第14章【潜入】
拘束プリズムには、鉄格子がなかった。
そのせいで、かえってつらかった。
向こう側で街が激しく燃えているのが見えた。
別の角ばったフィールドの中に閉じ込められたナイラが、赤いエネルギーに片手を押し当てているのが見えた。
数メートル先には、ケイルも囚われていた。
システムに悪態をつけば直せるるとでもいうように、まだ独房の中からゲートを開けようと必死に足掻いていた。
レイズが、何度も光でフィールドを打つのが見えた。
だがその一撃ごとに吸収され、何の役にも立たない虚しい火花となって返ってくるだけだった。
そして、アクスも見えた。
自由なまま。
一人きりで。
フィールドの向こう側に立ち尽くしている。
「プリズムを叩かないでください」
アクスは静かに言った。
「それに耳を澄ませて、反応するものを探してください」
ファフィニョは歯を食いしばった。
「牢屋に耳を澄ませるって、一体どうやるんだよ!?」
「普通の牢獄ではありません。帝国の技術です。あなたの共鳴ゲノムは、以前にも封印されたシステムを変えています」
ファフィニョは自分の右腕を見た。
【Ω】の印は、暗いままだった。
あるいは、恐怖のあまりまともに見つめることができず、そう見えているだけなのかもしれなかった。
周りでは、アウリオンテの凄まじい騒音が鳴り続けていた。
激しい爆発。
塔の間を切り抜ける航空ユニット。
配管から黒い波のように押し寄せるバズボット。
容赦ない警報の音にかき消されていく悲鳴。
紫の空は、もう空には見えなかった。
ただ、ぱっくりと開いた巨大な傷口に見えた。
ファフィニョはそっと目を閉じた。
フィールドを強引に壊そうとは考えなかった。
ブラスターで撃とうとも考えなかった。
ただ、かつて瓦礫に深く埋もれていたアクスの収容容器を思い浮かべた。
二人とも理解できない未知の何かに、あの容器が確かに反応したときのことを。
次の一歩を踏み出せと言ってくれた、大切なブラックの姿を。
人生で最悪の夜に、自分の未来を安易に決めるなと言ってくれたオラクの言葉を。
別のプリズムの奥から、静かに自分を見つめているナイラを。
――その瞬間、腕の中で、温かい何かが確かに目覚めた。
ファフィニョは目を開けた。
【Ω】の印が、眩しく光っていた。
初めは、かすかな一本の線だった。
やがて、命を宿すような鮮やかな黄色い光が、彼の腕から手のひらへと一気に広がっていった。
強固な拘束プリズムが、激しく振動を始める。
アクスが、彼に向かって一歩踏み出した。
「共鳴反応を検出」
「アクス……」
「壊しているのではありません」
アクスは言った。
「システムがあなたを『囚人』として認識しないように、その定義を書き換えているのです」
フィールドの震えがさらに強まった。
不気味な赤い縁が白く染まり、次の瞬間には完全に透明になった。
ファフィニョは胸に強烈な圧力を感じた。
空気そのものが、彼を後ろへ押し戻そうと抵抗しているようだった。
それでも、彼は一歩も退かなかった。
【Ω】の印は、さらに強く輝きを増す。
――プリズムが消えた。
爆発したのでも、粉々に砕けたのでもなかった。
ただ、彼の周りからその existence 自体が静かに消滅したのだ。
ファフィニョは、ひび割れたアウリオンテの地面に激しく膝をついた。
まるで深い水の底から、ようやく水面へと浮かび上がったばかりのように、激しく息を吸い込んだ。
アクスがゆっくりと近づく。
「脱出を確認」
ファフィニョは、疲れ切った顔を上げた。
「……その言い方だと、実際に僕が感じたほど凄そうに聞こえないね」
「意訳を適用。成功する確率がきわめて低かった脱出を確認」
「うん、そっちのほうがいいよ」
しかし、立ち止まっている暇はなかった。
ファフィニョはすぐさまナイラのプリズムへと走った。
