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第六話 後編 暗黒皇帝、フルーツ牛乳を味わう

湯上がりの火照った身体を扇風機の風が優しく撫でていく。


「あぁー……生き返る。」


僕は思わず声が漏れた。


脱衣所の隅では常連のおじさんたちが将棋を指し、誰かがテレビの野球中継に「あーっ」と声を上げていた。


昔から何一つ変わらない。


この空気が、僕は好きだった。


(風呂上がりのお約束があるんだよ。)


『ほう。』


僕は番台の横に並んでいる白い冷蔵庫へ歩いていく。


ガラス越しには、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、牛乳、ラムネ。


色とりどりの瓶が整然と並んでいた。


僕は冷蔵庫を開ける。


ひんやりとした冷気が頬を撫でた。


迷うことなく、いつものフルーツ牛乳を一本手に取る。


そのまま番台へ向かうと、


「おばあちゃん、これ一本。」


番台のおばあちゃんはにこりと笑い、


「はいよ。」


と頷いた。


僕は財布から百五十円を取り出して渡す。


「ありがとう。」


瓶の口に指を掛け、紙蓋をぺりっとめくる。


「これこれ。」


『栓ではないのか。』


(紙の蓋なんだよ。)


『実に簡素だな。』


(でも、この開ける感じも好きなんだ。)


僕は瓶を口へ運んだ。


挿絵(By みてみん)


冷え切ったフルーツ牛乳が喉を流れ落ちる。


「ぷはぁ……。」


身体の芯まで染み渡る。


思わず笑みがこぼれた。


『余も味見するぞ。』


皇帝が「味わいたい」と思ったものは、不思議とその感覚が共有されるようになっていた。


支配率の上昇に伴って、皇帝は少しずつ僕の五感へ触れられるようになっている。


『……。』


『ほう。』


『牛乳のまろやかさに果実の甘み。』


『見事に調和しておる。』


『これは美味い。』


「でしょ?」


(風呂上がりの最高はこれなんだよ。)


『うむ。』


『この飲料は褒美として兵へ配る価値がある。』


(牛乳で軍の士気を上げようとしないで。)


その時だった。


「いやいや。」


「風呂上がりの最高は、コーヒー牛乳でしょう。」


隣から、穏やかな男の声が聞こえてきた。


振り向く。


20代半ばくらいだろうか。


サイドをすっきり刈り上げたツーブロック。


首からタオルかけてパンツ一丁。


柔らかな笑みを浮かべた、清潔感のある男性だった。


手には、コーヒー牛乳の瓶。


挿絵(By みてみん)


「え?」


「いやいや、フルーツ牛乳ですよ。」


僕が笑って返すと、男も楽しそうに笑う。


「若いねぇ。」


「昔から風呂上がりといえばコーヒー牛乳なんだ。」


「苦味と甘さがね。」


「風呂上がりの身体に染みるんだよ。」


「いや、でもフルーツ牛乳も爽やかで最高ですよ。」


「喉を通る感じが違いますし。」


「分かってないなぁ。」


「コーヒー牛乳は大人の味なんだ。」


「フルーツ牛乳は子どもの頃から飲んでる安心感があるんですよ。」


「安心感だけじゃ勝てないよ。」


「いや、風呂上がりは安心感が大事なんです。」


お互い笑いながら譲らない。


まるで小学生の口げんかみたいだ。


『……俗物らめ。』


皇帝が呆れたようにため息をつく。


『牛乳一つでここまで熱くなれるとは。』


(平和でしょ?)


『平和すぎる。』


男は瓶を傾けながら笑った。


「決着つかないですね。」


「じゃあ、一つゲームでもしない?」


「ゲーム?」


「簡単だよ。」


男は冷蔵庫を指差す。


「次にあそこから飲み物を取る人。」


「その人がコーヒー牛乳を選ぶか。」


「フルーツ牛乳を選ぶか。」


「それを当てるだけ。」


「外した方が、勝った方に一本おごる。」


「どう?」


僕は思わず笑った。


「面白そうですね。」


「受けます。」


「よし。」


男は満足そうに頷く。


そして少し考えるように顎へ手を当てた。


「……でも、それだけじゃ少し物足りないかな。」


「じゃあもう一つだけ。」


「勝った方は、相手へ質問を一つ。」


「された方は、正直に答える。」


「もちろん。」


男は笑って肩をすくめる。


「個人情報とか犯罪とか、そういうのは無し。」


「雑談の延長みたいなものさ。」


「どう?」


「それなら。」


「いいですよ。」


軽い気持ちで頷く。


その瞬間だった。


頭の中で。


皇帝が、ふと黙る。


(……皇帝?)


『俗物。』


(なに?)


男は変わらず穏やかな笑み。


湯上がりの牛乳を片手にした、ごく普通の青年。


どこからどう見ても、怪しいところなんてない。


パンツ一丁なところを除けば。


それでも。


『……妙だ。』


(え?)


『いや。』


『気のせいかもしれぬ。』


皇帝は珍しく判断を迷っているようだ。


『構わぬ。』


『続きを楽しめ。』


(なんだよ、それ。)


僕は肩をすくめる。


たぶん。


皇帝も日本文化にまだ慣れていないだけなんだろう。


そう思った。


男は変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、冷蔵庫へ目を向ける。


「じゃあ、ゲームスタート。」

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