第十話 前編 暗黒皇帝、真名を告げる
第十話 前編
「…………で。」
僕はベッドの上で胡坐をかいたまま。
腕を組んだ。
「修行するって言っても。」
目の前には。
当然、誰もいない。
だけど。
頭の中には。
いつもの尊大な声がいる。
(具体的に、何すればいいの?)
『まずは魔力の制御だ。』
皇帝は即答した。
『貴様は感情を魔力へ変換すること自体はできる。』
『だが。』
『それを己の意思で行えぬ。』
(……うん。)
銭湯でのことを思い出す。
怒りに呑まれて。
黒紫の魔力を撒き散らして。
牛乳瓶を震わせて。
冷蔵庫のガラスまで鳴らして。
危うく。
大好きな銭湯そのものを壊しかけた。
もし。
あの時。
おばあちゃんの声が聞こえなかったら。
僕は。
どうなっていたんだろう。
『故に。』
皇帝の声が響く。
『最初に覚えるべきは魔法ではない。』
『魔力を生み出し。』
『御し。』
『己の内へ留めることだ。』
(……地味だね。)
『…………』
(ごめんなさい。)
最近。
皇帝が黙るだけで。
「あ、今怒ってるな。」
というのが分かるようになってきた。
これは。
僕の成長なのだろうか。
たぶん違う。
『魔力を御せぬ者へ魔法を教えるなど。』
皇帝が続ける。
『火薬庫の中で松明の振り方を教えるようなものだ。』
(例え怖すぎない?)
『銭湯を火薬庫にしかけた者が何を言う。』
「…………」
何も言い返せない。
僕は枕元のスマホを手に取った。
時刻を見る。
午後十一時を少し回ったところ。
明日は日曜日。
学校はない。
だから。
今夜くらいなら。
少し無茶しても。
なんとかなる。
……たぶん。
(じゃあ……一時間くらい?)
『何がだ。』
(修行。)
少し考える。
(いや。一時間じゃ短いか。)
ゲームなら平気で三時間くらいやる。
だけど。
魔法の修行となると。
さすがに話が違う。
それでも。
せっかく皇帝が。
僕に教えてくれると言っているのだ。
(毎日二時間くらいなら、なんとか……。)
『却下だ。』
「早っ!」
思わず声が出た。
(まだ最後まで言ってないんだけど!)
『聞く必要がない。』
(横暴!)
『現実世界で一日二時間などと悠長なことをしていては。』
一拍。
『何年あっても足りぬ。』
「…………」
さらっと。
恐ろしいことを言われた。
(何年……?)
『当然であろう。』
皇帝の声には。
冗談の気配が。
一切なかった。
『貴様はこれまで。』
『魔力の存在すら知らずに生きてきたのだぞ。』
(……はい。)
『魔力の
生成〈クヴェル〉。』
『循環〈クライス〉。』
収束〈ケルン〉。』
『放出〈シュトース〉。』
一つ。
また一つ。
知らない単語が増えていく。
『感情と魔力の同調〈レゾナンツ。』
『魔力への変換〈ヴァンドルング。』
『ここまでが魔力制御〈コントローレ>。』
『そして。』
『ようやく魔法の行使だ。』
(…………。)
『加えて。』
嫌な予感。
『その鈍重な肉体も鍛えねばならぬ。』
(それ関係ある!?)
『大いにある。』
即答だった。
『術者の肉体とは。』
『魔力を巡らせる器でもある。』
『まして貴様は、いずれ《身体狂化》を修めるのであろう?』
(……そうだけど。)
『ならば尚更だ。』
言われてみれば。
魔法で身体能力だけ無理やり上げたとして。
この身体が。
その力に耐えられなかったら。
意味がない。
僕は。
自分のお腹を見る。
パーカー越しでも分かる。
立派な存在感。
(……道のり長そう。)
『ようやく理解したか。』
(じゃあ、どうするの?)
『時間を増やす。』
(…………。)
僕はスマホを見る。
十一時七分。
もう一度。
見る。
当然。
十一時七分。
(皇帝。)
『なんだ。』
(こっちの世界、一日は二十四時間なんだ。)
『知っておる。』
(知ってた。)
『時計程度は余も覚えた。』
(成長したね。)
『褒めるな。腹が立つ。』
理不尽だ。
(じゃあ、どうやって時間を増やすの?)
皇帝が答える。
『現実の時間を使わねばよい。』
「……え?」
意味が分からなかった。
『貴様はこれから眠るのであろう?』
(まあ……明日日曜だし。多少の夜更かしは大丈夫だけど.....)