「待ってて! 今、そこから出してあげる!」
ナイラは、プリズムの内側に両手を必死に押し当てた。
「だめよ!」
ファフィニョは思わず足を止めた。
「だめって、どういうこと?」
/「もしそれが『自分を置いて助からないで』から始まる話なら、僕は絶対に聞かないよ」
ナイラは静かに首を振った。
疲れ果てた彼女の顔には、埃と赤い光の筋が虚しく走っていた。
それでも、その声は少しも震えていなかった。
「外からは開けられないの。あなたのプリズムが反応したのは、あなた自身が『中にいた』からよ」
「ここで無駄に試し続けたら、あなたまでまた捕まってしまうわ」
ファフィニョは諦めきれずにフィールドに触れた。
【Ω】の印が再び共鳴して光ったが、ナイラのプリズムはかすかに震えるだけで、消える気配はなかった。
「……まだ、試すことはできる!」
「その分、大切な時間を無駄にしてしまうわ」
「ナイラを助けることが、時間の無駄なわけないだろ!」
ナイラの表情が、一瞬だけ切なげに和らいだ。
「うん、ありがとう。でもね、アウリオンテにも、もう時間があまり残されていないの」
ケイルが、頑丈な工具で自分のプリズムの壁をガンガンと叩いた。
「ファフィニョ、今回ばかりは冗談抜きで言うぞ。お前が一人で走って逃げるべき理由なら、今ここに山ほどある!」
ファフィニョは、悔しそうに彼に向き直った。
「ケイルまで、そんなこと言わないでくれよ……」
「今の俺たちの力じゃ、これを出せないんだ」
ケイルは言った.
「こんな劇的な場面で、俺の言ってることのほうが正しいなんて、本当に嫌になっちまうぜ」
レイズは、赤いフィールドの中でじっと静かに立っていた。
彼の両手から放たれていた光の壁が、徐々に薄れて消えていく。
「ここに残れば、帝国ネットワークに囚われる人間がもう一人増えるだけだ」
「みんなを置いていくなんて、そんなの絶対に嫌だ!」
ナイラはフィールドの壁に強く手を押し当てた。
まるでその透明な障壁を通して、彼の冷たい手に直接触れようとするかのように。
「私たちを見捨てるんじゃないわ。これで全てを終わりにさせないための、たった一つの『道』を、あなたが探しに行くのよ」
ファフィニョは、こみ上げる激しい怒りと悔しさを必死にこらえて息をした。
一瞬だけ、彼の髪がまた絶望の灰色へと変わりかける。
「……それって、一体どんな道なんだよ」
ナイラは、不気味に広がる空へと目を向けた。
黒煙の雲の向こう、惑星の遥か上空には、ありえないほど巨大なノード・ゼロの冷酷な影がそびえ立っていた。
「ホライズン基地には、まだ使われていない非常用の格納庫があるわ。そこにある避難船を使って」
「アウリオンテを出るのよ。ここから、宇宙へ脱出して」
ファフィニョは、まるで正面から殴られたような衝撃の表情で彼女を見つめた。
「……僕に、ここから逃げろっていうの?」
「生きてほしいのよ」
「そんなの、奴らに勝ったことにはならない!」
「今すぐ勝ってなんて誰も言ってないわ」
ナイラは真っ直ぐに彼を見据えた。
「いつか勝つ方法が見つかるその時まで……あなたには、何が何でも生きていてほしいの」
アクスがファフィニョを見た。
「星の剣エーテレオンは、今もノード・ゼロの船内に存在しています」
周りで激しく街が燃え続けていても、彼らの間には一瞬だけ深い沈黙が落ちた。
あの不可能な考えが、再び胸の奥に強烈に戻ってきた。
最高委員会に一蹴された、あの無謀な考え。
ノード・ゼロの内部へ侵入する。
失われた剣エーテレオンを見つけ出す。
それを奴らから奪う。
指示――中枢マトリクスを根本から破壊する。
ファフィニョは、信じられないというように首を振った。
「そんなの、だめだ……」
ケイルが、力なく自嘲気味に笑った。
「おいおい、あんなとんでもない化け物戦艦から、宇宙の剣を盗み出すってか?」
