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第18話

「瀬奈、行こう。……そろそろ魔物が再出現する頃だ」



 俺の呼び掛けに瀬奈がよたよたと立ち上がる。まだ涙が止まっていないし鼻水も出ている。

 ……この人目を憚らない大号泣が演技だとは思えないし、思いたくない。

 俺がアイテムボックスからハンドタオルを取り出して渡すと、ためらいもせずに盛大に鼻をかんだ。

 決して美少女から出てはいけないタイプの粘性の高い水音が迸る。

 涙や鼻水を拭き終わった瀬奈が「ありがと」と小さくつぶやいて折り畳んだタオルを俺に手渡す。こう言う場合は普通「洗って返すね」じゃないのか?

 とりあえずアイテムボックスに放り込んでおく。ハンドタオル一枚と言えども、気軽にポイ捨て出来るような経済状況じゃない。ちゃんと洗濯するに決まっている。



「……ごめんね、時間取らせちゃって」


「いや、大丈夫だ。引き続き、気を付けて進もう」



 いつも通り、瀬奈が先頭で階段を登り始めた。俺は少しだけ安心して……その安心の質が、これまでと変わっている事に気がついてしまった。

 たった一つの気付きのせいで、瀬奈が俺を背後からバッサリ斬り捨てる事もありえるんじゃないかと思い始めている。

 瀬奈が先頭を歩くのが頼もしいと感じてるんじゃない。瀬奈が俺の後ろを歩かない事にホッとしているんだ。

 その事が心のどこかに引っかかってしまう。後ろめたさだろうか、それとも——



「歩君、どうしたの? 何かあった?」



 足が止まってしまった俺を案じて、瀬奈が振り返って声を掛ける。



「大丈夫だ。少し考え事をしてただけだ」


「……何かあったら、ちゃんと言ってね。仲間だもん」



 瀬奈の言う「仲間」の意味を測りかねている事を勘付かれないよう、俺は小走りで階段を駆け上がって瀬奈との距離を詰めた。



 § § §



 しかし、上がった先の階層は拍子抜けする程何もなかった。

 下で見たのと変わらないゾンビ軍団やスケルトン、ゴーストの群れが襲いかかるのを光る武器でしばき倒していくだけのお仕事だ。

 この段階になると、魔素の吸収に伴う能力上昇が頭打ちになり始めた事もあり、能力と感覚がシンクし始めた。

 瀬奈が討ち漏らしたゾンビ犬をきっちり殲滅したり、バックアタックを仕掛けてきたゴーストを長剣で斬り倒したりして、瀬奈のみに任せていた戦闘に俺も介入出来るようになった。



 金森君と一緒に訓練していた時は剣の重さに振り回されていたが、今はアルミの棒でも振り回しているんじゃないかってくらいに剣が軽い。

 振った剣が狙った軌道を描くので、当てたい所にしっかり当てられる。これも器用さや俊敏の能力が高いおかげだろう。

 ……これがハイクラスな冒険者の身体能力か。凄まじいの一言に尽きる。もはや一・二課の課長の10倍以上の強さだ。



「すごいね、もう私や拓也おじさんに引けを取らないくらいの強さだね」


「俺の努力の成果……と言えない所が悲しい所だな。結局の所、この強化はユニークスキルのおかげだからな。何だったんだ、俺の4年間は……」



 瀬奈のお褒めの言葉にも嬉しさは全くない。これまでの努力が報われた訳じゃない、ただ運が良かっただけだ。

 今の仕事についた四年間で得た能力値なんて、何一つない。

 俺が自嘲のため息を吐くと、瀬奈が小さく笑う。



「でも、私は歩君が4年間頑張ったから、私はあそこで助かったんだよ。……もし助けに来た人が新人さんとかだったら、そのまま死んじゃってたかも知れない。だから、きっと無駄じゃなかったと思うよ」


「……まあ、仕事だけは真面目にこなしてきたからな」


「でしょー? だから誇っていいのでーす! ……誰も歩君の仕事を評価しなくても、私が歩君に救われたのは確かだからね。ありがと、助けてくれて」



 俺に向き直って笑みを浮かべる瀬奈に後ろめたさを感じる。

 ……本当に、こんな屈託のない笑顔を向ける子が人を殺したりするだろうか?