『ならば。』
『その時間を使う。』
(寝ながら修行するってこと?)
『少し違う。』
皇帝の声が。
ほんの僅かに。
楽しそうになった。
『貴様の精神を。』
『余の精神領域へ引き込む。』
「…………」
(精神……領域?)
『現実の肉体から意識を切り離し。』
『精神のみを、余の領域へ移す。』
僕は眉を寄せた。
言っている意味は。
なんとなく分かる。
でも。
(それって……夢みたいなもの?)
『貴様に理解させるなら、それでよい。』
(なんか馬鹿にされてない?)
『事実だ。』
(否定してよ。)
皇帝は無視した。
『精神世界では。』
『現実と同じ速度で時間を流す必要がない。』
(…………?)
『精神が認識する時間そのものを引き延ばす。』
そこで。
皇帝は。
何でもないことのように言った。
『現実世界の八時間を。』
『最大で百日程度まで引き延ばすことができる。』
「…………」
僕は。
時計を見る。
十一時八分。
(…………。)
頭の中で。
もう一度。
皇帝の言葉を並べる。
八時間。
百日.....
八時間。
2400時間!?
「いやいやいやいや!」
身体を起こした。
「おかしいでしょ!?」
『何がだ。』
(八時間だよ!?)
『そうだ。』
(寝て起きたら百日経ってるの!?)
『精神世界ではな。』
(ほぼ三か月じゃん!)
『計算はできるようだな。』
(そこじゃないよ!)
頭を抱える。
八時間眠る。
朝になる。
でも。
自分の感覚では。
百日。
想像するだけで。
頭がおかしくなりそうだ。
(……待って。)
嫌なことに気づいた。
(精神世界で百日過ごしても。)
(起きたら身体は八時間寝た後なんだよね?)
『そうだ。』
(じゃあ、疲れないってこと?)
一瞬。
沈黙。
嫌な沈黙だった。
『誰がそのようなことを言った。』
「…………え。」
『肉体の損耗そのものは。』
『現実へ直接持ち越されぬ。』
『だが。』
『精神の疲労は残る。』
(…………。)
『精神は肉体へ影響を及ぼす。』
『百日分の疲労を抱えれば。』
『目覚めた後も、それ相応の倦怠感は残るであろう。』
「いやいやいや!」
『騒ぐな。』
(僕の日曜日が修行の後遺症だけで終わるかもしれないんだけど!?)
『知るか。』
(知ってよ!)
なんて。
ブラックな修行なんだ。
睡眠時間を有効活用するどころか。
睡眠中まで。
働かされる。
(……でも。)
少し考える。
(皇帝は、それをやれるんだよね?)
『可能だ。』
(じゃあ……。)
唾を飲み込む。
(今日から百日?)
『阿呆。』
即答だった。
(なんで!?)
『初めて精神世界へ入る者を。』
『いきなり百日閉じ込めてどうする。』
(皇帝にもそういう常識あるんだ。)
『貴様は余を何だと思っておる。』
(暴君。)
『…………』
(ごめんなさい。)
危ない。
『まず十日だ。』
「…………」
(十分長いよ!?)
『短い。』
(十日だよ!?)
『余の世界では。』
『術式一つを修めるため数年を費やす魔導士も珍しくなかった。』
(比較対象がおかしいんだって。)
でも。
十日。
百日に比べれば。
少しだけ。
現実的に思えてしまう。
完全に。
感覚を壊されている気もするけど。
(……それで。)
僕は。
恐る恐る聞いた。
(その精神世界って。)
(安全なの?)
『…………』
また。
沈黙。
(皇帝?)
『安全の定義による。』
「その答え絶対危ないやつ!」
嫌な予感しかない。
『精神世界では。』
『貴様の肉体も、精神によって再構築される。』
(身体も?)
『そうだ。』
『歩ける。』
『走れる。』
『食える。』
『眠れる。』
(食べられるんだ。)
『必要最低限はな。』
(え?)
『精神体だからといって。』
『延々と活動できるわけではない。』
皇帝の声が少し真面目になる。
『食事と睡眠は。』
『精神力を回復させ。』
『蓄積した負荷を軽減するために必要となる。』
(じゃあ普通に寝るんだ。)
『当たり前だ。』
(精神世界でも睡眠時間取られるんだ……。)
『百日の間、一睡もせず修行できると思ったか?』
(ちょっと思った。)
『死に急ぎたいようだな。』
(思ってません。)
皇帝が鼻で笑う。
(ちなみに。)
(ご飯は?)
