第15話
部屋の奥に進むにつれて、頬にむわっと湿気が当たる。あれだけ大泣きしていたんだから、涙で部屋の湿度が上がっていても仕方がない。
瀬奈はちょこんとベッドの端に腰掛けていた。俺は机に備え付けられていた椅子を引っ張り出して座り、瀬奈が話し始めるのを待った。
「……私ね、本当はリンドブルムでの活動、しんどいなって思ってたんだ」
俯いたまま、瀬奈がぽつりと呟いた。
「拓也おじさん……えっと、リーダーは私の母方の叔父さんでね。最初、高校卒業のお祝いって事で、ダンジョンに連れてってもらえる事になったんだ」
「……そこでユニークスキルが?」
「うん。ステータスのスキル欄に勇者って書いてあるんだけど? っておじさんに言ったら、目をまんまるにしてさ。……それからだなぁ、無理やりパーティに登録させられて、魔物いっぱい退治させられて、いろんな所に引っ張り回されて……」
瀬名は遠い目をして、長い銀髪を指でくるくると巻いたり、毛先を指でぎゅっと摘んで揉んだりしている。
「柳原さんは、瀬奈が加入したからめんどくさくなった、ユニークスキル持ちなんていなければ良かった……って言ってて、私の事をすごく嫌ってたんだけど……夏樹君は、私の事を気にかけてくれて……無理しなくていいからねって、言ってくれて……」
瀬奈の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。俺はその様を、黙って見ている事しか出来ない。
「あのパーティで……リンドブルムで、私の仲間は夏樹君だけだったんだ。おじさんは私を使い勝手のいいユニークスキル持ちとしか見てないし、柳原さんは私を嫌ってたし……夏樹君だけが、私の事をちゃんと見てくれてた……なのに、なのに……っ」
瀬奈が顔を手で覆い、嗚咽を漏らしながら泣く。しゃっくり混じりの泣き声が部屋を埋め尽くした。
ひとしきり泣いた瀬奈は、顔を手で覆ったまま、俺に尋ねる。
「ねぇ、歩君……歩夢、ご両親が亡くなった時、泣かなかったって、言ってたよね」
「泣く暇がなかっただけだが……ああ、まあ、言ったな」
「どうしたら、泣かずに済むのかな……? どうしたら、歩君みたいに……大事な人が亡くなっても、泣かずに済むような……強い人になれるのかな……?」
瀬奈の問いに、俺は拳を握りしめた。
俺が強い人間な訳がない。ただ泣けなかっただけだ。
あまりにショックで涙も出て来なかったし、世界は俺が泣くのを待ってもくれなかった。両親が死んだ実感も全くなかったし、親戚の家は泣けるほど安心できる環境じゃなかった。
俺はただ、取りこぼしただけだ。両親の死を。両親の死を受け止められる余裕を。悲しい時にちゃんと泣ける俺の心を。
生きる事に必死になって、ただただすり減って。人の死にも何の感慨も持たなくなるくらい、取りこぼして。
人生のボタンを掛け違え続けたせいで、取り返しがつかないくらい狂ってしまった……こんな人間が強い訳がない。
「瀬奈。俺からしたら、お前が羨ましいよ」
「……どうして?」
「俺は泣かなかったんじゃない。泣けなかったんだ。俺だって、泣けるなら泣きたかったよ。瀬奈みたいに涙をこぼして、喚き散らして……でも、出来なかったんだ。今になって泣きたくても……俺はもう、両親の顔も、声も思い出せない」
瀬奈は鼻をすすりながら、俺の話を黙って聞いている。俺の手のひらに爪が強く食い込む。
「俺は強い人間じゃない。痛みがわからないくらい、心や思い出を置いてけぼりにしてきただけの……弱い人間だ」
「……歩君……」
「瀬奈。お前は、取りこぼすな。失う悲しみに泣ける涙を。親しい人との思い出を。大切な物をちゃんと大切だと思える心を、感情を。でないと……」
俺の手が湿り気を帯びたのは、汗ばかりではない。力を入れすぎた手の平に刺さった爪が皮膚を裂いて、血を流している。
……変だな。一昨日あったばかりの奴に、上に戻れば離れ離れになる要救助者に、ここまで熱を上げて説教するつもりなんてなかったのに。
俺、何でこんな事をしてるんだろう……?
「……俺みたいになるぞ。俺みたいな、壊れた冒険者に」
……そうか。俺は、瀬奈に俺みたいになって欲しくないんだな。俺が手放した全てを持ってる瀬奈に、そのままでいて欲しいと思ってるんだ。
今の瀬奈には、時間が必要だ。島村の死を整理する時間が。自分の心に向き合う時間が。
「少し風に当たってくる。……まだ時間はたっぷりあるから、気持ちの整理がついたら階段に来てくれ」
俺は椅子から立ち上がり、部屋を出て扉を閉める。
握ったままだった拳を開くと、四つの小さな傷と、そこから赤い血が流れていた。
……軽い痛みの走るその傷が、俺に何かを訴えかけているように思えた。