 俺は努めて平静を装って、瀬奈に答えた。



「……仕事だからな」


「むー、ガードが固ーい……いつか絶対『仲間だからな』って言わせてみせるもんね」


「……仕事だからな」


「重ねて言わなくてもいいじゃんかー! 本当に強情っ張りなんだからー!」



 地団駄を踏んで悔しがる瀬奈に毒気を抜かれつつ、俺が通路の先に目を向けると……あった。あるだろうとは思っていたが、まさか本当にあるとは。

 通路の先の曲がり角。その隅に転がっているのは、明らかに魔物ではない。ペンキのように広がる褐色の血の上に転がっているそれは──



「瀬奈、待て。ゆっくり前を見ろ。……気を確かに持て」


「……? え、まさか……そんな……? ──っ!?」



 瀬奈がびくっと震えて動けなくなったのを見て、俺はゆっくりと「それ」に近いた。

 島村と違って豪華な装飾品をこれでもかと付けた女性の遺体だ。肩口から背中を袈裟懸けに斬られているだけでなく、胸を差し貫かれた形跡もある。

 苦悶の表情は生前のデータとはかけ離れているが、間違いない。これはSクラスパーティ・リンドブルムの魔法担当、柳原絵梨奈だ。



「柳原さん……何で? 何で柳原さんが……?」



 両手で口を覆いながら震える声を絞り出す瀬奈を一旦放っておいて、俺は遺体を調べた。

 この傷も島村と同様、綺麗な刀傷だ。少なくとも魔物も物じゃない。

 レムナントも見当たらない……が、これまでと違う物が見える。仄かにゆらめく青白い燐光が、遺体の胸あたりに灯っている。



「これは何だ……?」


「……歩君、何か見つけたの?」


「これだ、ここ……胸の所が青く光ってるなってるだろ?」



 俺は燐光を指差して瀬奈に問うが、瀬奈は首を横に振った。



「ううん、見えないよ。……もしかして……?」


「瀬奈に見えないって事は……これまでとは別の種類の残滓か……?」



 恐る恐る手を伸ばして、俺はレムナントを吸い取る。遺体を離れた燐光が俺の体内に入り込んだ瞬間、視覚と聴覚が切り替わった。

 俺の目の前に突然男が現れた。視界はやや低い位置にある。……もしかして……俺は今、柳原になっているのか?



《拓也! アンタ自分が一体何してるか分かってんの!?》


《絵リリリリリ奈、ここここっちにおいデデデデデ》


《何で夏樹を襲ったの!? 答えなさいよ!》


《瀬ナナナナナナナどこにいる早早早くここここここ》



 俺の目の前に立っている男だが、見覚えのある顔だ。

 こいつがリンドブルムのパーティリーダー。独断で申請よりも下に潜った遭難の元凶……前園拓也だ。

 先程から壊れたスピーカーのように要領を得ない言葉を喋りながら、片手剣を持つ手をだらりと下げている。盾は……見当たらない。手放したのか?

 異様な雰囲気でこちらに近付く様はホラー映画にしか見えない。まるで幽霊に自我を乗っ取られた被害者のような有様だ。



《ファイアボール! アイスニードル! タービュランス! ……嘘、何で効かないの!?》



 いくつもの魔法が前園に飛び掛かるが、全てかき消される。



《絵絵絵リ奈奈奈ひどひどいじゃないかリーダーに向かっててててててころころころころすころすころす殺殺》



 魔法が効かない事実と前園から膨れ上がる殺気に気圧されて後退りをすると、前園が速度を上げて追い縋る。

 ついに柳原が背を向けて逃げ出すが……曲がり角で倒れてしまった。

 振り向いて前園を見ると、まさにこちらの心臓を差し貫かんと剣を振り翳している所だった。

 そのまま剣が振り下ろされる。体に深く突き立った剣の感覚は無い。痛みもない。

 だが、恐らくここで柳原は殺されたんだろう。そうとしか思えない。

 やがて体から金色の粒子と虹色の欠片が浮かび上がり、前園へと飛んでいく。……いや、正確には前園の背後にいる存在へと。

 漆黒のローブを被った、骨と皮だけでニイッと笑う、見た事もない魔物の口へと、レムナントが飛んでいく。



《やっぱり……瀬奈……あんなのが入ってきたから……おかしくなったのよ……死んでも呪ってやる……せっかくのパーティが……瀬奈……瀬奈……地獄に……落ちろ……!》


 薄れゆく視界の中で、俺は柳原の怨嗟の声を聞き続けた。

 やがてダブっていた視界が収まり、柳原の声が消え……俺の意識が俺の身体に戻ると、俺の肩を掴んで前後に揺さぶる瀬奈の声が俺の耳をつんざいた。



「歩君!? 歩君大丈夫!? やめてよ、私を一人にしないで! 戻ってきて! やだ、やだよぉ!」


「……大丈夫だ。揺らすのやめてくれないか、頭がくらくらする」


「──っ! 歩君!!」



 瀬奈が俺の肩から手を離し、あろうことかぎゅっと抱きしめてきた。

 少しどころかかなり痛い。ステータス全開のベアハッグは命に関わるから勘弁してほしい。

 とは言え、多少の痛い思いで瀬奈が落ち着いてくれるなら安い物だ。俺は瀬奈の背中を軽く叩いて冷静になるよう促す。

 ……ここが遺体の真横だと言う事に、早く気付いてもらう為に。

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