『食えると言ったであろう。』
(どんなの?)
『知らん。』
(なんで!?)
『貴様が食いたいものでも思い浮かべておけ。』
(カレー。)
即答した。
『…………』
(何、その沈黙。)
『本当に食への欲だけは迷いがないな。』
(ほっといて。)
少し。
安心しかけた。
その時。
皇帝の声が低くなる。
『そして。』
嫌な予感が戻ってきた。
『痛覚も再現される。』
「…………」
(……痛いの?)
『斬られれば痛い。』
(…………。)
『焼かれれば熱い。』
(…………。)
『骨を折れば。』
『相応の苦痛がある。』
(待って待って待って。)
『なんだ。』
(何するつもりなの!?)
『修行だ。』
(修行で骨折する予定ある!?)
『必要ならば。』
(必要にしないで!)
頭の中で。
皇帝が。
鼻で笑った気がした。
『安心しろ。』
(その言葉もう信用してないからね。)
『精神世界で腕を失ったところで。』
『現実の腕まで消えるわけではない。』
(その説明で安心できる人いる!?)
『だが。』
声が変わった。
僕も。
自然と黙る。
『一つだけ覚えておけ。』
冗談ではない。
そう。
すぐに分かった。
『精神世界で受けた傷によって。』
『現実の肉体が直接死ぬことはない。』
『しかし。』
一拍。
『精神が死ねば。』
『話は別だ。』
「…………」
部屋が。
急に。
静かになったような気がした。
(精神が……死ぬ?)
『恐怖に耐えきれず。』
『心が壊れる。』
『自我を失う。』
『あるいは。』
『己を生者として認識できぬほどの死を経験する。』
皇帝の声だけが。
頭の奥に響く。
『そうなれば。』
『現実の肉体が生きていようと。』
『人格が戻らぬ可能性がある。』
「…………」
僕は。
ゆっくり。
布団を見る。
これから。
ここで寝る。
ただ。
眠るだけ。
だったはずなのに。
突然。
棺桶みたいに見えてきた。
(……それ。)
『なんだ。』
(先に言うやつじゃない?)
『今言った。』
(修行するって決める前にだよ!)
『ならば。』
皇帝の声が静かになる。
『やめるか?』
「…………」
その一言で。
言葉が止まった。
やめる。
もちろん。
やめてもいい。
僕は。
普通の高校生だ。
魔法なんて。
知らなくても。
本来なら。
生きていける。
危険な修行なんて。
する必要はない。
「…………」
でも。
脳裏に。
妹の顔が浮かんだ。
あの日。
何もできなかった僕。
龍二たちに囲まれて。
俯くことしかできなかった僕。
銭湯で。
怒りに呑まれて。
危うく。
おばあちゃんまで巻き込みかけた僕。
そして。
虎壱さん。
あの人は。
皇帝の存在を知っている。
防人。
知らない力。
知らない世界。
僕の知らない何かが。
もう。
動き始めている。
だったら。
「……やる。」
自分でも。
驚くほど。
自然に声が出た。
皇帝は。
何も言わない。
(やるよ。)
もう一度。
今度は。
はっきりと言った。
(僕。)
拳を握る。
(強くなりたい。)
沈黙。
(もう。)
(何もできないのは。)
(嫌だから。)
長い沈黙のあと。
皇帝が答えた。
『……そうか。』
それだけだった。
褒めもしない。
励ましもしない。
でも。
不思議と。
その声は。
少しだけ。
柔らかく聞こえた。
『ならば横になれ。』
(今から?)
『覚悟を決めたのであろう。』
(そうだけど心の準備とか……。)
『十秒やる。』
(短っ!)
慌てて。
布団へ潜り込む。
スマホを充電器へ繋ぐ。
目覚ましをセット。
午前七時。
いつもの時間。
現実では。
あと八時間もない。
だけど。
これから僕が向かう場所では。
十日。
「…………」
目を閉じる。
心臓が。
少しだけ。
速い。
(ねえ、皇帝。)
『なんだ。』
(精神世界って。)
(どんなところなの?)