「お前なら、実際に実行する五秒前まで『そんな計画は最初からねえ』って大真面目に言い張りそうだな」
「……全然笑えないよ、ケイル」
「笑わせるつもりは最初からねえよ。だからこそ、俺は心配してんだ」
レイズが、かつてないほど真剣な眼差しでファフィニョを射抜いた。
「行け、ファフィニョ」
「レイズ……」
「――もう一人、守れ」
レイズは、最後にブラックが遺した言葉をなぞるように言った。
「そして、また次の一人を守るんだ。そのために今ここを離れる必要があるというのなら、迷わず離れろ」
ナイラは、真っ直ぐに、どこまでも信じる目で彼を見つめた。
「これを終わらせる方法を必ず見つけて、私たちのところへ戻ってきて」
ファフィニョは、言い返したかった。
大声で叫びたかった。
自分の武器の全エネルギーが枯渇して焼き切れるまで、目の前にあるすべてのプリズムを撃ち続け、壊したかった。
だがその時、アクスが静かに口を開いた。
その声は、もう無機質な報告のようには一切聞こえなかった。
「ファフィニョ。お前がここでまた敵に捕まってしまった場合、今の私にはお前を救い出す手段が存在しません」
ファフィニョは、不気味な赤い光の中に閉じ込められた大切な友だちの姿を一人一人見つめた。
「……必ず、必ずみんなを助け出すから」
ナイラは、優しくうなずいてみせた。
「ええ、わかっているわ」
その絶対的な信頼の眼差しは、どんな冷酷な命令よりも、彼の胸を激しく締め付けた。
ファフィニョは、一歩後ろへ下がった。
それから、もう一歩。
そして彼は意を決し、アクスと共にその場から全力で走り出した。
アウリオンテの街は、すでに黒煙と崩壊した金属が入り乱れる最悪の迷路と化していた。
帝国の航空ユニットが、塔の間の狭い空を切り裂くように不気味に飛び交う。
大型ロボットが大通りを堂々と進み、強固な橋を次々と粉砕していく。
バズボットの群れが、黒い火花の津波のようになって配管の隙間を埋め尽くしていた。
一歩進むたびに、ファフィニョの心は「引き返したい」という強い衝動に駆られた。
アクスには、その少年の葛藤がすべて分かっていた。
「今戻ったとしても、みなさんを救える確率は著しく低いです」
「……もし、僕たちが二度とここに戻ってこられなくなったら?」
アクスは、走行しながら一瞬だけ、人間に似た間を置いた。
「そのときは、お前が再び戻ることができるよう、私ができるすべてのことを実行します」
走りながら、ファフィニョは隣の相棒を見た。
「今のセリフ、なんだか人間の『約束』みたいに聞こえたよ」
「その言語分類を、正式に受け入れます」
二人は崩壊しかけた脇の隠し経路をすり抜け、ホライズン基地の最外縁へとたどり着いた。
かつては頑丈を誇っていた強固な建物も、今は何層にもわたって無残に破壊し尽くされていた。
外壁には無数の着弾の跡が生々しく刻まれている。
巨大な監視塔の一部が激しく崩落し、入口の広場へと完全に崩れ落ちていた。
割れた窓の隙間から、どす黒い煙が勢いよく噴き出している。
建物内部の白い照明は、基地そのものが死の間際で必死に呼吸しているかのように、細かく不規則に明滅を繰り返していた。
だが、ホライズン・ホームは、まだ辛うじて持ちこたえていた。
何よりも先に、ファフィニョは自分の目でその事実を確かめたかった。
居住区の入口では、オラクが何人かの管理担当者や若い新兵たちに対して、大声で激しく指示を飛ばしていた。
彼の肩には深い切り傷があり、服はあちこちがボロボロに裂け、片腕の装甲コルンは無残にへこんでいた。
それでも、その張り上げる声は、誰も逆らうことができない絶対的な命令のままだった。
「負傷者は速やかに下層の連絡通路へ運べ! 子どもたちを最優先で先に通すんだ!」
