37 人生とはうまくいかないものです
子爵令嬢/生徒C ニーナ・ヴァロワ
皇太子 /攻略対象 アルフレッド・クロムウェル
公爵 /攻略対象 ジークハルト・ベルシュタイン
伯爵 /攻略対象 リュカ・モンパルナス
伯爵 /攻略対象 オスカー・ウィリアムズ
伯爵令嬢/悪役令嬢 クロエ・ラングレー
皇太子妃候補 アリアナ・エグランティーヌ
こんな質問、アルフレッドにもクロエにも、ジークハルトにも失礼だ。
誰の立場から見ても、中途半端で、踏み込みすぎている問いだと気づく。
「すみません。忘れてください…」
ジークハルトがアリアナに好意を持っているなら、なおさら失礼な気がしてきた。
自分の言葉を取り消すように、視線を落とす。
「…ただ、もし、その…アリアナさんが考えていることが、ジークハルト様を…嫌な気持ちにさせるなら、私、なんとかするので!何かあったら、ご相談くださいっ」
言葉を選びすぎて、何を伝えたいのかわからなくなってる。
焦りで声が少し上ずり、最後はほとんど勢いだけになる。
でも、何かあったら助けるからと、どうしても伝えたかった。
頭を上げたら、ジークハルトに抱きしめられた。
一瞬、何が起きたのかわからず、呼吸が止まる。
前にも、こんなことがあったような気がする。
ハっとして、空を見上げた。
反射的に逃げるように視線を上へ向ける。
雨は降ってない。
黒い空は静かで、雲だけがゆっくり流れている。
「大丈夫ですか?また、お疲れですか?…す、座りますか?」
どうしたらいいのかわからなくて、ジークハルトの背中を擦る。
手の動きがぎこちなく、慰めにもなっているのか自信がない。
「痛くて」
ジークハルトがそう言った。
やっぱり、雨が?
そう思って、また空を見上げたけど、雨は降ってない。
夜空は変わらず静かで、雲が流れているだけだ。
「君がいないと、すごく痛い」
ジークハルトがそう言って、私の頬を撫でる。
指先が触れた瞬間、呼吸の仕方を忘れそうになる。
雨が降っているからじゃなくて、私がいないと傷が痛むの?
それは何かの病気では?
「す、すぐに医務室に…あ、もう医務室の先生はいませんね。あ!夜遅くまでやってる病院、調べますね!」
何でも言ってくれと言った手前、わかりませんとは言えない。
焦りだけが先に立ち、言葉が次々と滑り落ちていく。
部屋に戻って調べてこようと思ってるのだけど、ジークハルトがはなしてくれない。
「…あの、ジークハルト様。調べてこようかなと…思うのですが」
私がそう言っても、ジークハルトがはなしてくれない。
どういう状況だろう。
ジークハルトと密着してるし、耳に息がかかってるし、すごい困る。
好きになっちゃうじゃん。
せっかく頑張って諦めたのに。
推し活できればいいって線を引いたのに。
どこまでいっても、私はモブの子爵令嬢なのに。
攻略対象を好きになんかなっちゃダメなのに。
「君は、痛くなかった?俺と話せなくて、一緒にいれなくて、痛くない?」
ジークハルトがそう言って、泣きそうな顔をする。
いつもよりずっと弱く見える表情に、胸が強く締めつけられる。
残り、1年と少し。
時間だけが静かに、残酷に減っていくのを感じた。
この学園を卒業したら、私は田舎に帰る。
ジークハルトはクロエと婚約する。
どう答えるのが、正解なんだろう。
「…私には傷がなくて。和らげてあげることはできても、痛みを感じることはできないんです。ごめんなさい」
言葉を絞り出すようにして伝えながら、視線が揺れる。
私はあなたと同じじゃない。
だから、助けてあげることはできても、一緒にはいられない。
そう、突き放すしかないじゃないか。
ポロポロと涙がこぼれる。
自分でも止められないまま、頬を伝って落ちていく雫が、やけに冷たく感じられた。
「俺が子爵令息になれば、一緒にいられる?」
ジークハルトは、私が言った言葉の意味をすぐに理解してくれたみたいだ。
かっこいい上に優しくて、頭までいいなんて。
ずるい。
私の推しは最高だ。
だから、首を横に振った。
「私は、あなたと一緒にいたいんじゃないんです。あなたに幸せになってほしいんです」
推しの幸せだけを願うのが、ファンというものだ。
自分の幸せは、その次でいい。
「俺が…」
ジークハルトが何かを言おうとしたら、雨が降ってきた。
空気が一変し、静かな中庭にポツポツと雨が落ち始める。
「…痛みますか?」
そう言って無意識にジークハルトの傷を撫でる。
撫でてから、しまったと思ったけれど、もう、手をひけない。
「うん…痛い」
ジークハルトがそう言って唇を噛んだ。
石畳を打つ音が強くなり、2人は自然と雨宿りできる東屋へと足を早めた。
私がベンチに座ると、ジークハルトが私の膝に頭を乗せた。
突然の重みに驚くこともなく、そのまま静かに受け止める。
そっと、ジークハルトの顔の傷を撫でる。
指先だけが静かに動く。
雨、ずっと降ってくれればいいのに。
そうしたら、雨宿りをするために、仕方なく、東屋にいられる。
どうせ転生するなら、伯爵令嬢だったらよかったのに。
思い通りにならないことばかりだ。
人生とはうまくいかないものだと知った。
そして、人の欲深さも。
健康でいられるだけでラッキーって思った。
それだけで十分だと、かつては本気で思っていた。
推しを観察できるだけでいいと思っていた。
それなのに、それ以上を望んでしまうなんて。
気づかないふりをしていた欲が、静かに形を持ち始めている。
怖い、怖い。
自分の中の変化が、いちばん怖かった。




