第30話
【竜の威圧】を解くと、こわばっていた瀬奈の筋肉が一気に弛緩した。重さが一気に腕にかかる。
変な姿勢で立たせておくのも辛いだろうから、ゆっくりと地面に降ろしてやる。
「あの魔物、どうなったの……?」
「もう出てこない……と思う」
「歩君が吸い取ったのは見えたけど……歩君は大丈夫なの?」
心配そうに俺を見上げる瀬奈に首肯で答える。
「あの魔物は魔素で出来てる幽霊みたいなモンだから、スキルを取り出した時みたいに固形物に変えてやったよ。そのまま置いとくとマズいから、アイテムボックスにしまっといた」
「……そっか……終わったんだね」
瀬奈がそう呟くと、前園に視線を移す。……安否が気になるけど体が思うように動かないって感じだろうか?
俺は瀬奈の背中から手を離して、前園を仰向けに起こす。完全に意識を失っている前園の首に指を当てると、弱々しくも規則正しい振動が感じられた。……うん、生きてる。
念の為アイテムボックスからバッドステータス判定装置を取り出して起動する。数秒の計測待ちの後、表示されたのはGOOD判定だった。
「……よし、生きてる。とりあえず死んでない」
「うん……良かった、のかな」
「……どうだろうな」
俺は流石にハッピーエンドとは言えなかった。
意識まで魔物に乗っ取られた前園のメンタルが無事なままでいられるかどうかも分からないし、目を覚ますかどうかすら不明だ。
よしんば頭がまともなまま意識を取り戻せたとしても、攻略申請をブッチしてパーティを壊滅に追い込んだ責任はしっかり追及される事だろう。
前園はこれからが大変だ。良かったなんて、軽々しく言えるわけがない。……だけど。
「まぁ……死ぬよりかはマシかもな」
「うん、そうだね。……生きてこそ、だもんね」
前園から離れて立ち上がった俺を、再び目眩が襲う。俺の全身が金色に光り……まるで風船から空気が抜けるように、体内の魔素が一気に飛び出した。
【竜の威圧】で消費しきれなかった魔素……俺の中で力として残り、内側から圧迫していた魂が一気に放出され、ドームの天井へと戻っていく。
煌めく金色が徐々に失われ、深い青色に変わり……ここに来た時と同じように、池をひっくり返したような景色に戻った。
……たった一つ違う事があるとすれば、俺の目の前に、親父の姿をした魂が残っていた事だ。瀬奈も驚いた顔を隠しきれないまま、親父を見上げている。
《歩、よくやったな。おつかれさま》
俺の頭に親父の声が響く。さっきまでは俺の中にいたから声が聞こえてもおかしくなかったが、今はどうやって喋ってるんだ?
……まあ、仕組みはいいか。人を乗っ取る魔物がいる世界なんだ、幽霊がテレパシーを使ってても何らおかしくはない。
「……ああ、うん。ありがとう」
《魔物が居なくなった今、ここは魔物の巣じゃなくなってしまった。……もうすぐ、父さん達の魂はダンジョンに吸収されるだろう》
親父が悲しそうな、それでいて申し訳なさそうな顔をする。
《でもな、父さん達は魔物と戦うために……家族や仲間の為に戦う為にここにいる。ダンジョンに吸収されて、冒険者を殺すための栄養にされるのは……嫌なんだ。分かるだろ?》
「……ああ、分かる」
《だから、歩。頼む、父さん達をダンジョンの外に連れて行って欲しい。消えるなら、ダンジョンの外で……普通の魂と同じように、地上に還りたいんだ》
「でも……俺の中に全部入れるのは無理だよ。長くは持たないし」
さっきの前園との戦闘も、何だかんだ言って10分もかかっていない。それであのキツさなんだから、魂を詰め込んだままで何十階層も上がれる訳がない。
物質化も気が進まない。あの凄まじい魔物の断末魔を聞かされた身としては、苦痛が伴うかもしれない物質化を恩人達に使うのは躊躇われる。
《……一つだけ、思い当たる節がある。歩がレムナント・イーターを取得した時のスキルブック、まだ持ってるか?》
俺はアイテムボックスから一冊の本を取り出した。【レムナント・イーター】が内包されていた、今は白紙の本と化したスキルブックだ。
スキルブックはスキルを得られるから高価な訳だが、スキルを継承した後に残る本にも価値がある。
何か使い道がある訳ではないが、空のスキルブックコレクターがいる。未使用品の1%くらいの価格にはなるが、ネットオークションで売買も出来る。
もったいないから取っておいたが、これが何かに使えるんだろうか?
