辺境伯様が来る 2
我が国のデビタントは社交シーズンの始まりとともに行われる。そのため王都はとても賑やかになる。王都にほど近く、宿もあるローゼンフィル領もそれに伴って賑わいだす。
ライナに強くすすめられて新しく誂えた薄紫のドレスに、お気に入りのブルーサファイアのネックレスをつけて、私は待ち合わせのカフェへ向かった。
カフェで名前を告げるとすぐに2階の個室に案内される。
そこには既に夜空のような濃紺な髪の、横顔でも端麗な顔の男性が座っていた。こちらに気付いて立ち上がるとスラリと背が高いことが分かる。がっちりした筋肉は服に隠され、意外にも細身だった。
「初めまして、ルカルディ・シュルベストです」
落ち着いた声で挨拶をくださる辺境伯様の瞳は珍しい青緑をしていた。
「初めまして、ローゼンフィル侯爵家が長女、オルデアと申します。」
カーテシーで定形な挨拶を交わす。手紙で何度もやり取りしていて初対面という感じがしないのに、こうして初めましての挨拶をしているのはとても妙な気分だった。
シュルベスト辺境伯様のエスコートで席につくと、とりあえずおすすめのケーキと紅茶のセットを二人分注文した。
「改めまして今日はお付き合いいただきありがとうございます。本当は従姉妹もあなたに会いたがっていたのですが、今日の夕方の観劇のチケットが取れたとかで。 今頃何を着ていくか荷物をひっくり返して悩んでいるところでしょう」
「今人気の劇団がちょうどローゼンフィルにいらしてますものね。私も先日観劇しましたけれど、素敵な恋物語でしたわ。アリア様もきっと楽しめると思います」
「従姉妹の名前を覚えていただいているとは」
「シュルベスト辺境伯様からのお手紙によく登場しますもの。アリア様とお会いしたこともないのに勝手にお友達のような気分ですの。実は今日もアリア様にお土産があって」
そう言って後ろに控えているライナに目をやると、ライナはさっと小さな紙袋をシュルベスト辺境伯様の従者に向かって差し出す。従者が受け取るのを見て話を続けた。
「こちらはお帰りの時にお渡しするつもりだったんですが、前にお手紙に書いたシャルフラワーの香水です。覚えていらっしゃるかしら?」
「えぇ、甘い良い香りの花だと。香水にするのが難しく随分やり直しをして頑張ったと手紙にありましたね」
「そうです、華やかな甘い香りのトップノートからラストノートは大人な甘い香りが残るようにしましたの。観劇に付けていくにも向いておりますわ」
「なるほど、これは今すぐ届けないとアリアに怒られそうだ」
くすりと笑って、従者に今すぐ届けるように言う。
「あ、そうだ。申し訳ないが少しだけ席を外しても?アリアにここの焼き菓子を買ってくるよう言われていて、それもついでに届けさせます」
「えぇ、構いませんわ」
シュルベスト辺境伯様は先に出て行った従者を追っていった。
シュルベルト辺境伯様が出て数十秒後、個室の扉が開かれた。戻ってくるには早すぎると不思議に思えば、そこにいたのは店員に案内されて母と妹がいた。
「お母様?リリーも?」
「あぁ、良かった会えて。ね?ここにいるっていったでしょう?」
後半は後ろにいるリリーに向かってお母様は言った。
「どうしたの?何かありました?」
「何かありました?じゃないわお姉さま!今日私が王都のタウンハウスに向かうって知っていたでしょう?!」
もちろん知っていた。見送りをしないことでこんなに怒ることがあるだろうか?
