43 早くも嫁いびり
子爵令嬢 ニーナ・ヴァロワ
皇太子 アルフレッド・クロムウェル
公爵 ジークハルト・ベルシュタイン
ジークハルトの謹慎が終わると、公爵になる勉強のため、色々なところに出かけている。
領地や政務の現場を回り、実務を学ぶために屋敷を空けることも多い。
そうして私は、公爵夫人となるために必要な勉強をベルシュタイン家で学ばせていただくことになっている。
広い書斎や客間を使い、専用の教材まで用意されている…と聞いていた。
公爵家の歴史とか、王族とのつながりとか。
年代の違う紋章や家系図を覚えるだけでも一苦労だろう。
名前を憶えておいたほうがいい人のこととか。
一度聞いただけでは到底覚えきれないに違いない。
領地の経営とか…
てっきり、そういうことを教えてもらえると思っていたのだけれど。
「ニーナさん。何してるの?ここ、汚れてるみたいだけど?」
静かな声とともに、背後から視線が刺さる。
「はい…すぐに」
反射的に返事をしてしまう。
私の講師はジークハルトのお母さん、お義母様が担当してくれているのだけれど。
その指導は、想像していた「教育」とは少し違う方向へと進んでいる気がしていた。
今、教えてもらっているのはお掃除の仕方…
ちなみに、窓ふき。
高い位置の窓は踏み台まで用意されており、陽光が差し込むたびにガラスの汚れがやけに目立つ。
公爵夫人に必要な知識なのかは、やや謎。
手元の布を見つめながら、何度目かの疑問が胸の中で浮かんでは消える。
ただ、体を動かすことは嫌いじゃない。
健康を実感できて嬉しいし、たぶん、もともと掃除好きな性格だったんだろう。
窓が少しずつ透明になっていく様子に、達成感がじわじわと積み重なっていく。
でもやっぱり、これが公爵夫人に必要な学びかは謎。
「全く。大したことができるわけじゃないのだから、これくらいさっさとやってくれないかしら」
お義母様は壁際の椅子に腰掛け、扇子を軽く揺らしながら冷たい視線を向けてくる。
使用人たちの気配を遠巻きに感じている。
お義母様にネチネチと文句を言われながら掃除をさせていただく。
アリアナの侍女もどきをしていたときのことを思い出してしまった。
「今日はどんなことを母さんから教えてもらったの?」
ジークハルトに尋ねられて、目が泳いだ。
『勉強』が終わってから、私が寮へ帰る前に2人でお茶を楽しむのが日課になっていた。
「えっと…せ、清潔にすることの大切さ…かな」
カップを持ちながら、なんとか笑顔を作ってごまかす。
ジークハルトに相談しようか悩んだこともあったけど、告げ口するみたいで、なんか嫌だった。
それに、子爵令嬢の私に公爵家のことはわからない。
変だなと思っているのは私だけで、これが一般的な花嫁修業的なものかもしれないとも思ったのだ。
「母さんに何か言われているなら相談してね…その、言いにくいだろ?」
ジークハルトがカップを置き、少しだけ真剣な目でこちらを見る。
「はい…何かあったら…おねがいします…」
視線を逸らしながら、小さく頷くしかできなかった。
直接も言いづらいけど、ジークハルトにだって言いづらい。
その次の日も、その次の日も、飽きることなく掃除を教えてもらった。
朝から磨き、昼も磨き、夕方になってもまだ布を握っている日々が続く。
だから、使用人の中には私を新しい使用人だと思っている人もいるみたいで。
「これも、洗濯しておいて」とシーツを渡されてしまった。
重みのある布を受け取りながら、ため息をつく。
まあ、仕方がないか。
シーツを洗濯していると、どんどん洗濯ものが増えていった。
広い洗濯場のカゴはすぐにいっぱいになり、手を止める暇もなくなる。
ただ黙々と布を押し洗いする。
この家の奥様が私を使用人として扱ってるのだから、こうなるのも仕方がないか。
今から結婚するのが不安だ。
だがしかし。
この嫌がらせさえ我慢できれば、ジークハルトと一緒にいられるんだもん。
これまで色々な嫌がらせに耐えてきた私にとっては、たやすい、たやすい。
ぱんぱんと洗濯ものを干していく。
庭先の風に布が揺れ、太陽の光で白く輝いていく。
私、家事の才能があるような気がする。
手際が良くなっていく自分に、少しだけ誇らしさが芽生えた。
汚れたものが綺麗になっていくのは気分もよかった。
「ふう。さすが、私」
小さく息を吐きながら、満足げに呟いた。
「…なに、やってるの?」
洗濯ものを干し終わって振り返ると、ジークハルトが立っていた。
ヤバイ…