「おい! 木箱でまた別の出口を勝手に塞ごうとしてる奴がいるか!? そんな奴がいたら、帝国ネットワークがこの侵略に飽きるまで、その重い木箱を永遠に運ばせてやるからな!」
ファフィニョが、立ち込める煙の奥から姿を現した。
オラクは即座に彼を見つけ出した。
「……遅いぞ、ファフィニョ」
全開埃まみれになり、自慢の髪もすっかり乱れたファフィニョは、激しく上がる息を必死に整えようとした。
「帝国の、エネルギーの牢屋に捕まってたんだよ」
オラクは、彼の姿を頭のてっぺんから足の先まで鋭く見分けた。
「……フン、その言い訳なら正式に認めてやる」
アクスは、激しく火花を散らす損傷した操作卓へと素早く移動し、自分の機械の手を直接システムに接続した。
「下層の避難経路は、一部が完全に封鎖されています。地下避難所へは、居住区の三番通路、および整備用の七番ゲートから進入可能です」
ファフィニョはオラクを真っ直ぐに見た。
「……オラク、あと何人の人がここに乗ってる?」
「多すぎる」
オラクは厳しい声で言った。
「だからこそ、無駄に数えるのは今すぐやめろ。一人でも多く避難させるんだ」
ナイラやケイル、そしてレイズが敵に捕まったことを詳しく説明している時間は、もうどこにも残されていなかった。
最高委員会の機能が完全に麻痺したことを話す時間も、街の指揮系統が完全に失われたという最悪の事実を伝える時間もなかった。
ただ目の前には、怯える無数の難民たちがいるだけだった。
ファフィニョは、倒壊した巨大なゲートを新兵たちと共に必死に持ち上げた。
アクスは、緊急システムが完全に停止してビクともしなくなっていた強固な隔壁を手動でこじ開けていった。
管理担当者たちは、怯える家族連れを地下へと続く安全な階段へと迅速に導いていく。
手にした武器を握る手が、恐怖でガタガタと激しく震えている新兵もいた。
必死の形相で負傷者を背負って運んでいる若い兵士もいた。
避難していく子どもたちは、走りながらファフィニョの姿をじっと見つめていた。
そのオレンジ色のマントさえあれば、この頼もしい英雄なら、まだ世界の何もかもを元通りに直してくれると、本気で信じているような純粋な瞳だった。
その子どもたちに対して、ファフィニョは絶対に嘘をつきたくはなかった。
それでも、彼は彼らの先頭を力強く歩き続けたかった。
居住区の三番通路のすぐ近くで、突如として帝国の戦闘ユニットが側壁をドゴォンと激しく突き破ってきた。
先遣の機械兵が数体、一切の音を立てず、立ち止まりもせずに冷酷に侵入してくる。
それらは一斉に、手にした冷たい武器の銃口を、パニックに陥った難民の列へと向けた。
オラクが、迷わずその破壊の銃口との間に自らの身体を投げ出した。
「止まるな! 構わず下へ進め!」
ファフィニョが鋭く踏み込み、両手のヴェイカーを連射して先頭の二体を瞬時に撃破した。
アクスは装甲扉の制御システムを強引に切り替え、侵入経路を物理的に遮断しようと試みる。
だが、基地のシステム全体の処理速度が、あまりにも遅すぎた。
「扉の閉鎖……敵の侵入速度に間に合いません」
アクスが冷徹に報告する。
オラクは、通路の遥か向こう側にある手動の緊急操作盤を見据えた。
そこはまさに、帝国の機械たちが次々と強引に侵入してきている最前線の渦中だった。
オラクの意図を、同時にファフィニョも完全に理解した。
「……だめだ、オラク!」
オラクは、引き止める声を無視して猛然と走り出した。
「オラク! そこから今すぐ離れて!」
「俺がここを離れたら、奴らがそのまま中に入り込んで全滅するんだよ!」
オラクは機械の銃撃を掻い潜り、手動操作盤のレバーを全力で叩き落として緊急封鎖を作動させた。
凄まじい金属の轟音とともに、超重量の装甲扉が上空から高速で下り始める。
その瞬間、帝国のユニットが放った冷酷な一撃が、オラクの身体を正確に直撃した。
凄まじい衝撃波が彼の巨体を弾き飛ばし、硬い壁へと激しく叩きつける。
