第9話
女の支度は時間がかかるとはよく言うが、本当に時間がかかるとは思っていなかった。
ぼーっと夕焼け空を眺める事一時間、血の汚れをさっぱり洗い流した瀬奈がようやく戻って来た。
「お待たせー! いやー、髪の毛に付いた血がパリッパリに乾いちゃって取るのがもー大変でさー……ごめんね、めっちゃ時間かかっちゃった」
「いや、大丈夫だ。気にしなくていい」
「ほんとゴメン! ……そういや今何時?」
「今? 19時35分だ」
俺は業務端末を見て答えた。本当ならとっくに日が落ちて夜空が広がっているはずだが、ここはいまだに夕暮れ時だ。
時間が止まっている訳じゃなく、セーフゾーンの景色は時間経過に拘らずいつも同じ景色だ。瀬奈の時間の感覚がおかしくなっていても不思議ではない。
「え、そんなに経ってちゃってた!? ごめーん!」
「気にしなくていい。瀬奈の体調やメンタルが最優先だからな」
「いやー、本当に申し訳ない……しかし、ここってなんだか変な気分になるよね、時間の感覚が無くなるって言うか……ねえ歩君、今日はここで終わりにして、明日の朝7時くらいから上を目指さない? ちゃんと休まないとキツいからさ」
「……俺は構わない」
「やったー! それじゃ歩君も業務終了だよね? 重たい鎧脱いでラフな格好で焚き火焚いたりご飯食べたり恋バナしよー!」
瀬奈が大喜びで鎧をスポーンと脱ぎ散らかす。一瞬ギョッとしたが、瀬奈の鎧の下は古びた学校ジャージだった。
……もしかして、今日はもう上に登らないだろうとアタリを付けて、先んじてこれを着てたな? あとダンジョンのキャンプを林間学校と勘違いしてないか?
だが残念ながら、開放的な気分になれるのは瀬奈だけだ。
「いや、俺は業務終了じゃないぞ」
「え、でももうダンジョン上がらないんだよね? 明日まで休むんでしょ?」
「それでも絶賛業務中だ。要救助者とダンジョン内にいるんだから、残業に決まってるだろ? テントを張るから、瀬奈はそこで休んでくれ。食料は持ってるか? 味は保証しないが、非常食セットなら持ち合わせがあるぞ」
俺はアイテムボックスから一人用のテントを取り出して設置を始める。救助要員の備品として支給されている物だ。
俺達捜索部各員は、一人用の野営道具と数日分の非常食セットを標準装備としてアイテムボックスに放り込んである。
無論、これは俺が使う物じゃない。要救助者のための物だ。
大体のソロ冒険者は身の回りの品を自身で管理しているが、飲食物や野営道具のような資材の保管をパーティリーダーに任せている者もいる。パーティの共有資産だからだ。
そんな手ぶらの冒険者が何らかの理由でパーティからはぐれた場合、飲まず食わずのまま何も無い場所で野宿する羽目になる。
せっかく助けた要救助者を何も食べさせずにそこらで寝かせて体調が悪化した場合、救助のプランを大幅に変更せざるを得ない。
そういう理由もあって、俺達は要救助者のコンディションを保つ為に最低限の資材を備えている。
俺の為の資材と言ったら、ブロックタイプの栄養補助食品とアルミパウチのゼリー飲料くらいだ。
「あ、うん。食材やキャンプ用具はリーダーが持ってるから……食べ物はお菓子と、コンビニで買ったお弁当があるよ。歩君もご飯食べるよね?」
「そりゃあ勿論。俺の食事はこれだ」
急増したステータスのせいで手元がおぼつかないせいで何度か手やペグを粉砕しかけながらも、どうにか無事にテント設営を終える事が出来た俺は、アイテムボックスから今日の夕飯を取り出して瀬奈に見せた。
今日はメープル味にしよう、結構好きな味だ。チーズ味はどうにも口に合わないので持ってきていない。
しかし瀬奈は納得がいかないようで、鋭い視線を俺に投げかける。何が気に食わないんだ、俺が何を食べようが勝手だろう?
「嘘でしょ、晩ご飯がそれ!? 本気で言ってる!?」
「マジだぞ。明日の朝はチョコ味、昼はバニラ味だ」
「いーやダメでしょ、ちゃんとご飯食べなよ! 私のお弁当あげるから!」
「ダメだ、受け取れない。要救助者から……」
「金品は受け取れないって言うんでしょ!? だったら味が保証できないって言ってた非常食セット食べればいいじゃん! おやつみたいなモンじゃん、それ! お腹膨れないでしょ!?」
「いや、俺の装備は要救助者の為の資材であってだな……辛い思いをしてる要救助者を差し置いて俺がちゃんとした飯を食う訳にはいかなくて……」
咄嗟に出た言葉だが、これは実際課長にも言われた事だ。
何より大変なのは困難な事態に巻き込まれた要救助者であって、俺達救助者は覚悟を決めてダンジョンに飛び込んでいる。
俺達は強い気持ちを持って、突然の事態に混乱しているであろう要救助者に寄り添わなければならない。
自衛隊も同じ理由で災害救助活動中は粗食のみで過ごすと聞いた事がある。
そんな言い訳を並べ立てても、瀬奈は聞き入れてくれない。どんどん目が据わっていく。
何ならスキルでも使ってるんじゃないかってくらいビリビリとした威圧感が肌を突き刺す。……怖い。助けて。
「私、辛い思いしてないよ。歩君が助けてくれたから、全然大丈夫だよ。変な遠慮とか就業規則とかいいから歩君も食べなさい。さもないと、帰った後地図アプリの口コミで星1つけるよ? こっちはちゃんとした物食べさせてもらったのに、救助に来た人が栄養補助食品で済まそうとしてたから申し訳なさすぎて居た堪れなかったってクレーム入れるよ? 給与査定どうなっちゃうんだろうね?」
ついには脅迫までし始めた瀬奈に、俺は根負けしてしまった。二食分の非常食セットを取り出して、片方を瀬奈に差し出した。
「分かった分かった、降参だ。一緒に食べよう」
「分かればよろしい!」
瀬奈は威圧感を霧散させ、満面の笑みを浮かべて非常食セットを受け取った。……本当に扱いにくい。




