第九話 後編 暗黒皇帝、魔導を説く
しばらく僕は天井を見つめたまま動けなかった。
死なん程度。
その一言が妙に頭の中で反響している。
(……ねえ皇帝。)
『なんだ。』
(その前に一ついい?)
『許す。』
なぜか上から許可された。
(さっきから魔導とか魔力とか魔法とか、微妙に言い方変えてるけど。)
僕は枕元へ身体をずらす。
(あれって、全部違うものなの?)
数秒、皇帝から返事がなかった。
(……皇帝?)
『俗物。』
嫌な予感。
『貴様、今まで違いも分からず聞いておったのか。』
(いや、だって普通分かんないでしょ!)
『ならば最初に聞け。』
(今聞いてるじゃん!)
頭の中で盛大なため息をつかれた気がした。
『よい。どうせ今後必要になる。』
皇帝の声から呆れが薄れる。
『まず。魔力とは、術者の身体を巡る力だ。』
(身体を巡る……?)
『目には見えぬ。だが確かに存在し、魔法を行使するために消費される。いわば、魔法の源となるエネルギーだ。』
僕は頷く。
(つまり……燃料みたいなもの?)
『概ねそうだ。』
お。
今日は否定されなかった。
『そして魔法とは。』
皇帝は続ける。
『その魔力を用いて、世界へ現象として干渉する術だ。』
(現象?)
『炎を生み出す。』
『水を操る。』
『肉体を強化する。』
『他者の精神を侵す。』
『それらはすべて魔法だ。』
(なるほど魔力がガソリン。
魔法が車を走らせること?)
沈黙。
(……あれ?)
『俗物。』
(はい。)
『余の荘厳な説明を、なぜいちいちニホン文明の庶民の乗り物へ変換する。』
(分かりやすいから。)
『情緒というものを学べ。』
(皇帝に言われたくないなあ。)
『滅されたいのか。』
(ごめんなさい。)
危ない危ない。
僕は咳払いする。
(じゃあ、魔導は?)
そこだけ皇帝はすぐに答えなかった。
やがて先ほどより少しだけ低い声が響く。
『魔導とは。』
『魔力を知り。』
『御し。』
『望む形へ変え。』
『魔法として成立させる。』
『そのために積み上げられた技術と知識。』
『体系そのものだ。』
「…………」
さっきまでより少しだけ言葉に重みがあった。
(じゃあ、魔力があるだけじゃ魔導士じゃないんだ。)
『当然だ。魔力を垂れ流すだけなら、魔獣にもできる。』
ぐさっ。
今日の僕が真っ先に思い浮かんだ。
『まして。』
皇帝は容赦なく続ける。
『感情に呑まれ周囲の瓶を震わせて喜んでいるだけの者を余は魔導士とは呼ばぬ。』
(喜んでないよ!?)
『似たようなものだ。』
(全然違う!)
でも言いたいことは分かった。
魔力はただの力。
魔法はその力を形にしたもの。
そして魔導はそれらを扱うための知識と技術。
「…………」
少しわくわくしている自分がいた。
ゲームならステータス画面を初めて開いた時みたい感覚。
知らなかった世界のルールが少しずつ見えてくる。
(じゃあさ。)
(魔法って、どんな種類があるの?)
皇帝がわずかに笑った気配がした。
『ようやく少しは魔導を学ぶ者らしい質問になったな。』
(褒めた?)
『調子に乗るな。』
(はい。)
皇帝は続ける。
『魔法と一口に言ってもその理は一つではない。』
僕は黙って耳を傾けた。
『もっとも基本となるのは術者自身の魔力を用いて現象を生み出す属性魔法。』
(属性魔法……。)
やっぱり。
その単語には。
少しテンションが上がる。
『そして異界。あるいは契約を結んだ存在を呼び寄せる召喚魔法。』
(召喚!)
『神性を介し癒し。浄化。加護などの奇跡を行使する神聖魔法。』
(神聖魔法……。)
いかにも回復職っぽい。
『さらに。』
『精霊と契約しその力を借り受ける精霊魔法。』
(精霊……。)
駄目だ頭の中にゲームのスキルツリーみたいなものが勝手に広がっていく。
炎。
召喚獣。
回復。
精霊。
(……覚えること、多くない?)