「オラク――!」
ズゴォォンと地響きを立てて装甲扉が完全に下り切り、通路は強固に封鎖された。
侵入してきた機械たちは、その向こう側へと完全に遮断される。
ファフィニョは、煙の立ち込める中をオラクのもとへと必死に駆け寄った。
一秒の遅れもなく、アクスもその場に到着する。
オラクは冷たい床に倒れ込み、苦しそうに激しく息を荒げていた。
胸の深い傷口からは、直撃した敵のレーザーエネルギーの残滓が、不気味に赤くバチバチと光を放っている。
死んではいなかった。
それでもファフィニョには、この不条理な世界が、またしても自分の目の前で大切な何かを奪い去ろうとしているようにしか思えなかった。
ファフィニョは、彼のそばに絶望的に膝をついた。
「嫌だ……またこんなのってないよ。ブラックの次に、オラクまでいなくなっちゃうなんて……!」
オラクが、痛みに耐えながら辛うじて片目を開けた。
「……おい、勝手に俺をもう死んだみたいに言うんじゃねえ」
ファフィニョの口から、笑いとも嗚咽ともつかない掠れた声が漏れた。
「だって、そんなに酷い怪我をしてるじゃないか……!」
「見事な観察眼だな、ファフィニョ。素晴らしい手柄だ、あとで報告書にでも細かく書いておけ」
アクスが、オラクのすぐそばに静かにしゃがみ込んだ。
「個体名オラク、重篤な損傷を確認。直ちに高度な医療処置が必要です」
ファフィニョは、すがるような目で相棒を見つめた。
「アクス、お願いだ、何とかしてくれ!」
「利用可能な資源は限られていますが、私の緊急プロトコルにより、一時的に容体を安定させることは可能です」
「じゃあ、今すぐお願い!」
アクスは極めて正確な機械の動作で、内蔵された緊急処置装置を展開し、オラクの傷口の一部をエネルギーで強引に塞いでいった。
ファフィニョは、無意識のうちにオラクの大きな手を、骨がきしむほどに強く握りしめていた。
オラクは、その手の痛みに気づいた。
「……おい、せっかく怪我してねえ方の手まで、お前の力でブッ壊す気か」
ファフィニョは、慌てて握る力を緩めた。
「……ごめん」
「よし。まだ、ちゃんと人の話を聞く余裕は残ってるな」
ファフィニョは、悲しげに深くうつむいた。
「ナイラが捕まったんだ。ケイルも、レイズも……。最高委員会は完全に機能を失って、アウリオンテの街はもう……」
彼は、その先の言葉をどうしても口にすることができなかった。
オラクは、体内の激痛に耐えながら深く息を吸い込んだ。
「――お前は、ここで一体何をしている?」
ファフィニョは顔を上げた。
「困っている人を、助けに来たんだ」
「なら、お前が進んでいるその道は、何一つとして間違っちゃいねえ」
「でも……それだけじゃ、全然足りないんだよ!」
オラクは、この少年が次に何を口にするつもりなのか、すでにすべてを完全に見抜いているような深い目で見つめ返した。
「……お前、一体何をするつもりだ?」
ファフィニョは、生唾を深く吞み込んだ。
「――ノード・ゼロへ、行く」
二人の間に流れた沈黙は、鳴り響く大音量の警報音よりも遥かに大きく、その場に響き渡った。
オラクは、一秒だけ静かに目を閉じた。
「……フン、俺がこれまでの人生で聞いた中で、間違いなく最高に最悪な計画だな」
「……分かっているよ」
「ならよし。今回ばかりは、自分の計画がどれほどひどいものか、素真面目に認める強さができたわけだ」
ファフィニョの身体が、決意で小さく震えた。
「帝国ネットワークの支配を、これで完全に終わらせるんだ。例え……僕のこの命と引き換えにすることになったとしても」
その瞬間、オラクが、残された弱い力で彼の手をギュッと握り返した。
「……簡単に、死ぬ約束なんてするんじゃねえ。人間って生き物はな、極限まで追い詰められている時ほど、そういう重い言葉を簡単に口にしちまうもんなんだよ」