『見れば分かる。』
(そういうところだよなあ。)
小さく息を吐く。
暗闇。
瞼の裏が。
真っ黒になる。
『意識を手放せ。』
皇帝の声が。
少しずつ遠ざかっていく。
『余に委ねろ。』
(それ一番怖いんだけど……。)
『黙って眠れ、俗物。』
(はいはい……。)
意識が。
ゆっくり。
沈んでいく。
深く。
もっと。
深く。
音が消える。
身体の感覚が。
薄れていく。
そして。
完全に。
意識が途切れた。
風が。
頬を撫でた。
「…………?」
最初に感じたのは。
風だった。
次に。
匂い。
花。
土。
焼きたてのパン。
遠くから聞こえる。
鐘の音。
それから。
聞いたことのない鳥の鳴き声。
「…………ん。」
僕は。
ゆっくりと。
目を開けた。
「…………」
そして。
固まった。
「…………え?」
空が。
広い。
僕の部屋じゃない。
天井もない。
満天の星でもない。
青空。
それも。
見たことがないくらい。
澄んだ青。
「……どこ。」
身体を起こす。
手を地面につく。
石畳。
冷たい。
ちゃんと。
感触がある。
「…………」
立ち上がる。
そして。
顔を上げた。
「…………え。」
言葉が。
出なかった。
目の前に。
都市があった。
ただの街じゃない。
石造りの建物が。
地平線の向こうまで続いている。
尖塔。
巨大な橋。
広場。
何十メートルあるのか分からない塔の周囲を。
淡い光を放つ。
文字のようなものが。
ゆっくりと回転している。
空を。
何かが横切った。
「…………船?」
帆船。
に見える。
でも。
海なんてない。
巨大な船が。
空を飛んでいる。
船体の下では。
青白い幾何学模様が。
ゆっくりと回転していた。
そのさらに上。
翼を広げた巨大な生き物が。
悠然と飛んでいく。
鳥じゃない。
もっと。
大きい。
「…………」
何あれ。
ドラゴン?
いや。
待って。
その奥には。
島そのものが。
空に浮いている。
そこから。
巨大な滝が流れ落ち。
途中で。
無数の光の粒になって消えていく。
「…………」
頭が。
追いつかない。
通りには。
人がいる。
ローブを着た人。
鎧を着た兵士。
荷車を引く商人。
走り回る子供たち。
角の生えた人。
耳の尖った人。
僕の世界にはいない。
いろんな種族。
「…………」
本当に。
異世界だ。
いや。
違う。
ここは。
精神世界。
つまり。
全部。
皇帝の記憶。
そのはずなのに。
あまりにも。
本物だった。
「すご……。」
それしか。
出てこなかった。
その時。
遠くで。
鐘が鳴った。
ゴォォォン。
低く。
重い音。
街全体を。
静かに揺らすような。
もう一度。
ゴォォォン。
人々は。
何事もなかったように。
歩き。
話し。
笑っている。
この人たちは。
本当には。
ここにいない。
皇帝の記憶から。
再構築された存在。
分かっている。
でも。
そうは。
見えなかった。
「…………」
そして。
都市の遥か向こう。
僕は。
それを見つけた。
巨大な城。
いや。
城なんて言葉で。
表現していいのか。
分からない。
いくつもの塔が。
天へ突き刺さるように伸び。
その周囲には。
巨大な環状の魔法陣。
黒。
金。
紫。
三つの光が。
複雑に絡みながら。
皇城全体を包み込んでいる。
都市のどこからでも。
見える。
まるで。
この国そのものを。
見下ろしているように。
「…………まさか。」
僕は。
城を見上げた。
「皇帝の……城?」
次の瞬間だった。
ゴォン。
先ほどとは違う。
もっと。
近い鐘の音。
視界が。
白く染まる。
「え?」
足元の感覚が消える。
でも。
落ちない。
光が。
目の前を覆う。
一瞬。
そして。
「…………」
僕は。
巨大な扉の前に立っていた。
「……また勝手に場所変えた?」
返事はない。
頭の中が。
静かだ。
そうだ。
ここでは。
皇帝の声が。
聞こえない。
「皇帝?」
返事なし。
「…………」
目の前の扉を見上げる。
大きい。
僕の身長の。
何倍あるのかも分からない。
黒い金属。
その表面には。
無数の幾何学模様。
中心には。
六つの意匠が絡み合った。
巨大な紋章。
「……これ。」
見覚えがある。
僕は。
