第22話
「……歩君、どう? 立てる?」
俺は首を横に振って答える。ダメだ、怖い。怖くて膝が笑っている。
上を向けない。天井が見れない。あの光が残留思念だと気付いてしまってから、強烈な視線を感じる。
幾百、幾千もの視線を投げかけられているようだ。それを思うと、とんでもない圧力が掛かっているような気がする。
「歩君、こんな所で言うのも気が引けるけど……ちょっと休憩する?」
「……いや、休んでなんかいられない……今も上には危機が迫ってる……こんな所でモタモタしてなんか……」
「でも! ……でも、動けないんでしょ?」
……瀬奈の言う通りだ。全く動けない。
情けない話だが、手も足も震えている。どれだけ力を入れても、体が……いや、心がついてこない。
「……誰かが死ぬ事には、慣れてるはずだったんだ」
「うん」
「仕事中に怖くなった事なんて、一度もない」
「うん」
「なのに……ダメなんだ。足が震えて、立てないんだ……怖い……怖いんだ……あんなに沢山、死んで……取り残されて……」
弱音が口から溢れて止まらない。こんなのは初めてだ。きっとこれが「心が折れた」って事なのかも知れない。
「大丈夫だよ、大丈夫……いきなり人魂が大挙して押し寄せたら私だってびっくりするもん。……私には何も見えないけど、残留思念が歩君にちょっかいかけてきてるって訳じゃないんだよね?」
「ああ、天井に溜まってる……溜まってるだけだ」
「じゃあ、きっと人に危害を加えるような悪い物じゃないと思うよ。向こうも歩君にびっくりしてるんじゃない? 出会い頭にいきなり吐かれて『失礼な奴だなー』って思ってるかもしんないよ?」
瀬奈は軽口を叩きながらも、背中を優しくさすり続けてくれる。
だが、いつまでも瀬奈の優しさに甘えている訳にもいかない。力の入らない足を手で支えて、辛うじて立ち上がる事が出来た。
「そうだな……何もしてこないのにビビったら失礼ってモンだよな」
口で強がりを言ったところで、膝がまだガクガクしている。
力が抜けて前のめりに倒れそうになった俺を瀬奈が間一髪で抱きとめる。
おかげで地面を踏みしめられるよう体勢を整え、ちゃんと自分の力で立てるようになった。
「おっとっと、無理しちゃダメだよ? まだ先は長いし、魔物もどこにいるか分からないんだからね?」
「分かってる、大丈夫だ。……だが、まだ満足に歩けそうにない。少しだけ……前を任せていいか?」
「もちろ……んんっ、そりゃあ? 露払いを任されるのは? やぶさかではございませんがー? 何か一言頂けたら瀬奈ちゃんやる気が出てめっちゃ頑張れるんですがー??」
キリッとした顔をこちらに向けて、瀬奈が何らかの特別扱いを要求してくる。
……こっちはメンタルに来てるんだぞ、もっと配慮って物はないのか?
だが、期待に満ちた視線が俺から離れる事はなく、ずっと返答待ちのまま動く気配が無い。
俺は仕方なく……本当に心の底から仕方なく、瀬奈に頼んだ。
「お前の力が必要なんだ。頼む……相棒」
「あいっ!? 相棒って言った!? 仲間じゃなくて相棒!? これもう実質的プロポーズみたいな物だよね!? わはー! 照ーれーるー!!」
瀬奈は目をこれでもかと輝かせて、ぴょんこぴょんこ飛び跳ねながら俺の肩や背中をべっしべし叩いてくる。
マジでバランス崩して倒れそうだから勘弁して欲しい。そして100%プロポーズではない。
「任せて相棒! 私が先に行ってちょちょいと魔物ぶっ倒して来るからね! ゆっくり追いかけて来てくれたら全然大丈夫だから!」
瀬奈はぐっと親指を立てたかと思うと、高く跳躍しながら骨の山を飛んで回避しつつ、部屋の奥にある階段へとすっ飛んで行く。
俺はふらつく足元をしっかり確かめながら階段へと向かう……が、何かおかしい。
瀬奈が階段を少し登った所で立ち止まっている。
上を見上げたまま、凍ったように動かない……まるで、さっきまでの俺のように。
「瀬奈……どうした?」
「うっ……そでしょ、最悪……!」
じりじりと後ずさるように階段を降りて来る瀬奈越しに、俺は黒い何かを見た。
階段を這って降りて来る黒いモヤ……まるでドライアイスの煙に似た振る舞いを見せるそれは、名状し難い程におぞましく、殺意と敵意を大いに孕んでいた。
あのモヤに比べたら、天井を埋め尽くす青い光なんて害意が無いだけ遥かにマシだ。俺も思わず足を止め、階段を凝視してしまう。
漂う黒いモヤの濃さが増していき、いよいよもって瀬奈の足元まで届こうとしていたその時。階段から、一人の男が降りて来た。
まるで死体の様に青白い肌。だらりと垂れた手には剣が握られている。虚ろな目はどこを見るでもなく、視線は中空を彷徨っている。
三課の待機室でデータを見た時の画像とはえらい変わりようだ。これが瀬奈の親類縁者だとは思いたくない。
……行方知れずだったリンドブルムの最後の一人。パーティリーダー・前園拓也だ。
実はゾンビでしたと言われても納得出来てしまいそうな生気の抜けた様相は、まさに心ここに在らずだ。
その前園の心を握っているのは、背後に控える漆黒のローブの魔物……闇を撒き散らしながらニイッと歯を剥き出しにして笑う姿は死神と呼ぶに相応しい。
瀬奈が剣を抜いて構える。
天井に集う青い残滓達が、俺達に何かを訴えかけるかのように強く輝いた。