ファフィニョは、涙で潤んだ瞳でオラクを見つめた。
「じゃあ、僕は一体何を約束すればいいの?」
「他のみんなを、その絶望から救い出せる強さを手に入れて、必ず俺たちの元へ生きて戻ってくると……それだけを約束しろ」
ファフィニョは、胸の奥が震えるほど深く息を吸い込んだ。
身体も心も、自分のすべての感情が、今この場所に残って一緒に戦いたがっていた。もうこれ以上、誰一人として失いたくはなかった。
だが、ここに残っていても、囚われたナイラは救えない。ケイルも、レイズも救えない。この大好きなレプ・オルジオンの未来も、何一つとして救えないのだ。
「……約束するよ、オラク」
ファフィニョは言った。オラクは、かすかに優しくうなずいてみせた。
「よし。なら、いつまでもそんな情けない顔でそこに膝をついてるな。今すぐ行け」
アクスが、容体を安定させる応急処置をすべて完了した。
「容体の重篤性は変わりませんが、限られた時間内において、生命維持システムは完全に安定しました」
ファフィニョは、力強くその場に立ち上がった。
オラクの手を離すのは、引き裂かれるように辛かった。
「……必ず、戻ってくるから」
オラクは不敵に笑おうとしたが、結局はいつもの不機嫌そうな顔にしかならなかった。
「当たり前だ、必ず戻れ。お前が勝手に敵の母艦に押し入った無茶について、俺はまだお前を思いっきり叱らなきゃならんからな」
ファフィニョの口から、小さな笑みが零れた。
正式に彼は前を向き、アクスと共に非常用格納庫へと全力で走った。
非常用の格納庫は、敵の爆撃によって激しく損傷していた。
何隻もの同盟の避難船が、デッキの上で無残に炎を上げて燃え盛っている。
他のまともな船は、すでにすべて飛び立った後だった。あまりにも多くの人々を詰め込みすぎ、出発のタイミングも遅すぎたのだ。
格納庫の隅には、小型の偵察船がわずか二隻しか残されていなかった。
一隻は右側のメインエンジンを完全に失っており、粗大ゴミ同然だった。
もう一隻の船体もあちこちが傷だらけだったが、奇跡的にまだ壊れずにその形を保っていた。
アクスが、その二隻目の船を指し示した。
「船体の基本機能:六十二パーセントを維持」
「それって、飛行する上で良い数字なの?」
「確率論として、ゼロよりは遥かに大きいです」
「……アクス、僕はそういう気休めみたいな答えが欲しかったんじゃないんだけどな」
二人は迷わずその船へと乗り込んだ。
ファフィニョは、緊張で強張る身体のまま操縦席に深く座った。
一瞬だけ、これまでの過酷な飛行の記憶が脳裏をよぎり、胃が雑巾のようにねじれるような感覚に襲われる。
故郷ファフィルからの命がけの跳躍。
あの極寒の北極への旅。
激しい吐き気。
押し寄せる恐怖。
船の狭いトイレでの苦い思い出。
――だが、今回の彼は、もう決して逃げ腰にはならなかった。
アクスが、すぐ隣の副操縦席へと静かに座った。
「私に全ルートを案内できます」
ファフィニョは、操縦桿を両手で固く握りしめた。
「……頼むよ、アクス」
「了解。機体の向きを左へ三度微補正。出力レバーは徐々に、段階的に上げてください。……間違っても、格納庫の内部でいきなり最大推力にしないでください」
「最後のアドバイスくらいは、僕だってちゃんと分かってたよ!」
「エラー予防のための注意喚起は、私の基本プロトコルとして必要です」
「信じてよ、アクス」
「――戦術的信頼を、お前に適用します」
船体が激しく震え、降り注ぐ無数の火花の中をゆっくりと浮き上がっていく。そして格納庫の狭い開口部を、矢のような速度で見事に飛び抜けた。
ちょうどその時、背後に残してきたホライズン基地が、敵の激しい爆発の閃光によって赤く照らし出されるのが見えた。
ファフィニョは、奥歯をガチリと強く食いしばった。