反射的に。
左胸へ手を当てた。
服の下。
そこにある。
あの紋章。
「…………」
でも。
考える間もなかった。
ゴゴゴゴゴ……。
低い音を立てて。
扉が。
ひとりでに開いていく。
奥は。
暗い。
「…………。」
行けってことだよな。
たぶん。
僕は。
恐る恐る。
中へ入った。
足音が。
石床へ響く。
コツ。
コツ。
コツ。
やがて。
暗闇の向こうに。
光が見えた。
「…………」
広間。
だった。
でも。
僕が想像していた。
王様の謁見の間とは違う。
玉座は。
ない。
代わりに。
広間の中央。
巨大な。
円卓。
黒い石で作られた。
円形の卓。
その周囲には。
十三脚の椅子。
「…………十三?」
一つだけ。
他とは。
僅かに意匠の違う席。
その席に。
男が座っていた。
「…………」
長い。
漆黒の髪。
鋭く整った顔。
紫色の瞳。
黒金の王冠。
身に纏うのは。
夜そのものを。
布へしたみたいな。
漆黒の皇帝装束。
金の装飾。
肩から流れ落ちる。
黒紫の外套。
そして。
右手の甲には。
六つの属性を象徴する。
あの紋章。
「…………」
分かった。
聞くまでもない。
この人が。
「皇帝……。」
男が。
ゆっくりと。
僕を見る。
その視線だけで。
身体が。
僅かに強張った。
今まで。
ずっと一緒にいた。
声は。
毎日聞いていた。
僕が考えれば。
向こうにも聞こえて。
困れば。
勝手に口を挟んできて。
僕の身体まで。
好き勝手に使った男。
だけど。
こうして。
顔を見て。
同じ場所に立つのは。
初めてだった。
「ようやく来たか。」
声が。
広間へ響く。
頭の中で聞く声とは。
違う。
もっと。
低い。
もっと。
重い。
本当に。
空気そのものを。
震わせるような声。
「…………でか。」
皇帝の眉が。
僅かに動いた。
「第一声がそれか。」
「いや、だって。」
思わず。
見上げる。
「思ってたよりでかい。」
「他に言うことはないのか。」
「えっと……。」
改めて。
見る。
長い黒髪。
王冠。
装束。
円卓。
巨大な広間。
どう考えても。
主人公は。
こっちだ。
「…………ずるい。」
「何がだ。」
「ビジュアル。」
「…………」
「僕と並ぶと格差すごくない?」
皇帝が。
僕を。
上から下まで見る。
「安心しろ。」
「え?」
「衣服以前の問題だ。」
「初対面でそれ言う!?」
皇帝の。
口元が。
僅かに上がった。
笑った。
初めて。
見た。
頭の中で。
「笑った気配」なら。
何度も感じてきた。
でも。
実際に。
目の前で。
この男が笑っている。
「…………」
なんだろう。
変な感じだ。
「なんだ。」
「いや。」
「気色の悪い顔をするな。」
「それ目の前でも言うんだ……。」
僕も。
少しだけ笑った。
不思議だった。
初対面。
のはずなのに。
初対面って感じが。
まるでしない。
そりゃそうか。
ずっと。
僕の中に。
いたんだから。
そこで。
僕は。
改めて。
円卓を見る。
十三の椅子。
「ねえ。」
「なんだ。」
「ここって。」
視線を巡らせる。
「会議室?」
皇帝の眉が。
僅かに上がった。
「随分と俗な呼び方をする。」
「じゃあ何?」
皇帝は。
ゆっくりと。
席から立ち上がった。
漆黒の外套が。
静かに。
床を撫でる。
「ここは。」
一拍。
「《円卓の英雄》。」
「《レゲンデンルンデ》だ。」
「…………」
もう一度。
円卓を見る。
「なんで十三席?」
皇帝の視線が。
十二の空席へ。
ゆっくりと流れる。
「主席たる余。」
「そして。」
「余が自ら選んだ。」
「十二人の英雄。」
「…………英雄?」
「ああ。」
声が。
ほんの僅かに。
遠くなる。
「余が併呑した国々。」
「その王家の血脈。」
「その地で民から讃えられた傑物。」
「余へ刃を向けるだけの牙を持った者。」
「その中から。」
「余が認めた者だけに。」
円卓の一席を。
皇帝が指で。
軽く叩く。
「ここへ座ることを許した。」
「…………」
僕は。
十二の空席を見る。
なんとなく。
皇帝なら。
征服した国の強い人なんて。
みんな倒して。
処刑してしまうのかと思っていた。
「殺さなかったんだ。」
皇帝が。