母と妹、それとロベルト様と3人で王都に今日向かうと聞いていたので、朝に挨拶を済ませてある。今日は友人と会うので見送りができないことの謝罪もその時した。
朝は2人とも私の見送りがないことなど気にもせず、王都で人気のカフェに行こうと盛り上がっていた。私が家を出るときもまだ準備に忙しそうだったので、私はフレッドにだけ行き先を告げて出てきたのである。
フレッドに聞いてここに来たのだろうが、なぜここに来たのかさっぱり検討もつかない。
ただタイミング良くシュルベスト辺境伯様が席を外していて心から安堵した。
「見送りができなくてごめんなさい?でも朝も伝えたわよね?」
「見送りなんてどうでもいいわ!そんなことじゃないのよ、それよ、それ!」
やっぱり見送りのことではないらしい。それ、と言ってリリーは私の胸元を指す。
リリーの指指す先には、私のブルーサファイアのネックレスがきらめいていた。
「これ?このネックレスがどうかしたの?私のネックレスよ?」
「んもう!お姉さまのネックレスなことは分かってるわ!でもそれは私もお気に入りのネックレスでしょう?当然王都に行くのに借りていくに決まってるじゃない!」
ちょっと妹が理解できない。私のネックレスで、それも分かっていて、なのになぜ当然借りていくに決まってるのだろうか。
「あぁもう時間がないわ!お姉さま早くそのネックレス貸して!出発が遅れちゃうでしょう!」
イライラした様子で手を差し出すリリーに、私は首を横に降った。
「何を言ってるのよリリー、こんなところまで来て。これは私のネックレスだし、今私が使っているのよ?諦めて自分のネックレスを持って王都に行きなさい」
「は?だから、わざわざ取りに来てあげたんじゃない!別にくれって言ってるんじゃないのよ?王都にいる短い間貸してってお願いしてるだけなのに!お姉さまひどいわ!」
ずいぶん上から目線の命令に近いのに、これでこの妹的にはお願いしているらしい。
「嫌よ。もっと早く言ってくれていれば私だって貸したわ。でも外出先でネックレスを取り上げられるのは嫌よ」
今日のコーディネートはこの薄紫のドレスとブルーサファイアに合わせてライナが仕上げてくれたものだ。イヤリングと髪飾りもあえてブルーサファイアより薄いブルーを使って、ブルーサファイアを引き立てながら統一感も出している。
「どうしてそんなにいじわるなのよ!」
リリーが淑女にらしからぬ大きい声を出すので慌ててお母様が窘めた。
「リリー、そんな大きな声を出すもんじゃないわ」
「だってお母様ぁ」
リリーは涙を流してお母様に抱きつく。
そんな、リリーの背を撫でて慰めてから、お母様は自分のつけていたピンクトルマリンのネックレスを外して私に渡してきた。
「オルデア、お母様のネックレスを貸してあげるから、そのネックレスはリリーに貸してやってちょうだい?」
私は渡したくなくて思わず自分のネックレスをぎゅっと握った。
「リリーはロベルト様との婚約のこともあって、今回の社交シーズンはとても大事なのよ。お気に入りのネックレスで出掛けたい気持ち分かってあげて?確かに早いうちに言わなかったリリーも悪いわ。でもだからってそんな風にいじわるするのはいけないわ。あなたはお姉ちゃんなんだから」
今日は嫌だともう一度粘ろうとした時、扉の向こうに人の気配があることに気が付いた。シュルベルト辺境伯様が戻ってきたが気を遣って入ってこれないのだろう。
私は諦めてブルーサファイアのネックレスをお母様に渡した。
「お母様のネックレスは私の今日のコーディネートに合わないのでお貸しいただかなくて大丈夫ですわ」
「そう?そうね、ネックレスがなくても今日のオルデアは素敵よ。そのドレスとっても似合ってるわ」
「それじゃぁお姉さま行ってきますね。お母様、遅れちゃうわ急ぎましょ」
慌ただしく母と妹は去っていった。
「お礼の言葉もないのですね……」
ぎゅっと拳を握りながらライナが呟いた。
「出過ぎたことを言いました。ご容赦ください」
「いえ、いいのよ。……ありがとう」
それから少ししてシュルベスト様が戻ってきた。先程扉の前にいると思ったのは勘違いだったのだろうか、それとも気を利かせて時間をあけて戻ってくれたのだろうか。
おそらく後者だろうと思ってシュルベルト辺境伯様がお席に戻られてすぐに私は謝罪した。
「身内の恥ずかしいところをお聞かせしてしまいましたよね?申し訳ありません」
聞いてましたよね?と問いかけるようにシュルベスト辺境伯様を見た。
「いや、聞いてしまってすまない。入って仲裁しようか悩んだのだが、ローゼンフィル夫人は私を良く思っていないだろうし、ここで私が出ていっても余計事態が悪くなるかと思って、オルデア嬢を手助けできず申し訳なかった」
「いえ、その判断をしていただいて助かりましたわ。お母様には、今日お会いするのがシュルベスト辺境伯様とは伝えておりませんの。以前縁談に反対されたお方に会うと分かったら、泣いて止められると思いましたので。鉢合わせしていたら母も取り乱して収集がつかないところでした。母娘ともに失礼をして申し訳ありません」
「いや隠れるような真似をさせてしまってこちらこそ申し訳ない」
謝り合戦になってしまうので、2人して笑ってその話は終わらせた。ちょうどケーキと紅茶が来たのでそれをいただきながら、手紙で話したこと、手紙では書ききれなかったことを話した。
楽しい時間にさっきまでの嫌な気持ちが風に流されていくように消えていった。
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