『安心しろ。』
(え。)
珍しく優しい。
『今の貴様には九割使えぬ。』
(安心できる要素どこ!?)
皇帝が鼻で笑った。
『全部を一度に覚えようとするから愚かなのだ。魔導士とは己が何を得意とし何を不得手とするかを知るところから始まる。』
(皇帝は?)
何気なく聞いた。
すると短い沈黙。
『余か。』
(うん。)
『六属性。』
「…………」
(え?)
『六属性すべてだ。』
「…………」
思わず身体を起こした。
(全部!?)
『そう言った。』
(いやいやいや!)
(さっき自分の得意不得意を知れって言ってたじゃん!)
『知っておる。』
(じゃあ皇帝の不得意属性は!?)
『ない。』
(ズルくない!?)
『才能の差を不正と呼ぶな。』
腹立つ。
ものすごく腹立つ。
けど悔しいことに皇帝が言うと妙に説得力がある。
(六属性って。)
(火とか水とか?)
『そうだ。』
皇帝は淡々と答える。
『火。』
『水。』
『風。』
『土。』
『光。』
そしてほんの少しだけ声の響きが変わった。
『闇。』
「…………」
最後の一つだけ他とは違う。
そんな気がした。
(闇……。)
『六属性の中でも。』
『人の精神と最も深く結びつく属性の一つだ。』
皇帝の声が静かに響く。
『恐怖。』
『怒り。』
『憎悪。』
『絶望。』
『後悔。』
『罪悪感。』
さっき僕の中にあると言われたものばかりだった。
(それって……。)
『そうだ。』
皇帝は僕が最後まで言う前に答えた。
『闇属性魔法。俗に。暗黒魔法とも呼ばれる。』
その言葉に思わず喉を鳴らす。
暗黒魔法。
そして僕の中にいるのは暗黒皇帝。
(……もしかして。)
『気づいたか。』
どこか誇らしげな声だった。
『余が最も得意とした属性だ。』
「やっぱり。」
思わず口から漏れた。
『何が“やっぱり”だ。』
(いや。)
(暗黒皇帝が光魔法専門だったら、ちょっと困るし。)
『……貴様。』
(はい。)
『闇に沈めるぞ。』
(すいません。)
でも少し笑った。
そのあと皇帝の声が再び真面目なものへ戻る。
『ただし誤解するな。』
(なにを?)
『闇属性とは悪の魔法ではない。』
「…………」
意外だった。
(違うの?)
『当然だ。炎は人を焼く。だが凍える者を暖めることもできる。水は命を育む。だが人を溺れさせることもできる。』
なるほど。
『光も闇も同じだ。何を成すかを決めるのは属性ではない。術者だ。』
その言葉だけ妙に心へ残った。
悪い力。
危ない力。
そういうものだと勝手に思っていた。
でも皇帝からすれば違うらしい。
『そして貴様は。』
僕の意識が自然と皇帝へ向く。
『闇属性との親和性が高い。』
(……やっぱり。)
『不満か?』
(いや。)
少し考える。
そして自分でも意外なくらいすぐに答えが出た。
(別に。)
恐怖。
怒り。
後悔。
罪悪感。
僕がずっと嫌いだったもの。
消したかったもの。
忘れたかったもの。
それがもし本当に僕を守る力になるなら。
『皮肉なものだな。』
皇帝が僕の思考をなぞるように言った。
『貴様を苦しめ続けた恐怖も押し殺してきた怒りも貴様を縛ってきた後悔も魔導の世界では。』
少し声に力が宿る。
『すべて力となる。』
「…………」
僕は自分の右手を見つめた。
何もないいつもの手。
それでももうさっきとは違って見えた。
『俗物。』
皇帝が静かに呼ぶ。
(なに?)
『貴様は闇に呑まれる側ではない。』
胸の奥が僅かに熱くなる。
『闇を使う側になれ。』
低く力強い声。
「…………」
格好いい。
悔しいけど普通に格好いい。
(皇帝。)
『なんだ。』
(今の台詞……。)
『ほう。』
少し得意そうな気配。
(ちょっと厨二病っぽいね。)
沈黙。
(……皇帝?)
『身体を寄越せ。』
(また殴る気!?)
