第七話 後編 暗黒皇帝、確信する
男は僕を見て、口元だけで笑った。
「じゃあ、第二ラウンドといこうか。」
「望むところです。」
僕も笑って頷く。
頭の中では、
『……暇人どもめ。』
皇帝が小さく欠伸を噛み殺した。
『牛乳一本で、よくそこまで熱くなれるものだ。』
(まあまあ。)
(見てると結構楽しいよ。)
『余には理解できぬ。』
そう言ったくせに。
頭の中から伝わる皇帝の意識は、僕と同じように冷蔵庫へ向けられたままだった
⸻
しばらくすると。
脱衣所の奥から、小さな足音が聞こえた。
年齢は7,8才ぐらいか小学校低学年くらいの男の子。
湯上がりなのか、髪はまだ少し濡れている。
男の子は迷うことなく冷蔵庫の前で立ち止まった。
僕は思わず拳を握る。
(来た……!)
(この年代なら絶対フルーツ牛乳だ。)
果物の甘さ。
優しい味。
小さい頃から飲んできた定番。
僕の勝利はもう見えた。
しかし。
隣の男は余裕の笑みを崩さない。
「いや。」
「子供だからこそ、コーヒー牛乳だ。」
「甘さだけじゃない。」
「子供すら虜にする、それがコーヒー牛乳の魅力さ。」
まるで何度も練習してきたような決め台詞だった。
(なんだその言い回し……。)
(絶対、今考えたでしょ。)
思わず顔が熱くなる。
だけど男は本気だった。
⸻
ガチャリ。
冷蔵庫の扉が開く。
ひんやりとした冷気が流れ出す。
男の子の小さな手が。
一本の瓶へ伸びる。
僕も。
男も。
無意識に息を止めていた。
一瞬だけ迷い。
そして。
男の子が取り出したのは。
茶色い瓶。
コーヒー牛乳だった。
「あーーーーっ!」
「よし。」
僕は思わず頭を抱える。
「マジかぁ……。」
隣では男が小さく拳を握っていた。
「僕の勝ちだね。」
その声はどこまでも涼しげだった。
僕は大きくため息をつく。
「負けました……。」
男は静かに微笑む。
「じゃあ約束どおり。」
「コーヒー牛乳一本、ご馳走になってもいいかな。」
「陰山シュウくん。」
……
……え?
僕は顔を上げた。
「……あれ?」
「僕、名前……言いましたっけ?」
男は何も答えない。
ただ。
穏やかな笑みを浮かべたまま。
こちらを見ている。
頭の中で。
皇帝が静かに呟いた。
『……やはりな。』
その声は。
さっきまでの牛乳論争を眺めていた時とは違う。
冷たく。
鋭かった。
頭の奥で。
『……俗物よ。』
『おそらく、こやつ。』
『貴様の心の声を聞いておる。』
『これ以上、迂闊に考えるな。』
僕は反射的に息を止めた。
まるで天気の話でもするような調子で男は続ける。
「それで約束の質問。」
男はあいかわらず口元だけで笑っていた。
けれど、その穏やかな笑みとは裏腹に。
その瞳だけは、獲物を見つけた捕食者のように静かだった。
「皇帝って何者?」
その瞬間。
背筋を。
氷の刃がゆっくりとなぞったような感覚が走った。