――今回は、もう決して吐いたりはしなかった。
アクスが、隣から彼の表情をじっと観察した。
「飛行による生体酔いの症状:著しく軽減されていることを確認」
「……僕のこれからの英雄記録に、そういう恥ずかしいデータは絶対に書かないでよね」
「了解。脳内システムにあるお前の『英雄記録』の記述を、今すぐ手動で更新しました」
「アクス!!」
船はアウリオンテの厚い大気圏を急速に離れていった。
眼下には、激しい戦火によって傷ついた広大な惑星レプ・オルジオンの姿が、悲しく広がっていく。
美しかった首都は、いまやいくつもの場所で真っ赤に燃え盛っていた。
だが、市民たちが必死に避難している地下への経路が、地表の下でまるで青い血管のように美しく、力強く発光しているのも見えた。
そして大気圏を完全に抜けた暗闇の宇宙空間には、あの【ノード・ゼロ】が不気味に浮かび上がっていた。
ファフィニョは、これまでの人生でこれほどまでに巨大で禍々しい存在を見たことがなかった。
それはもう、一隻の「船」というレベルには見えなかった。
星そのものを完全に覆い隠し、支配するためだけに造られた、鉄の巨大な都市そのものに見えた。
中心には暗い金属の巨大な環がゆっくりと回転している。
化け物の口のようにぽっかりと開いた、無数の格納庫が見える。
不気味な赤い光のラインが、その表面を無数に走っていた。
そこから、おびたただしい数の機械の列が、今も惑星へと絶え間なく流れ出している。
あまりにも、あまりにも巨大すぎた。
ファフィニョたちが乗る小さな船は、その鉄でできた永遠の夜に向かって投げつけられた、今にも消えそうな一粒の火花にしか見えなかった。
アクスが、静かにその巨体を見つめて言った。
「ノード・ゼロ」
ファフィニョは、操縦桿を握る両手を少しもぶらさずに真っ直ぐ保ち続けた。
「……あの中に、星の剣エーテレオンがあるんだね」
「そのとおりです」
「中に入って、それを見つけて、奴らから奪う。そして……中枢マトリクスを根本から破壊する」
「エーテレオンの力が炉心へ正確に届けば、帝国の量子エネルギーは完全に崩壊します。そうなれば、現在レプ・オルジオンに侵攻中のすべての機械兵は、中枢との接続を強制的に断たれる可能性があります」
「さらに、ザイラックスが中枢システムとの精神接続を維持していた場合、そのエネルギー爆発の負荷によって、彼を完全に打倒できるかもしれません」
ファフィニョは、目の前に迫る巨大な母艦を真っ直ぐに見据えた。
「――なら、迷わずアイツの心臓を狙う」
アクスは、その言葉をもう決して訂正しようとはしなかった。
小さな船は、吸い込まれるように巨大な漆黒の影へと向かって飛んでいった。
ノード・ゼロが、暗闇の宇宙に浮かぶ不可能な都市のように、目の前で圧倒的な迫力で大きくなっていく。
その時、ファフィニョは完全に理解していた。
自分はもう、この世界の終わりから惨めに逃げ回っているのではない。
正式にその終わりをもたらす元凶の【心臓】へ向かって、いま真っ直ぐに突き進んでいるのだということを。
第14章をお読みいただき、ありがとうございました!
自らの「共鳴ゲノム」の力で拘束を破ったファフィニョ。仲間たちの熱い想いと、重傷を負ったオラクとの命がけの「約束」を胸に、ついに敵の本拠地である超巨大母艦「ノード・ゼロ」への潜入を決意する、物語の最高潮となるエピソードです。
一粒の火花のような小さな船で、鉄の夜へと突き進むファフィニョとアクスの運命は――!?
もしこの緊迫した展開を楽しんでいただけましたら、ぜひブックマーク登録や、ページ下部にある評価のポイント(☆☆☆☆☆を★★★★★に!)で応援していただけると大変励みになります。皆様の貴重な一票が、次の章へのモチベーションになります!
ついに敵地での戦いが始まる第15章も、どうぞお楽しみに!