僕を見る。
「何故殺す。」
「え?」
「牙ある者から。」
「牙を抜いてどうする。」
紫の瞳が。
僅かに細くなる。
「力ある者なら。」
「その力を。」
「余のために振るわせればよい。」
「…………」
とんでもなく。
皇帝らしい。
「それに。」
男は。
ほんの少しだけ。
口元を上げる。
「屈服しただけの弱者など。」
「余の傍らに置く価値もない。」
「…………」
なんか。
すごいこと言ってる。
でも。
十二脚の空席を見ている皇帝の顔が。
ほんの一瞬だけ。
どこか。
寂しそうに見えた。
気がした。
「…………。」
聞こうか。
迷った。
でも。
その前に。
僕は。
もう一つ気づく。
「そういえば。」
「なんだ。」
「皇帝って。」
少し考える。
「ヴァルガイアが本名なの?」
一瞬。
沈黙。
「…………。」
皇帝が。
ものすごく。
呆れた顔をした。
「何。」
「今更。」
「何?」
「今更気づいたのか。」
「だって!」
僕は指を差す。
「ずっと皇帝かヴァルガイアしか聞いてないし!」
「誰も貴様が聞くことを禁じてはおらぬ。」
「言ってよ!」
「必要を感じなかった。」
「一緒に住んでるのに!?」
「貴様の頭にな。」
「余計怖いよ!」
皇帝が。
小さく鼻を鳴らす。
そして。
ほんの少し。
姿勢を正した。
空気が。
変わる。
さっきまでの。
僕と話していた男じゃない。
皇帝。
そのもの。
「ならば。」
低い声が。
広間へ響く。
「改めて。」
「名乗ってやろう。」
漆黒の外套が。
静かに揺れる。
十二の空席。
その中央。
主席に立つ男。
「余は。」
一拍。
「グランツライヒ魔導帝国皇帝。」
声が。
広間を満たす。
「六属性を統べし者。」
「全ての理を我が魔導へ従え。」
「闇を最も深く極めし者。」
紫の瞳が。
真っ直ぐ。
僕を捉える。
「暗黒皇帝。」
そして。
「ヴァルガイア・フォン・ゼクス・クローネンベルク。」
胸の奥に。
その名前が。
重く。
落ちた。
「それが。」
皇帝は。
僅かに顎を上げる。
「余の真名だ。」
「…………」
長い。
いや。
格好いい。
ものすごく。
格好いいけど。
「…………長っ。」
「…………。」
「いや待って。」
僕は慌てて手を振る。
「今の無し。」
遅かった。
「俗物。」
「はい。」
「滅するぞ。」
「初対面の自己紹介で!?」
「貴様が無礼だからであろう。」
「絶対名前の感想に厳しすぎるよ!」
皇帝は。
僕の抗議を。
完全に無視した。
そして。
円卓の向こうへ。
ゆっくりと歩き出す。
「来い。」
「え?」
「修行を始める。」
「今!?」
振り返った皇帝の顔から。
さっきまでの笑みが。
綺麗に。
消えていた。
「待って待って。」
僕は周囲を見る。
《レゲンデンルンデ》。
十二の空席。
巨大な広間。
扉の向こうには。
グランツライヒ魔導帝国。
「もうちょっと観光とか……。」
「必要ない。」
「空飛ぶ船!」
「後だ。」
「お城!」
「ここがその城だ。」
「もっと見たい!」
「後だ。」
「円卓の十二人についてとか!」
一瞬。
皇帝の足が。
止まった。
「…………。」
「皇帝?」
ほんの僅か。
間。
「後だ。」
それだけ。
さっきより。
声が。
少し低かった。
僕は。
それ以上。
聞かなかった。
「…………はい。」
皇帝が。
右手を。
僕へ向ける。
「十日しかないのだぞ。」
「……え。」
次の瞬間。
景色が。
歪んだ。
「うわっ!?」
円卓が。
消える。
椅子が。
消える。
広間も。
皇城も。
全部。
黒紫の光へ。
溶けていく。
「ちょっ……!」
足元が。
消えた。
身体が。
落ちる。
「皇帝ぃぃぃぃぃっ!?」
「騒ぐな。」
声だけが。
聞こえる。
「これより。」
暗闇の中。
紫の光が。
二つ。
灯った。
皇帝の瞳。
いや。
ヴァルガイア・フォン・ゼクス・クローネンベルク。
暗黒皇帝。
グランツライヒ魔導帝国を統べる男。
その皇帝が。
笑っていた。
とても。
嫌な笑い方だった。
「貴様に。」
「魔導を叩き込む。」
「…………」
あ。
これ。
絶対。
観光してた方が。
良かったやつだ。
そして。
僕の。
人生で一番長い十日間が始まった。