《お前も知っての通り、スキルは魔素として扱えるし、魂も魔素として扱える。……だから、空のスキルブックに父さん達の魂を魔素として封入出来るんじゃないかと思ってな》
「出来る……のかな? そんな事……」
《うーん、どうかなぁ……提案してはみたけど、出来るかどうかは別だからなぁ……とりあえず、試しにやってみて欲しい。ダメだったら別の手段を考えるさ。あの魔物を石に変えたみたいに、父さん達も石か何かに変えてもらうとかね》
こっちの気も知らないで笑っている親父にため息しか出てこない。
俺は天井に揺蕩っている青い燐光に手を伸ばして少しずつ吸い取りながら、俺の体を通してスキルブックに誘導するイメージで流し込む。
スキルブックが淡い青色の輝きを宿し、ほのかに熱を帯びる。魂が逆流している感じはしない……多分、うまくいっている。
後はスキルブックの容量次第……と思っていたが、どれだけ注ぎ込んでも限界を迎える気配が無い。
結局、三割ほど余裕を残して全ての魂の格納が終わってしまった。残るは……親父だけだ。
《いやあ、本当に入っちゃうとは思わなかったし、全部収納し切れるなんてな……さて、じゃあ父さんも合流しないとな》
「……うん」
俺は親父に手のひらを向けて……吸い込めなかった。
別れを告げる間もなく、いきなり居なくなって。
こんな形で再会出来て……また、別れなくちゃいけないなんて。
《ん? どうした歩……って、何だお前、泣いてるのか?》
「うるさいっ! 死んじゃってもう会えないと思ってたのにこんな所で再会して! まだ話したい事だって沢山あるのに! なのにもうお別れなんて……!」
ああ、恥ずかしい。もう二十歳過ぎた大人だってのに。瀬奈だって見てるのに、まるで癇癪を起こした子供みたいに涙が止まらない。
《歩、よく聞きなさい。……死んだ人間がこんな風にコミュニケーションを取る事はないはずだし、あっちゃいけない事だ。分かるね?》
「……うん」
《本当なら、歩は今のまま……父さんに別れを言えないまま、辛いままで生きていかなきゃいけなかった。父さんと歩がこうして再会出来たのはレムナント・イーターのおかげだし、ひとえに運が良かった……これは奇跡なんだ》
俺は鼻をすすりながら頷く。背中に手が添えられ、優しく撫でられた。瀬奈の手だ。
《奇跡を頼りにしてたら、真っ当に生きられなくなる。……父さんは、歩に地に足つけて生きて欲しいんだな》
「……分かった」
《歩、お前の名前を歩にした理由、話した事あったっけ?》
「ないよ……無い」
手のひらで涙を拭いながら答えると、親父は滑るようにして俺のすぐ目の前まで来た。
《苦しいことや困ったことで立ち止まりたくなる事は沢山ある。振り返りたくもなるし、座り込んで逃げ出したくなる時もある。……でも、どれだけ立ち止まっても、弱音を吐いても、いつかはもう一度歩き出せる……そんな強い子になって欲しい。そう思って、母さんと一緒に付けたんだ》
「……うん」
《父さん、死ぬ直前まで……いや、死んでも歩の事が心配だったけど……全然大丈夫だったな。その歳までちゃんと一人で生きて来られた……やっぱり歩は、父さんと母さんの自慢の息子だよ》
親父の手が俺の肩にかけられた。肉体は無くとも、親父の手が温かく感じられて……止まりかけた涙が、またこぼれ落ちた。




