァンドルング〉によって力へ変え。

魔力生成〈クヴェル〉によって己の意思で魔力を生み出した。」


「…………」


「さらに。」


皇帝が僕の目を見る。


「不完全ながら

魔力循環〈クライス〉。

魔力収束〈ケルン〉。

魔力放出〈シュトース〉にまで自ら辿り着いた。」


「僅か数秒だよ。」


「それで十分だ。」


「でも……。」


「勘違いするな。」


皇帝の眉が僅かに寄る。


「六つを一度成功させれば。」


「魔導六大制御を修めたことになるわけではない。」


「…………。」


「意識せずとも呼吸するように何度でもどのような状況でも自在に六つを扱えるようになって、初めて魔力制御〈コントローレ〉を修めたと言える。」


「…………。」


「その時。」


皇帝が指を一本立てる。


「余は貴様を第一位階。

蜥蜴級〈エクセ〉魔導士と認めよう。」


「…………。」


僕はしばらく黙った。


「……トカゲ。」


「不満か。」


「十日間死ぬほど頑張ってまだトカゲですらないんだなって。」


「当然だ。」


「やっぱりハードル高いよ!」


「低い。」


「皇帝基準!」


皇帝が小さく息を吐く。


「だが今日の貴様は。」


紫の瞳が真っ直ぐ変わらずに僕を見る。


「昨日までの貴様とは違う。」


「…………。」


皇帝の眉が僅かに寄る。


「貴様は魔導を何だと思っておる。」


「……魔法を使うために必要な技術?」


「違う。」


即答。


「己の力を知り。

御し。

望む形へ変える。」


前に聞いていた魔導の意味。


「今日、貴様は初めて己の感情を己の力として御した。」


「…………」


胸の奥が熱くなる。


「そして。」


皇帝が続ける。


「十日で魔力を生み出したことなど余にとっては些事だ。」


「……え?」


「余が評価しているのは。」


「そこではない。」


紫の瞳が力強く僕を捉える。


「貴様は十日間。

己が最も恐れるものから一度も逃げなかった。」


その一言が胸に刺さった。


逃げなかった?


僕が?


ずっと逃げてきた僕が。


学校から。


龍二たちから。


過去から。


自分自身から。


ずっと逃げてきた。


そう思っていた僕が。


「…………」


目の奥が熱くなる。


泣くな。


ここで泣いたら。


絶対皇帝に馬鹿にされる。


「俗物。」


「……なに。」


「顔を上げろ。」


僕はゆっくり顔を上げる。


目の前には暗黒皇帝。


六属性を極めた魔導の頂点。


僕なんかとは比べ物にもならない男。


その皇帝が僕をずっと見ている。


いつもの嘲る目じゃない。


「胸を張れ。」


「…………」


そして皇帝は僕の名を呼んだ。


「シュウ。」


「……!」


「貴様には。」


ほんの僅かに。


口元を上げる。


「才がある。」


「…………」


何も言えなかった。


銭湯で初めて名前を呼ばれた時とは違う。


今度ははっきり僕へ向けて。


シュウ。


そう呼ばれた。


「……皇帝。」


「なんだ。」


「もう一回言って。」


「断る。」


「ええっ!?」


「二度言わせるなと言ったであろう。」


「そこケチる!?」


「調子に乗るな、俗物。」


いつもの皇帝だった。


でも。


「…………へへ。」


「気色の悪い顔をするな。」


「仕方ないじゃん。」


「何がだ。」


僕は自分の掌を見る。


何もない。


魔力はもう消えている。


それでも十日前とは。


違う。


ほんの数秒。


僕は自分の意思で恐怖を力へ変えた。


「皇帝。」


「今度はなんだ。」


「僕。」


立ち上がる。


脚がふらつく。


それでも立った。


「もう少し。」


「やってみたい。」


皇帝の眉がすこし驚いたように僅かに上がった。


「ほう。」


「次はもっと長く出せるようになりたい。」


拳を握る。


「…………」


「それで。」


胸の奥が少し高鳴る。


「六大制御も全部ちゃんと使えるようになりたい。」


皇帝は何も言わない。


「だって。」


僕は笑った。


「いつまでも。」


「トカゲ未満って嫌だし。」


「ふっ。」


「…………。」


今、笑った?


「皇帝?」


「なんだ。」


「笑ったの?」


「気のせいだ。」


絶対笑った。


でも、追及する前に、皇帝が黒い外套を翻した。


「ならば。」


そう言って歩き出し、すぐに足を止める。


「残る時間で六大制御を仕上げろ。」


「…………。」


僕は自分の掌を見る。


「仕上げるって……。」


「僕、まだ数秒しか出せてないんだけど。」


「だからだ。」


ヴァルガイアが肩越しにこちらを見る。


「偶然の一度を成功とは呼ばぬ。」


「うっ。」


「自らの意思で何度でも再現できるようにしろ。」


「…………。」


正論すぎて、何も言い返せない。


「魔力同調〈レゾナンツ〉から。」


ヴァルガイアの声が荒野に響く。


「魔力放出〈シュトース〉まで。」


「一つの流れとして。」


「淀みなく繋げてみせろ。」


「……できるかな。」


「やると言ったのは貴様だ。」


「そうだけど!」


「できぬなら。」


紫の瞳が僅かに細められる。


「トカゲ未満のままだな。」


「やります!」


即答だった。


「絶対やる!」


「ならば立て。」


僕はふらつく脚に力を入れる。


膝が笑い、身体中が痛む。


それでも、もう一度立ち上がった。


今度は偶然じゃなく、自分の意思で、最初から最後まで六つ全部を繋げてみせる。


十日目は、まだ終わっていない。


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Xで流行りの形式で魔道を説明する皇帝は面白い男。
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