危なかった。
今夜二回目の処刑宣告である。
しばらくそんなやり取りをして僕は再びベッドへ身体を倒した。
けれどさっきまでとは違う。
頭の中にはずっと一つのことが残っている。
僕が魔法を使えるかもしれない。
それも皇帝が得意としていた暗黒魔法を。
(……ねえ。)
『今度はなんだ。』
(皇帝。)
少し迷う。
でも聞いておきたかった。
(なんで急に僕を鍛える気になったの?)
沈黙。
今までなら。
「必要だからだ。」
とか。
「余の器だからだ。」
とか。
適当に流される気がした。
でも皇帝は意外にもすぐ答えた。
『余が。』
声が低くなる。
『元の世界へ帰還するためだ。』
(…………ですよね。)
少しだけ期待していた自分が馬鹿だった。
『なんだ。』
(いやもしかしたら僕のこと心配してとか。)
『ない。』
(食い気味!)
『余は皇帝だぞ。貴様一人を鍛えるためにこの世界へ来たわけではない。』
(分かってるよ。)
分かっている。
この人には元いた世界がある。
帝国がある。
臣下がいる。
帰るべき場所がある。
僕の身体へ入ったのだって皇帝自身が望んだことじゃない。
『今の余は。』
皇帝が続ける。
『貴様という器を介さねばこの世界へ十分な力を顕現できぬ。』
(うん。)
『そして器が脆弱であれば注げる力にも限度がある。』
なんかさらっと脆弱って言われた。
でも今は突っ込まない。
『ならば器そのものを強くすればよい。』
僕は眉を寄せる。
(僕が強くなれば。)
『余が扱える魔力も増す。貴様と余の精神同調が深まれば余がこの世界へ干渉できる領域も広がる。』
(それって。)
少し嫌な予感。
(支配率も?)
『当然。上がる。』
「…………」
皇帝が僕を動かせる割合、支配率。
それが上がる。
(それ……大丈夫なの?)
『何がだ。』
(いや。)
(そのうち全部皇帝になったりしない?)
『安心しろ。』
嫌な予感しかしない言葉。
『その時は貴様に戻す必要がなくなる。』
(全然安心できない!!)
皇帝が愉快そうに笑う。
『冗談だ。』
(皇帝の冗談、怖すぎるんだよ!)
『いずれにせよ。』
皇帝は続けた。
『貴様を強くすることは余の力を取り戻すことにも等しい。』
(……結局。)
ため息が漏れる。
(自分のためじゃん。)
『当然であろう。』
迷いの欠片もない。
『余は皇帝だぞ。』
「…………」
本当にこの人はこういう人だ。
優しいことを言ったと思えば次の瞬間には全部自分のためだと言い切る。
でもなぜだろう。
前ならもう少し腹が立っていた気がする。
今日はそんなに嫌じゃなかった。
銭湯で僕が暴走した時、皇帝は僕を止めようとした。
そしてあの時。
『シュウ!』
僕の名前を呼んだ。
「…………」
(本当にそれだけなのかな。)
小さく心の中で呟く。
返事はなかった。
聞こえていないはずがない。
なのに皇帝は何も答えなかった。
代わりに少しして低い声が響く。
『俗物。』
(なに?)
『今夜から修行を始める。』
「…………」
(……今夜?)
『不満か。』
(いや。)
僕は枕元のスマホへ目をやった。
土曜日の夜。
明日は日曜日。
学校はない。
だから時間だけなら問題はない。
たぶん。
(でも今から修行って……何時間やるの?)
皇帝が鼻で笑う。
『安心しろ。』
またその言葉今夜だけで何回目だろう。
『現実世界で貴様に何時間も修行させるつもりはない。』
(……え?)
僕は少しだけ身体を起こす。
『そんな悠長なことをしておっては。』
皇帝の声が低く静かに響いた。
『何年経っても間に合わぬからな。』
「…………」
間に合わない?
何に?
そう聞こうとした瞬間、皇帝が先に続けた。
『貴様はこれから眠るのであろう?』
(まあ……明日日曜だし多少の夜更かしはできるけど。)
『ならば都合がいい。』
「…………?」
嫌な予感がした。
『眠っている時間を使う。』
(…………はい?)
『今夜は。』
皇帝が楽しそうに笑った気がした。
『夢の中で会おうではないか。』
僕はしばらく瞬きすらできなかった。
「…………夢?」
返事はなかった。
ただ頭の奥で皇帝が愉快そうに笑っている気配だけがした。




